大晦日の23時過ぎ、地元の八幡神社の参道は、思ったより混んでた。
俺、29歳、地元の信用金庫で営業係をやってる。彼女いない歴は……もう数えるのがめんどくさい。年越しそばの代わりにカップ麺を一人ですすって、それだけじゃ寂しいから初詣に来た。29のおっさんが大晦日の夜に一人で神社の列に並んでる時点で、お察しだと思う。
参道の両脇には屋台の灯りが並んでて、白い息を吐きながらみんな並んでる。俺の前には、白いダウンコートの女がいた。チェックのマフラーを鼻の上まで巻いて、めちゃくちゃ寒そうに肩を縮めてる。(この時期に薄着すぎだろ)と思いながら、俺も自分の薄いコートを後悔してた。人のこと言えない。
列がじわじわ進んで、屋台の匂いと煙が混ざる中、前の女がバッグの中を探るような仕草をした後、何かがぽとりと石畳に落ちた。
拾ってみると、使い込んだ感じの茶色い財布だった。
「あの、これ」
「あ、すみませ……」
振り向いた顔を見て、俺は固まった。
「……え」
「……え」
マフラーの下から見えた目元に、見覚えがありすぎた。5年前まで4年間付き合ってた元カノ、それだった。大学の頃からずっと黒のロングだったのが、肩上のボブに変わってて、一瞬わからなかった。でも笑うと目尻が下がる、あの癖だけは変わってなかった。
その瞬間、ゴーン、と後ろの本堂のほうで除夜の鐘が鳴った。今年最初の一発目。
俺たちはしばらく「え」しか言えなかった。
「久しぶり……だね」
「……久しぶり。5年ぶり、だっけ」
「そうだね、たぶん」
流れで一緒に参拝することになった。参拝って言っても列はまだ長くて、寒さに耐えかねた二人は途中で甘酒の屋台に寄り道した。
信用金庫の話をしたら、彼女が笑った。
「あんた今も地元なんだ。意外と地味に生きてんじゃん」
「お前は東京だっけ」
「そうだよ。今日は帰省。あんたは彼女は」
「いない。ずっといない」
「相変わらずだね」
昔と同じテンポで返してくるのが、逆にちょっと怖かった。5年経ってるのに、なんでこんな簡単に元に戻れるんだろう。(いや戻ってないけど)と自分に言い聞かせる。
甘酒のカップを受け取るとき、彼女は片方の手袋だけ外さなかった。左手だけ、ずっと手袋のまま。指輪でも見られたくないのかな、と思ったけど、その時は深く考えなかった。
ドラム缶の焚き火の前で暖を取ることになった。パチパチと薪の爆ぜる音がして、二人でしばらく無言で火を見てた。彼女が甘酒のカップを持とうとして、指がかじかんでうまく持てないのに気づいた。
「お前、昔から冷え性だったよな」
「うるさい、体質だもん」
ポケットに入れてた使い捨てカイロを渡した。仕事用に信金の窓口で配ってる奴だけど、その日はたまたま自分のポケットに一つ余ってた。
「あんたが持っててくれるとは思わなかった」
「営業の必需品だよ」
彼女がカイロを両手で包んで、少しだけ黙った。焚き火の炎が顔にオレンジ色の影を作ってて、俺は何か言おうか迷ってやめた。5年前の話に触れそうで触れられない。
しばらくして、彼女がぽつりと言った。
「あたし、婚約破棄してきたんだよね。今日、親に報告してきた」
「……え」
「相手、浮気してた。しかも二股。笑えるでしょ」
彼女は笑ったけど、目は全然笑ってなかった。
「実家、親戚だらけで居づらくてさ。年越しの前に出てきちゃった」
俺は何も言えなかった。言葉が見つからなくて、ただ遠くで鳴り続ける鐘の音を聞いてた。(俺が何か言う権利あるのかよ)と思う。5年前、彼女が東京に出たいって相談してきたとき、俺は仕事のストレスで連絡すら返さなかった側の人間だ。逃げたのは俺のほうだった。
(この神社、俺と毎年来てた場所なんだけどな……)とは思ったけど、彼女がそれを分かって来てるなんて、その時の俺は考えもしなかった。ただの偶然だと思い込んでた。実際は違ったんだと気づくのは、もっと後になってからだ。
「終電、もうないよね」
「とっくにないよ。あんた、始発待つの?」
「無理でしょ、この寒さ。今年一番の寒波らしいし」
彼女の泊まり先は駅前の実家が経営してる民宿らしいけど、今日は親戚が泊まりまくってて戻りたくないと言う。
「歩いて15分だけど、俺の部屋、こたつあるよ」
言ってから、自分でびっくりした。(何口走ってんだよ俺)と内心焦る。彼女は少し黙って、それからふっと笑った。
「こたつは強いね」
アパートに着いて、こたつの電源を入れた。缶チューハイを二本、冷蔵庫から出す。テレビは点けずに、遠くの除夜の鐘の音だけが窓の外から聞こえてくる。
こたつに向かい合って座って、缶を開けた。彼女の足がこたつの中で伸びてきて、冷え切ったつま先が俺の脛に触れた。
「ごめん」
「いいよ、別に」
また触れる。また「ごめん」「いいよ」の繰り返し。何回目かで、それがもう偶然じゃないのがお互いにわかってた。沈黙が続いて、こたつの中の温度だけが上がっていく気がした。
「ねえ、なんで別れたんだっけ、あたしたち」
急に聞かれて、心臓が変な動きをした。喉の奥がぎゅっと詰まる。
「……俺が、逃げたから」
初めて言葉にした。5年間、ずっと自分の中でだけ処理してきたことを、初めて口に出した。
「そうだね」
彼女はそれだけ言った。責めるでもなく、ただ確認するみたいに。
気づいたら、俺は身を乗り出してキスしてた。彼女も拒まなかった。こたつの天板に肘が当たって、缶チューハイが少し倒れそうになったのを、どっちの手で押さえたのか、もうよく覚えてない。
こたつから出られないまま、セーターの上から背中を撫でた。彼女の手が俺のシャツの中に滑り込んできて、腹に触れた瞬間、思わず変な声が出た。
「うわっ、冷たっ」
「だって、いつも通りじゃん」
彼女が笑う。
ニットを脱がせようとした途中で、パチッと静電気が鳴って、二人でびくっと同時に肩を跳ねさせた。
「今の、あんたのせい?」
「知らねえよ、乾燥してんだよこの部屋」
やっとニットを脱がせて、ブラのホックが前についてるタイプだと気づくのに時間がかかった。指が滑って、なかなか外れない。
「五年で進化しないね、あんた」
「うるさい、黙ってろ」
なんとか外して、胸に手を這わせる。付き合ってた頃より、腰まわりに少し柔らかさが増えてる気がした。指先を胸から下へ動かしていくと、強がってた彼女の息が少しずつ乱れていった。
「あの、ちょっと待って、シャワーとかは……」
「今更でしょ、いいから」
下着の上から指を這わせると、じわっと湿ってるのがわかった。昔できなかったことをちゃんとやり直したい気持ちが強くて、そのまま下着を脱がせて、こたつ布団の中で脚の間に顔を埋めた。
「え、ちょっ、待って、そんな急に……」
「待たない」
こたつの中は狭くて、身体を無理やり折り曲げるみたいな体勢になったけど、構わず舌を這わせた。指で軽く割り開いて、敏感なところを舌先で舐める。彼女の太ももにぎゅっと力が入るのがわかった。
「んっ……ちょっと、あんた必死すぎ」
「うるさい黙ってろって」
指を浅く沈めて中の様子を確かめながら、同時に舌の動きを続ける。彼女の腰が小さく浮いた。
「あ……そこ、うん……」
前もよくここを触ると弱かったのを思い出しながら、指の腹で小さく円を描くように動かす。
「ちょっ、待って、それ、まずい……」
彼女の声が上ずって、太ももが俺の頭をぎゅっと挟んだ。しばらく舌を這わせ続けると、彼女がびくっと身体を震わせて、そのまま力が抜けた。
「五年ぶりなのに、なんで覚えてんの、そういうとこ」
「忘れるわけないだろ」
「はぁ……ずるい、あんた昔よりうまくなってる……」
「五年もあれば、それなりに」
「余計なとこで成長すんな」
俺は立ち上がって、部屋の引き出しをひっくり返してゴムを探した。情けない話だけど、いつ買ったかも覚えてない箱を見つけて、期限を確認する。ぎりぎりセーフだったことに、心底ほっとした。
「何やってんの」
「ちょっと待って、ほんとに五年ぶりなんだって」
こたつ布団の上で、彼女が仰向けになった。先端を宛てがって、ゆっくり腰を進める。
「ん……」
熱くて狭くて、五年前よりずっとリアルな感触に、頭の芯がしびれた。半分くらい入れたところで一度止まって、彼女の様子を確認しながら、根元まで沈めていく。
「入った……」
「わかってる、動いていいよ」
ゆっくり腰を動かし始めた瞬間、五年ぶりの実感と、さっき聞いた婚約破棄の話が頭をよぎった。(これ、傷の埋め合わせなんじゃないか)。そんな考えが差し込んできて、腰の動きが止まった。中の感触までじわっと萎えかける。
「……どうしたの」
「いや、なんでもない」
「嘘つき。こっち見て。……鐘、まだ鳴ってるじゃん」
彼女が俺の頬を両手で挟んで、こっちを向かせた。窓の外で、遠く小さく鐘の音が続いてるのが聞こえた。それでなんとか立て直して、硬さが戻ってくる。
「ごめん、大丈夫」
「大丈夫ならちゃんと動きなよ」
腰を前後に動かす。こたつ布団との摩擦で膝が痛くなるくらい、夢中で突いた。
「あんた、そんな余裕なさそうな顔してる」
「余裕なんかあるわけないだろ、五年ぶりなんだから」
「早いって言いたいの、それ」
「言ってない、まだ言ってない……」
しばらく動いてから、彼女が体勢を変えて上になった。こたつの天板に頭をぶつけそうになりながら、彼女が腰を落として、ゆっくり上下に動かし始める。遠くの鐘の音と、彼女の吐息だけが部屋に響いてた。
「これ、いい……?」
「いい、めちゃくちゃいい」
腰を落とすたびに奥まで届く感覚があって、彼女が小さく声を漏らす。俺は下から突き上げる余裕もなくて、ただ彼女の動きに身を任せるしかなかった。
「やば、ほんとに出そう」
「え、もう?」
「五年ぶりって言ってんだろ」
言い終わる前に、あっけなく先に果てた。彼女の中で自分のものが痙攣するみたいに震えて、それだけで終わった。
「ごめん」
「なんで謝るの」
彼女が笑って、俺の胸に顔を伏せた。
「別にいいって」
行為が終わったあと、汗が冷えて急に寒くなった。こたつの中は暑いのに、外に出した足先だけ冷たい。二人でこたつ布団に染みができてないか確認するのが、なんだか間抜けだった。
「大丈夫そう、ちゃんとタオル敷いてたから」
「あんた用意してたの、いつの間に」
「言うなよ、恥ずかしいから」
シャワーは給湯が追いつかなくて、交代で浴びることにした。俺が先に出ると、彼女は俺のスウェットを着て出てきた。ぶかぶかで、袖を何回も折り返してた。
窓の外がうっすら明るくなってきてた。ベランダに出てみたけど、初日の出は建物に遮られて見えなかった。代わりに、隣のマンションの窓ガラスに反射した朝日の光だけが、ちらちら見えた。
「初日の出、見えないね」
「反射してるやつだけ」
「それでも、まあいいか」
布団に並んで寝転がって、まだ微かに聞こえる鐘の余韻に耳を澄ませてた。
「除夜の鐘って、108回鳴らすんだっけ」
「らしいな。煩悩の数だろ」
「じゃああんたの煩悩、今ので何発目まで消えた?」
「聞くなよそれ」
「あんたは絶対108じゃ足りないタイプだと思う」
「うるさい」
明け方近く、彼女がまた身体を寄せてきて、二回戦になった。今度は布団の中で、後ろから抱く形になった。
「今度はこっちからする」
背中を向けたまま、彼女が腰を少し突き出してくる。後ろから挿れると、一回目よりずっと深く入る感覚があった。ゆっくり腰を動かしながら、彼女の肩甲骨のあたりに顔を埋める。
「んっ……ゆっくりでいい……」
急ぐ理由はもうなかった。さっきみたいに慌てることもなく、彼女の身体の反応を確かめながら、じっくり動いた。密着した背中の温度が、さっきよりずっと馴染んでる気がした。
彼女が背中を向けたまま、ぽつりと言った。
「東京、もういいかも」
俺は何も返せなかった。ただ腰を動かす手を止めて、後ろから抱きしめる形で、彼女の背中にもっと密着した。快感より先に、手放したくないという気持ちが自分の中で急に自覚された。5年前、俺はこの感覚から逃げて、彼女を東京に一人で行かせた。今度は逃げたくないと思った。
しばらくして、また腰を動かし始める。今度は二人ともゆっくりで、鐘の音もすっかり止んでた。彼女が小さく息を漏らして身体を震わせたのに合わせて、俺も奥で果てた。
終わったあと、彼女の冷たい足が俺の足に絡んできた。相変わらず冷え性のままだった。
元日の昼前、二人で起きて、余ってたカップ麺を分けて食った。半分ずつ、フォークとお箸を交互に使いながら。
彼女が急に箸を止めた。
「そういえば、あたしたち、お参りしてなくない?」
「……あ」
言われて気づいた。財布を拾って、俺だとわかって、そのままの流れで甘酒の屋台に行って、賽銭を入れる前に列を離れてた。
「マジだ、忘れてた」
「何しに行ったんだろう、あたしたち」
「いや、それは、その、成り行きで……」
「じゃあ二日にやり直そう」
「二日? 明日?」
「うん。今度はちゃんとお参りする」
「いいけど」
彼女がカップ麺の汁を飲みながら、ふっと笑った。
「今度は財布落とさないから」
遠くで、まだ余韻みたいに鐘の音が聞こえた気がした。もう鳴ってるはずないのに、そんな気がした。