大学2年の夏の話です。
俺は都内の私大に通うごく普通の学生で、特技といえばゲームのランクマッチで全国200位に入ったことがあるぐらい。身長172、体重62キロ、髪は伸ばしっぱなしで美容院ケチって1000円カットに行くタイプ。まあ、要するにモテないやつです。
で、その年の6月から大学の屋内プールで監視員のバイトを始めたんですよ。時給1200円で座ってるだけ。授業の空きコマに入れるし、最高じゃんって。
問題はひとつだけあった。
水泳部の連中がプールを使う時間帯、俺は監視台の上から彼女たちの練習を見下ろすことになる。いや、別にやましい気持ちで見てたわけじゃないですよ。最初は。
ただ、一人だけどうしても目がいく人がいた。
3年の主将、通称「氷の女王」。本名は知らなかったけど、部員たちが陰でそう呼んでるのを聞いたことがある。顔は乃木坂の遠藤さくらを少しキツくした感じで、身長168ぐらい、競泳水着の上からでもわかるEカップ。肩幅はしっかりあるのに、ウエストは細くて、水から上がるときの後ろ姿がやたら色っぽかった。
でもこの人、マジで誰とも喋らない。練習中はタイムの指示を出すけど、雑談してるところを一度も見たことがない。後輩が話しかけても最小限の返事しかしないし、練習後は一人でストレッチして、一人で帰る。
(あの人、友達いないのかな…)
監視台の上から勝手に心配してた俺も俺だけど。
そんなある日、7月の頭だったと思う。プールの利用時間が終わって、最後の利用者が出たのを確認して施錠の準備をしていたら、更衣室から出てきた人とばったり鉢合わせた。
氷の女王だった。
「あの、少しいいですか」
初めて声を聞いた。思ったより低くて、落ち着いたトーンだった。
「あ、はい…なんですか」
「閉館後に30分だけ泳がせてもらえませんか。来週のインカレ予選に向けて、自主練の時間が足りなくて」
「えっと、それは俺の一存じゃちょっと…」
「管理課の田中さんには許可をもらっています。監視員が一人いれば使用できると言われたので」
つまり、俺に残業しろと。
断る理由は正直なかった。その日はバイト後に予定もなかったし、田中さんから許可が出てるなら問題ないだろう。ただ、残業代が出るのかだけが気がかりだった。
「わかりました。30分だけなら」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて、彼女はプールサイドに戻っていった。
そこから、俺の平穏な監視バイト生活が終わった。
閉館後の自主練は週3で続いた。月・水・金の19時から19時半。俺は監視台に座って、がらんとしたプールで一人泳ぐ彼女を見ている。
正直、この30分がきつかった。
部活の練習中は他の部員もいるから、視線が分散する。でも閉館後は俺と彼女の二人きり。50mプールに響くのは水を掻く音だけ。彼女のターンのたびに、水面から顔が出て、また沈む。その繰り返しを、俺はただ見ている。
(いや、仕事だから。仕事として見てるだけだから)
3回目ぐらいから、彼女が練習後に話しかけてくるようになった。
「今日のラスト3本、タイム計ってもらえますか」
「え、いいですけど…ストップウォッチとかないですよ」
「スマホでいいです」
それから毎回、ラスト3本のタイムを計るのが俺の仕事に加わった。彼女はプールから上がると、俺のスマホを覗き込んでタイムを確認する。距離が近い。シャンプーじゃない、塩素の匂いがする。でもそれが妙に生々しかった。
「0.3秒落ちてる…」
「それって大きいんですか」
「100mで0.3秒は、決勝に残れるかどうかの差です」
真剣な目で言われると、こっちまで緊張する。
「あの、名前聞いてもいいですか。ずっと"主将さん"って呼ぶのもアレなんで」
少し間があった。
「…瀬戸です」
「俺は柏木です。文学部の2年で」
「知ってます。シフト表に書いてあったので」
(えっ、見てたの…?)
そう思ったけど、彼女の表情は何も変わらなかった。
7月の半ば、インカレ予選まで1週間を切った水曜日のこと。
いつも通り自主練が終わって、瀬戸さんがプールサイドに座ってストレッチしていた。俺はモップでプールサイドの水を掃きながら、ちらちらと様子を見ていた。
「柏木くん」
「はい」
「肩、押してもらえますか」
「肩…ですか?」
「右肩の可動域が狭くなってて。ストレッチの補助をしてほしいんです」
まあ、スポーツのストレッチ補助なら普通のことだよな。そう自分に言い聞かせて、彼女の後ろに回った。
「右腕を後ろに引っ張ってください。ゆっくり」
言われるまま、彼女の右腕を掴んで後ろに引く。競泳水着越しの肩甲骨あたりに、俺の手が触れる。
筋肉があるのに、肌はすごく柔らかい。その矛盾に頭がバグった。
「もう少し…そこで止めて」
「こ、ここですか」
「…ん、そこ」
声が少し揺れた気がした。いや、気のせいだろう。気のせいだと思いたかった。
「ありがとうございます。だいぶ楽になりました」
立ち上がった彼女の首筋が少し赤くなっていた。プールの照明のせいだと思った。思うことにした。
そしてインカレ予選の日。
瀬戸さんから前日にLINEが来た。いつの間にか交換していた連絡先。「明日、辰巳の国際水泳場まで来てもらえますか。補助員が足りなくて」と。
土曜で授業もないし、断る理由はなかった。
朝7時に辰巳駅で待ち合わせ。改札を出ると、瀬戸さんがジャージ姿で立っていた。髪をいつもより高い位置でまとめていて、印象が違った。
「来てくれてありがとう。こっちです」
会場に着くと、他大学の選手たちでごった返していた。俺は水泳部のマネージャーと一緒に、タオルの準備やらドリンクの管理やら、要するに雑用をこなした。
瀬戸さんの出場種目は100m自由形。予選は午前、決勝は午後。
予選のとき、スタート台に立った瀬戸さんを初めて正面から見た。
監視台の上から見下ろす背中しか知らなかった。でも正面から見ると、この人の身体は本当にすごかった。広い肩幅、引き締まった腹筋、長い脚。競泳水着が身体に張り付いて、筋肉のラインがくっきり出ている。
(かっこいいな…)
素直にそう思った。
スタートの合図が鳴って、瀬戸さんが水に飛び込む。水しぶきが少ない、綺麗な入水。ターンも速い。隣のレーンの選手をぐんぐん引き離して、タッチ。
電光掲示板に表示されたタイムを見て、うちの部員たちが沸いた。予選1位通過。
ただ、プールから上がった瀬戸さんの表情は変わらなかった。いつも通りの無表情。(あの人、嬉しくないのかな…)と思ったけど、違った。
控え場所に戻ってきた瀬戸さんの手が、かすかに震えていた。
「瀬戸さん、お疲れさまです。タオルどうぞ」
「…ありがとう」
タオルを受け取る指先が、まだ震えてた。
「緊張してたんですか」
「…しないわけないでしょう」
少しだけ、口元が緩んだ。初めて見る表情だった。
午後の決勝。瀬戸さんは3位だった。1位と0.2秒差。インカレ本戦への出場権は獲得したけど、本人は納得していない様子だった。
大会が終わって、片付けを手伝って、他の部員たちが先に帰った後。
「柏木くん、この後時間ある?」
「ありますけど…」
「お礼がしたいので、ご飯行きませんか」
瀬戸さんから食事の誘い。部員たちが聞いたら腰を抜かすと思う。
辰巳から有楽町線で豊洲まで出て、ららぽーとのフードコートに入った。瀬戸さんはカツカレーの大盛りを頼んだ。俺はラーメン。
「よく食べますね」
「大会の後はいつもこう。身体がカロリーを求めてるの」
黙々とカレーを食べる瀬戸さんは、プールサイドで見る姿とは別人みたいだった。
「あの、ずっと聞きたかったんですけど」
「何?」
「なんで俺に自主練の監視を頼んだんですか。他の部員に頼めばよかったのに」
瀬戸さんの箸が止まった。カツカレーにスプーンじゃなくて箸を使ってるのも独特だなと思いつつ。
「…部員には頼めなかった」
「なんでですか」
「主将が"自主練の時間が足りない"なんて言ったら、みんな不安になるでしょう。チームの士気に関わる」
「だから部外者の俺に?」
「そう。あなたは水泳のことを知らないから、私のタイムが落ちてることも、焦ってることも、気づかないと思った」
(いや、めちゃくちゃ気づいてたけど…)
とは言えなかった。
「でも、結果的には…あなたがいてくれてよかった」
「え?」
「一人で泳いでると、どんどん自分の内側に入り込んでしまう。でも監視台にあなたがいると…見られてるって意識で、練習に集中できた」
(それ、俺じゃなくても良くない…?)
そう思ったけど、黙っていた。
「カレー、食べる?」
「え、いいんですか」
「大盛りにしすぎた」
カレーを一口もらった。辛かった。CoCo壱の5辛ぐらい辛かった。
「から…っ」
「辛いの苦手?」
「いや普通に辛いですよこれ…瀬戸さん味覚大丈夫ですか」
「…ふ」
笑った。この人が笑うところ、初めて見た。口元を手で隠すようにして、すぐに元の表情に戻ったけど、確かに笑った。
(やばい、かわいかった…)
フードコートを出て、豊洲の運河沿いを歩いた。7月の夕方で、まだ明るかった。レインボーブリッジが見える遊歩道。カップルっぽい雰囲気の場所だけど、俺たちはカップルじゃない。
「柏木くんは、なんで監視員のバイトをしてるの」
「座ってるだけで時給もらえるからです」
「正直ね」
「瀬戸さんは、なんで水泳続けてるんですか」
「…水の中にいると、余計なことを考えなくて済むから」
「余計なこと?」
「私、人と話すのが得意じゃないの。たぶん気づいてると思うけど」
知ってた。氷の女王って呼ばれてることも。でもそれを言ったら傷つけそうで、黙った。
「中学のとき、チームメイトに陰で"感じ悪い"って言われてるのを聞いてから、余計に話せなくなった。別に感じ悪くしてるつもりはなかったんだけど」
「…」
「だから水泳に逃げた。泳いでる間は、誰とも話さなくていいから」
夕日がレインボーブリッジをオレンジに染めていた。瀬戸さんの横顔がそのオレンジに照らされて、プールの蛍光灯の下で見るのとは全然違う表情に見えた。
「俺、瀬戸さんのこと感じ悪いと思ったことないですよ」
「…」
「むしろ、閉館後の自主練の日が楽しみだったっていうか…あ、いや、変な意味じゃなくて」
墓穴を掘った気がして、慌てて取り繕おうとした。
「変な意味って、どういう意味?」
「いや、だから、その…」
「競泳水着姿を見るのが楽しみだった、とか?」
「ちが…いや…全く違うとは言い切れない部分も…」
自分で何を言ってるのかわからなくなってきた。
「知ってた」
「え?」
「監視台から見てるの、気づいてたよ。練習中、私のレーンばっかり見てるの」
(終わった。完全に終わった。セクハラで訴えられる)
「でも…嫌じゃなかった」
「…え」
「あなたの視線は、品定めしてるんじゃなくて…応援してるみたいだったから」
そんなつもりはなかった。いや、あったのかもしれない。いつからか、瀬戸さんのターンが速くなると嬉しかったし、タイムが落ちると一緒に落ち込んでた。
「柏木くん。お礼の続き、うちで食べていかない?作りすぎたおかずがあるから」
(え、家…?)
冷静に考えろ。3年の先輩が2年の後輩を自宅に招くのは、大学生なら普通のことだ。たぶん。いや、普通じゃないかもしれない。わからない。
「あ、はい…ご馳走になります」
瀬戸さんの家は豊洲駅から徒歩8分のワンルームだった。6畳。きれいに片付いていて、本棚にはスポーツ科学の教科書が並んでる。冷蔵庫には大会用のプロテインバーが山積み。生活感があるようでない、不思議な部屋だった。
「座って。今温めるから」
出てきたのは鶏むね肉のソテーとブロッコリーと玄米。完全にアスリート飯だった。
「え、これが作りすぎたおかず…」
「栄養バランスは完璧よ」
「いや、そうじゃなくて…まあいいか。いただきます」
食べてみると、味付けはシンプルだけどちゃんと美味しかった。塩胡椒にレモン。
「普通にうまいですね」
「ありがとう。一人暮らし始めてから毎日作ってるから」
「毎日これ系ですか」
「大会前はね。普段はもう少しジャンクなものも食べるよ」
食べながら、大会の話になった。3位だったことを、瀬戸さんは悔しそうに振り返った。
「ラスト25mで伸びなかった。スタミナが足りない」
「でもインカレ本戦には出られるんですよね」
「出るだけじゃ意味がない。3位の選手は誰も覚えてくれない」
厳しい世界だな、と思った。俺みたいにゲームのランクマで一喜一憂してるのとは次元が違う。
「シャワー、先に使って。タオル出すから」
「え、いや、俺は帰り…」
「プールの塩素がついてるでしょう。そのまま電車に乗るの?」
言われてみれば、大会会場で水が跳ねて服が濡れてたし、塩素の匂いもする。
借りたタオルで身体を拭いて出ると、瀬戸さんがTシャツとショートパンツに着替えていた。ジャージ姿か競泳水着しか見たことなかったから、ギャップにやられた。生足がまぶしい。太ももの筋肉のラインが、短パンの裾からちらっと見えている。
「何見てるの」
「いや、なんでもないです」
「私もシャワー浴びてくるから、テレビでも見てて」
瀬戸さんがバスルームに消えた。テレビをつけたけど、何も頭に入ってこなかった。
(なんで俺、先輩の家にいるんだ…)
シャワーの音が聞こえる。水の音。プールで聞く水音とは違う、もっと近くて、生々しい音。
(やめろやめろ考えるな)
15分ぐらいで瀬戸さんが出てきた。髪を下ろしていた。いつもまとめてるから気づかなかったけど、鎖骨より下まである。濡れた髪が首筋に張り付いていて、さっきとはまた印象が違う。
「ストレッチ、手伝ってもらっていい?」
「あ、はい…」
プールサイドでやったのと同じやつだ。彼女の右腕を後ろに引っ張る。ただ、今は競泳水着じゃなくてTシャツ一枚で、ブラの線が見えている。
(見るな。見るな柏木)
「肩だけじゃなくて、背中も押してほしい」
彼女が床にうつ伏せになった。俺は彼女の背中に手を置いて、肩甲骨の間を押した。
「んっ…もう少し下…」
言われるまま、手を腰の方に滑らせる。Tシャツの裾が少しめくれて、腰のくびれが見えた。
「そこ…いい…」
声が変わった。プールサイドで聞くクールな声じゃない。もっと柔らかくて、甘い声。
(これ、まずくない…?)
「…ごめん。変な声出しちゃった」
「い、いえ…大丈夫です」
全然大丈夫じゃない。俺の方が大丈夫じゃない。
瀬戸さんが起き上がって、俺と向き合った。顔が近い。さっきまで無表情だった目が、少し潤んでいる。
「柏木くん」
「はい」
「今日の…ごほうびを渡したいんだけど」
「ごほうびって、もう充分…」
瀬戸さんが俺の首の後ろに手を回して、引き寄せた。
唇が触れた。
柔らかかった。塩素じゃない、ボディソープの匂いがした。ほんの2秒ぐらいの、軽いキス。
「…え」
「…これが、ごほうび」
「えっと…あの…」
頭の中が真っ白になった。
「嫌だった?」
「嫌じゃないです。嫌じゃないけど…なんで」
「なんで、って…」
瀬戸さんの頬が赤くなっていた。プールの照明のせいにはできない。
「好きだからに決まってるでしょう…こんなこと、好きでもない人にしない…」
氷の女王が、顔を真っ赤にして、目を逸らしていた。
俺は混乱していた。待ってくれ。整理させてくれ。この人は3年で主将で、大学の水泳部のエースで、遠藤さくら似の美人で、俺はただの監視バイトで、1000円カットで、ゲームが趣味の冴えない2年で…
「俺なんかで、いいんですか」
「"なんか"って言わないで」
「でも…」
「私が怖い顔してても、毎回ちゃんとタオル渡してくれたのは柏木くんだけだよ。他の人は近寄ってこないのに」
(いや、それは俺がバイトだから渡さないわけにいかなかっただけで…)
「ストレッチ頼んだとき、手が震えてたの、気づいてた?」
「え、俺の手がですか?」
「そう。触るの緊張してたんでしょう。でも、逃げなかった。それが嬉しかった」
(いやそれは…逃げたかったけど逃げられなかっただけなんだけど…)
でも、嬉しかったと言われて、嫌な気持ちになるわけがない。
俺は瀬戸さんのことが好きだったのか。わからない。でも、閉館後の30分が楽しみだったのは事実だし、プールで泳ぐ瀬戸さんの背中がかっこいいと思ってたのも事実だし、さっきのキスで心臓が破裂しそうになったのも事実だ。
「瀬戸さん」
「…何」
「もう一回、キスしていいですか」
瀬戸さんの目が少し見開かれた。そしてすぐに、ふっと力が抜けたような顔をした。
「…いいよ」
今度は俺からキスした。さっきより長くて、途中から舌が触れた。瀬戸さんの舌が、おそるおそる俺の舌に絡んできた。慣れてない感じがした。
「ん…」
「ん…っ…」
息が荒くなってきて、キスを外した。お互い、顔が近いまま見つめ合う。
「柏木くん…手、」
俺の手が、いつの間にか彼女の腰に回っていた。Tシャツの裾の下、素肌に触れている。
「あ、すみません…」
「…いい。触って」
小さな声で言われて、理性のタガが外れかけた。
Tシャツの中に手を入れると、腹筋が硬い。でもその上の、胸の膨らみに手が触れた瞬間、瀬戸さんの身体がびくっと跳ねた。
「っ…」
「大丈夫ですか…」
「…大丈夫。続けて」
スポーツブラを外す手が震えた。さっき瀬戸さんに指摘されたのと同じだ。外すとき、ホックが2回滑った。情けない。
でも外した先にあったのは、競泳水着の上から想像していたよりずっと柔らかくて、ずっと大きかった。
「…すごい…」
「やめて…恥ずかしい…」
顔を背けた瀬戸さんの耳まで真っ赤だった。この人のこんな姿、プールで見かける誰も想像できないだろう。
胸を揉むと、瀬戸さんが小さく声を漏らした。競泳水着で圧迫されてた分、解放された胸は敏感になっているのか、指で先端を軽くなぞるだけで身体がびくっと反応する。
「あ…っ…そこ…」
「感じるんですか」
「…水着で擦れて…普段から…敏感なの…」
消え入りそうな声で言う。氷の女王の面影はどこにもなかった。
「ベッド…行きませんか」
「…うん」
6畳の部屋だから、ベッドまで3歩もない。瀬戸さんをベッドに座らせて、Tシャツを脱がせた。上は裸。プールの蛍光灯じゃなく、部屋の間接照明に照らされた身体は、水の中で見るのとは全然違った。肌が白い。日焼け止めをちゃんと塗ってるタイプなんだろう。
「きれい…」
「筋肉質で…女っぽくないでしょ…」
「全然そんなことないです。めちゃくちゃ色っぽいですよ」
「…ばか」
ばかって言いながら、嬉しそうな顔してた。
俺も服を脱いだ。瀬戸さんの視線が俺の身体を一瞬見て、すぐに逸れた。
「柏木くんも…脱ぐと意外と…」
「意外とガリガリでしょ」
「…普通。悪くない」
それは褒めてるのか。よくわからないけど、瀬戸さんなりの褒め方なんだと思うことにした。
瀬戸さんの短パンに手をかけた。ゆっくり下ろすと、黒のシンプルなショーツ。
「脱がしていいですか」
「…ん」
ショーツを下ろすと、きちんと手入れされていた。さすがというか、競泳水着を着る人はそのへん気を使ってるんだろう。
太ももの内側を撫でると、瀬戸さんの脚がぴくっと閉じた。
「…ちょっと待って…」
「すみません、嫌でしたか」
「嫌じゃない…けど…あんまり慣れてなくて…」
「え、経験…」
「…ない」
マジか。
この見た目で、この年齢で、経験がない。いや、考えてみれば当然かもしれない。人と話すのが苦手で、ずっと水泳一筋で、友達もあまりいないって言ってたんだから。
「じゃあ…ゆっくりやりますね」
「…お願い」
指で触れると、もうかなり濡れていた。キスとか胸とか、それだけでこんなになるのかと思った。
「あっ…やっ…」
声を抑えようとしてるのか、唇を噛んでる。でも指を動かすたびに、小さな声が漏れる。
「声、出していいですよ」
「だ、だって…恥ずかしい…」
「壁薄いんですか」
「…隣、空き部屋だから…大丈夫だけど…」
じゃあ我慢しなくていいのに、と思いながら指を動かし続けた。クリに触れると、身体が大きく跳ねた。
「あっ…そこっ…だめ…」
だめと言いながら腰が動いてる。このギャップが、氷の女王を知ってる身としてはたまらなかった。
「んっ…あ…っ…」
声がだんだん大きくなって、瀬戸さんの手が俺の腕を掴んだ。
「やっ…なんか…来る…っ」
「いっていいですよ」
「あっ…あああっ…!」
身体を震わせて、瀬戸さんがイッた。太ももが閉じて、俺の手を挟み込む。水泳選手の脚力、すごい。ちょっと痛かった。
「はぁ…はぁ…」
目を閉じて、荒い呼吸を繰り返してる。開いた目がうるうるしてて、別人みたいだった。
「大丈夫ですか」
「…うん…こんなの初めて…」
「えっと…この先は…」
「…したい」
小さいけど、はっきりした声だった。
「ゴム、持ってないんですけど…」
「…引き出しの中に…ある」
え。
ベッドサイドの引き出しを開けると、コンビニで売ってるやつが入っていた。未開封。
「これ…いつ買ったんですか」
「…今日の帰り。コンビニで」
つまり、最初から今夜のことを想定してた…?
「想定してたんじゃなくて…念のため…」
心を読まれた。
ゴムを着けて、瀬戸さんの脚の間に入った。先端を当てると、瀬戸さんが目を閉じた。
「入れますよ…痛かったら言ってください」
「…ん」
ゆっくり入れていく。きつい。瀬戸さんの顔が歪んだ。
「っ…痛い…」
「止めましょうか」
「…だめ。止めないで。…お願い」
目を開けた瀬戸さんが、俺の背中に手を回した。爪が食い込むほど強く。
少しずつ入れて、全部入った。
「…あぁ…」
「大丈夫ですか…」
「…入ってる…全部…」
瀬戸さんの目から涙が一筋流れた。痛みなのか、別の感情なのか、わからなかった。
「泣かないでください…」
「泣いてない…目から水が出てるだけ…」
何言ってるんだこの人。でもその強がりが、この人らしかった。
「動きますよ…」
ゆっくり腰を動かし始めた。瀬戸さんが俺の背中にしがみついて、耳元で小さな声を漏らす。
「あ…ん…っ…」
痛みが和らいできたのか、声の質が変わった。苦しそうな声から、甘い声に。
「瀬戸さん…」
「…名前で呼んで」
「え、下の名前知らない…」
「…美波」
「美波さん…」
「ん…もう一回…」
「美波さん…きもちいいです…」
「…私も…きもちいい…」
腰を動かすたびに、瀬戸さん…美波さんの胸が揺れる。手を伸ばして片方を掴むと、きゅっと中が締まった。
「っ…」
「あっ…自分で締めたんじゃない…勝手に…」
(いや、それ余計にやばいんですけど)
水泳で鍛えた身体は、こういうときにも関係あるのか。中の締まりが強くて、動くたびに全身がしびれるような感覚がある。
「あっ…あんっ…柏木くんっ…」
「俺も名前で…」
「…明…くん…」
不器用に名前を呼ばれただけで、腰の奥がぞわっとした。
体位を変えて、美波さんを上に乗せた。彼女が不安そうな顔をする。
「私…動き方わからない…」
「腰を前後に揺らすだけでいいですよ」
おそるおそる腰を動かし始めた美波さん。最初はぎこちなかったけど、さすが運動神経がいいのか、すぐにリズムを掴んだ。
「あっ…こう…?」
「そう…そこ…やばい…」
上から見下ろす美波さんの顔は、監視台から見下ろしていた頃とは真逆の構図だった。あの頃は俺が上で、彼女が下にいた。今は彼女が上にいる。なのに、目の前の彼女は全然強そうに見えなかった。快感に耐えきれない顔で、必死に腰を動かしてる。
「あ…っ…明くん…なんか…また…」
「いっていいよ」
「あっ…あぁっ…!」
2回目、イッた美波さんが前に倒れ込んできた。胸が俺の胸板に押し付けられる。汗で肌が滑る。
「はぁ…はぁ…ごめん…もう動けない…」
「大丈夫。俺が動くから」
下から突き上げると、美波さんがびくびく震えた。イッたばかりで敏感になってるのか、小さな動きでも声を上げる。
「あっ…やっ…待って…まだ…っ」
「俺…もう限界…」
「ん…いいよ…出して…」
美波さんの腕が俺の首に回った。額と額がくっついて、息がかかる距離で見つめ合う。
「っ…いく…」
腰を深く押し込んで、達した。ゴム越しだけど、中で脈打つ感覚が伝わったのか、美波さんも小さく声を上げた。
「ん…っ…あ…」
しばらく二人とも動けなかった。汗だくで、息が荒くて、天井の照明がぼやけて見えた。
「…重い?」
「いえ…このままでいてください」
美波さんの体重が俺の上に乗っている。筋肉質だから見た目より重い。でもその重さが心地よかった。
「ねぇ…明くん」
「はい」
「閉館後の自主練…これからも付き合ってくれる?」
「もちろん」
「自主練以外の時間も…一緒にいてくれる?」
「…それって」
「付き合ってほしいって言ってるの。わかりにくかった?」
全然わかりにくくなかった。でも、この人の口からそういう直球が出るのが意外で、笑ってしまった。
「はい。よろしくお願いします」
「…敬語」
「だって先輩じゃないですか」
「もう先輩じゃない。彼女」
「…わかった。よろしく、美波」
呼び捨てにした瞬間、美波の耳が真っ赤になった。
「…ばか」
またばかって言われた。でもその"ばか"が、さっきとは全然違う温度だった。
その夜、美波のワンルームの狭いベッドで、二人で身体を丸めて寝た。エアコンの設定温度を23度にしても、二人分の体温で暑かった。
朝、先に目が覚めた。隣で寝てる美波の寝顔を見た。起きてるときのクールな表情はどこにもなくて、無防備で、少し口が開いてて、普通の女の子だった。
監視台の上から見下ろしていたあの背中に、まさか自分が触れることになるとは。こうして隣で寝ることになるとは。人生何があるかわからないなと思った。
美波が目を開けた。
「…おはよう」
「おはよう」
「…見てた?」
「見てた。監視員だから」
「…もう閉館後だよ」
「閉館後も監視するって決めたんで」
美波が布団の中で、俺の手を握った。水泳選手にしては小さい手だった。
「…インカレ本戦、見に来てね」
「当たり前でしょ。監視台はないけど」
「…客席から見てればいい。私、ちゃんとあなたの場所わかるから」
あれだけ広いプールで、一人だけ見つけられる自信があるらしい。
まあ、俺も50mプールの中から、一人だけずっと目で追ってたわけだから、お互い様か。
あの夏、俺は監視台を降りて、彼女の隣に立つことを選んだ。それが正しかったのかは、今でもわからない。ただ、あの閉館後の30分がなかったら、俺はきっと一生、上から見下ろすだけだった。