大雪で電車が止まった夜、会社に泊まることになった私たち

2月の頭にあった、あの関東の記録的大雪の日の話です。

天気予報では「積もっても数センチ」って言ってたのに、夕方から降り方が明らかにおかしくなって、神田駅前のオフィスビルの窓から見える景色がどんどん真っ白になっていきました。私は月次締めの最終日で、経費の仕訳がどうしても合わなくて残業していたんですけど、20時過ぎにスマホが一斉に鳴って、JRも私鉄も地下鉄も軒並み運転見合わせのニュースが流れてきました。

(うそでしょ。締めより先に人生が詰んだ)

窓の外は横殴りの雪。傘なんて意味をなさないレベルで、道路のタクシーは全部空車ランプが消えてる。

私は27歳、この会社の経理部で5年目です。神田にある化学品専門商社で、社内では「静かな経理の子」で通ってて、飲み会でも隅っこで烏龍茶飲んでるタイプ。仕訳と消込は誰よりも早いのに、恋愛偏差値はたぶん学年最下位。彼氏いない歴3年、経験人数は大学時代に付き合った2人だけ。それを自虐ネタにするクセがあるのも、たぶん自衛です。

とにかく、この日はそれどころじゃなかった。フロアを見回すと、経理部長はもう娘さんが車で迎えに来て脱出したあとで、総務の派遣さんも定時ダッシュで帰っていて、残っているのは私ともう一人だけでした。

営業部の高津さん、31歳。普段の接点なんて経費精算の書類でのやりとりくらいで、部署も違うし、正直まともに喋ったことも数えるほどしかありません。細身なんだけど肩幅はしっかりあって、スーツが妙に似合う人で、電話対応の声が低くてゆっくりで、フロアにいるとなんとなく耳に残るタイプでした。ワイシャツの袖をまくると前腕に筋が浮くのが地味に印象的で、それを見るたびに「営業の人ってこういう感じなんだ」と勝手に思っていました。

「タクシーアプリ、全滅ですね。近くのビジホも電話したけど、どこも満室か繋がらないです」

「……嘘でしょ」

高津さんが総務に電話をかけてくれて、「社員を今夜だけ会社に泊めてもらえないか」って交渉してくれました。数分後、許可が下りたって報告を受けたときは、正直ほっとしたのと同じくらい気まずさもありました。

「じゃあ、今夜はよろしくお願いします」

「あ、はい、よろしくお願いします……」

お互い変な敬語で頭を下げ合って、この時点でもう気まずさが極まってました。会社泊まりって、修学旅行みたいなワクワク感はゼロで、ただただ「どうしよう」しかない。

防災備蓄庫を漁ったら、アルミのブランケットと保存水が出てきました。でもさすがに晩ご飯がない。

「カップ麺くらい、買っときましょうか」

「この雪の中でですか……」

結局、50m先のファミマまで二人で雪中決死行することになりました。革靴の高津さんが途中で盛大に滑って、転びかけて私の腕をつかんできて、あまりの必死な顔に吹雪の中で思わず笑ってしまいました。

「笑いごとじゃないですよ、こっちは本気で死ぬかと思った」

「すみません、その顔が面白くて」

店内はもう似たような境遇の会社員でごった返していて、カップ麺の棚がほぼ空でした。残っていたのは味噌味と謎の期間限定フレーバーだけ。

「築山さん、辛いのいけます?」

「得意ではないですけど、贅沢言える状況じゃないので」

そんな会話をしながらカゴに麺を放り込み、お茶と、棚の隅に残っていた肉まんを1個だけ確保しました。レジに並ぶ間、外の吹雪をガラス越しに見て、二人でちょっと黙り込みました。

戻りながら、肉まんは1個しかなかったので半分こするか揉めて、結局「最後の一口は先輩がどうぞ」で私が折れました。

「経理の人と喋るのって、精算で怒られる時だけかと思ってましたよ」

「怒ってるんじゃなくて、締切を守ってほしいだけです」

そう言い返しながらも、なんだかんだ会話が続いていることに自分でも驚いていました。

給湯室でカップ麺にお湯を入れる段階で、高津さんが線を大幅に超えてお湯を注いでいて、麺がスープの海で溺れているのを見て笑ってしまいました。

「多すぎません?」

「あ、ほんとだ。目分量って苦手で」

天然っぽいところがあるんだな、と思いながら向かい合って食べていると、思わぬことを言われました。

「築山さん、いつも営業部の締めが遅れたとき、黙って調整してくれてますよね。誰も気づいてないと思ってるだろうけど、俺、見てましたよ」

割り箸を持つ指先が急に熱くなった気がしました。誰にも見られてないと思っていた仕事を、見てくれていた人がいた。それだけのことなのに、うまく言葉が出てきませんでした。

(社内で誰かにちゃんと見られてたの、いつぶりだろう)

そんなことを考えている自分に驚きながら、麺をすする手が止まっていたのに気づかれて、また笑われました。

「そんな、大したことじゃ……。彼女さん、心配してませんか、こんな時間まで」

なんとなく話を逸らしたくて、そう聞いてしまいました。

高津さんが少し箸を止めて、それから静かに言いました。

「年末に婚約破棄になって、正月早々引っ越したばかりなんです。だから今、彼女いないですよ」

社内では受付の同期の子と付き合ってるって噂で聞いていたので、思い込みが盛大に外れていたことに気づきました。

「築山さんは?」

「私は……彼氏いない歴3年で。経験人数も大学時代の2人だけで、恋愛偏差値、低いんですよ、自分で言うのもなんですけど」

自虐込みで白状すると、高津さんは笑うでもなく、慰めるでもなく、ただ一言。

「そっか」

それだけだったのに、なんだか妙に刺さりました。

そのとき、フロアの照明が一段暗くなって、エアコンの音が止まりました。22時、省エネ設定で全館の暖房が落ちたみたいです。

「え、うそ、寒っ」

急速に冷えていくフロアで、応接室が一番狭くて暖気が残っているという話になり、二人でそこに移動しました。膝掛けとアルミブランケットが、実質一人一枚しかありません。非常灯の緑の明かりだけの薄暗い部屋で、3人掛けのソファの両端に座ったはずが、寒さでじりじり距離が詰まっていきました。

窓の外はまだ雪が降り続いていて、たまに突風でガラスが鳴りました。エアコンが止まった部屋の空気は、体感でどんどん温度が下がっていくのが分かるくらいでした。

肩が触れて、どちらも離しませんでした。

(これ、絶対まずいやつ。でも寒いのは本当だし。雪のせいだし)

「手、冷たくないですか」

そう言って、高津さんが私の手を取りました。

握られたまま数分、暖房の止まったビルの静けさだけがありました。顔を上げたら、キスされる、というより、顔を上げた時点でお互いもう分かっていた気がします。

「……いいんですか、こんなとこで」

「雪のせいってことにしよう。今日だけは」

そのやりとりで、境界線が完全に溶けました。喜びより先に混乱がきました。3年ぶり、なにも覚えてない、今日どんな下着履いてたっけ、そんなことばかり頭を巡ります。

彼の冷えた手がブラウスのボタンにかかりました。

自分の手が冷たいことに気づいたのか、高津さんは一度私の首筋に手を当てて温めてから、素肌に触れてきました。その気遣いに一番やられたと思います。ブラウスがはだけて、キャミの上から、それから中へ。Dカップですが、寒さで全身鳥肌が立っていて、それがすごく恥ずかしかったです。

「声、出そうになったら俺の肩でいいよ」

「……スーツ、皺になりますよ」

「明日クリーニング出すから大丈夫」

高津さんが床に膝をついて、ストッキングを片脚だけ脱がせました。もう片方は履いたままの間抜けな格好で、(こんな格好、経費精算の相手に見せるものじゃないな)なんて場違いなことを考えながらも、指が触れてきた瞬間にそれどころじゃなくなりました。舌が動くたびに膝がびくっと跳ねて、声を殺すために膝掛けの端を噛むしかありませんでした。

「大丈夫?痛くない?」

「痛くは、ない、です……」

痛くはない、けど、久しぶりすぎて自分の身体がどう反応していいのか分からなくなっていました。

お返しにと彼のベルトに手を伸ばしましたが、3年ぶりで手つきが完全にぎこちなくて、うまく外せませんでした。

「ごめんなさい、下手で」

「いいよ、ゆっくりで」

財布から出したゴムは1個だけ、しかも使用期限がギリギリでした。

「これしかない。大事に使お」

「その言い方、締めのときの領収書みたいですね」

3人掛けのソファは狭くて、正常位で始めようとしたら私の頭が肘掛けに当たって、角度が合わずうまく入りませんでした。久しぶりで少し痛くて、思わず眉間に力が入りました。

「痛……ちょっと待って」

「大丈夫?ゆっくりでいいから」

体勢を変えて、私の片脚をソファの背もたれに預ける形にしたら、ようやく馴染みました。古いソファのスプリングが軋む音がして、思わず不安になりました。

「警備さん来たらどうするんですか」

「来ないよ。来ても、雪で帰れなかったって言えば全部本当のことだし」

途中からソファの背に掴まる後背位になりました。高津さんの手が私の腰をつかむたびに、体の奥がじんとして、声を我慢しきれず何度か「あ……」と漏れてしまいました。それでも快感よりも、頭の中は違うことでいっぱいでした。会社の応接室でこんなことしてる、明日ここでお客さんがお茶を飲むのに、私、なんで急に泣きそうになってるんだろう。理由はうまく説明できないのに、目の奥が熱くなりました。

「大丈夫?なんか、ごめん」

「違う、嫌とかじゃなくて……なんでか分かんない」

うまく説明できないまま、それでも止めてほしくはなかったです。高津さんは最後、外で果てました。

事後、二人でアルミブランケットにくるまって、しばらく黙って天井を見ていました。何を話していいのか分からなくて、でも気まずいとも少し違う沈黙でした。

4時過ぎ、除雪車の音で目が覚めました。ゴムはもう1個もないので、最後まではせず、毛布の中で背中から抱かれて、お互いの手で触れ合うだけにしました。1回目が勢いと混乱でいっぱいだったのに対して、2回目はもっと静かで、確かめ合うような時間でした。

「高津さん」

自分から名前を呼んだのは、たぶんこの夜が初めてでした。

給湯室から持ってきたウェットティッシュでお互い処理をして、真冬なのに応接室の窓を10分だけ開けて換気をしました。クッションと座布団の位置を几帳面に元通りに戻していたら、高津さんに笑われました。

「なんかそういうとこ、経理っぽいですね」

着替えがなくて、昨日と同じブラウスで朝を迎えるのは、地味に一番気まずかったです。

7時前、山手線の運転再開の通知が届きました。膝まで積もった雪の中を、二人で並んで駅まで歩きました。長靴なんて持ってないので、二人ともパンプスと革靴のまま雪を踏みしめて、時々どちらかがつんのめって、そのたびに笑っていました。

途中、コンビニで買った携帯用の歯ブラシで非常階段の踊り場で交代に歯磨きしたことも、今思えばちょっと笑える思い出です。慣れない共同生活みたいな一夜が終わっていくのが、少しだけ寂しい気もしました。

神田駅の改札が見えてくると、高津さんの口数がだんだん減っていくのが分かりました。私も同じで、何を話せばいいのか分からないまま、雪を踏む音だけが続きました。

改札の前で、進む方向が反対になりました。

「今日のこと、全部雪のせいってことでいいんですよね」

「いや、今度は晴れの日に誘うから。そしたら雪のせいにできないね」

そう言って、高津さんは反対のホームへ歩いていきました。

(……経費で落ちない案件が増えた気がする)

この体験、どこにも言えないのでここに書きます。


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