これは俺が31のときの話だ。
まず自己紹介をさせてくれ。俺は都内の中堅メーカーで人事をやっている、どこにでもいるサラリーマンだ。身長172cm、体重はまあ言いたくない。顔面偏差値は友達に「雰囲気イケメン」と言われるレベル、つまり雰囲気を除いたら何も残らないタイプだ。
本題に入る前に、少しだけ昔の話をしないといけない。
俺が大学3年のとき、ひとつ下の子と付き合い始めた。名前は伏せるけど、ここでは仮にユイとする。橋本環奈をもう少し大人っぽくした感じの顔で、身長158cm、Eカップ。正直、なんで俺と付き合ったのか今でもわからない。
ユイは家庭の事情があって実家に帰りたがらない子だった。大学2年になったころから、週の半分以上は俺の高円寺のワンルームで過ごすようになった。6畳一間に大人2人は狭かったけど、あの頃は狭いのがむしろ心地よかった。
ユイは料理がうまくて、俺の安い炊飯器と百均のフライパンで信じられないぐらい美味いものを作った。カレーに隠し味でインスタントコーヒーを入れるのがユイの流儀で、最初は(正気か?)と思ったけど、食べたらマジでうまかった。
でも、俺が就活に入ったあたりから関係がおかしくなった。
俺は毎日スーツ着てOB訪問して、夜は高円寺の部屋でES書いて。ユイはまだ大学3年で、就活なんてまだ先の話だった。生活のリズムがどんどんズレていった。
ある晩、俺がリクルートスーツのまま帰ってきたら、ユイがソファで泣いてた。
「ねえ、私のこと見えてる?」
「え、なに急に」
「最近ずっとそう。私がここにいても、いなくても、同じでしょ」
正直、図星だった。就活で頭がいっぱいで、ユイのことを考える余裕がなかった。でも当時の俺はそれを認められなかった。
「そんなことないだろ、疲れてるだけだって」
「疲れてるのはわかってる。でも、疲れてるのと、私に興味なくなったのは違うでしょ」
言い返せなかった。
その週末、ユイは荷物をまとめて出ていった。別れ話らしい別れ話もなくて、LINEで「ごめんね、元気でね」とだけ来た。俺は「わかった」とだけ返した。
今思えば、あの「わかった」は人生で一番ダサい返事だったと思う。
それから8年が経った。
俺は新卒で入った会社にそのまま居座り、人事部で採用と研修を担当していた。彼女は何人かできたけど、どれも長続きしなかった。29のとき2年付き合った子に「あなたといると安心するけど、ときめかない」と言われて振られたのが最後だ。(ときめかない、って何だよ...)
で、その年の4月。新人研修の準備をしていた。
うちの会社は毎年、外部からビジネスマナーの講師を呼んでいる。研修会社から届いた講師のプロフィールシートを確認していたとき、写真を見て手が止まった。
(え?)
写真の女性は、髪が肩より少し長くなっていて、メガネをかけていた。大学時代は裸眼だったはずだ。でも、あの少し垂れた目元と、薄い唇の形は見間違えようがなかった。
名前の欄を見る。本名じゃなくて講師名だったけど、経歴に書いてある大学名と卒業年度が一致する。
ユイだった。
(マジか...)
研修は来週の月曜日。今さら講師の変更を頼むのも不自然だし、8年も経ってるんだから向こうだって覚えてないかもしれない。そう自分に言い聞かせて、そのまま準備を進めた。
でも正直、金曜の夜は全然眠れなかった。ベッドの中で「覚えてたらどうしよう」「覚えてなかったらそれはそれでキツい」と延々ループしていた。
月曜日の朝9時。品川の本社ビル7階の研修室。
俺は新入社員30人の前に立って、いつもの挨拶をしていた。
「えー、皆さんおはようございます。人事部の...」
ドアが開いて、ユイが入ってきた。
ネイビーのパンツスーツに白いブラウス。メガネの奥の目が、一瞬だけ大きくなった。気づいた。間違いなく、気づいた。
でもユイはすぐにプロの顔に戻って、俺に軽く会釈した。
「おはようございます。本日講師を担当させていただきます」
声も変わってなかった。少しだけ低めの、でも聞き取りやすい声。あの頃の甘えた口調は消えていて、それがなんだか寂しかった。
研修が始まった。ユイの講義は正直めちゃくちゃ上手かった。名刺交換のロールプレイとか、電話応対の練習とか、新入社員がダレそうなパートで絶妙にジョークを挟んでくる。
「名刺は両手で受け取ってください。片手で受け取るのは、合コンで連絡先交換するときだけです」
新入社員がどっと笑う。俺は後ろの席で腕を組みながら、(あいつ、こんなキャラだっけ)と思っていた。大学時代のユイはどっちかというとおとなしくて、人前で喋るのが苦手なタイプだった。8年で人は変わるんだな、と。
昼休み。俺は講師控室にお弁当を届けに行った。建前は「講師の先生にお昼をお届けに」、本音は「話がしたい」だ。
ノックして入ると、ユイはメガネを外してスマホを見ていた。メガネを外した瞬間の顔が、あの頃のユイそのものだった。
「お昼、こちらに置いておきます」
「ありがとうございます」
沈黙。
「...久しぶり」
先に言ったのはユイだった。
「うん。久しぶり。気づいてた?」
「プロフィール届いたとき、企業名見て(まさかね)って思った。で、担当者名見たら、まさかだった」
「俺も。写真見て固まった」
「メガネかけたのに、バレたんだ」
「目の形は変わらないだろ」
ユイが少し笑った。大学時代と同じ、口の右側だけ上がる笑い方だった。
「研修終わったら、ちょっと話せる?」
「もちろん」
午後の研修は正直、内容が頭に入ってこなかった。ユイの声だけが妙にクリアに聞こえていて、新入社員たちの質問とか全部BGMだった。(仕事しろよ、俺)
17時、研修終了。新入社員が帰り、俺とユイだけが研修室に残った。
「近くに静かな店あるけど、行く?」
「うん」
品川駅の高輪口を出て、少し歩いたところにある居酒屋に入った。個室を取って、とりあえず生ビールを頼んだ。
「かんぱい」
「かんぱい。...8年ぶりの乾杯か」
「8年。長いね」
「ユイ、いつから講師の仕事してんの」
「3年前かな。それまでは普通に事務やってたんだけど、会社辞めて研修会社に転職した」
「人前で喋るの苦手だったのに」
「苦手だったよ。でも、あの後いろいろあって。あ、枝豆もらっていい?」
「あの後いろいろ」の中身が気になったけど、聞けなかった。
ビールを2杯飲んだあたりで、ユイの頬が少し赤くなった。酒に弱いのは変わってない。
「ねえ、聞いていい?あの後、すぐ誰かと付き合った?」
「いや、半年ぐらいは一人だった。...ユイは?」
「私は1年ぐらいかな。その間に就活して、社会人になって。...27のとき、3つ上の人と付き合って、1年で別れた」
「そっか」
「あの人はね、ちゃんと私を見てくれる人だった。でも、なんか違った」
「何が違ったの」
「わかんない。...わかんないけど、カレーにインスタントコーヒー入れてって言ったら、変な顔された」
不意打ちだった。
「...俺、あれからずっとカレーにコーヒー入れてるよ」
「うそ」
「ほんとだって。最初は俺も変な顔してたけど、あれ一回やるとやめられないんだよ」
ユイが目を伏せた。まつげが少し震えてるのが見えた。
「ずるい。そういうの、ずるいよ」
「何が」
「8年経っても覚えてるとか。...私だって忘れたかったのに」
(忘れたかった、ってことは...)
俺の心臓がドクドクいってるのが自分でわかった。31にもなって、こんなにド直球に動揺するとは思わなかった。
「俺さ」
「うん」
「あのとき、わかった、って返したの。LINEで」
「覚えてる」
「あれ、人生で一番後悔してる」
ユイが顔を上げた。メガネの奥の目が潤んでいた。
「...私も、元気でね、は後悔してる。元気でねじゃなくて、行かないで、って言えばよかった」
空気が変わった。居酒屋の喧騒が遠くなって、個室の中に2人分の呼吸だけが残った感じだった。
「ユイ、今日このあと...」
「...うん」
俺の家は大井町線の旗の台にある。品川からなら15分もかからない。タクシーに乗って、車内では何も喋らなかった。ユイが俺のシャツの袖をつまんでいるのだけがわかった。
マンションのオートロックを開けて、エレベーターに乗って、部屋のドアを開ける。8年前の高円寺のワンルームよりはマシだけど、1LDKの決して広くない部屋だ。
「...片付いてるね」
「一人暮らし長いからな。散らかしようがない」
「高円寺のとき、もっと汚かったのに」
「あのときはユイが毎回片付けてくれてただろ」
「そうだったね...」
ユイがリビングを見回して、キッチンカウンターの上に置いてあるものに目を止めた。
「あ」
インスタントコーヒーの瓶だった。ネスカフェのゴールドブレンド。カレー用にずっと買い続けているやつ。
「...ほんとだ。ほんとに買ってる」
ユイが笑ったと思ったら、次の瞬間、泣いていた。メガネを外して目を押さえて、肩を震わせていた。
「ごめん、なんか、ごめん」
「謝んなって」
俺はユイの肩を引き寄せた。8年ぶりに触れるユイの体は、記憶より少し痩せていた。でも、髪の匂いは変わってなかった。シャンプーが同じなのか、体質なのかはわからないけど、あの頃の高円寺の部屋を思い出す匂いだった。
「...ずっと会いたかった」
「俺も」
ユイが顔を上げて、俺を見た。近い。メガネがないから、あの少し垂れた目がそのまま見える。
キスした。
8年ぶりのキスは、最初ぎこちなかった。唇の角度がうまく合わなくて、鼻がぶつかった。ユイが小さく笑って、角度を変えて、もう一度。今度はちゃんと合った。
唇が離れたとき、ユイの目がトロンとしていて、あの頃と同じ顔だった。
「...続き、していい?」
「いいの?」
「8年も我慢したんだから、いいでしょ」
寝室に移動した。ベッドの端に腰かけたユイのブラウスのボタンを、上から順番に外していく。指が少し震えていたのは、たぶんユイも気づいていたと思う。
白いブラウスの下から、淡いグレーのブラが見えた。大学時代はもっとカラフルな下着をつけていた記憶がある。(大人になったな)なんて的外れなことを考えていた。
パンツスーツのホックを外して、脱がせる。太ももが目に入って、(やっぱりスタイルいいな)と改めて思った。
ユイも俺のシャツのボタンを外し始めた。途中で面倒になったのか、俺の手を掴んで自分の胸に導いた。
ブラ越しに触ると、覚えのある感触だった。Eカップの重さと柔らかさ。8年経っても胸のサイズは変わらないらしい。
「外していい?」
ユイが無言で背中を向けた。ホックを外すと、あの頃と同じ形の胸が現れた。
「じろじろ見ないでよ...」
「8年ぶりなんだから見させてくれよ」
「...ばか」
俺はユイをベッドに倒して、首筋にキスした。鎖骨をなぞるように唇を移動させると、ユイの呼吸が変わった。ここが弱いのは昔から知っている。
「ん...覚えてるの、そういうとこ」
「忘れるわけないだろ」
胸を揉みながら、乳首を舌で転がした。ユイの手が俺の頭を掴んで、髪を引っ張る。昔もこうだった。感じてくると髪を引っ張る癖。
「あ...んん...」
ユイの下着に手を伸ばすと、もう濡れていた。指を滑らせると、ユイが腰を浮かせた。
「もう濡れてるじゃん」
「...うるさい。8年ぶりなんだから、しょうがないでしょ」
指を中に入れると、きゅっと締まる感触がした。ユイが声を漏らさないように唇を噛んでいるのが見えた。
「我慢しなくていいよ、一人暮らしだから」
「...あ、そ...っ...んぁ...」
クリを親指で刺激しながら、中を指でかき混ぜる。ユイの声が大きくなっていく。昔よりも反応がいい気がした。体が覚えているのか、8年分の何かが溜まっているのか。
「やば...もう...っ...」
「いっていいよ」
「あっ...ああんっ...」
ユイが体を震わせて、俺の手首を掴んだ。しばらく荒い呼吸が続いて、目を開けたユイがぼんやりした顔で俺を見た。
「...入れて」
「ゴム...」
「ある?」
「あるけど」
「...いい、そのままがいい」
「いいのかよ」
「大丈夫、時期的に。...あと、8年ぶりだから...ちゃんと感じたい」
(いいのか、本当に)と一瞬だけ理性が働いたけど、ユイの目を見たらもう無理だった。
ゆっくり入れた。ユイが息を止めて、俺のシーツを掴む。
「...っ...あ...」
「痛い?」
「ううん...久しぶりだから...ちょっとだけ...」
奥まで入れて、しばらく動かずにいた。ユイの中が俺の形に慣れるのを待った。
「...動いて」
ゆっくり腰を動かし始めた。ユイの中は熱くて、きつくて、8年前の記憶が一気にフラッシュバックした。高円寺の狭い部屋で、安いベッドが軋む音を聞きながらしていたあの頃のこと。
「んっ...あ...気持ちいい...」
「俺も...やばい...」
ユイが俺の首に腕を回して、引き寄せてきた。密着すると、肌と肌の間に汗が滲んで、ぬるっとした感触が広がった。
ペースを上げると、ユイの声が断続的になった。
「あ、あっ、そこ...いい...っ」
「ここ?」
「うん...そこ...もっと...」
昔の感覚が戻ってきた。ユイが感じるポイント、好きな角度、声が変わる瞬間。体が覚えていた。
「ねえ...キスして...」
唇を重ねながら腰を突き上げる。ユイの声が俺の口の中でくぐもる。舌を絡ませながら、体の奥で繋がっている感覚が、8年分の空白を埋めていくようだった。
(何やってんだろ、俺。元カノと、こんな...)
でも、止められなかった。止めたくなかった。
「もうだめ...っ...いく...いきそう...」
「俺も...もう...」
「中に...いいから...っ...一緒に...っ」
ユイの中がぎゅっと締まって、俺はもう我慢できなかった。腰を押し付けて、奥で出した。
「あっ...ああ...っ...」
ユイが体を弓なりに反らせて、爪が俺の背中に食い込んだ。8年前もこうだった。いくときに爪を立てる癖。背中にユイの痕が残る。
しばらく動けなかった。繋がったまま、お互いの呼吸が落ち着くのを待った。
「...重い」
「あ、ごめん」
体をずらそうとしたら、ユイに止められた。
「嘘。...もうちょっとこのまま」
額の汗を拭って、ユイの顔を見た。目が潤んでいて、でも笑っていた。
「ねえ」
「ん?」
「もう一回、していい?」
「...まだいける」
2回目は、さっきよりゆっくりだった。
ユイが上に乗って、自分のペースで腰を動かした。さっきは再会の勢いというか、溜まっていたものを吐き出すような感じだったけど、2回目は違った。
ユイが俺の手を自分の胸に置いて、ゆっくり揺れる。目が合うと、ユイが少し恥ずかしそうに笑った。
「なに見てるの」
「いや...綺麗になったなって」
「いまさら...」
でもユイの動きが少し速くなって、呼吸が荒くなった。俺もユイの腰を掴んで、下から突き上げた。
「あ...っ...んん...」
2回目は長く続いた。途中でユイが体勢を変えて、俺の胸に突っ伏してきた。髪が俺の顔にかかって、あのシャンプーの匂いがまた鼻を突いた。
「好き...やっぱり好き...」
小さな声だった。聞こえないように言ったのかもしれない。でも聞こえた。
「...俺も。ずっと」
ユイの動きが止まって、顔を上げた。目がまた潤んでいた。
「嘘つき。ずっとなんて...」
「嘘じゃない。カレーにコーヒー入れるたびに思い出してたよ」
ユイが泣き笑いみたいな顔をして、俺にキスした。そのまま2人でいって、ユイが俺の胸の上で息を整えていた。
終わったあと、2人でシャワーを浴びた。
狭いユニットバスに2人で入るのは大学時代以来だった。ユイが俺の背中を流してくれて、俺がユイの髪を洗ってやった。
「あのさ」
「ん」
「明日の研修、2日目なんだけど」
「知ってるよ。俺が手配したんだから」
「...ちゃんとできるかな、あなたの前で」
「プロだろ、大丈夫だよ」
「プロでも、元カレが後ろに座ってるのは想定外です」
「元カレ...」
「元カレ、でいいの?まだ」
俺は蛇口を止めて、ユイの肩を後ろから抱いた。濡れた肌が滑って、密着する。
「元、は取っていい?」
ユイが振り返って、水滴のついた顔で俺を見た。
「...8年越しの告白がユニットバスって、ありえないんだけど」
「高円寺のときもだいたいこんな感じだっただろ」
「...たしかに」
ユイが笑った。あの口の右側だけ上がる笑い方。
風呂から出て、俺のTシャツを貸した。ユイは昔から俺の服を着て寝る子だった。サイズの合わないTシャツの裾から覗く太ももを見て、(やばい、3回戦いけるかもしれない)と思ったけど、さすがに明日の仕事を考えてやめた。
ベッドに2人で入った。1LDKのセミダブルは2人で寝るとちょうどいい。
「ねえ」
「ん」
「この部屋、明日から通っていい?」
「通うって、実家から?」
「ううん、埼玉のアパートから。...嫌?」
「嫌じゃないけど、遠くない?」
「高円寺のときも私の大学から40分かけて通ってたけど?」
「...たしかに」
「じゃあ決まり」
ユイが俺の腕の中に潜り込んできた。8年前と同じ体勢。左腕がすぐに痺れるやつ。
「腕、痺れるんだけど」
「知ってる。でも、こうじゃないと寝れないの」
...勝てない。8年前から、こいつには一度も勝てたことがない。
目を閉じて、ユイの髪の匂いを嗅ぎながら、明日の研修2日目のことを考えた。30人の新入社員の前で、何食わぬ顔でいられるのか、正直自信はなかった。
でも、左腕の痺れが心地よかった。8年間ずっと、この痺れが足りなかったのだと、今さらわかった。