これ、会社の同僚にも友達にも言ってない話です。言ったら「お前それマンガじゃん」って言われるのがわかってるから。でも全部本当の話。
俺は当時25歳。都内のシステム開発会社で働くSE4年目。顔面偏差値は48くらい。身長172cm。モテた経験はほぼない。大学の時に1回だけ付き合った彼女には3ヶ月でフラれた。以来ずっと一人。要するに、どこにでもいるフツーの、ちょっと冴えない男です。
住んでたのは東京・中野のボロアパート。築32年、木造2階建ての「コーポ中野」。家賃5万8千円。中野駅の北口から歩いて12分、ブロードウェイを抜けた先の住宅街にある。
このアパート、とにかく壁が薄い。隣の部屋のテレビの音が聞こえるのは当たり前で、くしゃみすら筒抜け。前に住んでたおっさんのイビキが毎晩聞こえてきて、それはそれで地獄だった。
で、そのおっさんが去年の10月に引っ越していった。やっと静かになるぞ、と思って2週間くらい平和だったんだけど。
11月の頭に、隣に新しい住人が越してきた。
引っ越しの日、仕事から帰ってきたら、廊下に段ボールが積まれてた。隣の部屋のドアが開いてて、中からバタバタ音がする。
ちょうど自分の部屋のドアを開けたところで、隣の部屋から人が出てきた。
「あ」
「あ」
女だった。
第一印象は、今田美桜をもうちょっとカジュアルにした感じ。身長は160cmくらいで、丸い目がぱっちりしてる。髪は黒のミディアムで、無造作に一つ結びにしてた。引っ越し作業中らしく、グレーのスウェットにジャージ。化粧っ気ゼロなのに普通に可愛い。
(え、嘘だろ。このボロアパートに?)
「あの、隣に越してきました。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げてきた。
「あ、はい。こちらこそ」
声が裏返った。25歳にもなって声が裏返った。
部屋に入ってから(マジか…)としか考えられなかった。このボロアパートの隣に、あんな可愛い女が住むことになるのか。壁が薄いこのアパートに。
最初の1週間は挨拶程度だった。廊下ですれ違ったら「こんにちは」「こんにちは」。それだけ。
問題が起きたのは、2週目の水曜の夜だった。
夜の10時過ぎ、部屋でYouTubeを見てたら、玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、隣の女——ここではミキとしておく——が立っていた。
「すみません、あの…Wi-Fiの調子が悪くて。ルーターの設定画面の出し方って、わかりますか?」
「あー、はい。192.168…」
「いち…きゅう…?」
全くわかってない顔だった。
「ちょっと見ましょうか」
ミキの部屋に入った。間取りは俺の部屋と左右対称で、同じ1K。段ボールがまだいくつか残ってたけど、それなりに片付いていた。白いカーテンに、小さいテーブル、布団。女の部屋の匂いがした。柔軟剤の、甘い匂い。
ルーターを見たら、単にLANケーブルが抜けかけてただけだった。
「これ、ケーブル刺さってなかっただけですね」
「え!そんなことで!?すみません、機械苦手で…」
「いえ、よくあることなんで」
「ありがとうございます!あの、お礼にお茶でも…」
「いや、大丈夫です。じゃ」
逃げるように自分の部屋に戻った。心臓がバクバクしてた。
(落ち着け。ただの隣人だ。可愛いだけの隣人だ)
3日後、またチャイムが鳴った。
「すみません…また繋がらなくて…」
今度はルーターの電源が切れてた。コンセントが緩んでただけ。
「電源抜けてましたね」
「ああ…ほんとにすみません…」
「気にしないでください」
(いやでも普通気づくだろ、電源…)
それが、なんか、週に1〜2回のペースで続くようになった。Wi-Fiが繋がらない、プリンターの設定がわからない、Amazonのアプリが変、スマホの通知が止まらない。
(いやもう、それ全部ググれば解決するやつだろ)
とは思ったけど、言わなかった。言えるわけない。可愛い女に頼られてる状況を自分から壊す男がどこにいるんだ。
12月に入ると、ミキは頼み事のついでにちょっとだけ話すようになった。
聞けば同い年の25歳。アパレルの販売員をしてるらしい。新宿のルミネの中に入ってるブランドだと。前に住んでた彼氏の家を出て、急いで見つけたのがこの部屋だったらしい。
「ほんとは中野に住むつもりなかったんですけどね。家賃安かったし、すぐ入れたし」
「まぁ、この辺は住みやすいですよ。ブロードウェイあるし」
「ブロードウェイ、なんか独特ですよね。まんだらけの前通るたびにちょっとビビる」
「慣れますよ」
笑ってくれた。ミキが笑うと目がなくなる。
(やべぇ、可愛い…)
ある晩、壁越しにミキの声が聞こえた。電話してるらしい。
「……もういいから。別れたんだから連絡してこないで」
声が震えてた。元カレっぽい。
翌日の夜、ミキがまた来た。今度は特に用事はなさそうだった。
「あの…缶ビール、一緒に飲みません?余っちゃって」
6本パックのアサヒスーパードライを持って立ってた。
「あ…いいですけど。うちでよければ」
俺の部屋にミキを上げた。といっても1Kの男の部屋なんで、テーブルを挟んで向かい合うだけ。
プルタブを開けて、乾杯した。
「お隣さんって、なんの仕事してるんですか」
「SEです。システムエンジニア」
「あー!だからパソコン詳しいんだ!」
「まぁ、そうですね…」
「かっこいい」
(かっこよくはない。毎日Excelと格闘してるだけだ)
ビールが2本目に入ると、ミキの口が軽くなった。
「私、前の彼氏と3年付き合ってたんですけど。浮気されてたんですよね」
「あー…それはキツいですね」
「しかも相手が私の友達で。もう最悪。男ってほんとクソですよね」
「俺もクソの仲間に入れられてる?」
「あ、お隣さんは別です。お隣さんは…なんか、安心する」
(安心する、か。それって要するに男として見られてないってことだよな)
そう自分に言い聞かせた。
でも、缶ビールの夜は何度か続いた。金曜の夜とか、お互い仕事が早く終わった日とか。俺の部屋だったりミキの部屋だったり。
壁が薄いから、どっちの部屋にいても変わらないっちゃ変わらない。
12月24日。クリスマスイブ。
俺は当然予定なし。仕事終わりにファミマでチキンを買って、一人で食べようとしていた。
部屋に帰ってチキンを温めてたら、壁の向こうからミキの声が聞こえた。
「……だから関係ないでしょ。もう切るから」
また元カレからの電話らしい。声が荒い。ドンッという音がした。多分スマホを投げた。
しばらくして、チャイムが鳴った。
ドアを開けると、目が赤いミキがいた。
「…チキン、半分くれません?」
「いいよ。ちょうど多すぎるくらい買ったし」
「ありがとう…」
ミキがテーブルの前に座って、チキンをかじりながら、泣いた。
「なんで私クリスマスにボロアパートでチキン食って泣いてんだろ」
「俺なんかクリスマスに一人でファミチキ食ってる25歳独身男だぞ。俺の方がやばい」
「…ふふっ」
泣きながら笑ってた。
「元カレ、まだ連絡してくんの?」
「うん。やり直したいとか言ってくるけど、浮気した人間と戻る気ないし」
「当たり前だ。着拒しなよ」
「…したいんだけど、なんかできなくて。3年一緒にいたから…」
「…」
「でもね、最近思うの。この部屋に来てよかったって」
「このボロアパートが?」
「ボロだけど、隣にいい人がいるから」
目が合った。目が赤いまま、でもまっすぐこっちを見てた。
「…俺はいい人じゃないよ」
「え?」
「いい人なら、隣の女のこと意識したりしない」
言ってから(あ、やべ)と思った。ビール2本で何言ってんだ俺は。
ミキが固まった。3秒くらい。それから頬がじわじわ赤くなった。
「…意識、してくれてるんですか」
「あー…いや、その…」
「私も、してます」
「え?」
「Wi-Fiの件とか…正直、半分以上わざとです。話すきっかけが欲しくて」
(やっぱりかよ!コンセントが抜けてるのに気づかないのはおかしいと思ったんだよ!)
でもそのツッコミは口に出なかった。代わりに出てきたのは。
「マジで?」
「マジです」
「でも俺、フツメンだし、稼ぎも普通だし、面白くもないし」
「知ってます。でもいいんです。私、もう見た目とかノリで選ぶのやめたんで」
ストレートすぎて、逆に何も言えなくなった。
沈黙の中、テーブルの上のチキンが冷めていった。
「あのさ」
「はい」
「もし俺でよければ…年明けに、どっか飯でも行かない?ちゃんとした店」
「…年明けまで待つんですか?」
「え?」
ミキがテーブルを回って、俺の隣に来た。肩が触れた。柔軟剤の匂い。
「今日、クリスマスですよ」
「…だな」
「隣に好きな人がいるのに、一人で寝るの嫌です」
心臓が喉元まで上がってきた。
(好きな人って今言った?俺のこと?)
「ミキ」
「はい」
「俺もう2年誰とも付き合ってないし、そういう…経験も2年ブランクあるけど」
「私は3ヶ月前まで彼氏いたのでブランクはないですけど、そんなの関係ないです」
(なんかちょっと悔しいなそれ)
ミキが俺の顔を覗き込んできた。近い。目がでかい。唇がツヤツヤしてる。チキンの匂いがする。
(チキンの匂いの中でキスするのか?これがリアルってやつか)
キスした。ファミチキの匂いがした。でもそんなのどうでもよくなった。
ミキの唇は柔らかくて、少ししょっぱかった。泣いてたから。
数秒で離れた。ミキが目を開けた。
「…ファミチキの味する」
「お互いな」
二人で笑った。緊張が少しほどけた気がした。
二回目のキスは長かった。ミキが俺のパーカーの胸元をぎゅっと掴んできて、そのまま舌が触れて。
壁が薄いアパートの俺の部屋で、クリスマスの夜に、隣の女とキスしている。
(現実か、これ)
「…布団、行く?」
「…うん」
万年床のシングルの布団に二人で入った。狭い。でもその狭さがちょうどよかった。密着せざるを得ないから。
キスしながら、ミキのスウェットの中に手を入れた。腹が温かくて、柔らかい。
「ん…手、冷たいですよ…」
「ごめん」
「いい、そのまま」
ブラの上から胸に触れた。思ったよりある。
「意外とおっきいな」
「意外とって何ですか」
「いや、細いから…」
「Dありますけど」
(D!?)
スウェットを脱がせた。黒のレースのブラ。クリスマスだから?いや、考えすぎか。でもさっきまで泣いてた女が黒のレースって、ちょっと混乱する。
ブラを外すと、形の良い胸が現れた。色白の肌に薄いピンク。
「…じっと見ないでください」
「見るだろ普通に」
胸に触れた。柔らかい。指に吸い付くような弾力。乳首に触れるとミキが小さく声を出した。
「んっ…」
口に含むと、ミキが俺の頭を抱えてきた。
「あ…っそこ…弱い…っ」
首筋に顔を埋めると、甘い匂いがした。キスしながら、手を下に滑らせた。スウェットのズボンの上から触れると、ミキの体がびくっとなった。
「触っていい?」
「…はい」
ズボンを下ろした。下着は黒。やっぱりセットだ。
(クリスマスだから下着セットで揃えてたのか。てことは、最初からこうなる可能性を…?いや、考えすぎだ。女の人って普段からセットの日があるんだろ。知らんけど)
下着の上から触れると、もう濡れていた。
「あ…っ…」
「ミキ、もう…」
「言わないで…恥ずかしい…」
下着をずらして直接触れた。熱い。指を滑らせると、とろっとした感触。
「ぁ…んっ…」
クリを指先でなぞると、ミキの腰がびくんと浮いた。
「そこ…っ」
ゆっくり指を中に入れた。ミキが息を止めて、それから長い吐息を漏らした。
「ん…奥…ぎゅってなる…」
指を動かしながら、クリを親指で刺激する。ミキの声がどんどん甘くなっていった。
「やっ…なんか…来る…っ」
体が強張って、ミキが俺の肩にしがみついた。
「あっ…あぁっ…!」
体を震わせて果てた。ミキが俺の胸に顔を埋めて、荒い呼吸を繰り返してた。
「はぁ…はぁ…」
「大丈夫?」
「…すごかった…」
ミキが顔を上げて、俺のズボンに手を伸ばしてきた。
「こっちも…させて」
ベルトを外して、下ろしてくれた。直接握られた時、声が出そうになった。
「…かたい」
「まぁ…こんだけされたら」
ミキの手がゆっくり動く。慣れた手つきだった。さっき元カレがいたって言ってたもんな。
(いや、今それ考えるな)
「ミキ…もういい。入れたい」
「…うん」
「ゴム、あったかな…」
ベッドサイドの引き出しを漁った。コンビニで買った2個入りが奥から出てきた。去年買ったやつ。期限はギリギリセーフ。
(こんなこともあろうかと、じゃないんだよ。ただ買って使わなかっただけだ)
装着して、ミキの上に覆いかぶさった。
「入れるよ」
「うん…来て」
先端を当てて、ゆっくり押し入れた。中は熱くて、柔らかくて、吸い付くような感覚。
「ん…っ」
「きつ…」
「動いていいよ…」
ゆっくり腰を動かした。ミキが俺の首に腕を回してきた。耳元で吐息が聞こえる。
「んっ…あっ…」
壁が薄いんだった。隣に聞こえるかも——って、隣は俺の部屋だった。いや、反対隣にもう一部屋あるんだ。そっちの住人に聞こえたらまずい。
「声、ちょっと抑えて。壁薄いから」
「む、無理…っだって気持ちい…っ」
ミキが自分の手で口を押さえた。でも声は漏れてる。
少しペースを上げた。ミキの体が跳ねる。
「んんっ…!あ…だめ…奥…っ」
「ミキ…っ」
「もっと…もっと来て…っ」
さっきまで「声出すな」って言ったくせに、こっちもどんどん理性が飛んでいく。
腰を深く打ちつけると、ミキが目を見開いて、そのまま体を震わせた。
「あっ…いく…っ」
ミキの中がきゅうっと締まって、俺も限界だった。
「俺も…っ」
ミキを抱きしめて、奥まで突いて、達した。頭の中が真っ白になった。
しばらく、二人とも動けなかった。汗だくのまま、布団の中で絡まっていた。
ミキが俺の胸に頬をつけて、ぽつりと言った。
「…壁薄いのに、大丈夫だったかな」
「もう遅いよ」
「ふふ…」
ゴムを外して処理して、二人で天井を見た。
(俺、何やってんだ。隣人と。越してきて2ヶ月で。クリスマスイブに)
「…さっき、好きな人って言ってたけど」
「言いました」
「本気で?」
「本気じゃなかったらこんなことしません」
「元カレと別れて3ヶ月で?」
ミキが体を起こして、俺を見た。
「3ヶ月もあれば十分です。てか、お隣さん。自分のことナメすぎ」
「え?」
「パソコン直してくれるとき、一回も変な目で見てこなかったでしょ。私の部屋に入っても、すぐ帰ってたでしょ。ご飯奢ろうともしなかったでしょ」
「それは普通のことじゃ…」
「普通じゃないんですよ。前の彼氏は、私の友達にまで手出すような男だったの。普通に誠実でいてくれることが、どれだけ…」
声が詰まった。ミキがまた泣きそうになってた。
「…俺、モテないから、手を出す発想がなかっただけだよ」
「それでいいんです。それがいいの」
また布団の中に戻ってきた。俺の腕の中に収まるように。
「ねぇ、もう一回していい?」
「え、もう?」
「クリスマスだし」
二回目は、ミキが上だった。俺の上に跨って、ゆっくり腰を動かした。さっきより余裕のある表情で、時々目が合うと恥ずかしそうに笑った。
「…こうやって見ると、お隣さん、悪くない顔してますよ」
「今その評価されても複雑なんだけど」
「ふふ…んっ…」
さっきと違って、ゆっくり、味わうような動き。手を繋いだ。ミキの指が細くて、でもしっかり握り返してきた。
二回目は、もっと穏やかで、もっと深かった。
お互い果てた後、ミキが俺の隣で丸くなった。
「ねぇ、お隣さん」
「もうお隣さんはやめてくれ」
「じゃあなんて呼べばいいの」
「…名前でいいよ」
「ユウキさん?」
「さん付けかよ」
「だってまだ付き合ってないし」
「…付き合ってください」
「順番おかしいですよね。もうやることやった後に告白って」
「うるさいな。答えは?」
「…はい。お願いします」
時計を見たら、日付が変わっていた。12月25日。メリークリスマス。
窓の外から、中央線の終電の音が微かに聞こえた。
あれから半年経った。
ミキは今も隣の部屋に住んでる。引っ越す予定はないらしい。俺もこのボロアパートを出る気はなくなった。
壁は相変わらず薄い。隣同士なのに、毎晩どちらかの部屋で一緒に寝てる。ダブルの布団を買った。
職場の同僚には「彼女いるんですか」と聞かれるようになった。顔がニヤけてるらしい。そりゃそうだ。
中野のボロアパートで、ファミチキの匂いの中で始まった恋。
Wi-Fiのパスワードなんか、最初から知ってたんだってさ。