1. 同行二人
六月の、梅雨の晴れ間の朝だった。
徳島の片田舎の駅に降りると、田んぼの匂いと、山の匂いが、いっぺんに鼻に入ってきた。空はまだ薄曇りで、遠くの山並みに、ちぎれた雲がまとわりついている。
僕、桐山悠真(きりやま ゆうま)、三十歳。東京の地図会社で、地図を作る仕事をしている。
地図を作る、と言っても、自分の足でどこかを歩くわけじゃない。航空写真と、役所から届く区画変更の通知と、他社の地図を見比べて、新しくできた道を一本ずつパソコンの上に引き、なくなった道を一本ずつ消していく。一日中、画面の中で、他人が歩くための道を引き続けている。
桐山悠真(……他人の行き先ばかり、何万本も引いてきたのに)
自分が次にどこへ行けばいいのかは、もう何年も、一行も引けていなかった。
リュックの中には、白い布の包みが入っている。中身は、祖父の遺品だ。
祖父は、この春に亡くなった。八十六だった。遺品を片付けていたら、押し入れの奥から、古い菅笠(すげがさ)と、白衣(びゃくえ)と、金剛杖(こんごうづえ)が出てきた。そして、表紙のすり切れた一冊の納経帳。
中をめくって、僕は手が止まった。墨で押された朱印が、十一番の藤井寺で、ぷつりと途切れていたのだ。
祖母に聞くと、祖父は四十年も前に、一度だけ四国の歩き遍路に出たのだという。けれど、十二番の焼山寺へ向かう山道で、足を痛めて、結願(けちがん)できないまま帰ってきた。そのことを、祖父は死ぬまで、ぽつりぽつりと悔やんでいたらしい。
桐山悠真(……だったら、俺が、続きを歩く)
理由なんて、それしかなかった。地図の上に道を引くしか能のない人間が、生まれて初めて、自分の足で、本物の道を歩こうと決めた。
僕は、有休をかき集めて、白衣に袖を通した。背中には、墨で「同行二人(どうぎょうににん)」と書いてある。お大師さんと、いつも二人連れで歩いている――そういう意味なのだと、ガイドブックに書いてあった。
桐山悠真(……じいちゃん。今回は、あんたと二人連れだ)
そう胸の中で言って、僕は祖父の菅笠をかぶり、一番札所へ向かって歩き出した。
2. 笑う遍路
一番札所、霊山寺(りょうぜんじ)は、思っていたより小さな、けれど凛とした寺だった。
本堂と大師堂で、見よう見まねで線香を上げ、般若心経を、つっかえながら読む。納経所で、祖父の納経帳の、続きのページに朱印をもらった。墨と朱の匂いが、ふわりと立った。
桐山悠真(……一番。ここから、八十八番まで)
気が遠くなるような距離だ。地図の上でなら、一秒で引ける線が、足で歩けば、何百キロにもなる。
山門を出て、次の二番へ向かおうとしたとき、後ろから、明るい声がした。
早瀬茜「あの、すみませんっ。それ、菅笠の紐、ほどけてますよ」
振り返ると、同じ白衣を着た女の人が立っていた。
歳は、たぶん僕と同じくらい。日焼け止めを塗った頬に、菅笠の影が落ちている。汗で少し額に張りついた前髪。なのに、目だけが、やけに生き生きと笑っていた。新品の白衣と、まだ真っ白な金剛杖。彼女も、歩き始めたばかりらしい。
早瀬茜「貸してください。これ、こうやって結ぶと、ほどけないんです。さっき、宿のおばちゃんに教わったばっかりで」
そう言って、彼女は手早く、僕の顎の下で、紐を蝶々結びとは違うやり方に結び直してくれた。近い。日焼け止めと、汗の、ほんのり甘い匂いがした。
桐山悠真「……あ、ありがとう、ございます」
早瀬茜「いえいえ。お互いさまです。同行二人、っていうか……まあ、二人どころか、お大師さん入れて三人ですけど」
そう言って、彼女は、けらけらと笑った。
その笑い方が、なんだか、まぶしかった。地図の画面とにらめっこしてきた僕の毎日には、ずっと、なかった種類の明るさだった。
早瀬茜「私、早瀬茜(はやせ あかね)。三十歳。歩き遍路、今日からです」
桐山悠真「桐山、です。……僕も、今日から」
早瀬茜「えっ、おそろいじゃないですか。一番から、通しで?」
桐山悠真「はい。八十八番まで、歩くつもりで」
早瀬茜「私も私も。じゃあ、しばらく、抜きつ抜かれつですね。よろしくお願いします、桐山さん」
ぺこっと頭を下げて、茜さんは、軽い足取りで、先に歩き出した。白衣の背中の「同行二人」の墨字が、晴れ間の光に、白く浮いていた。
3. 同じ歩幅
歩き遍路というのは、不思議な道のりだった。
抜きつ、抜かれつ。僕が札所で長く拝んでいると、茜さんに追い越される。茜さんが茶店で休んでいると、僕が追い越す。それを何度も繰り返しながら、二番、三番、四番と、僕たちは同じ道を、同じ方向へ、点々と進んでいった。
会えば、自然と、言葉を交わすようになった。
早瀬茜「桐山さん、足、マメできてません? 私、もう右の小指がやばくて」
桐山悠真「僕も、かかとが……。靴擦れ、なめてました」
早瀬茜「でしょう? 遍路、舐めてました、私も。初日でこれって、先が思いやられる」
そう言いながらも、茜さんは、ちっとも辛そうじゃなかった。道端の紫陽花を見つけては写真を撮り、田んぼの蛙の声に足を止め、すれ違う地元のお年寄りに、大きな声で「こんにちは!」と挨拶していく。
桐山悠真「……茜さん、元気ですね」
早瀬茜「えー、そう見えます? 無理してるだけかも」
桐山悠真「無理?」
早瀬茜「……なんてね。歩いてると、考えごと、しなくて済むから。足が痛いと、足のことしか、考えられないでしょ」
ほんの一瞬、茜さんの横顔から、笑みが消えた。けれど、すぐにまた、いつもの明るさが戻ってきた。
五番札所の手前の、小さな商店の軒先で、店のおばあさんが、僕たちにみかんを二つ、そっと握らせてくれた。
久子さん「お接待や。気ぃつけて、いきよ」
「お接待」というのは、地元の人が、お遍路に食べ物やお茶を施してくれる、四国の古い習わしなのだと、茜さんが教えてくれた。受け取ったら、断ってはいけない。そのかわり、納め札という小さな紙を渡してお礼にする。
早瀬茜「お遍路って、一人で歩いてるようで、ぜんぜん一人じゃないんですよ。お接待してくれる人とか、宿のおばちゃんとか、お大師さんとか……」
桐山悠真「……それで、同行二人、か」
早瀬茜「そうそう。桐山さん、わかってきたじゃないですか」
みかんは、すっぱくて、甘かった。歩き疲れた体に、その酸味が、しみるように、うまかった。
4. 遍路ころがし
問題の、焼山寺(しょうさんじ)への道は、十一番の藤井寺から始まった。
「遍路ころがし」と呼ばれる、四国でも指折りの難所だ。標高差は七百メートル近く。何時間も、ひたすら山道を登り、下り、また登る。お遍路を、文字通り、転がすように苦しめてきた道。
そして――祖父が、四十年前に、足を痛めて引き返した道でもあった。
桐山悠真(……ここだ。じいちゃんが、諦めた山)
藤井寺で、祖父の納経帳の、途切れたページの次に、朱印をもらった。これで、四十年ぶりに、祖父の遍路の続きが、始まる。指先が、少し震えた。
山道に入ると、すぐに息が上がった。
苔むした石段。木の根の張り出した、急な登り。湿った土の匂い。梅雨の晴れ間とはいえ、山の中は、しっとりと湿っていて、汗が、滝のように流れた。地図の上では、こんな傾斜の苦しさは、等高線の混み具合でしか、表せない。実際の山は、等高線の何百倍も、容赦がなかった。
中ほどの急坂で、僕は、完全に足が止まった。膝が笑って、息が、ぜいぜいと鳴る。
桐山悠真(……だめだ。じいちゃんが、ここで……)
ふいに、祖父の悔しそうな顔が、頭をよぎった。同じ場所で、同じように、足を止めたのかもしれない。
そのとき、後ろから、声が追いついてきた。
早瀬茜「桐山さーん! 生きてますかー!」
茜さんだった。彼女も、汗びっしょりで、息を切らしている。なのに、僕の隣まで来ると、にっと笑った。
早瀬茜「ここ、やばいですよね。何回、引き返そうと思ったか」
桐山悠真「……茜さんも?」
早瀬茜「当たり前じゃないですか。でも――一人だと心が折れるけど、二人だと、もうちょっと、いけません?」
茜さんが、すっと手を差し出した。
早瀬茜「ほら。同行二人。引っ張りますよ」
その手を取った。汗で、しっとりと湿った、けれど力強い手だった。引かれるように、僕は、また一歩を踏み出した。
早瀬茜「せーの、で行きましょ。せーのっ」
二人で、声をかけ合いながら、一歩ずつ、坂を登った。きついところでは、後ろから背中を押し、前から手を引いた。いつのまにか、僕の息と、茜さんの息が、同じリズムで、山に響いていた。
5. 杖の意味
焼山寺の山門が見えたとき、僕は、その場にへたり込みそうになった。
標高七百メートル。雲が、すぐ手の届きそうなところを、流れていく。眼下には、いま登ってきた山々が、緑の海みたいに、どこまでも重なっていた。
早瀬茜「……着いた。着いちゃった、桐山さん」
桐山悠真「……着きました、ね」
二人とも、それ以上、言葉が出なかった。ただ、肩で息をしながら、その景色を、見ていた。
本堂で、般若心経を読んだ。茜さんの声と、僕の声が、杉木立の中で、重なった。
納経所で、祖父の納経帳に、十二番の朱印をもらった。墨が、紙にしみていく。藤井寺で途切れていた朱印の列が、四十年ぶりに、一つ、前へ進んだ。
桐山悠真(……じいちゃん。越えたよ。あんたが、越えられなかった山)
不覚にも、目の奥が、熱くなった。慌てて、菅笠の縁を、ぐいと下げた。
早瀬茜「……桐山さん?」
桐山悠真「……いや。すみません。ちょっと」
茜さんは、何も聞かずに、僕の隣に、そっと座った。しばらく、二人で、雲の流れる山を見ていた。
桐山悠真「……この笠と、白衣と、杖。全部、死んだ祖父のなんです」
早瀬茜「……」
桐山悠真「祖父、四十年前に、この遍路を歩いて。でも、ちょうどこの焼山寺の山で、足を痛めて、引き返してて。……ずっと、悔やんでた。最後まで歩けなかったこと」
早瀬茜「……それで、桐山さんが、続きを」
桐山悠真「はい。納経帳が、十一番で止まってて。……だから、僕、地図の上じゃなくて、ちゃんと自分の足で、続きを歩こうって」
茜さんは、僕の手の中の、古い金剛杖を、じっと見た。それから、ふっと、やわらかく笑った。
早瀬茜「……同行二人って、お大師さんと二人、って意味だけど。桐山さんは、お大師さんと、おじいちゃんと――三人連れですね」
桐山悠真「……」
早瀬茜「いいなあ。すごく、いい歩き方」
その言葉が、すとんと、胸に落ちた。地図の上では、絶対に引けない種類の道を、僕は今、歩いているのだと、初めて思えた。
6. 山あいの遍路宿
その日の宿は、焼山寺から少し下った、山あいの集落にある、古い遍路宿だった。
〈宿坊 みち草〉。看板も、宿そのものも、年季が入っている。引き戸を開けると、奥から、ふくよかな初老の女将さんが出てきた。
久子さん「はいはい、ようお参り。今日は、焼山寺、越えてきたんやろ。えらかったなあ」
桐山悠真「桐山です。お世話になります」
早瀬茜「早瀬です。もう、足が、棒です……」
久子さん「ふふ。みんな、そう言うてここに転がり込んでくるんよ。わたしは、久子。さ、上がって、まず足、洗い」
不思議なことに、僕と茜さんは、別々に予約したはずなのに、案内されたのは、襖一枚を隔てた、隣同士の部屋だった。
久子さん「あら、あんたら、連れと違うんかね。道で一緒になっただけ? ……ふぅん。まあ、遍路宿は、そんなもんよ。今夜の客は、あんたら二人だけや」
久子さんは、なぜか、にやりと笑った。
夕飯は、囲炉裏のある、広い板の間だった。山菜の天ぷら、川魚の塩焼き、炊き込みご飯。歩き疲れた体に、染み渡るようだった。
早瀬茜「……っ。なにこれ。おいしすぎる」
久子さん「ふふ。歩いたあとの飯は、なんでもうまいんよ。……特に、二人で、あの山、越えてきたんならな」
早瀬茜「えっ、なんで知って」
久子さん「焼山寺の坂をな、ずーっと、二人で声かけ合うて登っとった遍路がおったって、上の茶店のばあさんが、電話で笑うとったわ。『仲ええ二人連れがおる』てな」
茜さんの頬が、ぽっと赤くなった。僕も、なんと言っていいか、わからなくなって、ご飯をかき込んだ。
久子さん「ええんよ。遍路道は、いろんな縁を、結ぶでな。……さ、ようけ食べ。明日も、雨が降らんかったら、長い道のりやで」
「雨が降らんかったら」――その一言が、妙に、引っかかった。
7. 縁側の夜
夕飯のあと、僕は、宿の縁側に出ていた。
山の夜は、しんと静かで、暗かった。電気の灯りなんて、谷の向こうに、ぽつりぽつりとあるだけ。聞こえるのは、谷川の音と、無数の蛙の声だけだった。
早瀬茜「……隣、いいですか」
茜さんが、湯上がりの、少し火照った顔で、隣に腰を下ろした。風呂上がりの、石鹸の匂いがした。歩いているときの、汗と日焼け止めの匂いとは、違う匂いだった。
桐山悠真「茜さんは、どうして、遍路を?」
聞いてから、踏み込みすぎたかと、少し後悔した。けれど、茜さんは、谷の暗がりを見たまま、ぽつりと話し始めた。
早瀬茜「……私、保育士だったんです。十年。子供のこと、大好きで」
桐山悠真「だった、って」
早瀬茜「……春に、辞めました。……いろいろあって、心が、ぽきっと折れちゃって。気づいたら、朝、布団から、出られなくなってて」
いつもの明るい声が、少しだけ、低くなっていた。
早瀬茜「自分が、空っぽになっちゃった気がして。このまま家にいたら、もっとだめになるって思って。……母が昔、四国を歩いたことがあって。『あんたも、行き詰まったら歩いてみ。足が動いてる間は、人間、なんとかなるもんや』って、よく言ってたのを思い出して」
桐山悠真「……それで、ここに」
早瀬茜「はい。歩いてると、ね。足が痛くて、息が切れて、それで頭がいっぱいになると――不思議と、辛かったことを、考えなくて済むんです。さっき、言ったでしょ。足が痛いと、足のことしか考えられないって」
茜さんが、ふっと、こっちを見た。暗がりの中で、その目が、潤んで光っていた。
早瀬茜「……でも。今日は、ちょっと、違ったんです」
桐山悠真「違った?」
早瀬茜「焼山寺、登ってるとき。桐山さんと、せーの、って声かけ合ってたとき。……足は痛かったのに、辛く、なかった。久しぶりに、人と一緒にいて、楽だなって、思えて」
谷川の音が、二人のあいだを、静かに流れていく。
桐山悠真「……僕も、です」
早瀬茜「え?」
桐山悠真「僕も、ずっと、画面の中で、他人の道ばかり引いてて。自分が、どこへ行きたいのか、わからなくなってた。……でも、茜さんと、同じ歩幅で歩いてると、なんか――行き先なんて、わからなくても、いいのかなって、思えてきて」
茜さんは、しばらく黙って、それから、小さく笑った。
早瀬茜「……桐山さん。私たち、似たもの同士ですね」
桐山悠真「……かもしれません」
風が、谷から吹き上がって、茜さんの濡れた髪を、ふわりと揺らした。石鹸の匂いが、また、ふわりと香った。手が、触れそうなくらい、近かった。けれど僕たちは、ただ、蛙の声を聞いていた。
8. 雨に降りこめられて
翌朝、目を覚ますと、世界が、雨の音で満ちていた。
ざあざあと、屋根を打つ、本降りの雨。久子さんの「雨が降らんかったら」は、的中していた。梅雨が、本気を出したのだ。
久子さん「あー、こりゃ、今日は無理やな。山道、増水したら、危ないでな。次の札所まで、川沿いの道、何ヶ所も渡らなあかんし」
桐山悠真「……今日は、進めない、ですか」
久子さん「やめときよ。命あっての遍路や。……ふふ、なに、急ぐ旅でもないやろ。もう一晩、泊まっていき。あんたら二人とも」
そういうわけで、僕と茜さんは、雨の遍路宿に、もう一日、足止めになった。
雨の山は、何もすることがなかった。テレビもない。電波も、ほとんど届かない。聞こえるのは、ひたすら、雨の音だけ。
僕たちは、襖を開け放した二間で、向かい合って、お茶を飲んでいた。久子さんは「ちょっと下の集落まで、買い出しに行ってくるわ」と、合羽を着て、軽トラで出かけてしまった。広い宿に、僕と茜さんの、二人きりだった。
早瀬茜「……雨、すごいですね」
桐山悠真「ですね」
早瀬茜「……足、休まって、ちょうどいいのかも。マメ、潰れちゃってたし」
そう言いながら、茜さんが、自分の足の裏を、ちょっと見せた。歩きづめで、いくつも、マメが潰れて、痛々しかった。
桐山悠真「……それ、絆創膏、ちゃんと貼ったほうが」
早瀬茜「持ってるんですけど、自分じゃ、貼りにくくて」
桐山悠真「……貸してください。貼ります」
僕は、茜さんの足を、そっと膝の上に取った。細くて、白い足首。それでいて、何日も歩き続けた足の裏は、固くなり始めていた。潰れたマメに、薬を塗って、絆創膏を、一枚ずつ、貼っていく。
早瀬茜「……んっ。……くすぐったい、です」
桐山悠真「ごめん。痛い?」
早瀬茜「……ううん。……桐山さんの手、あったかいなって」
ふと、顔を上げると、すぐ近くに、茜さんの顔があった。雨の薄暗い部屋で、その頬が、ほんのり赤く染まっている。いつもの、けらけら笑う明るさは、今は、どこにもなかった。
雨の音だけが、二人を、包んでいた。
早瀬茜「……桐山さん」
桐山悠真「はい」
早瀬茜「……心臓、すごい音」
桐山悠真「……茜さんも、でしょ」
早瀬茜「……うん。ばれてますね」
くすっと笑った唇に、僕は、もう、自分を止められなかった。茜さんの足を、そっと畳に戻して、その肩に、手を回す。茜さんは、逃げなかった。長い睫毛が、ゆっくりと、伏せられた。
そっと、唇を重ねた。
ちゅ……。
9. 雨音の部屋
茜さんの唇は、やわらかくて、お茶の温もりが残っていた。
一度離して、もう一度。今度は、少しだけ深く。茜さんが、僕の白衣の袖を、きゅっと握った。
早瀬茜「ん……♡」
桐山悠真「……ずっと、道で、ばっかり会ってたのに」
早瀬茜「……私も。同じ歩幅の人だな、って、思ってたら……こんなになるなんて♡」
舌先で、そっと唇をなぞると、茜さんの口が、わずかに開いた。
れろ……ちゅ……ちゅるっ……♡
早瀬茜「んむ……♡」
雨の音の中で、しばらく抱き合っていた。やがて、茜さんが、潤んだ目で、隣の部屋に敷きっぱなしの、布団のほうを見た。
早瀬茜「……襖、閉めますか」
桐山悠真「……いいの?」
早瀬茜「……久子さん、当分、帰ってこないと思う♡ ……それに」
桐山悠真「それに?」
早瀬茜「……今日、桐山さんを、一人で隣の部屋に帰す気、もう、ないの♡」
手を引かれて、布団の敷かれた部屋へ移った。襖を閉めると、雨の音が、いっそう近くなった。窓の外は、煙るような雨。薄暗い部屋に、二人の息だけが、満ちていく。
横たえた茜さんに、もう一度、唇を重ねる。さっきより、ずっと深く。舌を絡めながら、白衣の、合わせに手をかけた。
ちゅぷ……れろ……ちゅるっ……♡♡
早瀬茜「ん……んぅ……♡」
ぷはっ、と離れると、唾液が、細く糸を引いた。
早瀬茜「はぁ……♡ ……恥ずかしい。汗、かいたあとなのに」
桐山悠真「お風呂上がりの、いい匂いがするよ」
早瀬茜「……もう。そういうこと、言う♡」
白衣の合わせを開くと、下に着けた肌着の上から、胸のふくらみが、控えめに上下していた。肩を抜かせると、何日も荷物を背負って歩いた、しなやかな体が現れた。日に焼けた腕や首と違って、肌着に隠れていた胸元は、抜けるように白かった。
桐山悠真「……きれいだ」
早瀬茜「……歩いてばっかりで、ごつごつしてるでしょ」
桐山悠真「ううん。……強くて、きれいだ」
肌着の裾から手を入れて、背中のホックを探す。カチッ、と外すと、形のいい胸が、こぼれ出た。淡い色の先端が、白い肌に、ぽつんと色を添えている。腕で隠そうとする手を、そっとどけて、布団の上に横たえた。右手で、左の胸を、包むように触れる。
ふにっ。
早瀬茜「あっ……♡」
手のひらに吸い付くような、やわらかさだった。指を沈めると、むにっと形を変える。もう片方も、手のひらで包んだ。
早瀬茜「ん……っ♡ 両方なんて……♡♡」
親指で、先端を、くりっと転がした。
早瀬茜「ひゃっ♡♡」
びくんと、茜さんの肩が跳ねた。小さく硬くなった先端が、指先に、コリコリと伝わってくる。
くりくり……くりくり……♡
早瀬茜「あっ♡ あんっ♡♡ 桐山さんっ……♡♡」
名前を呼ばれて、頭の芯が、痺れた。唇を、先端に落とす。ちゅっ。
早瀬茜「ひぅっ♡♡♡」
舌先で転がしながら、反対の胸を、揉みしだく。
ちゅるっ……れろ……ちゅう……♡♡
早瀬茜「あっあっ♡♡ 声、出ちゃう……雨、すごいから、平気かな……♡♡」
桐山悠真「平気。今、この宿、二人だけだから」
早瀬茜「……意地悪♡」
交互に舌を這わせて、たっぷりと味わう。茜さんの肌が、うっすら汗ばんで、石鹸の匂いに、甘い匂いが混ざっていく。
10. 同行二人
桐山悠真「茜さん、下も、いい?」
早瀬茜「……うん♡」
歩きやすいパンツの紐をほどいて、下着ごと、ゆっくり引き下ろす。膝を立てて閉じようとする太ももを、そっと開かせた。毎日、山道を踏みしめてきた、しなやかで、張りのある腿だった。
桐山悠真「……もう、濡れてる」
早瀬茜「やっ♡ 言わないで……♡ キスの、ときから、ずっとなの♡♡」
透明な蜜が、とろりと、内ももを伝っていた。指先で、そっとなぞる。
くちゅ……。
早瀬茜「ひゃあっ♡♡ あっ♡♡」
びくん、と腰が跳ねた。小さな突起を見つけて、指の腹で、くるくると円を描く。
くり……くり……♡
早瀬茜「あぁっ♡♡♡ そこっ……だめぇっ♡♡♡」
桐山悠真「だめじゃ、ないだろ。気持ちいいんだろ?」
早瀬茜「だってっ♡ 桐山さんの指っ……♡♡」
蜜をかき回しながら、中指を、入り口にあてがった。
桐山悠真「指、入れるよ」
早瀬茜「……うんっ♡♡ 来て……♡♡」
ずぷ……♡
早瀬茜「あああっ♡♡♡」
ゆっくり、指が沈んでいく。熱い。きゅうきゅうと、締め付けてくる。中をかき回しながら、もう一本。
ずぷっ♡
早瀬茜「ひぃっ♡♡♡ 二本っ……♡♡」
二本の指で出し入れしながら、親指で、突起を同時に刺激する。
ぐちゅっ……ぐちゅっ……ぐちゅっ……♡♡♡
早瀬茜「あっあっあっ♡♡♡ すごいっ♡ おかしく、なるっ♡♡♡」
指を曲げて、上側の壁を、ぐっと押す。
早瀬茜「ひぅっ♡♡♡♡ そこ、やばいっ♡♡♡」
茜さんの体が、びくびくと跳ね始める。歩き続けて引き締まった腹が、ひくひくと波打っていた。
早瀬茜「やっ♡ 来るっ……来ちゃうっ♡♡♡」
指の動きを、速める。
ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅっ♡♡♡♡
早瀬茜「あああっ♡♡♡ イっ……イくぅっ♡♡♡♡」
びくんっ、びくんっ、びくんっ♡♡♡
茜さんの背中が、弓なりに反った。中が、ぎゅうっと指を締め付けて、蜜が溢れ出す。やがて、力が抜けたように、布団に沈み込んだ。
早瀬茜「はぁっ……♡♡ はぁっ……♡♡ ……指だけで、こんなの……♡♡」
潤んだ瞳で、茜さんが、ゆっくり身を起こした。まだ余韻に震えながら、僕のベルトに、手を伸ばす。
早瀬茜「……今度は、私」
桐山悠真「無理しなくて、いいよ」
早瀬茜「……無理じゃない。私が、したいの♡」
ベルトを外して、下着ごと引き下ろすと――ばちんっ、と、限界まで張り詰めたものが跳ね上がった。茜さんが、息を呑む。
早瀬茜「……おっきい♡♡」
うつ伏せになって、顔を近づけてくる。
ぺろ……。
先端を、舌先で、ちろっと舐めた。
早瀬茜「ん……♡」
ちゅっ、と先端にキスをして、それから、ぱくりと口に含んだ。ずぷ……。温かく濡れた、口の中。舌が、裏筋を、なぞる。
早瀬茜「ん……じゅるっ♡♡ れろれろ……♡♡」
ゆっくり頭を上下させる茜さん。汗で乱れた髪が、さらりと揺れている。上目遣いの瞳が、潤んで、こっちを見ていた。
桐山悠真「茜さん……やば、気持ちいい」
早瀬茜「んふ♡ ……もっと♡♡」
ちゅぱっ……じゅるるっ……♡♡
頬をすぼめて、吸い上げる。深く咥えるたびに、全身に、電流が走った。
ずぷっ……ずぷっ……♡♡
桐山悠真「待って、それ以上は……イっちゃう」
ぷはっ、と口を離す茜さん。唇が、唾液で、てらてらと光っていた。
早瀬茜「……まだ、だめ♡ 最後は、一緒がいい♡」
11. 雨の底で
茜さんを、布団の上に、そっと引き上げた。リュックのポーチから、避妊具を取り出す。
早瀬茜「……ちゃんと、持ってきてたんだ?」
桐山悠真「いや、これは、その……一応」
早瀬茜「ふ♡ 責めてない♡ ……えらい♡」
手早く着けて、茜さんを、仰向けにした。雨の薄明かりに、白い肌が、ほのかに浮かんで見える。脚の間に体を滑り込ませて、先端を、入り口にあてがった。
ぬちゅ……♡
桐山悠真「入れるよ、茜さん」
早瀬茜「うん♡ 来て……♡♡」
ゆっくり、腰を進める。
ずぷ……ずぷぷ……♡♡
早瀬茜「あぁっ♡♡♡ 入って、くるっ♡♡♡」
きゅうきゅうと締め付けながら、奥へ引き込んでくる。
早瀬茜「おっきい♡♡ 奥まで、いっぱい♡♡♡」
ずぷん♡♡
根元まで、収まった。下腹部が、ぴたりと密着する。
早瀬茜「はぁっ♡♡ 全部、入った♡♡ ……あったかい♡♡♡」
桐山悠真「動くよ」
ゆっくり腰を引いて、また押し込む。
ずるっ……ずぷんっ♡♡
パンっ♡
早瀬茜「ああっ♡♡♡」
パンッ……パンッ……♡♡
リズミカルに、打ちつけ始める。
早瀬茜「あっあっあっ♡♡♡ 桐山さんっ♡♡ 気持ちいいっ♡♡♡」
桐山悠真「悠真で、いい」
早瀬茜「……悠真さんっ♡♡♡」
名前を呼ぶと、茜さんが、僕の背中に、しがみついてきた。雨の音と、肌のぶつかる音が、混じり合って、部屋に響いていく。
パンパンパンッ♡♡♡
早瀬茜「奥っ♡♡♡ 奥に、当たってるっ♡♡♡♡」
茜さんの脚が、僕の腰に絡みついてくる。山道を踏みしめ続けた、しなやかな腿が、ぎゅっと締まる。角度を変えて、さらに奥を突くと、結合部から、卑猥な水音が溢れた。
パンパンパンパンッ♡♡♡♡
ぐちゅぐちゅぐちゅ♡♡♡
早瀬茜「やばっ♡♡ また、来るっ♡♡ イっちゃうっ♡♡♡♡」
桐山悠真「俺も、もう……っ」
早瀬茜「一緒に……♡♡♡ 一緒に、イこっ……♡♡♡♡」
茜さんが、背中に両腕を回して、しがみつく。脚も、がっちり腰に絡む。奥に押し付けるように――最後の一突き。
早瀬茜「あぁぁっ♡♡♡♡♡!!」
桐山悠真「イく……っ!」
どくんっ、どくっ、どくっ……!
早瀬茜「イっ……イくぅっ♡♡♡♡♡♡」
茜さんの全身が震えて、中が、痙攣するように搾り取っていく。
びくんっ、びくんっ、びくんっ♡♡♡
早瀬茜「はぁっ♡♡ はぁっ♡♡ ……すごかった……♡♡♡」
抱き合ったまま、荒い呼吸を繰り返した。ちゅ、と軽くキスをする。襖の外では、雨が、変わらず、しとしとと、山を打っていた。
早瀬茜「……まだ、抜かないで♡」
繋がったまま、お互いの心臓の音を、聞いていた。やがて、茜さんが、僕の胸に頬を寄せて、くすっと笑った。
早瀬茜「……同行二人、どころじゃ、なくなっちゃった♡」
桐山悠真「……どういう意味?」
早瀬茜「だって、こんなの……もう、ただの道連れじゃ、ないでしょ♡」
12. 結願への道
――翌朝。
障子の隙間から差し込む光で、目が覚めた。雨は、いつのまにか、上がっていた。隣で、茜さんが、まだ僕の腕の中で眠っている。汗で乱れた髪が頬にかかって、寝顔が、とんでもなく無防備だった。
すぅ……すぅ……。
桐山悠真(……夢じゃ、なかった)
そっと身を起こして、障子を開けた。雨上がりの山が、朝靄の中で、洗い立てみたいに光っていた。谷から、白い湯気みたいな霧が、ゆっくりと立ちのぼっていく。
早瀬茜「ん……♡ 悠真さん……?」
茜さんが、目を覚ました。寝起きの、少しかすれた声。
桐山悠真「おはよ。茜さん、見て。雨、上がってる。山、すごい綺麗だ」
茜さんが、障子に身を寄せて、目を細めた。
早瀬茜「……ほんとだ。……今日は、歩けますね」
桐山悠真「……うん」
しばらく、二人で、朝靄の晴れていく山を、眺めていた。やがて、茜さんが、ぽつりと言った。
早瀬茜「ねえ、悠真さん。……このあと、どうします?」
桐山悠真「どうする、って」
早瀬茜「……私たち、たまたま、同じ道を、歩いてただけ、でしょ。札所が終われば、また、別々の道に……」
茜さんの声が、少し、不安そうに揺れていた。きっとこの人は、行き詰まって、一人で歩き始めたぶん、また一人に戻ることにも、心のどこかで、身構えているんだろう。
だったら、僕が、ちゃんと言葉にしないと。地図の上の道なら、何万本も引いてきたんだ。たった一本の、自分の行き先くらい、引けないわけがない。
桐山悠真「茜さん。僕、まだ、八十八番まで、ぜんぜん残ってます」
早瀬茜「……うん。私も」
桐山悠真「だったら――残りも、一緒に歩きませんか。同じ歩幅で。せーの、って、声かけ合って」
早瀬茜「……お遍路仲間、として?」
桐山悠真「いや。……恋人として。八十八番で結願したあとも、ずっと」
茜さんの目が、まんまるになった。それから、じわっと潤んで、ぽろっと、一粒こぼれた。朝の光が、その雫を、きらりと光らせた。
早瀬茜「……ずるい。朝から、こんな山の中で」
桐山悠真「泣くなって。返事は?」
早瀬茜「……うん。私も、悠真さんのことが、好き♡ ……結願まで、ううん、そのあともずっと、一緒に歩きたい♡」
そう言って、茜さんが背伸びして、僕の唇に、ちゅっと軽くキスをした。雨上がりの山に、朝日が、まっすぐ差し込んでいた。
早瀬茜「ふふ♡ 決まり♡ ……あ、でもね、悠真さん」
桐山悠真「ん?」
早瀬茜「恋人になっても、焼山寺みたいな山が来たら、ちゃんと、私のこと、引っ張ってくださいね」
桐山悠真「……それ、こっちの台詞だよ。茜さんに、引っ張ってもらったの、僕のほうだ」
早瀬茜「ふふっ。じゃあ、お互いさま♡ ……同行二人、ぶんの、力で」
囲炉裏の板の間から、久子さんの声が、降ってきた。
久子さん「あんたらー、朝飯できとるよー。……ふふ、なんや、二人して、すっきりした顔して。……ゆうべの雨は、ええ雨やったなあ。遍路道の縁を、しっかり、結んでくれたみたいや」
早瀬茜「……もう。久子さん、わかってて、隣の部屋に……」
久子さん「ふふ。遍路宿の女将は、人と人の縁を見るのも、仕事のうちでな。……さ、ようけ食べ。今日も、長い道のりやで。二人、仲ようにな」
地図の上で、他人の行き先ばかり引いて、自分がどこへ向かえばいいのか、見失っていた僕は、亡き祖父の残した菅笠ひとつを頼りに、生まれて初めて、自分の足で道を歩いた。
そこで出会ったのは、心を折られて空っぽになりかけながらも、それでも足を前に出し続けて、よく笑い、よく泣く――そんなふうに、自分の人生を、もう一度、一歩ずつ歩き直そうとしていた、一人の女遍路だった。
白衣の背中には、二人とも、同じ墨字が書いてある。同行二人。
これは、たまたま同じ道で隣り合っただけの、一晩の話なんかじゃない。きっと、八十八番まで、その先の人生まで、二人で並んで、同じ歩幅で歩いていく、その始まりの朝だ。
― 終 ―