花火を作る仕事は、一年のほとんどを、暗いところで過ごす。
私、真壁灯里(まかべ あかり)、二十六歳。川沿いの小さな町で、祖父の代から続く「真壁煙火」という花火工場の、三代目見習いをしている。見習い、というのは少しずるい言い方で、本当はもう、ほとんどの玉を、私ひとりで作っている。
七月のその日も、私は作業場の薄暗がりの中で、玉貼りをしていた。火薬を詰めた玉の表面に、クラフト紙を糊で何層も貼り重ねて、乾かして、また貼る。地味で、根気のいる作業だ。窓から差し込む夏の光が、紙の埃をきらきらと舞わせている。
真壁灯里(……今年で、ちゃんと形になるといいな。この尺玉)
川開きの奉納花火が、もうすぐだった。この町で、夏のいちばん大きな行事。三百年続く川の神様への奉納で、最後に、町でいちばん大きな尺玉を一発だけ上げる。それを作るのが、代々、真壁煙火の役目だった。
父は、去年、腰を悪くして筒を担げなくなった。だから今年の打ち上げは、ほとんど私が仕切ることになっている。不安がないと言えば、嘘になる。でも、この町の夏の最後に光を上げるのが私の家だということを、私はずっと、誇りに思っていた。
汗を拭って、私は乾かしかけの玉を、そっと棚に戻した。
その人が町に帰ってきたことを、私は最初、母から聞いた。
田辺結花「灯里、聞いた? 遠野さんとこの律くん、東京から帰ってきたんだって」
幼馴染の結花(ゆいか)が、差し入れのアイスを持って作業場に転がり込んできたのは、その翌日の夕方だった。結花とは保育園からの付き合いで、私が町に残っているのと同じくらい当たり前に、彼女もこの町に残っている。
真壁灯里「……律が?」
田辺結花「そうそう。なんか、向こうで体壊したとかで。実家でしばらく休むらしいよ」
真壁灯里「……ふうん」
ふうん、と返したけれど、心臓は小さく跳ねていた。遠野律(とおの りつ)。家が川を挟んだ向かいで、小学校から中学まで、ずっと一緒だった幼馴染。十八で東京の専門学校へ行って、それきり、盆と正月にちらっと顔を見るくらいだった。
田辺結花「灯里、昔、律くんのこと好きだったでしょ」
真壁灯里「……は? なに急に」
田辺結花「えー、バレてないと思ってたの? 小六のとき、川原で花火見ながら、めっちゃ見てたじゃん。律くんの横顔」
真壁灯里「……覚えてないし」
覚えていないわけがなかった。子どもの頃、奉納花火の夜だけは、私も打ち上げを手伝わなくてよくて。律と二人、川原の石の上に並んで座って、父の上げる花火を見上げた。あの夜の、火薬の匂いと、隣の体温と、見開いた律の目に映った光を、私は、今でもはっきり覚えている。
真壁灯里「……体、壊したって。大丈夫なのかな」
田辺結花「さあ。あんまり元気はなさそうだったけど。……ね、会いに行けば?」
真壁灯里「行かないよ。仕事あるし」
そう言って、私は溶けかけたアイスを口に押し込んだ。甘さが、なぜか、舌にうまく届かなかった。
律と再会したのは、それから三日後、川原でだった。
その夜、私は試し打ちのために、川の中州へ降りていた。新しく配合した星——花火の光のもとになる、火薬の粒——の色がちゃんと出るか、暗くなってから単発で確かめる。父に頼らず一人で来たのは、たぶん、少し意地だった。
小さな筒に玉を込めて、導火線に火をつける。少し離れて、耳をふさぐ。
ひゅるるる——ぱぁんっ。
夜空に、小さな赤が、ぱっと開いた。ストロンチウムの、深い緋色。我ながら、いい色だ。私が満足して息をついたとき、川原の暗がりから、声がした。
遠野律「……灯里?」
振り返ると、堤防の上に、男の人が立っていた。痩せた肩。少し伸びた髪。街灯の逆光で、顔はよく見えない。でも、その声を、私は知っていた。十年近く聞いていなくても、間違えるはずがなかった。
真壁灯里「……律?」
遠野律「うわ、やっぱり灯里だ。……すげえ。花火、自分で上げてんの?」
律が、堤防の斜面を、おそるおそる降りてくる。近くで見た彼は、私の記憶よりずっと細くて、目の下に、濃い隈があった。それでも、私を見て笑った顔は、子どもの頃のままだった。
真壁灯里「上げてるよ。仕事だもん。……律こそ、なに、こんな時間に川原で」
遠野律「……眠れなくて。散歩。そしたら、いきなり花火上がったから、びっくりして」
真壁灯里「ごめん。驚かせた」
遠野律「ううん。……綺麗だった。さっきの赤」
ぽつりと言われて、私は、火薬を扱う手が、少し止まった。綺麗だった、と、ただそれだけ。お世辞でも、社交辞令でもなく、ほんとうに見たままを言っている、そういう声だった。
真壁灯里「……律、東京で照明の仕事してたんだよね。舞台の」
遠野律「うん。……してた。もう、辞めたけど」
真壁灯里「辞めた?」
遠野律「うん。……色々あって」
その「色々」を、私は、それ以上は聞かなかった。隈の濃い目を見ていたら、聞いてはいけない気がした。代わりに、私は、もう一発、玉を込めた。
真壁灯里「もう一個、上げるけど。……見てく?」
遠野律「……いいの?」
真壁灯里「タダだよ。幼馴染料金」
律が、ふっと、小さく笑った。私たちは少し離れて、並んで夜空を見上げた。ひゅるるる、ぱっ、と、今度は緑が開く。バリウムの、涼しい緑。その光が、隣の律の頬を、ほのかに照らした。見開いた目に、光が映っている。
——あの夜と、同じだ。
そう思ったら、胸の奥が、ことりと音を立てた。
それから、律は、ときどき作業場に顔を出すようになった。
最初は、ただの暇つぶしだったと思う。「散歩のついで」と言って、入り口の戸を開けて、所在なさげに立っている。私が「座れば」と言うと、隅の丸椅子に腰を下ろして、私が玉を貼るのを、ぼんやり眺めていた。
遠野律「……それ、何層貼るの?」
真壁灯里「尺玉だと、二十層くらい。一層ずつ乾かすから、何日もかかる」
遠野律「気が遠くなりそう」
真壁灯里「でも、ここが甘いと、上で綺麗に丸く開かないの。割れる力に負けて、いびつになる。だから、手は抜けない」
律は、ふうん、と言って、私の手元をじっと見ていた。彼の視線は、不思議と、見られていて嫌な感じがしなかった。何かを値踏みするのでも、退屈そうにするのでもなく、ただ、丁寧に見ている。たぶん、照明の仕事をしていた人の、目だった。
ある日、律が、棚に並んだ星の見本を手に取って、つぶやいた。
遠野律「……これ、火がつくと、何色になるの?」
真壁灯里「それは、銅だから、青。花火で青を出すの、いちばん難しいんだよ。温度が高いと色が飛んじゃうから」
遠野律「青かあ。……舞台でも、青はいちばん難しかった」
真壁灯里「え?」
遠野律「ムービングライトで青を作ると、客席が暗く沈むんだ。さじ加減が難しくて。……灯里と、同じこと言ってる」
そう言って、律は、初めて、自分の話を少しした。東京で、コンサートやお芝居の照明を作っていたこと。調光卓の前で、何百ものきっかけを覚えて、暗転と明転を、コンマ何秒で合わせていたこと。
遠野律「光で、空間ぜんぶの空気を変えられるのが、好きだったんだ。最初は」
真壁灯里「最初は?」
遠野律「……うん。だんだん、納期と、予算と、クレームの処理ばっかりになって。光を、綺麗だなって思う前に、トラブルがないかばっかり見るようになって。……気づいたら、何も、感じなくなってた」
私は、糊のついた手を止めて、律を見た。彼は、青い星を指先で転がしながら、寂しそうに笑っていた。
遠野律「光が好きだったはずなのに、光を見ても、何も思わなくなった。……それが、いちばん、こたえた」
その言葉が、なぜか、私の胸にも刺さった。好きで選んだ仕事で、好きなものが見えなくなる。それがどれだけ苦しいことか、私にも、少しだけ、わかる気がした。
律が来るようになって、私の作業は、目に見えてはかどった。
彼は、不器用なくせに、覚えがよかった。新聞紙を切るのも、糊を練るのも、最初はめちゃくちゃだったのに、二週間もすると、私が言わなくても、次の手を用意してくれるようになった。
真壁灯里「……律、筋いいね。煙火師、向いてるかも」
遠野律「やめろよ。火薬怖いんだから、俺」
真壁灯里「ふふ。最初の頃、導火線に火つけるとき、めっちゃ手震えてたもんね」
遠野律「……見るなよ、そういうとこ」
軽口を叩き合うのが、いつのまにか、毎日の当たり前になっていた。子どもの頃の二人に戻ったみたいで、でも、子どもの頃とは、何かが違った。
違うのは、たぶん、私だ。
律が玉を運ぶとき、その腕の筋に、つい目がいく。彼が集中して導火線を結ぶとき、伏せたまつ毛の長さに、どきっとする。「灯里」と名前を呼ばれるたびに、心臓が、ひとつ、大きく鳴る。
真壁灯里(……気づいたら、目で追ってる)
認めたくなかった。律は、傷ついて帰ってきた幼馴染で、私は、それを利用するみたいに、また好きになりかけている。そんなの、ずるい気がした。だから私は、できるだけ、いつも通りに振る舞った。
そんな私を、結花は、面白そうに見ていた。
田辺結花「灯里、最近、顔やわらかくなったよね」
真壁灯里「……そう?」
田辺結花「律くんと、毎日一緒にいるんでしょ。いいなあ。……付き合っちゃえば?」
真壁灯里「ばか。そんなんじゃないよ。律は、休みに来てるだけ」
田辺結花「ふうん。じゃあ、律くんが灯里のこと見てる目も、休みに来てるだけ?」
真壁灯里「……え」
田辺結花「気づいてないの? あの人、灯里が下向いて作業してるとき、ずーっと灯里のこと見てるよ。私が入ってきても、気づかないくらい」
知らなかった。私が彼を目で追っているとき、彼も、私を見ていたなんて。その日の作業は、ぜんぜん、手につかなかった。
七月の半ば、梅雨が明けた。
奉納花火まで、あと十日。私は連日、夜遅くまで作業場にこもって、尺玉の仕上げにかかっていた。父は、口は出すけれど、手は出せない。だから、いちばん大事な、最後の玉込めと玉貼りは、私の責任だった。
その夜、私は、疲れと焦りで、手元が狂った。割薬の配合を量り間違えそうになって、ひやりとする。火薬は、ほんの少しの加減が、命に関わる。
遠野律「……灯里。今日は、もう、やめときな」
いつのまにか後ろに立っていた律が、静かに言った。
真壁灯里「でも、間に合わない。あと十日しかないのに」
遠野律「間に合わせるために、量間違えたら、意味ないだろ」
真壁灯里「……」
遠野律「俺さ、東京で、それで失敗したんだ。間に合わせよう、間に合わせようって、自分のこと無視して走って。……気づいたら、走れなくなってた」
律の手が、そっと、私の手から、火薬の匙を取り上げた。彼の手は、もう、震えていなかった。
遠野律「灯里の花火、すごいんだよ。俺、毎日見てて思う。だから、灯里まで、壊れないでほしい」
その声が、あんまり優しくて、私は、急に泣きそうになった。ずっと、一人で背負っているつもりだった。父の代わりに、町の夏を、私が守らなきゃいけないって。そう思い詰めていた肩から、律の言葉が、すっと力を抜いてくれた。
真壁灯里「……律」
遠野律「ん?」
真壁灯里「……手伝って。最後まで。一人だと、やっぱり、不安なんだ」
言ってしまってから、甘えすぎたかと思った。でも律は、迷いなく、頷いた。
遠野律「もちろん。……つーか、もう、半分俺の花火みたいなもんだろ。これ」
真壁灯里「ふふ。なにそれ」
遠野律「だって、糊、半分は俺が練ったし」
二人で、ちょっと笑った。それから、その夜は、律に言われた通り、早めに作業を切り上げた。帰り道、川沿いの暗い道を、二人で並んで歩いた。手が触れそうで触れない距離が、くすぐったくて、苦しかった。
奉納花火の、前の夜だった。
仕掛けも、玉も、すべての準備が、ようやく終わった。明日上げる尺玉が、作業場の真ん中に、ひとつ、どんと置かれている。私の背丈の半分ほどもある、大きな玉。三代目の私が、初めて、ほとんど一人で仕上げた玉だった。
真壁灯里「……できた」
遠野律「できたな」
律と二人、その玉を、しばらく黙って眺めた。明日、これが、川の上の夜空で、町でいちばん大きな花になる。そう思うと、誇らしさと、不安と、寂しさが、いっぺんに胸に来た。
真壁灯里「……ねえ、律」
遠野律「ん?」
真壁灯里「明日が終わったら、律、どうするの。……また、東京、戻る?」
聞いてから、後悔した。期待してると思われたくなかった。でも、聞かずにはいられなかった。律は、少し黙ってから、ぽつりと言った。
遠野律「……わかんない。でも、最近、思うんだ。光って、こういうものだったよなって」
真壁灯里「こういうもの?」
遠野律「うん。締め切りも、予算も、関係なくて。ただ、暗いところに、ぱっと上がって、みんなが、わあって見上げる。……俺、それが好きで、照明やりはじめたんだった。灯里の花火、見てて、思い出した」
律が、玉に、そっと手を置いた。
遠野律「灯里は、暗いところで、ずっと、こんなすごいもの作ってたんだな。一人で。……俺、自分のことばっかりで、知らなかった」
真壁灯里「……一人じゃ、ないよ。今年は、律がいたから」
言葉が、口からこぼれた。律が、私を見た。作業場の裸電球の下で、その目が、まっすぐ私を捉えていた。胸が、痛いくらいに鳴る。
遠野律「……灯里」
真壁灯里「ん」
遠野律「明日、ちゃんと上げよう。二人の花火。……それで、その話の続き、明日の夜、していい?」
続き。それが何の続きなのか、私には、わかった。わかってしまった。だから、私は、頷くことしか、できなかった。
奉納花火の夜が、来た。
川原は、夕方から、町じゅうの人で埋まっていた。浴衣の親子連れ、屋台の灯り、川を渡る風。私は、打ち上げ場のある中州で、最後の点検に追われていた。何十本もの筒が、夜空に向かって並んでいる。その横で、律が、配線を確かめていた。
田辺結花「灯里——! 律くんも! がんばってー!」
堤防の上から、結花が手を振っている。私は、汗だくの顔で、手を振り返した。
やがて、日が落ちた。神主さんの祝詞が、川風に乗って流れてくる。奉納花火の、始まりだ。
最初は、単発の打ち上げから。私が玉を込め、律が、合図に合わせて、点火していく。ひゅるるる、ぱぁんっ。赤。緑。黄。一発ずつ、夜空に、大きな花が開く。川面に、その光が、ゆらゆらと映り込む。
遠野律「……すげえ。灯里、これ、ぜんぶ灯里が作ったのかよ」
真壁灯里「半分は、律が糊練ったでしょ」
遠野律「……だな」
息の合った二人の作業で、花火は、次々と上がっていった。スターマインが、立て続けに夜空を埋める。観客の歓声が、川を渡って、中州まで届いてくる。律の横顔が、花火の光で、赤くなったり、緑になったり、青くなったりした。その目が、子どもの頃みたいに、きらきらと、光を映している。
真壁灯里(……律、笑ってる)
東京で、光を見ても何も感じなくなったと言っていた人が、今、私の花火を見て、心から笑っている。それが、どうしようもなく、嬉しかった。
そして、いよいよ、最後の一発。
町でいちばん大きな、奉納の尺玉。私が、ほとんど一人で仕上げた、けれど、律がいなければ、きっと仕上げられなかった玉。私は、それを、大きな筒に、そっと込めた。
真壁灯里「……律。点火、お願いしていい? 私の手、震えてて」
遠野律「……いいのか? いちばん大事なやつ、俺で」
真壁灯里「律がいい。律と二人の花火だから」
律が、息を呑んで、頷いた。導火線に、火をつける。じじ、と火花が走る。私たちは、少し離れて、夜空を見上げた。
ひゅるるるるる——。
長い、長い、上昇音。そして。
どぉん——っ。
夜空いっぱいに、大輪の花が開いた。八重芯の、菊。緋色の芯から、金色の光が、川いっぱいに、しだれ落ちていく。川原じゅうから、わあっ、と歓声が上がった。光が、川面に映って、まるで、空と川と、両方に花が咲いたみたいだった。
私は、その光を見上げながら、涙がこぼれるのを、止められなかった。隣で、律も、同じ光を見上げていた。
遠野律「……灯里」
真壁灯里「ん」
遠野律「俺、決めた。東京、戻らない」
真壁灯里「……っ」
遠野律「ここで、灯里と、花火作る。……照明の経験、たぶん、役に立つ。仕掛けとか、演出とか。……灯里の隣で、光、上げたい。ずっと」
金色の光が、ゆっくりと、夜に溶けていく。私は、律のほうを向いた。彼の目に、最後の花火の光が、まだ、きらきらと残っていた。
真壁灯里「……それ、仕事の話? それとも」
遠野律「……両方。両方だよ、灯里」
律が、私の手を、そっと握った。火薬で荒れた、私の手を。
遠野律「好きだ。幼馴染とか、関係なく。……一人の女として、灯里が好きだ。たぶん、川原で花火見てた、あの頃から、ずっと」
真壁灯里「……ずるい」
遠野律「え」
真壁灯里「私、ずっと好きだったんだから。律が東京行っちゃったときも、ほんとは……っ。それを、今さら、こんな綺麗な花火のあとで言うなんて、ずるいよ」
ぽろぽろ涙をこぼす私を、律が、そっと抱き寄せた。火薬の匂いと、夏の夜の匂いと、律の体温が、いっぺんに、私を包んだ。中州には、もう、私たち二人しかいなかった。遠くの川原で、まだ歓声が続いている。
真壁灯里「……おかえり、律」
遠野律「ただいま、灯里」
片付けは、明日でいい、と律が言った。
私たちは、誰もいなくなった中州の、打ち上げ場の片隅に座り込んでいた。筒の並ぶ、火薬の匂いの残る場所。頭の上には、花火が消えたあとの、本物の星空が広がっていた。
遠野律「……星、こんなに見えるんだな。東京じゃ、ぜんぜん見えなかった」
真壁灯里「うん。花火のあとの空って、いつも、やけに静かなんだよね」
私が言うと、律が、こちらを向いた。星明かりの下で、その顔が、すぐ近くにあった。
遠野律「……灯里。キス、していい?」
真壁灯里「……聞かないでよ、そういうの」
それが、答えだった。律の顔が、ゆっくり近づいて、私は、目を閉じた。唇が、そっと重なる。
ちゅ、と。
真壁灯里「ん……っ」
少し乾いた、けれど、温かい唇。一度離れて、目を合わせて、もう一度、今度は、少し深く。長い時間をかけて、二人の距離が、やっと、ゼロになった。十年近い遠回りが、唇から、溶けていくみたいだった。
ちゅ……れろ……ちゅっ……
真壁灯里「は……律……っ」
遠野律「……ずっと、こうしたかった」
火薬の匂いのする夜の中で、律の腕が、私の背中に回って、ぎゅっと抱き寄せられた。浴衣越しの体温が、じんと、私に伝わってくる。
遠野律「……うち、来るか? 親、今夜は祭りの寄り合いで、遅いから」
真壁灯里「……いいの?」
遠野律「いいから、言ってる」
私は、こくんと頷いた。手を繋いで、暗い堤防を、二人で歩いた。律の指が、きゅっと、私の指を握り返してくる。子どもの頃、何度も渡った川を挟んだ向かいの家。今夜は、まったく違う意味で、心臓がうるさかった。
通された律の部屋は、子どもの頃に何度か遊びに来た、あの部屋だった。
遠野律「……電気、消すか?」
真壁灯里「……ううん。律の顔、見えなくなるの、やだ」
そう言ったら、律が、ぐっと言葉に詰まった顔をした。その顔が可愛くて、私は、少しだけ笑った。律が、私の頬に、そっと手を伸ばす。火薬で荒れているのは私だけじゃなくて、彼の手にも、この夏でできた、小さな傷がいくつもあった。
遠野律「……灯里」
真壁灯里「ん」
もう一度、唇が重なる。今度は、最初から、深く。律の手が、私の浴衣の帯に、おそるおそる、かかった。
遠野律「……ほどいて、いい?」
真壁灯里「……うん」
しゅるり、と帯がほどける音が、静かな部屋に、やけに大きく響いた。浴衣の前が、はらりと開く。下着姿になった肌を、夜の薄明かりが照らして、私は、思わず体を縮めた。
真壁灯里「……あんまり、見ないで。恥ずかしい……っ」
遠野律「無理だよ。……綺麗だ、灯里」
真壁灯里「もう……っ」
律の唇が、首筋に落ちてくる。
ちゅ……ちゅっ……
真壁灯里「ん……っ」
鎖骨に、肩に、唇を這わされるたびに、体が、ぴくんと震える。背中に回った手が、ブラのホックを、ぎこちなく外した。胸が、ふるりと、彼の前にこぼれる。律が、それを、そっと手のひらで包んだ。
真壁灯里「あ……っ」
遠野律「……柔らかい」
真壁灯里「言わないで……っ」
やわやわと、形を確かめるように揉まれて、私は、枕に顔をうずめようとした。律の指先が、つんと立ちはじめた先端を、かすめる。
真壁灯里「ひゃ……っ♡ そこ……っ」
遠野律「……ここ、弱いんだ」
真壁灯里「……知らないっ……あっ♡」
先端を口に含まれて、舌で転がされると、もう、だめだった。同時に、もう片方を、指で優しく弄られて、甘い声が、勝手に漏れる。
れろ……ちゅ……ちゅうっ……
真壁灯里「あっ♡ ん……っ♡ やぁ……っ♡」
胸を可愛がりながら、律のもう片方の手が、太ももの内側を、ゆっくり撫で上げていく。私の脚が、もじもじと、すり合わさった。
遠野律「灯里……力、抜いて」
真壁灯里「……うん……っ」
下着の上から、いちばん敏感なところに、そっと指が触れた。
真壁灯里「あっ……♡」
布越しでも、もうそこが、熱を持って、しっとり湿っているのが、自分でも、わかった。指でそっと撫でられるたびに、腰が、勝手に揺れる。やがて下着がずらされて、直接、そこに触れられた。
くちゅ、と。
真壁灯里「ひゃ……っ♡」
遠野律「……もう、こんなに」
真壁灯里「言わないで……っ♡ 花火上げてる時から、変だったんだもん……っ♡」
恥ずかしくて消えたいのに、律の指は、どこまでも優しかった。敏感な突起を、指の腹で、くるくると撫でられて、私は、彼の腕に、ぎゅっとしがみついた。
くちゅ……くちゅ……
真壁灯里「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ だめ……っ♡」
遠野律「だめ?」
真壁灯里「だめじゃない……っ♡ 気持ち、いいの……っ♡」
指が、ゆっくり、中へ入ってくる。
ずぷ……っ
真壁灯里「ん……あぁ……っ♡」
熱くて、とろとろになった中が、きゅうっと指を締めつけた。胸の先と、下の突起と、中を、同時に、優しく可愛がられて、私は、もう、何も考えられなくなった。
くちゅくちゅくちゅっ……
真壁灯里「あっ♡ あっ♡ 律……っ♡ それ、続けたら……っ♡」
遠野律「いいよ。……俺の腕の中で、イって、灯里」
真壁灯里「やっ♡ 恥ずかしい……っ♡♡」
指の動きが、速くなる。私の体は、みるみる、高みへ押し上げられていった。
真壁灯里「あっ♡ あっ♡ あっ♡——っ♡♡♡」
びくびくっ、と腰が跳ねて、頭の中が、真っ白になる。律の腕の中で、私は、ぎゅっと体を丸めて、達した。荒い息をつく私の額に張りついた前髪を、律が、そっとよけてくれた。
遠野律「……大丈夫?」
真壁灯里「……っ、はぁ……っ、だい、じょうぶ……っ♡」
その仕草の優しさに、また、泣きそうになった。
真壁灯里「……律も。脱いで」
体を起こして、私は、律のシャツのボタンに、おずおずと手をかけた。ぎこちない手つきで、一つずつ外していく。脱がせ終えると、少し恥ずかしくなって、彼の胸に、ぺたりと頬をくっつけた。
真壁灯里「……心臓、すごい音」
遠野律「灯里のせいだ」
真壁灯里「……ふふ」
律が、私を、シーツの上に、そっと横たえた。覆いかぶさってくる体の重みに、胸が、いっぱいになる。脚の間に、熱く張りつめたものが、当たった。私は、こくり、と喉を鳴らした。
遠野律「灯里。……いい?」
真壁灯里「うん……っ。来て、律」
遠野律「……ちゃんと、つけるから」
真壁灯里「うん……」
避妊具をつけて、律が、もう一度、私の頬に手を添えた。星明かりの中で、潤んだ目が、まっすぐ、私を見下ろしている。
遠野律「……痛かったら、言って。すぐ、止めるから」
真壁灯里「うん……優しく、して……っ」
入り口に、そっとあてがって、律が、ゆっくりと、腰を進めた。
ずぷ……っ♡
真壁灯里「ん……あぁ……っ♡♡」
先端が沈み込んだ瞬間、私は、律の背中に、ぎゅっと腕を回して、しがみついた。きつい。でも、とろとろに濡れているから、痛みより、満たされていく感覚のほうが、ずっと大きかった。
ずず……っ
真壁灯里「あ……っ♡ 奥まで……来てる……っ♡」
遠野律「……っ、灯里の中、すごく、熱い」
根元まで収まって、二人とも、しばらく、動けなかった。繋がった場所から、十年近い遠回りが、じんわりと、埋まっていく。
真壁灯里「……律と、繋がってる。やっと……っ♡」
遠野律「ああ。……もう、どこにも行かない。ここで、灯里と、光を上げる」
真壁灯里「っ♡♡ ずるいよ、そういうの……っ♡」
律が、ゆっくりと、動きはじめた。
ずちゅ……ぱちゅ……
真壁灯里「あっ♡ あっ♡ ん……っ♡」
最初は、私の体を気遣う、優しい律動。引くたびに切なくて、奥に届くたびに、甘い声が漏れる。私の脚が、自然と、律の腰に絡みついた。
遠野律「灯里、気持ちいい?」
真壁灯里「……っ♡ うん……っ♡ すごく……っ♡」
遠野律「俺も。……ずっと、こうしたかった」
その言葉に、私は、自分から、唇を求めた。繋がりながらキスをするのが、こんなに幸せだなんて、知らなかった。だんだんと、律動が、深くなる。奥の感じる場所を突かれるたびに、体が跳ねた。
ぱちゅ……ぱちゅ……ぱちゅっ♡
真壁灯里「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 奥、当たるの……っ♡♡」
遠野律「ここ、好きだろ」
真壁灯里「っ♡♡ 好き……っ♡ 律の、好きっ……♡♡」
それが体のことなのか、律自身のことなのか、自分でも、わからなくなった。たぶん、どっちもだった。律が、私の脚を抱え直すと、繋がりが、さらに深くなる。
ぱちゅんっ♡♡
真壁灯里「ひあっ♡♡ 深いっ……♡♡」
遠野律「灯里……中、すごい締まってる」
真壁灯里「だって……っ♡ 気持ちよくて……っ♡♡」
窓の外の、夏の虫の声と、二人の息と、肌のぶつかる音が、部屋に満ちる。私は、もう、何も考えられなかった。ただ、目の前の幼馴染が愛しくて、十年分の想いが、体の奥から、溢れてくる。
遠野律「灯里……そろそろ……っ」
真壁灯里「うん……っ♡ 私も……っ♡ 一緒が、いい……っ♡」
律が、私を、ぎゅっと抱きしめて、最後の律動を、速めた。
ぱちゅぱちゅぱちゅっ♡♡♡
真壁灯里「あっ♡ あっ♡ あっ♡♡ イクっ……♡ 律、一緒に……っ♡♡」
遠野律「ああ……っ、灯里……っ!」
ぱちゅんっ——♡♡♡
真壁灯里「あぁぁ……っ♡♡♡」
奥で、びくびくと跳ねる律を、私の体が、ぎゅうっと締めつけながら、受け止める。二人で、同じ波に、さらわれた。荒い呼吸のまま、汗ばんだ体を、ぴったりと、重ね合わせた。
真壁灯里「……はぁ……っ♡ すごかった……」
遠野律「……灯里」
真壁灯里「ん……?」
遠野律「好きだ。……もう一回、ちゃんと言わせて。好きだ、灯里」
私は、ぽろぽろと涙をこぼしながら、笑った。
真壁灯里「……私も。大好き。律が、帰ってきてくれて、ほんとに、よかった」
律が、涙で濡れた私の頬に、何度も、キスを落とした。
翌朝、目が覚めると、隣で律が、すやすや眠っていた。
カーテンの隙間から、夏の朝日が差し込んで、律の寝顔を、優しく照らしている。窓の外では、もう、祭りの喧騒も、花火の音もなくて、代わりに、川のせせらぎと、蝉の声が聞こえていた。
真壁灯里(……夢じゃ、ないよな)
そっと頬に触れると、律の目が、うっすらと開いた。寝ぼけた目が、私を見つけて、ふにゃっと笑う。
遠野律「……おはよ、灯里」
真壁灯里「おはよ、律」
遠野律「……えへへ。ほんとに、隣にいる」
ぎゅっと抱きついてくる律を、私は、抱きしめ返した。十年近く遠回りして、やっと、手が届いた幼馴染。この温もりが、今、たまらなく、愛おしかった。
遠野律「……なあ、灯里。来年の奉納花火、もっとすごいの、作ろうよ」
真壁灯里「もっとすごいの?」
遠野律「うん。仕掛け花火に、照明の演出、組み合わせるんだ。川全体を、舞台にする。……俺の経験、たぶん、そういうの、得意だから」
真壁灯里「……それ、いいね。すごく、いい」
私が、本気で頷くと、律が、嬉しそうに、目を細めた。
遠野律「真壁煙火、四代目候補、として、こき使ってくれ」
真壁灯里「ふふ。じゃあ、まず、玉貼り、もっと上手くなってもらわなきゃ」
遠野律「うっ……それは、自信ない」
二人で、笑い合った。
ずっと、暗いところで、一人で光を作っているつもりだった。父の代わりに、町の夏を、私が守らなきゃって。そう思い詰めていた。でも、もう、一人じゃない。暗い夜空に光を上げる仕事は、いつのまにか、二人のものになっていた。
遠野律「……灯里」
真壁灯里「ん?」
遠野律「俺たち、付き合ってる、ってことで、いいんだよな?」
真壁灯里「告白して、両想いで、こんなことまでして。……付き合ってないわけ、ないでしょ」
遠野律「えへへ。……確認、しただけ」
真壁灯里「もう……っ」
窓の外、川面を、夏の朝の光が、きらきらと渡っていく。今年の奉納花火は、終わってしまった。でも、私の隣には、来年も、再来年も、ずっと一緒に光を上げてくれる人がいる。
火薬の匂いのする、夏のはじまり。私は、世界で一番大切な人の腕の中で、もう一度、目を閉じた。
― 終 ―