1. 予定通りに生きる男
八月の十勝平野は、僕が知っているどんな景色とも違っていた。
帯広から北へ車を走らせると、道はどこまでもまっすぐで、両側に小麦と、刈り取りを待つ畑が、地平線まで続いている。空が、やたらと広い。雲が、信じられないほど遠くに浮かんでいる。エアコンを切って窓を開けると、乾いた草の匂いと、土の匂いがした。
高梨慎吾(たかなし しんご)、三十二歳。都内のIT企業で、プロジェクトマネージャーをやっている。仕事は、ひたすら段取りだ。誰がいつ何をやるか、どこで遅れが出るか、それを先回りして潰していく。スケジュール表のセルがひとつでも赤くなると、胃が痛くなる。そういう人間だ。
プライベートも、同じだった。旅行に行けば、分刻みの行程表を作る。何時の電車に乗って、何時にどこで昼を食べて、何分の余裕を見込むか。予定通りに進むと、安心する。予定が崩れると、その日一日、機嫌が悪くなる。
今回も、本当は予定通りのはずだった。帯広のクライアントとの打ち合わせは三日間。最終日の夜の便で東京に帰る。それだけの、いつもの出張。
ところが、二日目の夜に、先方から連絡が来た。最終日のミーティングが、急きょキャンセルになったのだという。理由は先方の社内事情で、こちらに非はない。つまり——明日一日、僕の予定が、まるごと空いた。
高梨慎吾(……まる一日、何もない、だと?)
ホテルのベッドの上で、僕は途方に暮れていた。予定がないということが、こんなに落ち着かないものだとは思わなかった。観光? 何を見ればいいのかわからない。行程表もない。比較検討する時間もない。
スマホをいじっていると、観光サイトの片隅に、一枚の写真が流れてきた。夜明けの十勝平野。一面の朝霧の上に、色とりどりの熱気球が、ぽっかりと浮かんでいる。朝日を浴びて、球皮がオレンジ色に染まっている。ただ、それだけの写真だった。
なのに、僕は、しばらくその写真から目を離せなかった。
『十勝・夜明けの熱気球フライト体験 / 早朝のみ運航・要予約・一名様歓迎』
気づけば、予約フォームに、名前を打ち込んでいた。集合は、明朝四時半。場所は、上士幌町の、小さな気球クラブの格納庫。下調べも、比較検討も、何ひとつしていない。僕にしては、ありえないことだった。
送信ボタンを押してから、僕は妙な動悸を覚えた。予定を、自分で勝手に作った。誰のためでもない、僕だけのために。それが、ひどく久しぶりのことだった。
*
クラブのそばには、ぽつんと一軒、宿を兼ねた小さなペンションがあった。フライトが早朝四時半なら、前泊するしかない。僕はその日のうちに帯広を引き払い、夕方には、その木造の宿に着いていた。
2. 風まかせの船
ペンションの庭の奥に、平屋の格納庫があった。
声をかけると、中から、日に焼けた大柄な老人が出てきた。年は六十半ばくらい。よれたつなぎに、首にタオル。手は、節くれだって大きい。
大滝さん「お、明日の体験の高梨さんかい。ようこそ、十勝へ。気球クラブ預かってる、大滝だ」
高梨慎吾「高梨です。よろしくお願いします。熱気球、まったく初めてで……」
大滝さん「みんなそうだ、心配いらん。うちのパイロットが、ぜんぶ面倒見るから。……おーい、ひよりー! 明日の体験のお客さん、来たぞー!」
大滝さんが、格納庫の奥へ大声で呼んだ。すぐに、よく通る明るい声が返ってきた。
結城ひより「はーい! いま行きまーす!」
奥の暗がりから、丸めた巨大な布——あとで聞けば、それが畳んだ球皮(バルーン)だという——を、台車でごろごろ押しながら、一人の女性が出てきた。
僕と、同い年くらいだろうか。短く切りそろえた黒髪に、つばの大きなキャップ。日に焼けた、よく笑う顔。化粧っ気はないのに、目がくりっと大きくて、笑うと頬にえくぼができる。半袖から伸びた腕は、細いのに、台車を押す動きには、妙に力がこもっていた。
結城ひより「お待たせしましたー! 明日、空に連れてく担当の、結城ひよりです! パイロットやってまーす♡」
高梨慎吾「た、高梨です。パイロットって……女性の方、なんですね」
結城ひより「あ、よく言われる。気球のパイロットって、力技じゃないから。むしろ女の人のほうが、空気の読み方、繊細だったりするんですよ。ね、大滝さん」
大滝さん「ひよりは、この辺じゃ一番うまい。腕は保証する。……愛想がよすぎるのが、玉に瑕だがな」
結城ひより「もう、それ褒めてないでしょ!」
からからと、ひよりさんが笑った。陽だまりみたいな笑い方だった。
結城ひより「高梨さん、せっかくだから、明日使う気球、ちょっと見てきます? いま、夕方の点検で、立ち上げるとこなんですよ」
高梨慎吾「いいんですか。ぜひ」
庭に出ると、芝生の上に、巨大な布が、ぐにゃりと横たわっていた。これが膨らむのか、と疑うほど、ただの布の塊にしか見えない。ひよりさんが、籐で編んだ大きなバスケットを横倒しにして、布の口にバーナーを据えた。
結城ひより「まず、大きな扇風機で、冷たい空気を入れて、ふくらませます。それから、バーナーで、中の空気を、あっためる。あったかい空気は軽いから、上に行きたがる。それで、ふわって、起き上がるんです」
ごおおっ、と、バーナーが炎を噴いた。横たわっていた布が、内側から、ゆっくり、ゆっくり、息を吹き返すように膨らんでいく。みるみるうちに、それは僕の背丈の何倍もある、巨大なしずく形になって、夕焼けの空に、すっくと立ち上がった。
高梨慎吾「……でかい。すごい。下から見ると、こんなに……」
結城ひより「ふふ。みんな、ここで同じ顔する♡ 高梨さん、いい顔」
球皮は、藍色と、橙色の、横縞だった。夕暮れの中で、内側から炎に照らされて、巨大な提灯みたいに、ぼうっと光っている。僕は、口を開けたまま、それを見上げていた。仕事のことも、明日の予定のことも、その一瞬だけ、頭から消えていた。
3. 風の行き先
点検が終わると、ひよりさんは、また炎を絞って、気球の空気を抜き始めた。立っていた巨人が、ゆっくり、力なく芝生に倒れ込んでいく。その作業を手伝いながら、僕は、ずっと気になっていたことを聞いた。
高梨慎吾「あの……熱気球って、どうやって、行きたい方向に進むんですか。ハンドルとか、ないですよね」
結城ひより「ないですよ。エンジンも、舵も、ぜんぜん。気球がコントロールできるのは、上がるか、下がるか。それだけ」
高梨慎吾「……それだけ? じゃあ、横方向は」
結城ひより「風まかせ♡」
ひよりさんが、にっと笑った。
結城ひより「横にどう動くかは、ぜんぶ風が決めるの。風の行き先だけは、パイロットにも決められない。だから——」
彼女は、しゃがんで、足元の草を一本むしると、ふっと宙に放った。草は、ふわりと舞って、思いがけない方向へ流れていった。
結城ひより「高さによって、風って、向きが違うんですよ。地上付近はこっち向き、ちょっと上はあっち向き、もっと上はまた別。だからパイロットは、行きたい方向に流れてる風の層を探して、そこまで上がったり下がったりして、風を、乗り換えるの」
高梨慎吾「乗り換える……」
結城ひより「そう。自分で進むんじゃなくて、ちょうどいい風に、乗せてもらう。空とおしゃべりして、『すみません、あっち行きたいんですけど、どの風がいいですか』って聞く感じ♡」
僕は、なんだか、落ち着かない気分になった。
高梨慎吾「……それ、不安じゃないですか。行き先が、自分で決められないって」
結城ひより「あはは、最初はみんなそう言う。高梨さん、ぜったい、予定きっちり立てる人でしょ」
高梨慎吾「……なんで、わかるんですか」
結城ひより「顔に書いてある♡ さっき、集合何時ですかって、三回確認したから」
図星だった。僕は、ばつが悪くなって、黙った。ひよりさんは、たたんだ球皮を、ぽんぽんと優しく叩きながら、空を見上げた。
結城ひより「でもね。気球に乗ると、わかるんです。決められないって、こわいことじゃないって。決めなくていいって、こんなに、楽なんだって」
夕日が、十勝平野の地平線に、ゆっくり沈んでいくところだった。畑の畝が、長い影を引いている。彼女の横顔が、橙色に染まっていた。僕は、その横顔から、しばらく目を離せなかった。
大滝さん「おーい、二人とも! 飯できたぞー! ……明日の天気図、見とけよ、ひより。微妙だぞ、明日は」
結城ひより「えー、ほんとに? ……うーん。高梨さん、明日、飛べるといいなあ」
その「いいなあ」が、妙に、引っかかった。飛べないこともある、ということだ。
4. 飛べない朝
夜明け前の三時に、目覚ましが鳴った。
外は、まだ真っ暗だった。顔を洗って、防寒のために借りた上着を羽織って、格納庫へ向かう。八月だというのに、十勝の明け方は、息が白くなるほど冷えていた。
ところが、格納庫の前に立ったひよりさんの顔は、いつもの笑顔ではなかった。彼女は、暗い空を見上げ、それから、手のひらを上に向けて、じっと風を測っていた。大滝さんが、軽トラのライトで、地面に立てた小さな吹き流しを照らしている。布は、ぴんと、横一文字に張っていた。
結城ひより「……高梨さん。ごめんなさい。今朝、飛べない」
高梨慎吾「え」
結城ひより「風が、強すぎる。地上で、もう、これだもん。上はもっと。こういう日に無理に上げると、着地のとき、危ないの。バスケットが、ひっくり返っちゃう」
彼女は、本当に申し訳なさそうに、頭を下げた。
結城ひより「気球はね、人間が決められないことが、多すぎるんです。風が読めないと、飛ばさない。お客さんが、はるばる来てくれても。……ごめんなさい。これが、いちばん悔しいとこ」
僕は、自分でも意外なほど、がっかりしていた。予定が崩れたから、ではない。あの、霧の上に浮かぶ景色を、この目で見られないことが、悔しかった。
高梨慎吾「……そうですか。残念だな。本当に、楽しみにしてたんで」
結城ひより「……うん。その顔されると、いちばん、つらい」
東の空が、藍色から、灰色へ、ゆっくり変わっていく。結局、その朝、気球は一度も立ち上がらなかった。畳まれたままの球皮が、芝生の上で、巨大な抜け殻みたいに横たわっていた。
僕の予定では、このフライトのあと、午前の便で帯広を発って、昼には東京に着いているはずだった。スマホの行程表には、几帳面に、その通りの時刻が並んでいる。フライトは、もう、終わったことになっている。
なのに、僕は、まだ、ここにいた。
大滝さん「高梨さん。今夜、また風がおさまる予報なんだ。明日の朝なら、たぶん飛べる。……まあ、無理にとは言わんが」
大滝さんが、ぽつりと言った。ひよりさんが、はっと顔を上げて、それから、すぐに目を伏せた。
結城ひより「……大滝さん。高梨さん、お仕事あるんだから。困らせちゃ、だめだよ」
5. 予定を、捨てる
ペンションの食堂で、僕は、スマホの画面と、にらめっこしていた。
午前の便。それを逃せば、東京に帰るのは夜になる。明日もう一泊すれば、丸一日、予定が消える。会社に、なんと言えばいい。出張は、もう終わっている。これは、ただの僕のわがままだ。
几帳面に組まれた行程表。空港までの所要時間。搭乗手続きの締切。レンタカーの返却時刻。いつもなら、絶対に、崩さない。崩したら、気持ちが悪くて、たまらない。
——決められないって、こわいことじゃない。
ひよりさんの言葉が、ふと、よみがえった。
僕は、しばらく画面を見つめてから、ゆっくり、行程表のアプリを開いた。そして、几帳面に並んだ時刻の列を、ぜんぶ、選択して——削除した。
高梨慎吾(……あ)
指が、少し震えていた。予定を、自分から破り捨てたのは、生まれて初めてだった。胃が痛くなる、と思った。けれど、痛くならなかった。代わりに、なんだか、ふっと、体が軽くなった。風の抜けた球皮が、起き上がるときみたいに。
僕は、航空会社のアプリで、便を翌日に変更した。それから、食堂のカウンターにいたひよりさんのところへ、行った。
高梨慎吾「あの。……明日の朝、もう一回、お願いできますか。今夜、もう一泊します」
結城ひより「えっ。……でも、お仕事は」
高梨慎吾「予定、消しました。さっき。全部」
結城ひより「……消した?」
高梨慎吾「ひよりさんが言ったでしょ。決めなくていいって、楽だって。……ちょっと、試してみたくなって」
ひよりさんが、目をまんまるにして、それから、ぷっと噴き出した。
結城ひより「あはは! 何それ! 予定きっちりマンが、いきなり予定全消し!?」
高梨慎吾「……笑いすぎです」
結城ひより「だって♡ ……でも、うれしい。すごく」
彼女は、ひとしきり笑ったあと、急に、ちょっと真面目な顔になって、言った。
結城ひより「じゃあ、高梨さん。今日、一日空いたんだから。私が、十勝、案内します。どうせ、明日の準備で、私も今日はオフだし。……だめ?」
高梨慎吾「……いいんですか」
結城ひより「決めなくていい、んでしょ? ……風に、まかせちゃお♡」
6. 十勝を流れる一日
ひよりさんの軽自動車は、十勝平野を、当てもなく走った。
行き先は、決めなかった。彼女が、「あ、あっち、ひまわり咲いてる」と言えば、ハンドルを切る。「ここのソフトクリーム、やばいんですよ」と言えば、車を停める。僕は、助手席で、ただ、流れていく景色に身を任せていた。地図も見ない。到着時刻も計算しない。そんな旅は、人生で初めてだった。
丘の上の、見渡すかぎりのひまわり畑で、車を降りた。何万本という黄色が、いっせいに、同じ方を向いている。風が渡るたびに、花が、ざわざわと頭を揺らした。
結城ひより「ひまわりってね、つぼみのうちは、太陽を追いかけて、向き変えるんですって。東から、西へ。でも、咲いちゃうと、もう動かないの。ずっと、東を向いたまま」
高梨慎吾「東を……朝日の方を、ずっと?」
結城ひより「うん。私、それ聞いてから、ひまわり、好きになっちゃって。……朝が好きなんです、私。いちばん、空気が、まっさらだから」
彼女は、ひまわりに埋もれるようにして、目を細めた。
高梨慎吾「ひよりさんは、ずっと、十勝で、気球を?」
結城ひより「ううん。私、もともと、東京。航空整備士、やってたの。旅客機の」
高梨慎吾「整備士!? すごい。なんで、辞めて、こっちに……」
聞いてから、しまった、と思った。彼女の横顔が、ふっと、寂しそうに陰ったからだ。けれど、ひよりさんは、ひまわりを見たまま、静かに話し始めた。
結城ひより「飛行機の整備って、ぜんぶ、マニュアル通りなの。一ミリの狂いもなく、決められた手順で、決められた数字に、合わせる。人の命を乗せるんだから、当然なんだけど。……私、それに、すり減っちゃって。毎日、決められた通りに、決められたことを、間違えないように。それだけで、心が、ぱさぱさになっちゃったの」
僕は、どきりとした。それは、僕の話でもあった。
結城ひより「ある日、有休とって、ふらっと来た十勝で、夜明けの気球に乗ったんです。お客さんとして。そしたら——ぜんぶ、風まかせなの。決められない。コントロールできない。なのに、なんにも、こわくなかった。気球の上で、私、生まれて初めて、息が、深くできた気がした」
風が、ひまわり畑を、ざあっと渡っていった。
結城ひより「それで、会社辞めて、こっち来て、パイロットの免許とったの。今度は、自分が、誰かに、あの息のしかたを、教えたくて。……変な話でしょ」
高梨慎吾「いや」
僕は、首を横に振った。
高梨慎吾「全然、変じゃない。……すごく、わかる。俺も、たぶん、同じだから。決められた通りにやらないと、不安で。崩れると、こわくて。……でも、それで、ずっと、息が浅かった」
ひよりさんが、こっちを見た。さっきまでの寂しさが、ふっと、消えていた。
結城ひより「……じゃあ、高梨さん。明日、いっしょに、深呼吸しよ。空の上で」
高梨慎吾「……はい」
7. ペンションの夜
日が暮れて、ペンションに戻る頃には、二人とも、すっかり打ち解けていた。
大滝さんは、明日のフライトの準備があるからと、早めに自分の家へ帰っていった。広い宿に、泊まり客は僕一人。そして、まかないを作るからと、ひよりさんが、残ってくれた。
食堂で、十勝産の食材だらけの夕飯を食べた。地のチーズ、とうもろこし、炭火で焼いた肉。ひよりさんは、よく食べて、よく笑った。気づけば、外は、墨を流したように暗くなって、窓の外に、信じられない数の星が、出ていた。
結城ひより「高梨さん、ちょっと、外、出てみます? 今日、月、細いから。星、すごいよ」
庭に出ると、頭上に、天の川が、くっきりと流れていた。都会では、絶対に見られない星の数だった。寒くて、ひよりさんが、肩を抱くようにして、僕のすぐ隣に立った。借りた上着越しに、彼女の体温が、伝わってくる。
高梨慎吾「……こんな星、初めて見た」
結城ひより「ね。私も、最初に見たとき、泣きそうになった。……高梨さん、今日、楽しかった?」
高梨慎吾「うん。……人生で、いちばん、予定通りにいかなかった一日だった」
結城ひより「あはは。それ、最高の褒め言葉♡」
笑った彼女の横顔が、星明かりに、淡く浮かんでいた。くりっとした目が、潤んで、僕を見上げている。距離が、近かった。彼女の吐く息が、白く、僕の頬にかかった。
高梨慎吾「……ひよりさん」
結城ひより「……なに?」
高梨慎吾「予定を、立てない、って、決めたから。……今、したいこと、していい?」
結城ひより「……うん♡ 風に、まかせて」
僕は、彼女の肩を、そっと引き寄せた。ひよりさんは、逃げなかった。目を閉じて、つま先立ちになって、僕のほうへ、顔を上げた。
そっと、唇を、重ねた。
ちゅ……。
星空の下で、彼女の唇は、思いのほか、あたたかかった。一度離して、もう一度。今度は、少しだけ深く。ひよりさんの手が、僕の上着の胸を、きゅっと握った。
結城ひより「ん……♡」
高梨慎吾「……寒くない?」
結城ひより「……寒い♡ ……だから、中、入ろ?」
繋いだ手を引かれて、僕は、ペンションの二階の、彼女が使っているという部屋へ、上がっていった。
8. ほどける
木の匂いのする、小さな部屋だった。窓の外に、まだ、星が流れている。
灯りを小さく落とすと、ひよりさんが、ベッドの端に腰かけて、ちょっと恥ずかしそうに、上目遣いで僕を見た。さっきまでの陽だまりみたいな明るさの奥に、別の熱が、ちらついていた。
結城ひより「……整備士のときも、パイロットになってからも、私、ずっと、仕事ばっかりで。こういうの……ひさしぶり、なの♡」
高梨慎吾「……俺も。予定にない人と、こんなふうになるの、初めてだ」
結城ひより「ふふ♡ ……予定外、いいでしょ?」
隣に腰を下ろして、もう一度、唇を重ねた。今度は、ゆっくり、舌先で、彼女の唇をなぞる。ひよりさんの口が、そっと、開いた。
ちゅ……れろ……ちゅるっ……♡
結城ひより「んむ……♡」
舌を絡めながら、ベッドに、彼女の体を、ゆっくり倒した。日に焼けた、健康そうな腕。その内側が、驚くほど白い。Tシャツの裾から手を入れると、ひよりさんの体が、びくっと跳ねた。
結城ひより「ん……っ♡ 手、つめたい♡」
高梨慎吾「ごめん。……あっためる」
Tシャツを、ゆっくりめくり上げる。スポーツブラの下から、思っていたより豊かな胸が、現れた。整備や設営で鍛えられた、引き締まった体つきなのに、そこだけ、やわらかそうに、ふくらんでいる。
結城ひより「……あんまり、見ないで♡ 日焼け、変なとこで、線になってるから」
高梨慎吾「……いや。きれいだよ。ほんとに」
ブラを、そっと、めくり上げる。こぼれ出た胸の、先端は、淡い色をしていた。右手で、左の胸を、包むように触れる。
ふにっ。
結城ひより「あっ……♡」
手のひらに吸い付くような、やわらかさだった。指を沈めると、形を変える。もう片方も、手のひらで包んで、親指で、先端を、くりっと転がした。
結城ひより「ひゃっ♡♡」
びくん、と、彼女の肩が跳ねた。小さく硬くなった先端が、指先に、コリコリと伝わってくる。
くりくり……くりくり……♡
結城ひより「あっ♡ あんっ♡♡ 慎吾さんっ……♡♡」
名前を、呼ばれた。それだけで、頭の芯が、痺れた。唇を、胸の先端に、落とす。ちゅっ。
結城ひより「ひぅっ♡♡♡」
舌先で転がしながら、反対の胸を、揉みしだく。
ちゅるっ……れろ……ちゅう……♡♡
結城ひより「あっあっ♡♡ そんなとこ、吸っちゃ……声、出ちゃうっ♡♡」
交互に舌を這わせると、ひよりさんの肌が、うっすら汗ばんで、星空の下の草の匂いと、混ざった。
高梨慎吾「ひより、下も、いい?」
結城ひより「……うん♡ ……でも、優しく、してね♡」
デニムのボタンを外して、下着ごと、ゆっくり引き下ろす。膝を立てて閉じようとする太ももを、そっと開かせた。設営で踏ん張るからか、しなやかで、力のある腿だった。
高梨慎吾「……もう、濡れてる」
結城ひより「やっ♡ 言わないで……♡ キスの、ときから、ずっとなんだもん♡♡」
淡い色の花弁が、透明な蜜で、とろりと濡れていた。指先で、そっと、なぞる。
くちゅ……。
結城ひより「ひゃあっ♡♡ あっ♡♡」
びくん、と、腰が跳ねた。小さな突起を見つけて、指の腹で、くるくると、円を描く。
くり……くり……♡
結城ひより「あぁっ♡♡♡ そこっ……だめぇっ♡♡♡」
高梨慎吾「だめじゃ、ないだろ。気持ちいいんだろ?」
結城ひより「だってっ♡ 慎吾さんの指っ……♡♡」
蜜をかき回しながら、中指を、入り口に、あてがった。
高梨慎吾「指、入れるよ」
結城ひより「……うんっ♡♡ 来て……♡♡」
ずぷ……♡
結城ひより「あああっ♡♡♡」
ゆっくり、指が沈んでいく。熱い。きゅうきゅうと、締め付けてくる。中をかき回しながら、もう一本。
ずぷっ♡
結城ひより「ひぃっ♡♡♡ 二本っ……♡♡」
二本の指で出し入れしながら、親指で、突起を、同時に刺激する。
ぐちゅっ……ぐちゅっ……ぐちゅっ……♡♡♡
結城ひより「あっあっあっ♡♡♡ すごいっ♡ おかしく、なるっ♡♡♡」
指を曲げて、上側の壁を、ぐっと押す。
結城ひより「ひぅっ♡♡♡♡ そこ、やばいっ♡♡♡」
ひよりさんの体が、びくびくと、跳ね始めた。
結城ひより「やっ♡ 来るっ……来ちゃうっ♡♡♡」
指の動きを、速める。
ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅっ♡♡♡♡
結城ひより「あああっ♡♡♡ イっ……イくぅっ♡♡♡♡」
びくんっ、びくんっ、びくんっ♡♡♡
ひよりさんの背中が、弓なりに反った。中が、ぎゅうっと指を締め付けて、蜜が、溢れ出す。やがて、力が抜けたように、ベッドに沈み込んだ。
結城ひより「はぁっ……♡♡ はぁっ……♡♡ ……指だけで、こんなの、初めて……♡♡」
9. 委ねる
潤んだ瞳で、ひよりさんが、ゆっくり、身を起こした。まだ余韻に震えながら、僕のベルトに、手を伸ばす。
結城ひより「……今度は、私が」
高梨慎吾「無理しなくて、いいよ」
結城ひより「……無理じゃない。私が、したいの♡」
ベルトを外して、下着ごと、引き下ろすと——ばちんっ、と、張り詰めたものが、跳ね上がった。ひよりさんが、息を呑む。
結城ひより「……おっきい♡♡」
うつ伏せになって、顔を近づけてくる。
ぺろ……。
先端を、舌先で、ちろっと舐めた。
結城ひより「ん……♡」
ちゅっ、と先端にキスをして、それから、ぱくりと口に含んだ。
ずぷ……。温かく、濡れた、口の中。舌が、裏筋を、なぞる。
結城ひより「ん……じゅるっ♡♡ れろれろ……♡♡」
ゆっくり、頭を上下させるひよりさん。短い黒髪が、揺れて、上目遣いの瞳が、潤んで、こっちを見ている。
高梨慎吾「ひより……やば、気持ちいい」
結城ひより「んふ♡ ……もっと♡♡」
ちゅぱっ……じゅるるっ……♡♡
頬をすぼめて、吸い上げる。深く咥えるたびに、全身に、電流が走った。
ずぷっ……ずぷっ……♡♡
高梨慎吾「待って、それ以上は……イっちゃう」
ぷはっ、と、口を離すひよりさん。唇が、唾液で、てらてらと光っていた。
結城ひより「……まだ、だめ♡ 最後は、一緒がいい♡」
ひよりさんを、ベッドに引き上げた。財布から、避妊具を取り出す。
結城ひより「……ちゃんと、持ってたんだ?」
高梨慎吾「いや、これは、その……一応」
結城ひより「ふ♡ 責めてない♡ ……予定外でも、ちゃんとしてて、えらい♡」
手早く着けて、ひよりさんを、仰向けにした。小さな灯りに、日焼けの線の残る、しなやかな体が、淡く浮かんでいる。脚の間に体を滑り込ませて、先端を、入り口に、あてがった。
ぬちゅ……♡
高梨慎吾「入れるよ、ひより」
結城ひより「うん♡ 来て……♡♡」
ゆっくり、腰を、進める。
ずぷ……ずぷぷ……♡♡
結城ひより「あぁっ♡♡♡ 入って、くるっ♡♡♡」
きゅうきゅうと締め付けながら、奥へ、引き込んでくる。
結城ひより「おっきい♡♡ 奥まで、いっぱい♡♡♡」
ずぷん♡♡
根元まで、収まった。下腹部が、ぴたりと、密着する。
結城ひより「はぁっ♡♡ 全部、入った♡♡ ……あったかい♡♡♡」
高梨慎吾「動くよ」
ゆっくり腰を引いて、また、押し込む。
ずるっ……ずぷんっ♡♡
パンっ♡
結城ひより「ああっ♡♡♡」
パンッ……パンッ……♡♡
リズミカルに、打ちつけ始める。
結城ひより「あっあっあっ♡♡♡ 慎吾さんっ♡♡ 気持ちいいっ♡♡♡」
ひよりさんが、僕の背中に、しがみついてくる。窓の外で、星が、静かに流れている。肌と肌がぶつかる音が、夜の静けさの中に、混ざっていく。
パンパンパンッ♡♡♡
結城ひより「奥っ♡♡♡ 奥に、当たってるっ♡♡♡♡」
ひよりさんの脚が、僕の腰に、絡みついてくる。設営で踏ん張る腿が、ぎゅっと、締まる。
高梨慎吾「ひより、脚の力、すごいな」
結城ひより「ふふっ♡ ……毎日、球皮、運んでるもん♡♡」
笑い合いながら、また、腰を打ちつける。角度を変えて、突き上げる。
結城ひより「そこぉっ♡♡♡♡」
ひよりさんの腰が、浮く。さらに奥を突くと、結合部から、卑猥な水音が、溢れた。
パンパンパンパンッ♡♡♡♡
ぐちゅぐちゅぐちゅ♡♡♡
結城ひより「やばっ♡♡ また、来るっ♡♡ イっちゃうっ♡♡♡♡」
高梨慎吾「俺も、もう……っ」
結城ひより「一緒に……♡♡♡ 一緒に、イこっ……♡♡♡♡」
ひよりさんが、背中に両腕を回して、しがみつく。脚も、がっちり、腰に絡む。奥に押し付けるように——最後の一突き。
結城ひより「あぁぁっ♡♡♡♡♡!!」
高梨慎吾「イく……っ!」
どくんっ、どくっ、どくっ……!
結城ひより「イっ……イくぅっ♡♡♡♡♡♡」
ひよりさんの全身が、震えて、中が、痙攣するように、搾り取っていく。
びくんっ、びくんっ、びくんっ♡♡♡
結城ひより「はぁっ♡♡ はぁっ♡♡ ……すごかった……♡♡♡」
抱き合ったまま、荒い呼吸を、繰り返した。ちゅ、と、軽くキスをする。窓の外では、星が、ゆっくりと、西へ流れていた。
結城ひより「……まだ、抜かないで♡」
繋がったまま、お互いの心臓の音を、聞いていた。やがて、ひよりさんが、僕の胸に、頬を寄せて、くすっと笑った。
結城ひより「……あのね、慎吾さん。明日、ちゃんと、飛ぼうね。今度こそ」
高梨慎吾「うん。……ひよりに、まかせる」
結城ひより「ふふ♡ ……いい子♡」
10. 夜明けの空へ
——翌朝。
まだ暗いうちに、僕らは、起きた。窓の外の風は、嘘みたいに、ぴたりと、やんでいた。大滝さんが立てた吹き流しが、力なく、だらりと垂れている。フライト、日和だった。
格納庫の前の芝生で、ひよりさんは、昨日とは別人のように、きびきびと働いた。大滝さんと二人がかりで、巨大な球皮を広げ、扇風機で空気を送り、バーナーで、あたためていく。横たわっていた藍と橙の布が、内側から、ゆっくり息を吹き返して、薄明の空に、すっくと立ち上がった。
結城ひより「高梨さん——じゃない、慎吾さん。乗って♡ 今日は、お客さんじゃなくて、相棒として」
高梨慎吾「……相棒」
結城ひより「うん♡ いっしょに、深呼吸する人♡」
籐のバスケットに、二人で乗り込んだ。大滝さんが、地上のロープを、ぽんと、手放す。
ごおおっ、と、ひよりさんがバーナーを噴かすと、気球は、音もなく、すうっと、地面を離れた。
高梨慎吾「……あ。浮いてる。……揺れない」
不思議だった。あんなに高く上がっているのに、揺れが、まったくない。僕らは、風と、同じ速さで動いているから、風を、感じない。バスケットの中は、しんと、静かだった。
眼下に、十勝平野が、広がっていた。
一面の、朝霧だった。畑も、道も、ペンションも、ぜんぶ、真っ白な霧の海の下に沈んでいて、その霧の表面が、ゆっくりと、波打っている。そして、東の地平線から、太陽が、昇り始めた。霧の海が、いっせいに、薔薇色に、染まっていく。あの、一枚の写真の景色が——いや、写真の何倍も、すごい景色が、僕の、目の前に、広がっていた。
高梨慎吾「……すごい。……ひより、すごいよ、これ」
結城ひより「でしょ♡ ……ね、慎吾さん。深呼吸、して」
言われるまま、僕は、大きく、息を吸った。冷たくて、まっさらな、夜明けの空気が、肺の奥まで、すうっと入ってきた。何年も、浅い呼吸ばかりしてきた胸の、いちばん奥まで。
気づいたら、僕は、泣いていた。
結城ひより「……あはは。みんな、ここで、同じ顔する。……でも、慎吾さんのは、いちばん、いい顔♡」
霧が、太陽に温められて、少しずつ、晴れていく。白い海が引いて、その下から、緑の畑が、ひまわりの黄色が、ゆっくりと、姿を現していった。気球は、ひよりさんが探した風に乗って、その上を、音もなく、流れていく。どこへ着くかは、わからない。風が、決める。
それが、まったく、こわくなかった。
高梨慎吾「ひより。……俺、東京、帰ったら、また来るよ。来月も、その次も」
結城ひより「……お客さん、として?」
高梨慎吾「いや。……恋人として。気球に乗りに、じゃなくて、ひよりに、会いに」
ひよりさんの手が、バーナーのレバーから離れて、僕の手を、ぎゅっと握った。その目が、薔薇色の朝日の中で、潤んでいた。
結城ひより「……ずるい。こんな、逃げ場のない空の上で、言う?」
高梨慎吾「逃げ場、ないほうが、いいかと思って。……返事は?」
結城ひより「……うん♡ 私も、慎吾さんが、好き♡ ……今日から、恋人ね♡」
つま先立ちになって、ひよりさんが、僕の唇に、ちゅっと、軽くキスをした。眼下では、最後の霧が、すっかり晴れて、十勝平野が、朝日に、きらきらと輝いていた。
結城ひより「ねえ、慎吾さん。東京、遠いよね」
高梨慎吾「……飛行機で、ひとっ飛びだよ」
結城ひより「ふふ♡ そっか。……元・整備士の私が、いちばん信じてる乗り物♡」
高梨慎吾「だろ。だから、距離は、心配してない」
結城ひより「……うん。じゃあ、次、来たら。今度は、バーナーの炊き方、教えるね。覚悟して♡」
何もかも分刻みで段取りを組まないと、息もできなかった僕は、出張の帰りにぽっかり空いた一日に呼ばれるように、この空まで来た。
そこで出会ったのは、行き先を決められない一艘の船と——その船を、誰よりも自由に乗りこなす、一人の女性だった。
これは、たまたまの一日なんかじゃない。きっと、何度でもこの空に通って、二人で、風にまかせて流れていく、その始まりの朝だ。
僕はもう、行き先を、こわがらない。
― 終 ―