彼女に追い出されてシェアハウスに転がり込んだら、深夜のキッチンで毎晩顔を合わせる夜勤明けの看護師にだんだん依存していった話

社会人3年目、26歳の話です。

当時の俺は、2年半付き合ってた彼女に「もう一緒にいる意味がわからない」って言われて、荻窪の同棲マンションを追い出されたところだった。

いや、追い出されたっていうか、出ていったんですけどね。名義は彼女だったし。

荷物まとめてる間、彼女はリビングでNetflix観てたからね。すげえなって思った。俺が段ボール3つ持って玄関出るとき、「鍵、郵便受けに入れといて」って言われたのが最後の会話です。泣いてもいいですか。

で、急遽住むところを探すわけですけど、26歳の手取り23万で荻窪近辺はキツい。敷金礼金ゼロで即日入居、ってなると、もうシェアハウスしかなかった。

見つけたのが西荻窪の駅から徒歩12分、築40年の一軒家を改装したシェアハウス。家賃4万8千円、光熱費込み。個室は6畳で、共用のキッチンとリビングと風呂。住人は最大5人で、当時は俺を入れて4人。

内見のとき、管理人のおばちゃんに「うち、女の子もいるから、共用部では節度を持ってね」って言われて、「はい、もちろんです」って答えたけど、正直そんな余裕なかった。失恋の傷が深すぎて、女の人を女の人として見る気力がゼロだった。

入居して最初の1週間は、他の住人とほとんど顔を合わせなかった。2階の角部屋に引きこもって、仕事して、コンビニ弁当食べて、寝る。それだけ。

ただ、問題がひとつあった。

俺、失恋してから眠れなくなってて。布団に入っても元カノのこと考えちゃって、結局深夜2時、3時まで目が冴えてる。で、腹が減るからキッチンに降りてカップ麺とか作るわけです。

3日目の深夜3時。キッチンの電気をつけたら、先客がいた。

ダイニングテーブルに突っ伏して寝てる女の人。紺色のスクラブを着てて、髪はひとつにまとめてる。テーブルの上にはマグカップと、食べかけのヨーグルト。

(え、誰だこの人…)

起こすのも悪いし、かといってこのまま放置するのも変だし、とりあえずそーっとお湯を沸かし始めた。

ケトルのスイッチの音で、その人がむくっと起き上がった。

「……ん。あれ、あなた誰」

「あ、すみません。先週入った新しい住人です。起こしちゃいました?」

「……ああ、管理人さんが言ってた。男の子が来るって」

男の子て。26だぞ俺。

「私、2階の奥の部屋。看護師やってて、今日夜勤明けで帰ってきたとこ。ご飯食べてたら寝ちゃった」

「お疲れさまです。あ、俺はSEやってます」

「ふーん。……ねえ、なんでこんな時間にキッチンいるの」

「いや、ちょっと眠れなくて」

「……失恋?」

いきなり核心突いてくるじゃん。

「え、なんでわかるんですか」

「シェアハウスに急に来る20代男子、だいたいそう。前もいたのよ、そういう子」

この人、長谷川さんっていうらしい。29歳。新宿の大学病院で救急の看護師をやってて、このシェアハウスにはもう3年住んでるとのこと。

顔は……なんだろ、芸能人で言うと新垣結衣を少しシャープにした感じ。目が切れ長で、疲れてるのに妙に色っぽい。身長は163くらい。スクラブの上からでも、わりとしっかり胸があるのがわかった。(いや、見てないですよ。視界に入っただけ)

その日はそれだけ。お互い「おやすみなさい」って言って、部屋に戻った。

でも、次の日の深夜もキッチンに降りたら、長谷川さんがいた。今度は起きてて、味噌汁を作ってた。

「あ、眠れない子。味噌汁飲む?多めに作っちゃったから」

「え、いいんですか。じゃあいただきます」

「豆腐とわかめだけだけどね」

それがめちゃくちゃ美味かった。出汁がちゃんとしてるっていうか、コンビニ弁当の連続で死んでた胃に沁みた。

「……うまい。すげえ美味いです」

「大げさ。ただの味噌汁でしょ」

「いや、ちゃんとした飯食べたの久しぶりで」

「……ちゃんと食べなよ。体壊すよ」

看護師っぽいこと言うなあ、って思ったけど、その一言がなんか刺さった。元カノに「ちゃんとして」って言われるのとは全然違う種類の、なんていうか、職業的な優しさっていうのかな。

それから、俺と長谷川さんの深夜キッチンが始まった。

彼女の夜勤は週3回で、それ以外の日も生活リズムが夜型だから、深夜2時とか3時にキッチンにいることが多い。俺は相変わらず眠れないから降りてくる。別に約束してるわけじゃないのに、なんとなく毎晩顔を合わせる。

最初は世間話だった。仕事のこと、住人のこと、西荻窪の美味い店のこと。長谷川さんは話すとき、マグカップを両手で包むように持つ癖があって、その姿がなんか子どもみたいで意外だった。仕事中はテキパキしてそうなのに。

2週間くらい経ったある夜、俺は少し酔ってた。1人で安い缶チューハイを部屋で飲んでて、酔いがまわったところでキッチンに降りた。

「……長谷川さん、俺って、つまんない男なんすかね」

「急にどうしたの」

「元カノに、一緒にいる意味がわからないって言われたんですよ。2年半一緒にいて、意味がないって」

「……」

「俺なりに頑張ってたつもりなんすけどね。仕事忙しくても週末はデートして、記念日にはプレゼント買って。でも全然足りなかったんだなって」

「それ、頑張ってたのは認めるけど、相手が求めてたのはそういうことじゃなかったんじゃない?」

「え」

「プレゼント買ってデートして、って、それマニュアル通りでしょ。その子が本当に欲しかったのは、たぶんもっとくだらないこと。一緒にテレビ見て笑うとか、ぼーっと隣にいてくれるとか」

(……あ、そうかもしれない)

元カノが怒ってたの、思い出した。「ねえ、聞いてる?」って何回も言われてたこと。俺、隣にいても仕事のSlack見てたりしてた。

「まあ、私が言えたことじゃないけどね。私も彼氏いたことあるけど、仕事優先しすぎて全員に振られてるし」

「全員って……何人いたんですか」

「3人。全員に『仕事と俺どっちが大事なの』って言われた。笑える」

「笑えない…」

「いいの。仕事のほうが大事だもん、実際。……でもたまに寂しいけどね」

最後の一言、小さい声で言ったの、聞こえちゃったんだよな。

1ヶ月くらい経つと、もう完全に日課になってた。深夜のキッチンで長谷川さんと会うのが、1日の中で一番楽しみになってた。

(……これ、やばいかもしれない)

いつからか、長谷川さんのことを目で追うようになってた。風呂上がりにTシャツ短パンでリビングを横切る姿とか、朝方に寝ぼけながら洗面所で歯を磨いてる姿とか。

シェアハウスって、こういうのが厄介なんだよな。普通なら見れない生活の隙間が見えちゃう。パジャマ姿とか、すっぴんとか、寝起きのぼんやりした顔とか。

ある夜、風呂の順番が被った。

うちのシェアハウス、風呂は1個しかないから、時間帯が被ると待つしかない。俺がリビングで待ってたら、長谷川さんが髪を拭きながら出てきた。

Tシャツに短パン。髪が濡れてて、首筋に水滴がついてた。

「あ、待ってた?ごめんね、長くなっちゃった」

「いえ、全然」

「……なんか顔赤くない?」

「いや、暑いんで」

6月だったから、まあ嘘ではない。でも実際は、濡れた髪の長谷川さんが色っぽすぎて直視できなかっただけ。

(だめだろ、同居人だぞ。しかも3つ上の人に何考えてんだ)

自分に言い聞かせても、一回意識し始めたら止まらない。深夜のキッチンで向かい合って座ってるとき、長谷川さんの唇のツヤとか、鎖骨のラインとか、そんなところばっかり見てしまう。

転機があったのは、入居2ヶ月目のある土曜日だった。

長谷川さんが珍しく日勤で、夕方帰ってきた。でも様子がおかしかった。玄関で靴を脱ぐのもゆっくりで、リビングのソファにそのまま倒れ込んだ。

「長谷川さん?大丈夫ですか」

「……ちょっと、今日きつかった」

「体調悪いんですか」

「体は平気。……患者さんがね、亡くなったの。私が担当してた人」

「……」

「救急だから、慣れなきゃいけないんだけどね。今日の人、ちょうどうちの母親と同い年で。……ちょっとだめだった」

泣いてはいなかった。でも、声が震えてた。

俺はどうしたらいいかわからなくて、とりあえずキッチンに行って味噌汁を作った。長谷川さんがいつも作ってくれるのと同じ、豆腐とわかめの味噌汁。出汁は顆粒のやつしかわかんなかったけど。

「はい、味噌汁。……たぶん長谷川さんのより不味いですけど」

「……ありがと」

長谷川さんが味噌汁を一口飲んで、ふっと笑った。

「うん、不味い」

「正直に言わなくていいのに」

「でも、あったかい。……ありがとね」

その夜、いつも通り深夜のキッチンで会った。でもいつもと違って、長谷川さんが缶ビールを2本持ってきてた。

「飲む?」

「いただきます」

いつもより近い距離でテーブルに座った。長谷川さんは3本目のビールを開けながら、ぽつぽつ話し始めた。

「ねえ、私さ、ここに3年も住んでるの、なんでだと思う?」

「家賃が安いから……とか?」

「それもあるけど。……1人でいると、考えすぎちゃうから。仕事のこと。患者さんのこと。誰かの気配がある場所にいないと、たぶん私、壊れる」

「……」

「だから、あんたが来てくれてよかった。深夜に誰かがキッチンにいるって、それだけで安心する」

(……それ、俺じゃなくても良くないですか)

って思ったけど、言えなかった。言いたくなかった。

「ねえ」

「はい」

「あんた、最近私のこと見てるでしょ」

心臓止まるかと思った。

「え、いや……」

「嘘つかなくていいよ。看護師ナメないで。人の目線には敏感なの」

「……すみません」

「謝んないで。……別にイヤじゃないから言ってんの」

え。

「ていうか、私も見てた。あんたのこと」

「……はい?」

「最初はただの失恋少年だと思ってたのに。毎晩毎晩、話聞いてたら、なんかさ……。めんどくさいな、こういうの」

長谷川さんがビールの缶をテーブルに置いて、こっちを見た。目が赤い。酔ってるのか泣いてるのかわからない。

「ねえ、私の部屋来る?」

「…………え」

「ビール、まだあるから。……それだけ」

それだけなわけないだろ、っていうのは俺にもわかった。でも断る理由がなかった。いや、理由はあった。同居人だし、3つ年上だし、酔ってるし。でもそんなの全部どうでもよくなるくらい、この人のことが好きだった。いつからかはわかんないけど。

長谷川さんの部屋は、6畳の中にベッドとデスクと本棚がぎゅっと詰まってて、医学書と漫画が半々くらいで並んでた。

ベッドの端に2人で座って、缶ビールを飲んだ。肩が触れる距離。

「……ねえ」

「はい」

「もうちょっと近くに来て」

俺が少し体を寄せたら、長谷川さんが肩に頭を預けてきた。シャンプーの匂いがした。さっき風呂に入ったばっかりなんだろう。

「……疲れた」

「お疲れさまです」

「敬語やめてよ。もう2ヶ月も毎晩喋ってるのに」

「……じゃあ、お疲れ」

「うん」

そのまま黙って、たぶん5分くらいそうしてた。長谷川さんの呼吸が聞こえるくらい静かだった。

長谷川さんが顔を上げた。近い。息がかかるくらい近い。

「……長谷川さん」

「名前で呼んで。奈緒でいい」

「……奈緒さん」

「ん」

唇が触れた。ビールの味がした。ちょっとしょっぱかった。

最初のキスは短かった。離れて、お互い顔を見て、もう一回。今度は長く、舌が触れた。

「……いいの、これ」

「私が誘ったんでしょ。いいに決まってる」

強いなこの人、って思った。でもその強さの裏で手が少し震えてたの、俺は気づいてた。

Tシャツの上から、恐る恐る腰に手を回した。奈緒さんが息を吸う音がした。

「……触っていいよ」

上を脱がすと、黒いブラだった。シンプルなやつ。飾り気がないのが逆にドキッとした。

ブラを外したら、思ってたよりも柔らかくて、Eカップはある感じだった。スクラブの下に隠れてたのがもったいないくらい。

「……きれい」

「そういうの、慣れてないからやめて」

って言いながら、耳が赤くなってた。仕事中のクールな長谷川さんからは想像もつかない。

胸に顔を埋めたら、奈緒さんが俺の頭を抱えるようにした。心臓の音が聞こえた。速い。

「……ね、私も脱がしていい?」

頷いたら、奈緒さんが俺のTシャツを引っ張り上げた。その手つきがやけに慣れてるっていうか、ためらいがないっていうか。

(看護師だから、人の体に触るのは日常なのかもな……いや、そういう問題じゃない)

ベッドに横になった。奈緒さんが上から覗き込んでくる。

「ゴム、ある?」

「……ない。持ってくる想定じゃなかったから」

「私のところにあるから待って」

枕元の引き出しからコンドームを出した。なんか、その手際の良さに変な安心感があった。

奈緒さんの短パンを脱がすとき、手が震えた。情けないけど、元カノ以外の女の人を脱がすのは初めてだった。

「……緊張してんの?」

「うん。……まじで緊張してる」

「かわいいね」

奈緒さんが笑った。その笑い方が深夜のキッチンで不味い味噌汁飲んだときと同じで、なんかそれで少し楽になった。

触れたら、もうだいぶ濡れてた。

「……やだ、触んないで」

「え、ダメ?」

「ダメじゃない。……恥ずかしいだけ」

クリを親指で触ると、奈緒さんの腰がびくって動いた。声を抑えようとしてるのか、唇を噛んでる。

「声出していいよ」

「……壁薄いの知ってるでしょ」

シェアハウスの宿命。確かにこの壁の薄さは致命的だった。

指を入れたら、きゅっと締まって、奈緒さんが俺の肩を掴んだ。爪が食い込んで少し痛い。

「んっ……そこ、いい……」

声を殺してるのが余計にエロかった。普段あんなにハキハキ喋る人が、声を押し殺して、目を潤ませてる。

(……なんでこんなに可愛いんだ、この人)

しばらく指で奥を探ると、奈緒さんが急に俺の手首を掴んだ。

「もう無理、入れて……」

ゴムをつけて、正常位で入れた。ゆっくり腰を沈めていくと、奈緒さんが目を閉じて、息を止めた。

「……痛い?」

「ううん……久しぶりだから、ちょっと……」

最後の彼氏と別れたのが2年前って言ってたから、そのくらいぶりなんだと思う。

全部入ったとき、奈緒さんが目を開けて、俺の顔を見た。

「……ねえ、あんた名前なんだっけ」

「え、今それ聞く? ……翔太」

「翔太。……動いて」

名前呼ばれてから動き出すの、なんかすごく……来た。

ゆっくり腰を動かすと、奈緒さんがシーツを掴んで、声を漏らした。小さい声。でも切実な声。

「ん……あ……っ」

「奈緒さん……」

「さん、いらない……今だけ」

「……奈緒」

「……うん」

奈緒が俺の背中に腕を回してきた。爪が肌に食い込む。痛いけど、やめてとは言えない。

(これ夢じゃないよな。深夜3時のキッチンで味噌汁作ってくれてた人と、今こうなってるって、どういう展開なんだ)

自分でも信じられなかった。でも、奈緒の体の温かさと、耳元の吐息は紛れもなくリアルだった。

少しペースを上げると、奈緒が顔を背けた。

「……ちょっと、待って。イきそう……」

「イっていいよ」

「やだ、あんたより先にイくの、恥ずかしい……」

「……俺もけっこうヤバい」

正直だった。久しぶりっていうのもあるし、奈緒の中がすごく締めてきて、感覚がやばかった。

「じゃあ……一緒にイこ……」

奈緒の足が俺の腰に絡みついた。密着して、額と額がくっつく距離で、目を合わせた。

「奈緒……っ」

「……うん……来て……っ」

奈緒の中がぎゅっと締まって、俺もほぼ同時にイった。ゴムの中に出しながら、奈緒を抱きしめた。

「……ん……っ」

びくびくと体を震わせる奈緒を、しばらくそのまま抱いてた。汗と体温が混ざって、シーツがぐちゃぐちゃだった。

しばらくして、奈緒がぼそっと言った。

「……これ、明日から気まずくなるやつだよね」

「……だよね」

「キッチンで会うの、やめる?」

「やめたくない」

即答した自分にびっくりした。

奈緒が少し笑った。

「……私も」

「じゃあ、やめないでいいじゃん」

「そうだね。……でも、他の住人にバレたらめんどくさいからね」

「わかってる」

「わかってるって言いながら、さっきめちゃくちゃベッド軋ませてたでしょ」

「それは……すみません」

「敬語に戻ってる」

2人で笑った。

その後は、なんとなく2回戦に突入した。今度は奈緒が上になった。

「こっちのほうが、静かにできるから」

って言ったくせに、腰を動かし始めたら奈緒のほうが声を抑えきれてなかった。

「……あ、だめ、これ気持ちいい……っ」

さっきより余裕がなくなってる。さっき1回イったからか、感度が上がってるみたいで、少し動くたびに腰がびくってなる。

俺は下から胸を揉みながら、奈緒の腰の動きに合わせた。

「翔太……っ」

名前を呼ばれるの、さっきからずるい。

2回目は長く続いた。お互い1回イってるから余裕がある……と思ったけど、奈緒がだんだん自分から腰を押し付けてきて、その必死さに俺もやられた。

「奈緒……俺もう……」

「いいよ……出して……」

2回目もゴムに出した。奈緒がそのまま俺の上に倒れてきて、しばらく動かなかった。

「……もう朝じゃん」

窓の外がうっすら明るくなってた。カーテンの隙間から、空が紫からオレンジに変わっていくのが見えた。

「深夜のキッチンの延長にしては、だいぶ脱線したね」

「ばか。……でもまあ、脱線するのも悪くないかもね」

奈緒が俺の胸に顔を埋めたまま言った。

「ねえ、私、あんたのこと好きかもしれない」

「かもしれない、って何」

「だって、まだわかんないもん。……でも、毎晩キッチンであんたがいないと落ち着かないのは、たぶんそういうことだと思う」

「……俺は、好きだよ。かもしれないじゃなくて」

奈緒がしばらく黙ってた。で、ぼそっと。

「……付き合うとかじゃなくて、とりあえずこのまま、深夜のキッチン仲間でいよ。それで、もうちょっとお互い見てから、考えない?」

29歳の慎重さなのか、3回振られた経験からくるものなのか。でも俺は、それでいいと思った。焦って壊したくなかった。

「いいよ。じゃあ明日も3時にキッチンで」

「……うん」

それから半年間、俺たちは深夜のキッチンで味噌汁を作って、たまに奈緒の部屋で寝て、朝方に自分の部屋に戻る、っていう生活を続けた。他の住人にはたぶんバレてたと思う。1階の大学生の男の子が、朝キッチンで俺と奈緒が並んでるのを見て、にやにやしてたから。

奈緒が「付き合おう」って言ってくれたのは、俺が入居して8ヶ月目の冬だった。

その日も深夜のキッチンで、奈緒が味噌汁を作ってた。

「ねえ翔太。もう見なくていい。わかったから」

「何が」

「好きだって。あんたのこと。……もう『かもしれない』じゃなくなった」

マグカップを両手で包んで、湯気の向こうからこっちを見てる奈緒の目が、潤んでた。

今、31歳。奈緒と2人で荻窪に引っ越して、普通の1LDKに住んでる。シェアハウスを出るとき、管理人のおばちゃんに「やっぱりね」って言われた。バレてた。

深夜に味噌汁を作る習慣だけは、まだ続いてる。


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