夏の山は、息が詰まるほど青い。
西武線を乗り継いで、終点でバスに揺られて、さらに谷の奥へ。窓の外を、濃すぎる緑が流れていく。蝉の声が、ガラス越しでも耳に刺さるくらい、降り注いでいた。十年ぶりの故郷は、私が覚えているより、ずっと暑かった。
私、葉山澪(はやま みお)、二十八歳。都内の食品メーカーで、商品企画をしている。コンビニの棚に並ぶデザートの、味や見た目を考える仕事だ。新作の会議で、何百という案を出して、何百と却下されて、気づけば自分が「おいしい」と思う感覚が、どこにあったのか、わからなくなっていた。
帰ってきたのは、里心がついたからじゃない。この冬に亡くなった祖父の——葉山杢造(もくぞう)の、氷室(ひむろ)を、片づけるためだ。
祖父は、この谷で天然氷を作っていた。真冬、山の湧き水を氷池に張って、何日もかけて自然に凍らせる。十センチ、十五センチと厚みが育った氷を切り出して、おがくずを敷き詰めた土の蔵——氷室に積み上げ、夏まで眠らせる。そうして、いちばん暑い盛りに、削って、かき氷にして出す。一年のほとんどを、冬の仕込みと、氷の番に費やす仕事だった。
その祖父が、もういない。母から「氷室は閉めて、土地は手放すことになった」と聞いたとき、私は、ほっとした自分を、少しだけ恥じた。誰も継がない仕事を、無理に抱え込まなくていい。それでいいはずだった。
1. まだ、灯りがついていた
バスを降りて、舗装の途切れた坂道を上る。
汗が、背中を伝う。日傘の下でも、肌がじりじりと灼ける。子どもの頃は、この坂を駆け上がるだけで、谷じゅうに自分の足音が響くのが楽しかった。今は、キャリーケースの車輪が、砂利に何度も引っかかって、うまく進まない。
坂の途中、杉木立に半分隠れるように、祖父の氷室はあった。土を盛った、塚のような蔵。その手前に、トタン屋根の作業小屋。記憶のままの佇まいに、胸の奥が、きゅっとなる。
葉山澪(……もう、誰もいないはずなのに)
おかしい、と思った。小屋の軒先に、藍色の暖簾がかかっている。『天然氷』と白く染め抜かれた、見覚えのない暖簾。そして、開け放した戸の奥から、しゃり、しゃり、と——氷を削る、規則正しい音が、聞こえてきた。
足が、勝手に止まった。
祖父はもういない。氷室は閉めると聞いた。それなのに、この音は。
私は、吸い寄せられるように、暖簾をくぐった。ひんやりとした空気が、熱で火照った頬を、ふいに撫でる。薄暗い小屋の真ん中、一台の古い手回しの氷削り器に向かって、ひとりの男の人が、背を丸めて座っていた。
逆光で、顔は見えない。けれど、その背中の輪郭に、私の心臓が、勝手に跳ねた。
葉山澪「……透、くん?」
声が、掠れた。男の人の手が、ぴたりと止まる。ゆっくりと振り返ったその顔は、十年分、大人になっていたけれど、間違えようがなかった。
真柴透「……澪ちゃん」
真柴透(ましば とおる)。隣の家の、幼馴染。最後に会ったのは、私が東京の大学へ出る、あの春だった。
2. 削る手
真柴透「……帰ってくるって、聞いてた。けど、今日だとは思わなかった」
葉山澪「透くんこそ……なんで、ここに」
透は、答える代わりに、削りかけの氷を、ガラスの器に山と盛った。真っ白に削られた氷が、ふわりと、雲みたいに膨らんでいる。そこへ、琥珀色のシロップを、ゆっくり回しかけた。
真柴透「とりあえず、食べて。話は、それから」
差し出された器を、私は、戸惑いながら受け取った。匙ですくって、口に運ぶ。
——溶けた。
冷たい、と感じる間もなく、舌の上で、氷がほどけて消えた。きんと尖った冷たさじゃない。ふんわりと軽くて、頭が痛くならなくて、後から、まろやかな甘みだけが残る。私が、仕事で何百と試作してきた、どんなデザートとも違った。
葉山澪「……なに、これ」
真柴透「杢造さんの、最後の氷。この冬、いちばん冷えた朝に張った、いちばんいい氷だよ」
その一言で、喉の奥が、ぐっと詰まった。
これは、祖父が遺した氷だ。私が片づけに来た、そのものだ。なのに、こんなにも、生きている。
透の手元を、私は、思わず見ていた。氷の塊を、刃に押し当てて、ハンドルを回す。しゃり、しゃり、と、迷いのない音。手首の角度、力の抜き具合、ぜんぶが、滑らかだった。祖父の手つきに、よく似ていた。
葉山澪(……ずっと、見てられる)
そう思ってしまって、自分で、少し驚いた。
3. 閉める、という話
作業小屋の縁側で、私たちは、向かい合って座った。
透が、いまここにいる理由は、単純で、そして、簡単じゃなかった。彼は高校を出てから、祖父に弟子入りしていた。両親には反対されたけれど、どうしても、この氷を作る仕事がしたかったのだと言う。祖父が秋に倒れてからは、ひとりで氷室の番を引き受けてきた。
真柴透「杢造さん、最後まで、氷のこと気にしてた。『今年の氷を、ちゃんと売り切ってやってくれ』って。……だから、俺は、この夏が終わるまでは、ここを開けるって決めてる」
葉山澪「でも……氷室は、閉めるんでしょう。土地も、手放すって」
真柴透「うん。聞いてる」
葉山澪「なら……」
なら、なんで。続けても、無駄じゃないの。喉まで出かかった言葉を、私は、飲み込んだ。透の横顔が、あまりにも静かだったから。
真柴透「澪ちゃんは、片づけに来たんだよね」
葉山澪「……うん。蔵の中のもの、整理して。業者さんに引き渡す段取りも」
真柴透「そっか」
透は、それ以上、何も言わなかった。責めるでも、引き止めるでもなく、ただ、夏の谷の向こうを、見ていた。その横顔を見ていたら、なぜだか、私のほうが、落ち着かなくなった。
葉山澪「……あのね。私、明日から、何日か、こっちにいるの。蔵を、見ないといけないから」
真柴透「うん」
葉山澪「だから……手伝う。氷のこと、わからないけど。片づけのついでで、いいなら」
言ってから、しまった、と思った。ついで、なんて。透の氷を、片手間みたいに言ってしまった。
でも透は、ふっと、口元をゆるめた。十年前と、同じ笑い方だった。
真柴透「ありがとう。……助かる」
その笑顔に、胸の奥が、また、小さく跳ねた。
4. 氷室の底
翌朝、透に連れられて、私は、はじめて氷室の中に入った。
重い木戸を開けると、むわりとした夏の熱気が、ふっと途切れた。一歩、土の階段を下りるごとに、空気が冷たくなっていく。外は三十度を超えているのに、蔵の底は、ひんやりと、十度もない。
葉山澪「……うそ。こんなに、涼しいの」
真柴透「土と、おがくずが、氷を守ってる。電気は、一切使ってない。ぜんぶ、自然の力」
暗がりに目が慣れてくると、おがくずの山の中に、青みがかった氷の塊が、いくつも眠っているのが見えた。冬の山から切り出された、祖父の最後の氷。透が、そっと一塊を掘り出して、私の手のひらに、欠片をのせた。
葉山澪「……冷たい」
真柴透「澪ちゃん、見て。透き通ってるだろ」
氷を、薄暗い灯りにかざす。気泡ひとつなく、向こう側が、青く澄んで見えた。ゆっくり時間をかけて凍らせた氷は、こんなにも、純粋になるのだという。
狭い蔵の中、透と、肩が触れそうな距離だった。彼の吐く息が、冷たい空気の中で、白く、ほどけていく。普段は意識しない、人の体温みたいなものが、この寒さの中だと、やけに近く感じられた。
葉山澪(……近い)
そう思った瞬間、透が、ふいに、私の手元に屈み込んだ。氷の欠片が、溶けて、私の指の間から滴りそうになっていたのを、彼の手が、下から、そっと受け止める。
真柴透「溶ける。もったいない」
葉山澪「……っ、ごめん」
触れた指先が、氷より、ずっと冷たかったはずなのに。私の頬だけが、熱を持っていた。
5. 茶屋の富江さん
午後、私は、削った氷を保冷箱に詰めて、透の軽トラの助手席に乗った。谷を下りた集落の入り口に、『氷』と書かれた赤い旗の立つ、古い茶屋がある。
富江「あら——! 澪ちゃんじゃないの。まあまあ、大きくなって」
暖簾の奥から出てきたのは、富江(とみえ)さんだった。私が子どもの頃から、この茶屋でかき氷を出している、もう七十近いおばあさん。祖父の、古い友人でもある。
富江「杢造さんの孫が、帰ってきてくれたのねえ。透くん、よかったねえ」
真柴透「富江さん、それ、違うから」
富江「なにが違うのよ。ねえ澪ちゃん、この子ねえ、あんたが東京で頑張ってるって聞くたびに、嬉しそうな、寂しそうな、変な顔してたのよ」
真柴透「……富江さん」
透が、珍しく、言葉に詰まっている。耳が、少し赤い。私は、思わず、富江さんの顔を見返した。
葉山澪「……そう、なんですか」
富江「そうよう。氷室を一人で守ってるのも、半分は杢造さんのため、半分はね——」
真柴透「富江さん。氷、溶けるから。早く中、入れよう」
透が、半ば強引に、話を切った。保冷箱を抱えて、ずんずん茶屋の奥へ運んでいく。その背中を見送りながら、富江さんが、私に、こっそり耳打ちした。
富江「あの子はね、不器用なの。十年、待ってるのよ。氷より、辛抱強いんだから」
その言葉が、午後の暑さの中で、なぜだか、いつまでも、溶けずに残った。
6. 夕立
その日の夕方、谷に、いきなり夕立が来た。
ぽつ、と来たと思ったら、次の瞬間には、滝のような雨。私と透は、氷室の手前の作業小屋へ、慌てて駆け込んだ。トタン屋根を、雨粒が、ばらばらと激しく叩く。逃げ遅れて、二人とも、肩や髪が、しっとりと濡れていた。
葉山澪「……すごい雨」
真柴透「山の夕立は、急だから。すぐ止むよ」
軒先に並んで、ただ、雨を見ていた。土の匂いと、濡れた杉の匂いが、立ちのぼってくる。蝉の声が、雨に押されて、ふっと静かになった。
濡れた前髪が、頬に張りついていた。透が、ふと、手を伸ばして、それを、指先で、よけてくれた。
真柴透「……風邪、ひくなよ」
葉山澪「っ……」
触れられたところが、熱い。私は、とっさに、顔を背けた。期待してる、なんて、思われたくなかった。けれど、心臓は、私の言うことを、ちっとも聞いてくれない。
葉山澪「……ねえ、透くん。聞いていい?」
真柴透「ん」
葉山澪「氷室、閉まったら……透くんは、どうするの」
透は、すぐには答えなかった。雨の向こうの、暮れていく山を、じっと見ていた。
真柴透「……わかんない。たぶん、町に出て、どっかで、働くんだろうな」
葉山澪「氷の仕事は」
真柴透「ここじゃなきゃ、できない。あの湧き水と、あの寒さと、杢造さんの氷池が、なきゃ」
淡々とした声だった。なのに、その一言一言が、私の胸を、静かに抉った。手放す、と決めたのは、私の家のほうだ。私の「ほっとした」が、この人の行き場を、奪おうとしている。
そのことに、私は、ようやく、気づきはじめていた。
7. 祖父の帳面
雨が上がった夜、私は、氷室の脇の物置で、祖父の帳面を見つけた。
何十年分もの、氷の記録。何月何日、気温が何度で、氷が何センチ育ったか。几帳面な字で、びっしりと書き込まれている。その最後のほうのページに、見慣れない、別の筆跡が混じりはじめていた。
透の字だった。祖父が倒れたあとの、この冬の記録。寒い朝の、氷池の温度。氷の厚み。そして、ページの隅に、小さく——『杢造さんに、教わったとおりに。今年も、いい氷ができました』と。
涙が、ぽろ、と帳面に落ちた。
帳面を抱えて小屋へ戻ると、透が、洗い物をしていた。私の顔を見て、彼が、手を止める。
真柴透「……どうした」
葉山澪「透くん。なんで、教えてくれなかったの。こんなに、ちゃんと、おじいちゃんの氷を、継いでくれてたこと」
真柴透「……継いだ、なんて、言える立場じゃないよ。氷室は、閉まるんだから」
葉山澪「でも!」
声が、震えた。
葉山澪「でも、こんなにいい氷、富江さんも、町の人も、待ってるんでしょう。私が食べたあの一杯、世界でいちばん、おいしかった。それを……私が、なかったことに、しようとしてた」
真柴透「澪ちゃんのせいじゃない」
葉山澪「私のせいだよ。私が、ほっとしたから。継がなくていいって、思ったから」
透が、濡れた手のまま、私の前に来た。まっすぐに、私を見た。逃げ場のない、優しい目だった。
真柴透「……澪ちゃんが帰ってきてくれて、俺、ほんとは、すごく嬉しかった。氷を、見てもらえるって。誰かに、繋げられるかもって。……ずるいよな。閉まるって決まってるのに、そんなこと、期待して」
ずるいのは、どっちだろう。私は、もう、この人を、この氷を、手放したくなくなっていた。
8. 二人のかき氷
その夜、透が、もう一度、氷を削ってくれた。
蝉も寝静まった、深い夜。作業小屋の電球の下で、しゃり、しゃり、と、氷の音だけが響く。器に盛られた白い山に、今度は、シロップをかけずに、ただ、塩をひとつまみ。
真柴透「何もかけないのが、いちばん、氷の味が、わかるんだ」
匙ですくって、口に入れる。ほのかな甘さと、湧き水の、清らかな味。ほんとうに、雪を食べているみたいだった。冷たいのに、心の、いちばん熱を持ったところが、すうっと、ほどけていく。
葉山澪「……ねえ、透くん」
真柴透「ん」
葉山澪「私、明日、業者さんに、電話するの、やめる」
真柴透「……え」
葉山澪「片づけ、しない。手放さない。……この氷室、残せないか、本気で、考えてみる」
透が、目を見開いた。匙を持つ手を、止めたまま。
葉山澪「私、仕事で、デザートのこと、ずっとやってきた。だから、わかる。これは、残さなきゃいけないもの。誰かが、繋がなきゃいけないもの。……それに」
真柴透「それに?」
葉山澪「透くんを、町に行かせたく、ない」
言ってしまってから、頬が、燃えるように熱くなった。氷を食べているのに、ちっとも、冷えない。
透が、ゆっくりと、器を置いた。私のほうへ、にじり寄ってくる。電球の光の中で、彼の目が、まっすぐに、私を捉えていた。
真柴透「……それ、氷室のため? それとも」
葉山澪「っ……」
真柴透「澪ちゃん。ちゃんと、聞かせて」
逃げられなかった。逃げたくも、なかった。
葉山澪「……透くんが、好き。十年前から、ずっと、心の隅に、いた。……今日、削る手を見て、思い出しちゃった。私、この人が、好きだったんだって」
蝉しぐれの、止んだ夜だった。
9. 氷の蔵で
透の手が、私の頬に、そっと添えられた。
真柴透「……俺も。ずっと、好きだった。澪ちゃんが、東京に行ってからも。たぶん、その前から、ずっと」
顔が、近づいてくる。私は、目を閉じた。重なった唇は、氷を扱う人の手と同じで、ひんやりと、けれど、その奥に、確かな熱があった。一度離れて、もう一度、今度は、深く。透の腕が、私の背中に回って、ぎゅっと、引き寄せられる。
葉山澪「ん……っ」
息が、上がる。十年分の距離が、唇から、じんわりと、埋まっていくみたいだった。
真柴透「……澪ちゃん。蔵、来る?」
葉山澪「……うん」
涼しい場所が、いい。火照った体を、隠したかった。私たちは、手を繋いで、氷室の木戸を開けた。土の階段を下りると、青い氷の眠る、静かな冷気が、私たちを包んだ。
おがくずの上に敷いた、清潔な茣蓙(ござ)。その上に、透が、私を、そっと横たえた。覆いかぶさってくる体の重みに、胸が、いっぱいになる。
真柴透「……寒くない?」
葉山澪「ううん。……透くんが、あったかいから」
透の指が、私のブラウスのボタンを、一つずつ、外していく。ぎこちないのに、丁寧な手つき。素肌が、ひんやりした空気に触れて、私は、小さく身を震わせた。あらわになった胸に、透が、そっと唇を寄せる。
葉山澪「ん……っ♡」
冷たい蔵の中で、彼の唇だけが、熱かった。やわらかく食まれて、舌で、先を転がされて、背中が、ぞくりと跳ねる。
真柴透「……澪ちゃんの肌、白いな。氷みたいだ」
葉山澪「やっ……恥ずかしい……っ♡」
胸の先を、指の腹で、くるくると撫でられて、私は、透の腕に、ぎゅっとしがみついた。氷の番をする、その大きな手が、私の体の、いちばん柔らかいところを、ゆっくりと辿っていく。
真柴透「……ここも、触っていい?」
葉山澪「……うん……っ。優しく、して……」
スカートの奥へ、透の指が、そっと忍んでくる。
くちゅ、と。
葉山澪「ひゃ……っ♡」
真柴透「……もう、こんなに、濡れてる」
葉山澪「言わないで……っ♡ 氷、削ってる時から……ずっと、変だったの……っ♡」
恥ずかしくて消えたいのに、透の指は、どこまでも優しかった。敏感な突起を、指の腹で、ゆっくりと撫でられて、冷たい蔵の中なのに、私の体だけが、どんどん熱くなっていく。
くちゅ……くちゅ……
葉山澪「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡」
真柴透「気持ちいい?」
葉山澪「いい……っ♡ 気持ち、いいの……っ♡」
指が、ゆっくり、中へ入ってくる。
ずぷ……っ
葉山澪「ん……あぁ……っ♡」
とろとろになった中が、きゅうっと、指を締めつけた。胸の先と、下の突起と、中を、同時に可愛がられて、私は、もう、何も考えられなくなった。
くちゅくちゅくちゅっ……
葉山澪「あっ♡ あっ♡ 透くん……っ♡ それ以上は……っ♡」
真柴透「いいよ。……俺の腕の中で、イって、澪」
呼び捨てにされたのが、嬉しかった。指の動きが、速くなる。私の体は、みるみる、高みへ、押し上げられていく。
葉山澪「あっ♡ あっ♡ あっ♡——っ♡♡」
びくびくっ、と腰が跳ねて、頭の中が、真っ白になった。透の腕の中で、私は、ぎゅっと体を丸めて、達した。荒い息をつく私の額の、汗ばんだ前髪を、透が、そっとよけてくれた。
真柴透「……大丈夫?」
葉山澪「……っ、うん……っ♡」
10. 溶けないもの
葉山澪「……透くんも。脱いで」
体を起こして、私は、透のシャツに、おずおずと手をかけた。氷を運んで鍛えられた、引き締まった体。脱がせ終えると、少し恥ずかしくなって、その胸に、ぺたりと頬をくっつけた。心臓が、すごい音で、鳴っていた。
葉山澪「……透くんも、緊張してる」
真柴透「……当たり前だろ。十年、好きだった子と、こうしてるんだから」
透が、私を、茣蓙の上に、もう一度、そっと横たえた。脚の間に、熱く張りつめたものが、当たる。私は、こくり、と喉を鳴らした。
真柴透「澪。……いい?」
葉山澪「うん……っ。来て、透くん」
真柴透「……ちゃんと、つけるから」
避妊具をつけて、透が、もう一度、私の頬に手を添えた。青い氷の灯りの中で、彼の目が、まっすぐ、私を見下ろしている。
真柴透「……痛かったら、言って。すぐ、止めるから」
葉山澪「うん……」
入り口に、そっとあてがって、透が、ゆっくりと、腰を進めた。
ずぷ……っ♡
葉山澪「ん……あぁ……っ♡♡」
先端が沈み込んだ瞬間、私は、透の背中に、ぎゅっと腕を回して、しがみついた。きつい。でも、とろとろに濡れているから、痛みより、満たされていく感覚のほうが、ずっと大きかった。
ずず……っ
葉山澪「あ……っ♡ 奥まで……来てる……っ♡」
真柴透「……っ、澪の中、すごく、熱い」
冷たい蔵の中で、繋がった場所だけが、燃えるように熱かった。根元まで収まって、二人とも、しばらく、動けなかった。十年の遠回りが、じんわりと、埋まっていく。
葉山澪「……透くんと、繋がってる。やっと……っ♡」
真柴透「ああ。……もう、どこにも行かせない。澪も、この氷も」
葉山澪「っ♡♡ ずるい……そういうの……っ♡」
透が、ゆっくりと、動きはじめた。
ずちゅ……ぱちゅ……
葉山澪「あっ♡ あっ♡ ん……っ♡」
最初は、私の体を気遣う、優しい律動。引くたびに切なくて、奥に届くたびに、甘い声が漏れる。私の脚が、自然と、透の腰に絡みついた。
真柴透「澪、気持ちいい?」
葉山澪「……っ♡ うん……っ♡ すごく……っ♡」
真柴透「俺も。……ずっと、こうしたかった」
その言葉に、私は、自分から、唇を求めた。繋がりながらするキスが、こんなに幸せだなんて、知らなかった。だんだんと、律動が、深くなる。奥の感じる場所を突かれるたびに、体が跳ねた。
ぱちゅ……ぱちゅ……ぱちゅっ♡
葉山澪「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 奥、当たるの……っ♡♡」
真柴透「ここ、好きだろ」
葉山澪「っ♡♡ 好き……っ♡ 透くんの、好きっ……♡♡」
それが、体のことなのか、透自身のことなのか、自分でも、わからなくなった。たぶん、どっちもだった。透が、私の脚を抱え直すと、繋がりが、さらに深くなる。
ぱちゅんっ♡♡
葉山澪「ひあっ♡♡ 深いっ……♡♡」
真柴透「澪……中、すごい締まってる」
葉山澪「だって……っ♡ 気持ちよくて……っ♡♡」
蔵の外の、夜の虫の声と、二人の息と、肌のぶつかる音だけが、青い氷の眠る暗がりに、満ちていく。私は、もう、何も考えられなかった。ただ、目の前の幼馴染が愛しくて、十年分の想いが、体の奥から、溢れてくる。
真柴透「澪……そろそろ……っ」
葉山澪「うん……っ♡ 私も……っ♡ 一緒が、いい……っ♡」
透が、私を、ぎゅっと抱きしめて、最後の律動を、速めた。
ぱちゅぱちゅぱちゅっ♡♡♡
葉山澪「あっ♡ あっ♡ あっ♡♡ イクっ……♡ 透くん、一緒に……っ♡♡」
真柴透「ああ……っ、澪……っ!」
ぱちゅんっ——♡♡♡
葉山澪「あぁぁ……っ♡♡♡」
奥で、びくびくと跳ねる透を、私の体が、ぎゅうっと締めつけながら、受け止める。二人で、同じ波に、さらわれた。荒い呼吸のまま、汗ばんだ体を、冷たい蔵の中で、ぴったりと、重ね合わせた。
葉山澪「……はぁ……っ♡ あったかい……」
真柴透「……澪」
葉山澪「ん……?」
真柴透「好きだ。……もう一回、ちゃんと言わせて。好きだ、澪」
私は、ぽろぽろと涙をこぼしながら、笑った。
葉山澪「……私も。大好き。氷室を守っててくれて、ほんとに、ありがとう」
透が、涙で濡れた私の頬に、何度も、キスを落とした。
11. 夏の、はじまり
翌朝、目が覚めると、私は、作業小屋の、透の布団の中にいた。
蔵の外へ運んでくれたらしい。隣で、透が、すやすやと眠っている。障子の隙間から、夏の朝日が差し込んで、その寝顔を、優しく照らしていた。窓の外では、もう、昨夜の虫の声はなくて、代わりに、谷じゅうに、蝉しぐれが、降りそそいでいた。
葉山澪(……夢じゃ、ないよな)
そっと頬に触れると、透の目が、うっすらと開いた。寝ぼけた目が、私を見つけて、ふにゃっと笑う。
真柴透「……おはよ、澪」
葉山澪「おはよ、透くん」
真柴透「……えへへ。ほんとに、隣にいる」
ぎゅっと抱きついてくる透を、私は、抱きしめ返した。十年、遠回りして、やっと手が届いた幼馴染。この温もりが、今、たまらなく、愛おしかった。
朝ごはんのあと、私は、東京の会社に、長い電話をかけた。退職の相談と、もうひとつ——この谷の天然氷を、会社の企画として、世に出せないか、という、無謀な提案。電話の向こうで、上司は、最初は呆れて、それから、少しだけ、面白がってくれた。
葉山澪「……ねえ、透くん。私、こっちに、残る」
真柴透「え……いいのか? 仕事は」
葉山澪「氷の仕事を、する。透くんと一緒に。会社にも、繋いでみる。富江さんの茶屋も、もっと、人を呼べるようにして。……おじいちゃんの氷、ちゃんと、未来に、残すの」
真柴透「……澪」
葉山澪「冬は、二人で、氷を張る。夏は、二人で、削る。……だめ?」
透が、くしゃっと、顔を歪めた。泣くのを、こらえている顔だった。
真柴透「だめなわけ、ないだろ。……ずっと、それを、夢に見てた」
二人で、笑い合った。
ずっと、手放すつもりで、帰ってきた。継がなくていい、楽になっていい、そう思っていた。でも、もう、わかる。手放したくないものが、私には、ちゃんとあった。祖父が遺した、青く澄んだ氷と、その氷を、十年、待っていてくれた人と。
真柴透「……なあ、澪。今年の夏、まだ、たっぷり氷があるんだ。二人で、売り切ろう」
葉山澪「うん。それで、来年は、もっと、おいしいシロップ、作る。私の、得意分野」
真柴透「楽しみだな」
障子を開けると、谷いっぱいの夏の光が、なだれ込んできた。蝉の声と、湧き水のせせらぎ。氷室の藍色の暖簾が、朝風に、ゆっくりと揺れている。
溶けてしまうものを、それでも、毎年、丁寧に作りつづける仕事。一年のほとんどを、暗くて冷たい蔵で過ごす仕事。その隣に、これからは、私がいる。
冷たい氷の匂いのする、夏のはじまり。私は、世界で一番大切な人の腕の中で、もう一度、目を閉じた。
― 終 ―