嫉妬って、熱いものだと思ってたんですよ。ドラマとかでよく見る、頭に血が上って「かーっ」となるやつ。
でも全然違いました。冷たいんです、あれ。指先からすーっと血の気が引いていって、体温だけ先に体の外に逃げていくみたいな感覚でした。
自己紹介させてください。26歳、都内の包装資材メーカーで営業をやってます。入社4年目、成績は中の下、なぜか得意先のおばちゃんにだけやたら好かれるタイプで、若い担当者にはあんまり刺さらない営業マンです。身長169cm、顔は自分で言うのもなんですが「可もなく不可もなく」。彼女いない歴はもう数えるのをやめました。3年は軽く超えてます。
そんな冴えない俺に、今年の春、生まれて初めて「嫉妬で指先が冷たくなる」という経験が降ってきました。しかも相手は、4年間ずっと「ただの同期」だと思ってた女友達です。
尾崎とは新人研修の初日、隣の席になったのが始まりでした。それから4年、月に一回のペースで高田馬場の安い焼き鳥屋に行くのが俺たちのルーティンです。奢り奢られなしの割り勘、仕事の愚痴を言い合うだけの飲み仲間。
断っておきますけど、恋愛感情なんて一切ありません。断言できます。
……と自分では思ってたんですが、よく考えたら俺、尾崎の注文を一回も間違えたことがないんですよね。ぼんちり塩、つくねタレ、ハツは食べない、レモンサワーは2杯まで。店員さんより詳しい自信があります。まあこれは、ただの気配り上手なだけです。多分。
とにかく、そんな「ただの同期」だった尾崎が、この春の異動で、俺と同じフロアの経理チームに来ることになりました。
異動してからの尾崎との距離感は、正直めちゃくちゃ居心地よかったです。昼はなぜか毎回コンビニのレジ前で合流するし、俺が適当に書いた経費精算書は容赦なく突き返されるし、残業してると「はい、これ奢りね」って自販機のミルクティーを渡してくる。
尾崎さんの領収書、また日付抜けてますけど。何回目ですかこれ
ごめんごめん、今度から気をつける
毎回言ってません?それ
他にも、給湯室で会うと必ず「今日の営業、どこ回ってきたんですか」って聞いてくるし、俺が得意先のおばちゃんに褒められた話をすると露骨に「またその話ですか」って呆れ顔をする。それすら楽しみにしてる自分がいたんですが、当時は全然気づいてませんでした。
正直、めちゃくちゃ楽しかったです。でもそれは全部「同期だから」で処理してました。特別な感情なんて微塵もない、と本気で思ってたんです。
4月の第2週、同期入社組で毎年恒例の花見をやることになりました。場所はいつもの代々木公園。まさかそこで、自分の中の得体のしれない感情に出くわすことになるとは、このときは想像もしてませんでした。
花見の日は天気も良くて、ビニールシートの上で缶チューハイ片手にだらだら喋る、いつも通りの緩い会でした。俺はちょっとトイレに立って、戻ってきました。それだけです。
それだけなのに、俺のシートの隣、さっきまで俺が座ってた場所に、営業成績トップの同期・田岡が座ってました。尾崎の隣で、二人で何か笑ってる。それだけの光景です。なのに、指先からすっと血の気が引いていくのがわかりました。
握ってた缶チューハイの温度が、急にわからなくなったんです。冷たいのか、もうぬるくなってるのか、感覚が全部そっちに持っていかれて、周りの音も遠くなって、尾崎と田岡の笑い声だけが変に近くで聞こえる。
(え、なんだこれ)
心臓が、冷たくなる。比喩じゃなくて、本当にそういう感覚でした。俺は結局その場に戻らないまま、「ちょっと用事思い出した」と適当な理由をつけて、早めに花見を後にしました。
帰り道、なぜか駅と逆方向に歩いてました。用もないのに、同じコンビニの前を3周くらいしたと思います。
(なんで俺、こんな気分になってんだよ……)
指先の冷たさが、ずっと抜けなかったんです。その晩は結局よく眠れなくて、翌朝、スマホに尾崎からのLINEが来てるのに気づきました。
おはようございます。経費精算、今月中に出してくださいね。督促、これで3回目です
中身はいつも通りの経費の催促、それだけです。なのに、その通常運転のLINEを見た瞬間、ものすごくホッとしてる自分がいました。
(あ、俺、これ……)
気づくの遅すぎるだろって話なんですけど、そこでようやく「これ、ただの同期に対する感情じゃないな」って自覚しました。ところがその週の金曜、俺はもっとまずいものを見てしまうことになります。
会社近くのカフェの前を通りかかったとき、窓際の席に尾崎と田岡がいました。二人で顔を寄せ合って、田岡のスマホを一緒に覗き込んでる。声をかける勇気なんて出るわけもなく、俺はそのまま何も見なかったふりで通り過ぎました。
それからの俺、我ながら本当にダサかったです。月イチの焼き鳥の誘いを「決算対応で忙しいから」って嘘の理由で2回断り、コンビニに行く時間もわざとずらす。
なんか避けてます?私
既読はつけました。返信はしませんでした。嫉妬で人を避けるとか、自分で書いてても情けないんですが、当時の俺には尾崎の顔をまともに見る自信がなかったんです。
その状況をぶち壊してくれたのは、当の田岡でした。ある日、営業フロアに来た田岡が、俺の机までわざわざやってきて、開口一番こう言ってきたんです。
「聞いてくれよ、この前尾崎さんに相談乗ってもらってさ。俺、彼女にプロポーズすんの。指輪の相場とか、女目線で色々教えてもらってた」
カフェで見たスマホの画面、あれは指輪の通販サイトだったわけです。田岡はにやにやしながら続けました。
「てかお前らさ、付き合ってんじゃなかったっけ? 花見のときだって、あれ——」
そこまで言いかけたところで、田岡は上司に呼ばれて「また今度な」とバタバタ去っていきました。中途半端に切られたその先が、妙に頭に引っかかりました。
(今、なんて言おうとしたんだ……)
残された俺の中には、安堵と自己嫌悪、それから「ああ、俺やっぱり尾崎のことが好きなんだ」っていう今更すぎる確信が同時に押し寄せてきました。田岡の言いかけたセリフの続きは気になりましたが、それより先に自分の気持ちに決着をつけなきゃいけない、そう思いました。
4月最終週の金曜、朝から降ってた雨が夜になっても止みませんでした。定時で会社を出ようとしたら、エントランスで傘を持たずに立ち尽くしてる尾崎を見つけました。
傘、忘れた?
……はい。天気予報、見てなくて
俺の傘に二人で入って、高田馬場まで歩きました。半分肩が濡れるくらいの距離感で。焼き鳥屋に着いて席につくなり、尾崎が真顔で切り出してきました。
で、なんで避けてたんですか
言い訳を用意してたはずなのに、尾崎の目を見た瞬間、全部言葉にならなくなりました。会計を済ませて店の外に出て、雨の下で、俺はやっと本音を口にしました。
花見のとき、田岡がお前の隣に座っただけで、指先が冷たくなった。心臓も、冷たくなった。多分、そういうことなんだと思う
自分で言っておきながら、なんの説明にもなってない告白でした。でも尾崎はしばらく黙ったあと、こう言いました。
……遅い。遅すぎます。研修の隣の席から、何年経ったと思ってるんですか
終電にはまだ余裕があったのに、尾崎がぽつりと言いました。
うち、来ますか。麦茶しかないですけど
中野の駅から歩いて5分、1Kのアパート。玄関に入った瞬間から、二人ともやたら敬語になってました。緊張してるのが丸わかりです。
シングルベッドの縁に並んで座って、どっちからともなくキスをしました。桜色のカーディガンのくるみボタンが小さくて、指がうまく引っかからない。もたついてる俺を見て、尾崎が小さく笑いました。
不器用ですね、営業なのに
営業とボタンは関係ないだろ
カーディガンの下から出てきた体は、服の上から想像してたよりずっと柔らかくて、正直「服の上からじゃわからなかった」って声に出してしまいました。
……言わなくていいです、それ
胸に手を這わせると、思ってたより張りがあって、掌からはみ出すくらいのボリュームがありました。指の腹で先端をなぞると、尾崎の肩がびくっと揺れて、声のトーンが少しずつ変わっていきます。敬語が崩れていく瞬間があって、それが妙に生々しかったです。
そのまま体を下にずらそうとしたら、尾崎が急に敬語に戻って手で止めてきました。
そっちは、まだ恥ずかしいので、いいです
代わりに尾崎の手が下に伸びてきて、ゆっくり撫でるみたいに触られました。指が滑るたびに変な水音がして、尾崎がそのたび気まずそうに目を逸らします。正直、かなり早い段階で持っていかれそうになって、慌てて別の話をして誤魔化しました。
避妊具の封を切るのに、やたら時間がかかりました。
不器用か
黙っててくれ、緊張してるんだよ
正常位で、ゆっくり腰を進めていきました。尾崎の脚が自然に俺の腰に絡んできて、密着した体勢になります。中に入っていく感触に、頭の芯がぼうっとしました。(これ、本当に尾崎なのか)(4年間、月イチで焼き鳥食ってただけの相手と、今こんなことしてるのか)っていう、今更すぎる混乱がずっと抜けなくて。快感より先に、その信じられなさのほうが強くて、変な感じでした。
最初はちゃんと動けてたはずなのに、途中でふっと花見の日の田岡の顔がよぎって、そのまま集中が切れて力が抜けてしまいました。
ごめん、ちょっと待って……緊張と、その、いろいろで
……は? このタイミングで?
正直に「田岡の顔が一瞬よぎった」と白状したら、尾崎が盛大に吹き出しました。
まだ嫉妬してるんですか。バカじゃないの
笑われたことで変に力が抜けて、そこから持ち直しました。もう一度、密着した正常位で始めると、さっきより落ち着いて、尾崎の体温がちゃんと伝わってきます。花見のあの日から冷たいままだった指先が、尾崎の肌に触れているうちに、少しずつ溶けていく感覚がありました。
ね、今は田岡くんの顔、一ミリもよぎってないでしょ
よぎってない、全然
尾崎が俺の背中に腕を回して、耳元でぼそっと言いました。
4年分だからね。今日のは、全部4年分
その一言で、腰の動きが自然と速くなりました。尾崎の呼吸が乱れて、シングルベッドが軋む音と、俺たちの息だけが部屋に響きます。抱き合う形のまま、俺の中で何かが決壊しました。体を離す拍子に、勢いよく頭をヘッドボードにぶつけて、二人でしばらく悶絶しました。
タオルで汗を拭き合って、尾崎が冷蔵庫から麦茶を持ってきてくれました。「麦茶しかないけど」の通り、本当に麦茶しかありませんでした。シングルベッドに二人で無理やり収まって、少し眠って、明け方また目が覚めました。
今度は横向きで、後ろから尾崎を抱く形で、もう一度。動きはゆっくりで、さっきみたいな焦りはもうありませんでした。ただ、1回目のときの「信じられない」という気持ちが、いつの間にか「もう誰の隣にも座らせたくない」って独占欲に変わってることに、自分でも驚いてました。
朝になって着替えがないことに気づき、尾崎が大学のサークルのロゴが入った、やたら大きいTシャツを貸してくれました。
これ、なんのサークル
聞かないでください、黒歴史なので
シーツを一緒に洗濯機に放り込んで、部屋干しの匂いが漂う部屋で、二人で麦茶を飲みました。
日曜の朝、麦茶を飲みながら、尾崎がさらっと爆弾を落としてきました。
花見のときのあの席、田岡くんに「ちょっと隣座ってて」って頼んだの、私だからね
は?
あなたが全然自分の気持ちに気づかないから、揺さぶってみようと思って
絶句してる俺に、尾崎はやけに得意げな顔で続けました。
4年待った女を舐めないでよね
嫉妬は冷たい。でも、解けたあとは多分、一生あったかいんだと思います。
……いや、これはさすがに、書いてて自分で恥ずかしくなってきました。