1. 三ヶ月ぶりの美容室
正直に言うと、俺は髪に無頓着な方だ。
高梨涼介、二十八歳。都内のメーカーで働く会社員。仕事は嫌いじゃないけど、休みの日はだいたい家でだらだらしている。
髪なんて、伸びて鬱陶しくなったら切りに行く。だから美容室なんて三ヶ月に一度行けば十分だった。
その日も、前髪が目にかかってきたのを鏡で見て、ようやく重い腰を上げたところだった。
(そういえば、引っ越してから一回も切ってないな)
春に異動と一緒にこの街へ越してきて、もう二ヶ月。前に通っていた美容室は電車で四十分。さすがに遠い。
スマホで「美容室 近い」と検索して、徒歩五分のところに出てきた小さな店を予約した。
『hair atelier mou(ムウ)』
口コミは多くないけど、星は高い。雑居ビルの二階。
梅雨の合間の、やけに蒸し暑い土曜の午後だった。
2. 担当になった人
階段を上がってドアを開けると、ドライヤーの音と、柑橘系のいい匂いがした。
席は四つだけの、こぢんまりした店。観葉植物と、木目のカウンター。
「いらっしゃいませ。ご予約の高梨さんですね」
迎えてくれたのは、人の好さそうな三十代くらいの男性。たぶんオーナーだ。
「今日は七海が担当させてもらいます。おーい、七海ちゃん」
奥から小走りに出てきた女性を見て、俺は一瞬言葉を失った。
肩につくくらいの、艶のある黒髪。切れ長の目に、すっと通った鼻筋。黒いエプロンの下の白いTシャツが、清潔で似合っている。
化粧は薄いのに、肌が綺麗だった。
「はじめまして、七海です。今日はよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた拍子に、髪がさらりと揺れた。
「あ……よろしくお願いします」
我ながら間抜けな返事だった。
席に案内されて鏡の前に座る。背後に立った七海さんが、ふわりと俺の髪に触れた。
「結構伸びてますね。けっこう放っちゃう派ですか?」
「……バレますか」
「ふふ、毛先が教えてくれます」
鏡越しに目が合って、彼女がいたずらっぽく笑った。
それだけで、なんだか心臓のあたりがくすぐったくなった。
3. 指先と、声
七海さんのカウンセリングは丁寧だった。
俺がうまく希望を言葉にできずに「いい感じに」なんて雑なことを言っても、嫌な顔ひとつしない。
「お仕事のとき、ワックスとかつけます?」
「……たまに。つけ方よくわかってないですけど」
「じゃあ、乾かすだけでもまとまる感じにしましょうか。朝、楽な方がいいですよね」
「助かります」
シャンプー台に移ると、温かいお湯と、彼女の指先が頭皮を滑った。
力加減が、絶妙だった。
「痒いところ、ないですか?」
「……大丈夫です」
正直、気持ちよすぎて声が上ずった。
カットの間も、会話が途切れなかった。仕事のこと、引っ越してきたばかりだということ。七海さんは二十四歳で、この店に来て二年目だという。
「高梨さん、このへん越してきたばっかりなんですよね。いいお店とかあったら今度教えますね」
「美容師さんって、街のこと詳しいんですか」
「お客さんから情報集まるんですよ。耳年増なんです、私」
笑うと、目尻がやわらかく下がる。
仕上がった髪は、自分でも驚くほど自然で、軽かった。
(……いいな、この人)
会計のとき、七海さんが名刺サイズのカードを差し出した。
「次もよかったら、私を指名してくださいね」
その一言を、俺はその夜、何度も思い出した。
4. 口実を探すようになる
普段なら三ヶ月は空ける。
なのに、四週間後。
(……ちょっと、伸びた気がするな)
鏡の前で、俺は明らかに無理のある理由を探していた。
予約サイトを開いて、七海さんの指名枠を取る。空いていたことに、妙にほっとした。
二度目に行くと、七海さんは俺の顔を覚えていた。
「高梨さん、早いですね。気に入ってもらえました?」
「……まあ、はい。楽だったので」
「ふふ、嬉しい」
それから俺は、毎月通うようになった。
正直、髪はそんなに伸びていない。けど、月に一度、彼女と話せる一時間が、いつのまにか俺の中で特別な時間になっていた。
回を重ねるごとに、会話は仕事の話から、好きな映画や、休みの過ごし方に変わっていった。
「高梨さん、休みの日ほんとに家から出ないんですね」
「出る理由がないんですよ」
「もったいない。せっかくこの街、いいカフェ多いのに」
「……じゃあ、教えてくださいよ」
「いいですよ。LINE、交換します? お店の予約も、私に直接くれたら早いし」
差し出されたスマホに、俺は少し緊張しながらIDを表示した。
口実が、また一つ増えてしまった。
5. 雨の日のメッセージ
LINEを交換してから、距離は静かに縮まっていった。
最初は「おすすめのカフェ」の話だったのが、いつのまにか他愛のないやりとりに変わっていく。
仕事終わりの愚痴。見たドラマの感想。「今日めっちゃ忙しかったです」というスタンプ。
梅雨も本番に入って、毎日のように雨が降っていた。
ある夜、七海さんからメッセージが来た。
「高梨さん、今度の日曜って空いてます?」
「空いてますけど、どうかしました?」
「この前話したカフェ、私も行ったことなくて。一緒に行きません? ……お客さんとこういうの、ダメかな」
「ダメじゃないです。行きましょう」
送ってから、自分の返信の速さに笑ってしまった。
(即答すぎたか……)
でも、彼女からは「やった」と笑った猫のスタンプが返ってきた。
その夜は、なかなか寝つけなかった。
6. 半分だけのデート
日曜は、奇跡的に雨が止んでいた。
待ち合わせた七海さんは、いつものエプロン姿じゃなかった。白いワンピースに、薄手のカーディガン。髪を緩く結んで、耳元のピアスが揺れている。
「……なんか、いつもと雰囲気違いますね」
「お店の私しか知らないですもんね。変ですか?」
「いや。……すごく、いいです」
正直に言うと、彼女はほんの少し頬を赤くして俯いた。
カフェは、古い民家を改装した静かな店だった。
窓際の席で、コーヒーとチーズケーキを分け合いながら、俺たちはずっと喋っていた。
「私、人の髪触るの好きなんです。その人の生活が出るから」
「俺のは、ずぼらが出てたでしょ」
「ふふ、最初はちょっとね。でも、毎月来てくれるようになってから、ちゃんと手入れするようになりましたよね」
「……気づいてました?」
「気づきますよ。担当だもん」
まっすぐ見つめられて、俺は目を逸らせなかった。
「……正直に言っていいですか」
「はい」
「髪、そんなに伸びてなくても、毎月行ってました。七海さんに会いたくて」
しばらく沈黙があって、彼女が小さく息を吐いた。
「……知ってました。だって、いつも前髪、そんなに伸びてなかったもん」
ふたりで、思わず笑った。
「私も、高梨さんの予約入ってる日、ちょっと楽しみだったんです」
その一言で、心臓が大きく跳ねた。
7. 閉店後の店で
それからの一週間、俺たちの距離はもう「お客と美容師」ではなかった。
次の予約の日。仕事帰りの俺が店に着いたのは、ちょうど閉店間際だった。
「今日、私で最後のお客さんなんです。ゆっくりやりますね」
オーナーは「戸締まり頼むね」と言い残して、先に帰っていった。
気づけば、店には俺と七海さんの二人きり。
外はまた雨が降り始めて、窓ガラスに細かい雫が伝っていた。
シャンプー台で髪を流してもらう間、彼女の指先が、いつもより少しゆっくりに感じた。
カットを終えて、ドライヤーで乾かしてもらう。鏡越しに、彼女がじっと俺を見ていた。
「……はい、できました」
「ありがとうございます」
ドライヤーの音が消えて、店が急に静かになった。雨の音だけが残る。
立ち上がってケープを外してもらうとき、距離がやけに近かった。
「七海さん」
「……はい」
振り向いた彼女の顔が、すぐ目の前にあった。潤んだ瞳が、わずかに揺れている。
どちらからともなく、顔が近づいた。
ちゅ、と、唇が重なる。
柔らかくて、少しだけリップの味がした。
一度離れて、見つめ合って、もう一度。今度は深く。
「ん……っ」
七海さんの手が、俺のシャツをきゅっと握った。
8. 二人きりの夜
照明を半分落とした店の奥、スタッフルームの小さなソファに、俺たちはもつれ込むように座った。
キスを繰り返すたび、七海さんの息が熱を帯びていく。
「……いいの?」
「……うん。高梨さんが、いい」
カーディガンを脱がせ、白いワンピースのファスナーを下ろす。あらわになった肩に唇を落とすと、彼女が小さく震えた。
「あっ……♡」
白い肌に、淡い色のブラジャー。鎖骨のラインが綺麗だった。
背中に手を回してホックを外す。ふるりとこぼれた胸を、そっと手のひらで包んだ。
「んっ……♡」
指先で先端に触れると、彼女の腰がぴくんと跳ねる。
「敏感だね」
「……言わないで♡」
唇を寄せて先端を含むと、七海さんが俺の頭を抱え込むようにした。
「あぁっ……♡ だめ、それ……♡」
舌先で転がしながら、もう片方を手で優しく揉む。彼女の声が、どんどん甘くなっていく。
ワンピースを完全に脱がせて、下着越しに脚の間にそっと触れた。
「ひゃっ……♡」
布の上からでも、はっきりと熱と湿り気が伝わってきた。
「もう、すごいことになってる」
「だって……高梨さんが、するから……♡」
下着を脱がせて、潤んだそこに指を滑らせる。くち、と小さな水音がした。
「あっ、あっ……♡♡」
ゆっくり指を沈めると、中が柔らかく締めつけてくる。指を動かしながら、敏感な突起を親指でそっと撫でた。
「そこっ……♡♡ あぁっ、だめ、イっちゃ……♡♡」
腰が浮いて、彼女の全身がびくびくと震えた。
「はぁ……はぁ……♡」
とろけた瞳で見上げてくる七海さんが、俺のベルトに手を伸ばした。
「……私も、して、いい?♡」
膝をついた彼女が、緊張しながらも、ゆっくりと顔を寄せていく。
「ん……♡ ちゅ……んっ……♡」
慣れない感じの、でも丁寧な舌づかいに、俺はあっという間に追い詰められた。
「……七海さん、それ以上は……っ」
そっと顔を離した彼女の唇が、濡れて光っていた。
9. 雨の音の中で
財布から避妊具を取り出して、装着する。
ソファに彼女を横たえ、脚の間に体を進めた。潤んだ入り口に先端をあてがう。
「……いくよ」
「うん……来て♡」
ゆっくりと押し入れていく。
「んんっ……♡♡」
温かくて、きつくて、奥まで包み込まれる。彼女の腕が、俺の背中に回った。
「……痛くない?」
「平気……♡ ゆっくり、して……♡」
少しずつ腰を動かし始める。彼女の表情を見ながら、ペースを合わせていく。
「あっ……あっ……♡♡ 高梨さん……♡」
「涼介、でいいよ」
「涼介、さん……♡♡」
名前を呼ばれた瞬間、たまらなくなった。
腰の動きを少しずつ大きくしていくと、彼女の声も高くなっていく。
「あっ♡♡ そこ……♡♡ 気持ちいい……♡♡」
外の雨音が、彼女の甘い声を優しく包んでいた。
繋がったまま深くキスをすると、中がきゅうっと締めつけてくる。
「んっ……♡♡ また、来ちゃう……♡♡」
「俺も、そろそろ……っ」
「一緒に……♡♡ 一緒がいい……♡♡♡」
彼女が脚を絡めてしがみついてくる。最後に奥へ押し込むと——
「あぁっ♡♡♡!」
びくびくと全身を震わせる彼女の中で、俺も限界を迎えた。
しばらく、二人とも動けなかった。荒い呼吸だけが、雨音に混ざる。
「……はぁ……♡ すごかった……」
「……うん」
汗ばんだ額にかかった髪を、そっと指で払ってやると、彼女がくすぐったそうに笑った。
10. 担当、変更願います
身支度を整えて、二人で店を出た。
雨はすっかり上がっていて、濡れたアスファルトに街灯が滲んでいた。空気が、雨上がり特有の匂いをしている。
「明日、月曜なのに。私、寝坊しそう」
「俺のせいですか」
「ふふ、半分はね」
並んで歩きながら、自然と手が触れて、そのまま指を絡めた。彼女の手は、髪に触れるときと同じで、少しひんやりして柔らかい。
「あのさ」
「はい」
「俺、これからも毎月通っていい?」
「お客さんとしてですか?」
「……彼氏として」
七海さんが立ち止まって、俺を見上げた。街灯の下で、その頬がほんのり赤い。
「……それ、私の担当、外れちゃうかもしれませんよ。身内割引はあるけど」
「じゃあ、担当変更願います。美容師さんから、彼女に」
彼女が、ぷっと吹き出して、それから嬉しそうに笑った。
「……はい。よろこんで♡」
繋いだ手に、きゅっと力がこもる。
三ヶ月に一度で十分だったはずの髪が、俺に最高の人を運んできてくれた。
これからは、髪を切る口実なんて、もういらない。
会いたいときに、会えるんだから。
─── Fin. ───