会社の慰安旅行、手違いで相部屋になった先輩と過ごした温泉の夜

12月の第2金曜、会社の慰安旅行で群馬の四万温泉に行った。

コロナでずっと止まってた社員旅行が、今年から一泊二日で復活した。バス2台で県境を越えて、着く頃には雪がちらついてた。うちの会社、そういうのだけは律儀に元に戻すんだなと思いながら、私は窓際の席でずっとスマホを見てた。周りは久しぶりの社員旅行にはしゃぐ人と、面倒くさそうな顔の人と半々だった。私はどちらかというと後者で、正直日帰りでよくない、って思ってた口だった。

自己紹介が遅れたけど、私は佐藤智(さとう・さと)、26歳。建材商社の経理事務で、入社4年目。身長153センチ、社内で一番影が薄い自覚がある。飲み会では隅で烏龍茶を握ってる係で、誰かに話しかけられることもほぼない。最後に彼氏がいたのは3年前で、それ以来、恋愛の勘みたいなものは完全に錆びついてる。経験人数は2人。多いとか少ないとか、比べる相手すらいない。名簿上、下の名前の「智」は性別が分かりにくいらしくて、それが今回、地味に事故の引き金になった。

あの夜のことは、いまだに部署の誰にも言ってない。多分これからも言わない。でも自分の中で整理しないと、なんか一生このままモヤモヤしてる気がするので書く。

バスの中で思い出してたのは、営業部の先輩のことだった。5歳上で、部署は違う。身長181センチ、元ラグビー部で肩幅ががっしりしてる人。本人は「最近ちょっと腹出てきたんだよな」って気にしてるけど、経理から見たらそれもまだ全然がっしりの範囲内だった。経費精算の締め切りをほぼ毎月破っては、経理に謝りに来る人。「すみません、また出しちゃいました……」って眉下げて言うのが、なんか毎回律儀で憎めなかった。声が低くて通るのと、笑うと目尻に皺が寄るのが印象的で、正直それだけで許してた部分はある。経理としては失格かもしれない。

社内の人はみんな私のことを「佐藤さん」って苗字で呼ぶ。会社に佐藤が私しかいないから、それはそれで楽なんだけど、逆に言うと誰も下の名前を覚えてくれない。名簿を見た初対面の人には大体「智さんって、男の人かと思ってました」って言われる。慣れてる。

その先輩だけが違った。初めて経費精算の窓口で顔を合わせたとき、伝票の名前を見て「智さんって読むんだ、いい名前」って言った。それだけ。多分本人はもう覚えてもない一言だと思う。でも私はずっと覚えてた。社内で唯一、私の下の名前を正しく読んでくれた人。それだけの関係のはずだった。バスの中、先輩は後ろの方の席で同僚と大声で喋ってて、私とは席も遠いし会話もなかった。窓の外の雪を見ながら、(今日一日、誰とも喋らずに終わるかもな)ってぼんやり思ってた。

宿に着いてすぐ、幹事が部屋割りの紙を配った。私は自分の名前を見て固まった。男性部屋の欄、5号室に「佐藤智」ってある。

「え、これ間違ってません?」って幹事に聞きに行ったら、幹事の顔がみるみる青くなった。「すみません、総務から引き継いだ名簿そのまま使っちゃって……智さんって、システム上男性区分になってたみたいで」って。女性部屋はもう3人ずつ埋まってて、追加の布団を入れる余地がない。しかも今日から大雪予報で、この時期は忘年会シーズンとも重なって、宿は全館満室。他の宿に移動する車も出せない。幹事が「今からじゃもうどうにも……」って半分泣きそうな顔で謝ってくるので、こっちが恐縮した。

5号室が、あの先輩の部屋だった。

「え、俺の部屋?」先輩がやってきて紙を覗き込んで、状況を理解するのに数秒かかったみたいだった。周りがざわつく中、先輩がひとつ提案してくれた。

「俺の部屋、和洋室で襖で仕切れるから。ベッド側は俺が使うし、佐藤さんが布団側でいいなら、それで。嫌ならロビーのソファで寝るし、俺は全然どっちでも」

その場の空気的に、断ったらむしろ気を遣わせる感じだった。私は断り方がわからなくて、結局頷いた。(なんで一番影が薄い私が、こんな目立つ事故に遭うの……)と内心思いながら。周りの人たちも「じゃあそれで」みたいな空気で解散していって、気づいたら私だけが取り残されたみたいに廊下に立ってた。

夜、大宴会場での飲み会が始まった。私はいつも通り隅の席で烏龍茶を握ってて、先輩は上座近くで盛り上げ役をやってた。営業部の若手にお酒を注がれて、笑って場を回してる先輩を見ながら、(普段の顔だ)って思った。一度だけ目が合ったけど、お互い会釈しただけで何もなかった。あの部屋割りのことなんて、なかったことみたいな空気だった。宴会が終わって部屋に戻ると、襖はきっちり閉まってて、向こうから声だけかかった。

「風呂、先行っていいよ。俺はまだ荷物整理あるから」

時間差で露天風呂に入った。雪がちらつく中の露天は、正直めちゃくちゃ気持ちよかった。部屋に戻ると、襖の向こうから缶チューハイと温泉まんじゅうがすっと差し入れられた。

「これ、詫び。今日は部屋のことで巻き込んで悪かったから」

断る理由もないので、襖を開けたまま少し飲むことになった。先輩の営業先でのしくじり話や、経理への未提出言い訳のバリエーション(「PCが壊れた」「上司に取られた」「猫が踏んだ」)を聞いて、普通に笑ってしまった。営業と経理でこんなに普通に話せる日が来るとは思ってなかった。

外は雪が強くなって、窓がガタガタ鳴ってた。お酒も入ってたせいか、私はつい踏み込んだことを聞いてしまった。

「先輩ってなんで、私の名前ちゃんと読めたんですか」

先輩が一瞬黙った。それから、少し目を逸らして言った。

「……もう寝よう。明日も顔合わせるんだから」

そう言って、先輩の方から襖を閉めた。私は理由がわからないまま、布団の中で悶々としてた。(やっぱり変なこと聞いちゃったな、迷惑だったんだろうな)って、勝手に納得して勝手に落ち込んだ。実際は多分、先輩が自分を止めてただけだったんだと思う。でもその時の私にそれを見抜く経験値はなかった。

深夜2時くらい、暖房の効きが悪い布団側で寒さに耐えかねて目が覚めた。廊下の自販機まで行こうと襖を開けたら、ベッド側の先輩も起きてた。

「眠れない?」

廊下も冷え切ってて、大雪でロビーの暖房も弱まってるらしかった。戻ってきて、そのまま襖を開けたまま布団とベッドの境目あたりで話し込むことになった。私が「指先、冷たくて」って何気なく言ったら、先輩が両手で包んでくれた。そこから、しばらく無言になった。

「……ごめん、さっき襖閉めたの、迷惑だったからじゃないよ」

その一言で、さっきまでの誤解が全部ひっくり返った気がした。

キスは先輩からだった。私も止めなかった。唇が離れたところで、先輩がもう一度確認してきた。

「明日、普通の顔できる自信ある?」

「ないです。ないけど、いいです」

自分の口から出た言葉なのに、自分でびっくりした。でも撤回する気にはならなかった。二人で布団に入った。

冷たかった指先を握られたままキスして、それから首筋に唇が落ちてきた。浴衣の上から胸に触れられて、体がびくっと反応した。Cカップの胸を布越しに包まれる感触に、(さすがに慣れてないな私)って自分で自分に突っ込みたくなった。帯をほどこうとして、先輩が「あれ、これどうなってんの」って結び目と格闘し始めた。私が着るときに適当に結んでたせいで、変な団子結びになっててなかなかほどけない。しばらく二人でもたついて、最後は先輩が「これもう、力技でいい?」って苦笑いしながら解いた。緊張がふっと緩んだのはそのおかげだったかもしれない。

浴衣が肩からずり落ちて、素肌に直接触れられ始めると、今度は笑ってる場合じゃなくなった。指でゆっくり愛撫されてるあいだ、私はずっと体が強張ってた。最後の彼氏と別れてから3年、その間ずっと錆びついてた体は、思うようにうまく力が抜けてくれない。気持ちいいはずなのに、それより「これ現実?」「明日から経費精算の窓口でどんな顔してこの人と話せばいいの」っていう混乱の方が先に来た。先輩が「力抜いて大丈夫だよ」って耳元で言うんだけど、抜こうとすればするほど余計に力が入る、あの厄介な感じだった。

お返しに私も手と口で触れてみたけど、久しぶりすぎて加減がわからなくて、先輩に「歯、歯」って笑われた。恥ずかしくて顔が上げられなくて、(3年もブランクあると口の使い方まで忘れるんだ)って変なところで実感した。先輩は「下手とかじゃなくて、なんか一生懸命なのが逆にやばい」ってフォローになってるのかわからないことを言ってきた。

先輩が財布から出したのは一個だけのゴムだった。

「期待してたわけじゃなくて、ほんとに。……いや、ちょっとはしてたかも」

その言い訳が可笑しくて、また少し空気が緩んだ。大雪と手違いのせいにしていいのかな、って自分に言い訳しながら、私は覚悟を決めた。

正常位で挿入されるとき、隣の部屋に響かないよう先輩の肩口に顔を押し付けて声を殺した。久しぶりすぎて、痛みと圧迫感が半々くらいで、頭の中は快感より「本当にこんなことになってるんだ」っていう他人事みたいな感覚でいっぱいだった。窓の外で風がびょうびょう鳴ってて、その音に紛れて自分の息が漏れる。先輩が「大丈夫?」って動きを止めて聞いてくるたびに、私は声を出さずに頷くしかなかった。

隣の部屋との壁は思ったより薄そうで、そのことばかり気になって、正直快感どころじゃない瞬間もあった。先輩の肩は思った以上に厚くて、顔を埋めると視界が真っ暗になる。がっしりした体の重みが乗ってくるたび、(元ラグビー部ってこういうことか)って場違いなことを考えてしまう自分がいた。

途中、私の左足が急につった。

「足つりました、ごめんなさい、ちょっと待って」

情けない申告だった。先輩が慌てて動きを止めて、「え、大丈夫?」ってふくらはぎを伸ばしてくれた。こんな状況で足がつるとか想像もしてなかったし、正直恥ずかしすぎて消えたかった。痛みが引くまで二人で無言で待つ数十秒、なぜか変な連帯感があった。

「体勢変える?」って先輩が聞いてきて、横向きの背面側位になった。体格差のせいで、背中がすっぽり先輩に覆われる感じがして、なんか安心した。がっしりした腕の中で、快感より先に「これ現実?」がまだ頭の隅に残ってた。3年ぶりの感覚に体は追いついてないのに、頭だけが妙に冷静に「明日普通に会社行けるのかな」って考えてる。そのちぐはぐさがおかしくて、内心少し笑いそうになったくらいだった。最後は先輩が声を噛み殺すみたいにして、短く息を止めて終わった。1回戦だけで、その日はそれで終わりだった。

汗で浴衣がぐしゃぐしゃになってて、布団のシーツも半分めくれてた。しばらく二人とも動けずに天井を見てて、先に口を開いたのは私だった。「あの、お風呂、もう一回入り直してきていいですか」って聞いたら、先輩が笑いながら「どうぞ」って言った。時間差でもう一度深夜の内湯に入り直して、戻る途中の自販機でいろはすを買って半分こした。冷たい水が変に美味しくて、それだけで少し現実に戻れた気がした。

部屋に戻ると、先輩が布団を几帳面に敷き直してるのが見えた。しわを伸ばして、枕の位置まで揃えてる。(几帳面なのそこなんだ)と思って、なんか笑いそうになった。がっしりした見た目のわりに、細かいところが妙に律儀な人だった。経費精算はあんなに雑なのに、と思ったけど口には出さなかった。

翌朝、朝食会場で幹事に「昨日ほんとすみませんでした!」って大声で謝られた。私と先輩は完璧に他人の顔をして、「いや全然大丈夫でしたよ」って口を揃えた。でも味噌汁の味が全然しなかった。目の前で先輩が普通に納豆をかき混ぜてるのを見ながら、(昨日の今日でその顔できるのすごいな)って半分感心してた。

帰りのバスは大雪の峠でノロノロ運転になった。窓の外は真っ白で、いつもなら2時間くらいのはずが倍近くかかった。先輩とは行きと同じで席も遠くて、会話らしい会話はなかったけど、休憩のサービスエリアで缶コーヒーを渡されたときだけ、少し目が合って笑った。

解散した駅のホームで、みんなが三々五々散っていく中、先輩に声をかけられた。

「今度、旅行とか関係なく飯行かない」

私は頷いた。それ以外の返事が思いつかなかった。(社内で一番影が薄い私が、まさかこんな展開になるとは)って、帰りの電車の中でもまだ信じられなかった。

年明け、初デートの帰り道だった。先輩が急に歩みを緩めて言った。

「あのさ、怒らないで聞いてほしいんだけど……あの部屋割り、半分は手違いじゃないんだよね。名簿のミスに気づいたとき、幹事に黙っててって頼んだの俺」

「は??」

雪はもうやんでたけど、私の頭の中は完全にまた大雪だった。


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