東京の装丁の仕事に擦り切れて雪深い故郷へ逃げ帰ったら、亡き父の紙漉き工房をひとりで継いでいた幼馴染に寒漉きの和紙を漉く手を教わるうちに惹かれ、雪の降りしきる夜の作業場で結ばれた話

雪国の冬は、音が消える。

トンネルを抜けたとたん、世界が真っ白になった。在来線の窓の外、屋根も、田も、川も、何もかもが雪に塗り込められて、ただ静かだった。耳の奥で、ずっと鳴っていた都会のノイズが、ふっと途切れたのがわかった。

俺、瀬戸涼介(せと りょうすけ)、二十九歳。東京の小さな出版社で、七年、本の装丁ばかりやってきた。紙を選んで、文字を組んで、一冊の本の「顔」を作る仕事だ。好きだったはずだった。けれど、いつからか、納期と部数と原価の話ばかりになって、紙は「コストの安いほう」で決まるようになった。気づけば、自分が何のために紙を選んでいるのか、わからなくなっていた。

眠れなくなって、文字が頭に入らなくなって、ある朝、会社の最寄り駅で、改札を通れなくなった。それで、長い休みをもらった。休職という名前の、行き止まりの時間だ。

帰る場所は、ここしかなかった。越後の、山に抱かれた小さな谷。冬になると三メートルも雪が積もる、紙漉きの里だ。


1. 雪の谷の、灯り

実家に荷物を置いて、夕方、なんとなく谷を歩いた。

東京を出てから、まだ半日も経っていないのに、空気がまるで違う。冷たくて、澄んでいて、吸い込むと肺の奥まで掃除されるみたいだった。雪が、しんしんと降っている。傘もささずに歩いていると、肩にすぐ白いものが積もった。

谷の奥、川沿いに、一軒だけ煌々と灯りのついた建物があった。

板張りの、古い作業場。水を打つような、ぴしゃ、ぴしゃ、という規則正しい音。開け放した窓から、白い湯気と、植物を煮たような、青くて清潔な匂いが流れてくる。

「高瀬紙工房」。雪に半分埋もれた、墨書きの木の看板。

ああ、と思った。村でただ一軒、いまも昔ながらの手漉き和紙を漉いている工房だ。子どもの頃、ここの娘とは、嫌になるほど一緒に遊んだ。川で楮(こうぞ)の皮を剥く手伝いをさせられて、指を真っ赤にしたのを覚えている。

その娘の顔を思い出す前に、開けっぱなしの戸口の奥から、声がした。

「……そこ、寒いでしょ。入れば」

低くて、静かな声だった。湯気の向こう、水槽の前に、前掛けをした女が座っている。こっちを見もせず、手元の木の枠を、ゆっくり、ゆっくり、水の中で揺らしている。

涼介「……俺だってわかんの? 顔も見てないのに」

その声で、女がやっと手を止めて、振り返った。色の白い、細い顔。ひっつめた髪のほつれが、湯気に濡れて頬に貼りついている。切れ長の目が、俺を見て、少しだけ見開かれた。

「……涼介?」

涼介「……紬?」

高瀬紬(たかせ つむぎ)。小学校から中学まで、川一本はさんだ幼馴染。口数が少なくて、いつも俺の半歩後ろを歩いていた、あの紬だ。

「足音でわかった。あんた、昔から、雪の上をどたばた歩くから」

涼介「……十年ぶりの第一声がそれかよ」

紬は、ふ、とだけ笑った。声を立てない、昔のままの笑い方だった。東京を出てから、初めて、俺の肩から力が抜けた気がした。


2. ひとりで、漉く

「ちょっと待ってて。今、漉いてる途中だから、手を離せない」

そう言って、紬はまた水槽に向き直った。

竹の簀(す)を木の枠にはさんだ「簀桁(すけた)」を、両手で持って、白く濁った水の中へ、すっとくぐらせる。手前から奥へ、奥から手前へ、とろりとした水を、何度も簀の上で揺らす。一定のリズム。呼吸そのものみたいな手つきだった。水を切ると、簀の上に、薄い乳白色の膜——濡れた一枚の紙が、残っている。

その横顔が、ふざけてばかりいた子どもの頃とはまるで違う、職人の顔をしていて、俺は思わず見入ってしまった。

ひと枚漉き上げて、簀を外し、濡れた紙を静かに重ねると、紬がこっちを向いた。

「で。なんで帰ってきたの。盆でも正月でもないのに」

涼介「……ちょっと、東京で、燃料切れになって。長い休みもらった。それだけ」

「ふうん」

紬は、それ以上、何も訊かなかった。詮索しないのも、昔のままだった。それが、今は、ありがたかった。

作業場を見回す。楮を煮る大釜、皮を晒す水槽、紙料を溜めた漉き槽、ずらりと並んだ簀桁、奥には乾かすための鉄板。どれも、年季が入っている。そして、それを動かしているのは、どう見ても、紬ひとりだった。

涼介「お前……これ、一人でやってんの? 親父さんは」

「……三年前。心臓で、ぽっくり」

涼介「……ごめん。知らなかった」

「いいよ。あんた、東京だったし」

紬は、淡々と、濡れた紙の束に重しを乗せた。

「母さんは、もう街に出てる。継ぐ人がいなくて、畳むって話も出た。……でも、私が継いだ。文句、ある?」

涼介「……ないよ。すげえな、って思っただけだ」

紬は、こっちを見ずに、ん、と小さく頷いた。でも、その耳が、ほんの少し赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。火照りなのか、寒さなのか、それとも——わからなかった。

「暇なんでしょ。休みって。……明日、来れば。寒漉きの時期だから、猫の手も借りたいの」

涼介「……俺、紙の作り方なんて、知らねえぞ」

「本の表紙、作ってたんでしょ。あんたの会社の本、たまに見るよ。……紙を、一から触ってみたら。たぶん、あんたに、いい」

そっけない言い方だった。でも、その言葉が、なぜか、胸の奥に小さく刺さって、抜けなかった。


3. 寒の水

翌朝、長靴を借りて、工房へ向かった。

夜のあいだにまた積もったらしく、谷は一面、青みがかった白に沈んでいた。工房の前の川では、紬がもう、作業を始めていた。

凍りそうな川の水に、煮た楮の皮を浸して、ひと束ずつ、丁寧に晒している。「寒晒し」だ。冷たい水に晒すと、繊維のちりが落ちて、雪のように白い紙料になるのだと、紬は言った。

「和紙はね、寒い時期がいちばんいいの。水が冷たいと、雑菌が湧かないし、繊維がきゅっと締まる。だから、いちばん寒い、今を逃せない」

涼介「……手、見せてみ」

言われる前に、紬の手が目に入った。あかぎれで、ひびだらけ。指の関節が、冷たさで真っ赤に腫れている。俺は、思わず、その手を取った。

「……っ、なに」

涼介「これで、毎日、川の水に手ぇ突っ込んでんのか」

「……手袋してたら、繊維のちりが、指でわからないもん。これは、職人の手。恥ずかしくない」

紬は、すっと手を引いた。けれど、その頬が、寒さとは違う色に染まっているのを、俺は見た。冷たくて、節くれだって、それでも、紙よりやわらかい手だった。子どもの頃、川で俺の手を引いて、転ぶ俺を支えてくれた、あの手だ。

俺も、見よう見まねで、川に手を入れた。一瞬で、指の感覚が消えるほど冷たい。骨まで凍りそうだった。

涼介「……冷てえ! なんだこれ、痛えよ」

「でしょ。これを、毎年、ひと冬。……父さんも、その前の祖父ちゃんも、ずっと」

紬は、川面を見つめたまま、ぽつりと言った。

「私ね、この冷たさが、嫌いじゃないの。冷たいって、ちゃんと生きてる感じがして。……あんた、東京で、なんにも感じなくなって帰ってきたんでしょ」

ふいに、図星を突かれて、俺は手を止めた。紬は、こっちを見ずに、淡々と楮を晒し続けている。

「冷たい水に手ぇ入れてりゃ、嫌でも『今』しか考えられないよ。痛いから。……それで、ちょうどいいの」

ぶっきらぼうな優しさだった。俺は、なんだか喉の奥が熱くなって、ごまかすように、また冷たい川に手を入れた。


4. 紙を漉く

その日の午後、紬が「漉いてみる?」と言った。

漉き槽の前に座らされる。槽の中は、晒した楮の繊維と、トロロアオイの粘液を溶かした、とろりとした白い水で満ちている。

「簀桁を、こう持って。手前からすくって、水を、向こうに流す。次は、横に揺らす。——『流し漉き』。繊維を、簀の上で、縦と横に絡める。それで、丈夫な紙になる」

紬の手本は、見惚れるほど滑らかだった。けれど、俺がやると、簀桁はぐらぐら傾いて、繊維が一方に寄って、紙はぼろぼろの厚さになる。

涼介「……むず。全然、均一にならない」

「力、入れすぎ。腕で持ち上げようとしないで。腰で、桁ごと、揺らす感じ」

紬が、俺の後ろに膝をついた。そして、後ろから、俺の両手に、自分の手を重ねてきた。

「ほら。手前に、すくって——そう。ゆっくり、向こうへ、流す。……水の重さを、感じて」

背中に、紬の体温があった。重ねられた手は冷たいのに、触れているところだけ、じんわり熱い。耳のすぐ後ろで、彼女の静かな息がして、青い楮の匂いと、ほんのり甘い髪の匂いが、鼻先をかすめた。俺は、簀桁のことなんか、半分も頭に入っていなかった。

涼介「……紬」

「ちゃんと、手、動かして。気を抜くと、水が偏るよ」

声が、すぐ耳元で聞こえて、俺の心臓は、勝手に速くなった。

二人で、何枚も漉いた。慣れてくると、無心になれた。東京で、頭の中をいつもいっぱいにしていた数字も、納期も、ここには一つもない。あるのは、水の音と、雪の静けさと、簀の上に少しずつ生まれていく、白い一枚だけだった。

涼介「……なんか、頭、空っぽになるな。これ」

「でしょ。紙漉きは、考えごとに向かないの。一瞬でも気を抜くと、紙がそれを覚えちゃうから」

紬が、ふっと笑った。声を立てない、昔のままの笑顔だった。


5. 源造じいさんの話

何日か、俺は毎日、高瀬紙工房に通った。

川で楮を晒し、午後は槽の前で紙を漉く。最初はぼろぼろだった俺の紙も、少しずつ、薄く、均一になっていった。その手伝いをしているうちに、東京で凍りついていた何かが、ゆっくり溶けていくのがわかった。

ある日の昼、楮の束を担いで、源造(げんぞう)じいさんが工房に来た。村で楮を育て、高瀬の工房に納め続けている、八十近い老人だ。じいさんは、俺を見て、目を丸くした。

源造「おう、瀬戸んとこの坊主か! でかくなって。……紬ちゃんの手伝い、しとるんか。そりゃ、ええ」

じいさんは、上がり框に腰を下ろして、お茶をすすった。

源造「あの子ぁ、苦労したんぞ。親父さんが、ある朝、漉き場でぽっくり逝ってな。葬式の翌日にゃ、もう簀桁握っとった。……納める紙の約束が、あったからってな」

涼介「……紬が、一人で」

源造「最初の冬は、ひどかった。漉いても漉いても、親父さんみてえな紙にならんで。夜中に一人で、漉き損じの紙の山の前で、泣いとったって話だ」

じいさんは、少し声を落とした。

源造「街の大きい工場から、何度も誘われとったらしいぞ。『機械漉きに来れば、こんな寒い思いせんでええ』『給料も出す』ってな。……でも、ぜんぶ断った」

涼介「……なんで」

源造「『この谷の楮を、手で漉くとこがなくなったら、源さんの育てた木が、行き場をなくす』ってな。あの子、わしの楮の、行き先まで背負っちまっとる。……あの工房の灯りは、この谷で、最後の一つよ」

俺は、湯呑みを握りしめたまま、何も言えなかった。

源造「なあ、坊主。あの子ぁ、ああ見えて、ずっと一人で、歯ぁ食いしばっとる。……お前さんが帰ってきてから、ちょっと、顔がやわらこうなった。久しぶりに見たぞ、あの子の、あんな顔」

じいさんの言葉が、雪の照り返しの白い光の中で、ずっと頭から離れなかった。


6. 干し場の、二人

その日の夕暮れ、漉き上げた紙を干すのを手伝った。

濡れた紙を一枚ずつ、刷毛で、熱した鉄板に貼りつけていく。水気が飛んで、ぴん、と乾いていくと、雪のように白い和紙が、一枚、また一枚と仕上がる。湯気と、紙の匂いで、作業場は、ほんのり暖かかった。

涼介「……きれいだな。この白」

「寒漉きの白だよ。夏に漉いた紙とは、白さが違うの。……あんた、紙のプロでしょ。わかる?」

涼介「……わかる。これ、いい紙だ。墨が、きれいに乗る紙だ」

俺が、乾いた一枚を、灯りに透かして見ると、紬が、少しだけ、嬉しそうな顔をした。

「……それ、神社の、正月のお札になるの。御幣(ごへい)も。村じゅうの、一年の無事を願う紙。……大晦日までに、あと二百枚、漉かなきゃ」

涼介「二百枚……一人で?」

「毎年、そう。父さんも、その前も。……これだけは、機械の紙じゃ、だめなんだって。神様は、手で漉いた紙じゃないと、宿らないって」

紬は、仕上がった紙を、そっと撫でた。その横顔が、灯りに照らされて、少しさみしそうだった。

「ねえ、涼介。あんた、東京、戻るんだよね。休みが終わったら」

涼介「……正直、わからなくなってきた。ここに来るまでは、戻るもんだと思ってたけど」

「……そっか」

紬は、それ以上、何も言わなかった。けれど、刷毛を持つ手が、ほんの少しだけ、止まっていた。

涼介「……紬。お前、一人で、よくやってきたな」

「……なんで、急に」

涼介「源さんに聞いた。街の工場の誘い、ぜんぶ断ったって。谷の楮のために」

「……あのじいさん、口が軽い」

紬は、ごまかすように、また刷毛を動かした。その指先が、少しだけ、震えていた。

「……べつに、立派なことじゃないよ。私はただ、この谷の冬が、好きなだけ。雪が降って、水が冷たくて、白い紙が一枚ずつ生まれてくる、この静けさが。……それが消えたら、私、たぶん、生きてけない。それだけ」

雪が、窓の外で、音もなく降り続けている。俺は、隣に立つ幼馴染のことが、どうしようもなく、愛しかった。


7. 雪の夜、二人で漉く

大晦日が、近づいていた。

お札の紙が、まだ足りない。その夜、俺は工房に残った。

「……帰っていいよ。明日も、早いでしょ」

涼介「いや。手伝う。……二百枚、一人で漉かせられるかよ」

紬は、少し驚いた顔で俺を見て、それから、ふ、と笑った。

「……じゃ、頼む。あんたは、晒した楮を、ちぎって、槽に足してって」

夜の工房で、二人きりだった。水を切る音、刷毛の音。窓の外は、谷の闇と、降りやまない雪。俺たちは、黙々と、楮を晒し、紙を漉き、干した。手はかじかんで、足の指の感覚もなくなって、それでも、不思議と疲れなかった。

夜中の二時、最後の一枚が、鉄板に貼られた。あとは、乾くのを待つだけ。紬が、ふう、と大きく息を吐いて、漉き場の隅の、古い火鉢のそばに、どさっと座り込んだ。

「……終わった。二百枚。これで、村の正月、守れる」

涼介「お疲れ。……すごかったな、本当に」

俺は、その隣に座った。火鉢の炭が、ぱちっと小さく爆ぜた。紬の、かじかんで赤くなった手を、俺は、つい、両手で包んだ。

「……っ、冷たいでしょ。私の手」

涼介「冷たい。……でも、あっためる」

紬が、こっちを見上げた。火鉢のぼんやりした灯りの下で、その目が、いつもの静けさとは違う、揺れた色をしていた。

涼介「……紬。俺、ここに来てから、ずっとお前のこと、目で追ってた。紙漉きも、寒晒しも、半分、口実だったかもしれない。……お前と、一緒にいたかった」

紬は、しばらく、何も言わなかった。火鉢の炭の音だけが、二人のあいだの沈黙を、ぱちぱちと埋めていた。

「……ずるいよ、涼介。あんた、東京、帰るくせに」

涼介「……まだ、決めてない」

「私はずっと、ここにいる。この雪から、逃げらんない。……期待、させないでよ」

声が、震えていた。俺は、包んだ手を、ぎゅっと握った。冷たくて、あかぎれだらけで、それでも、温かい手だった。

涼介「期待、していい。……俺、お前のことが、好きだ。子どもの頃の紬じゃなくて、今の、一人で工房背負ってる、この紬が」

紬の目から、ぽろっと、涙がこぼれた。声を立てないまま、涙だけが、ひとつ、ふたつ、こぼれていった。

「……ばか。十年も、どこ行ってたの」


8. 雪あかりの中で

俺は、こぼれた涙を指で拭って、そのまま、紬の頬を両手で包んだ。

涼介「……キス、していいか」

「……いちいち、訊かないで」

それが、答えだった。顔を寄せて、唇を重ねる。冷えた頬とは裏腹に、唇は、火鉢に温められて、やわらかく、温かかった。

ちゅ、と。

「ん……」

一度離れて、目を合わせて、どちらからともなく、もう一度、深く重ねた。十年分の距離が、唇から、溶けていくみたいだった。

ちゅ……ちゅぷ……

「は……っ、涼介……」

唇の隙間から舌が触れて、紬が、おずおずとそれに応える。いつも半歩後ろを歩いていた、口数の少ない幼馴染が、俺の腕の中で、こんなに素直に震えていることが、信じられなかった。

涼介「……奥の、部屋。囲炉裏の。布団、あるんだろ」

「……うん。あるけど。……古いよ」

涼介「かまわない」

工房の奥の、囲炉裏のある小さな部屋。炭の温(ぬく)もりと、乾いた和紙の、清潔な匂いが、染みついていた。紬を布団に座らせて、隣に腰を下ろす。障子の外で、雪が、しんしんと降り続けている。

涼介「緊張してる?」

「……してる。だって、相手、あんただぞ。川で、私の後ろ、ついて歩いてた涼介だぞ」

涼介「それ、今言うことかよ」

「……でも。涼介で、よかった。……他の、誰でもなくて」

その一言で、胸の奥が、熱くなった。もう一度、唇を重ねる。今度のキスは、さっきより深くて、もっと熱かった。

ちゅぷ……れろ……ちゅ……

「ん……ふ……っ」

キスをしながら、紬の前掛けの紐をほどき、セーターをそっと脱がせ、ブラウスのボタンを、一つ、また一つと外していく。簀桁で水を流すときと同じくらい、丁寧に。急かされないことに、紬の体が、かえって火照るのがわかった。

涼介「……きれいだ。紬」

「やめて……っ、恥ずかしい……」

涼介「ほんとのことだろ」

俺の唇が、冷えた首筋に降りていく。

ちゅ……ちゅっ……

「ん……っ」

鎖骨に、肩に、唇が落ちるたびに、肌がぴくんと震えた。ブラのホックを外すと、胸が、囲炉裏の灯りの下にこぼれ出る。俺の手が、それをそっと包んだ。

「あ……っ」

涼介「……あったかい」

「もう……っ、いちいち、言わないで……っ」

形を確かめるように揉むと、紬は、口元を手の甲で押さえた。指の腹が、つんと立ちはじめた先端をかすめると、体がびくっと跳ねる。

「ひゃ……っ、そこ……っ」

涼介「ここ?」

「っ……意地悪、しないで……っ」

口では弱々しく拒むのに、先端を口に含んで、舌で転がしはじめると、もうだめだった。

れろ……ちゅ……ちゅうっ……

「あ……っ、ん……っ♡ やぁ……っ♡」

声を立てないはずの紬の、甘い声が、勝手に漏れる。この声を聞けるのは、たぶん、世界で俺だけだ。そう思うと、たまらなかった。胸を愛撫しながら、もう片方の手で、火照った腿の内側を、ゆっくり撫で上げていく。

「ん……っ♡」

涼介「力、抜いて。……痛くしない」

その声に、紬の体から、少しずつ力が抜けた。下着の上から、いちばん敏感なところに触れる。

「あっ……♡」

布越しでも、もうそこが熱を持っているのが、わかった。指がそっと撫でるたびに、腰が小さく揺れる。下着を脱がせて、直接そこに触れると——

くちゅ、と。

「ひゃ……っ♡」

涼介「……もう、こんなに」

「言わないで……っ♡ 涼介の、せいだから……っ」

恥ずかしさで消えそうな顔をして、それでも紬は、俺の腕にしがみついてきた。敏感な突起を、指の腹でくるくると円を描くように撫でると、彼女の腰が、跳ねた。

くちゅ……くちゅ……

「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡」

涼介「紬、すごい顔してる。……可愛い」

「やっ……見ないで……っ♡」

指が、ゆっくり中へ滑り込んでいく。

ずぷ……っ

「あぁ……っ♡」

熱くて、とろとろに濡れていた。障子の外の雪が、紬の声を、優しく吸い取ってくれている。弱い場所を指の腹で擦りながら、親指で突起を転がすと、紬の体は、もう自分では止まらなかった。

くちゅくちゅくちゅっ……

「あっ♡ あっ♡ だめ……っ♡ それ続けたら……っ♡」

涼介「いいよ。イって」

「やっ♡ 恥ずかしい……っ♡♡」

指の動きを速めると、紬の体は、あっという間に高みへ押し上げられた。

「あっ♡ あっ♡ あっ♡——っ♡♡♡」

びくびくっ、と腰が跳ねて、紬が、俺の腕の中で、ぎゅっと体を丸めた。

涼介「……イったな」

「……っ、言わないでって……っ♡」

息を切らせる紬の額に、そっとキスを落とす。汗で張りついた前髪を、指で優しくよけてやった。


9. 繋がる

「……ねえ、涼介」

涼介「ん」

「私ばっかり、ずるい。……あんたも、来て」

静かな口ぶりなのに、声は、甘く震えていた。俺がシャツを脱ぐと、紬が、ぼうっとそれを見ていた。彼女をそっと布団に横たえて、覆いかぶさる。脚の間に体を割り込ませて、熱く張りつめたものを、入り口にあてがった。

涼介「……紬。いいか」

「うん……っ。来て、涼介」

涼介「……つけるから、待ってろ」

「……うん」

避妊具をつける俺を、紬が、潤んだ目で見ていた。こんな夜でも、ちゃんと手順を守る俺を、紬が、ふっと笑った。

「……そういうとこ、昔から、丁寧だよね。あんた」

涼介「……お前を、大事にしたいだけだ」

もう一度、頬に手を添える。

涼介「いくぞ」

「……優しく、して。久しぶり、だから……っ」

ずぷ……っ♡

「ん……あぁ……っ♡♡」

先端が入った瞬間、紬が、俺の背中に腕を回してしがみついた。きつい。でも、とろとろに濡れているから、痛みより、満たされていく感覚のほうが、ずっと大きいのがわかった。

ずず……っ

「あ……っ♡ 奥まで……来てる……っ♡」

涼介「……っ、紬の中、すごく熱い」

根元まで収まって、俺は、ふっと息を吐いた。繋がった場所から、十年分の距離が、じんわり埋まっていく。紬が、俺の背中にしがみついたまま、震える声で囁いた。

「……繋がってる。あの涼介と、私……っ♡ 変な感じ……っ♡」

涼介「もう、お前の後ろついて歩いてた涼介じゃない。……お前を、ちゃんと幸せにできる男だ」

「っ♡♡ そういうの、ずるいって……っ♡」

ゆっくり、動きはじめる。

ずちゅ……ぱちゅ……

「あっ♡ あっ♡ ん……っ♡」

最初は、紬の体を気遣う、優しい律動。引くたびに切なくて、奥に届くたびに、彼女の声が漏れる。額から落ちた汗が、紬の胸に、ぽつりと落ちた。

涼介「紬。気持ちいいか」

「……っ♡ うん……っ♡ すごく……っ♡」

涼介「俺も。……ずっと、こうしたかった」

その言葉に、紬が、俺の首に腕を回して、自分から唇を求めてきた。キスをしながら繋がっているのが、こんなに幸せだなんて、東京で紙の原価ばかり計算していた俺は、知らなかった。だんだん律動が深くなって、奥のいちばん感じる場所を突くたびに、紬の体が跳ねた。

ぱちゅ……ぱちゅ……ぱちゅっ♡

「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 奥、当たるの……っ♡♡」

涼介「ここ、いいか」

「っ♡♡ いいっ……♡ 涼介の、好きっ……♡♡」

口走ってから、それが体のことなのか、俺自身のことなのか、紬にも、わからなくなったようだった。たぶん、どっちもだ。彼女の脚を抱え直して、結合が深くなる。

ぱちゅんっ♡♡

「ひあっ♡♡ 深いっ……♡♡」

涼介「紬、中、すごい締まってる」

「だって……っ♡ 気持ちよくて……っ♡♡」

雪の静けさと、二人の息と、肌のぶつかる音だけが、囲炉裏の部屋に満ちる。俺は、もう何も考えられなかった。ただ、目の前の幼馴染が愛しくて、十年分の想いが、体の奥から溢れてくる。

涼介「紬……そろそろ……っ」

「うん……っ♡ 私も……っ♡ 一緒が、いい……っ♡」

紬をぎゅっと抱きしめて、最後の律動を速める。

ぱちゅぱちゅぱちゅっ♡♡♡

「あっ♡ あっ♡ あっ♡♡ イクっ……♡ 涼介、一緒に……っ♡♡」

涼介「ああ……っ、紬……っ!」

ぱちゅんっ——♡♡♡

「あぁぁ……っ♡♡♡」

奥でびくびくと跳ねる俺を、紬の体が、ぎゅうっと締めつけながら受け止める。二人で、同じ波にさらわれた。俺は、汗ばんだ紬の上に、しばらく動けないまま、重なっていた。

「……はぁ……っ♡ すごかった……」

涼介「……紬」

「ん……?」

涼介「好きだ。……川で、お前の後ろ歩いてた頃から、たぶん、ずっと」

「もう……っ、それ、いちばん格好つかないとこじゃん……っ」

紬が泣き笑いすると、俺は、汗で濡れたその頬に、何度もキスを落とした。


10. 雪あけの朝

気づくと、障子の外が、白みはじめていた。

谷の上のほうから、雪あかりの、薄青い光が、少しずつ差し込んでくる。昨夜漉いた二百枚のお札の紙は、隣の部屋で、きれいに乾いて、雪のように白く仕上がっていた。俺は、紬の腕枕に頭を預けて——いや、逆だ。紬が、俺の腕に頭を預けて、まだ少し火照った顔で、煤けた天井の梁を、ぼんやり眺めていた。

「……ねえ、涼介」

涼介「ん」

「あんた、東京、戻るんだよね」

涼介「……戻る。一回はな。休職、片付けてくる」

紬が、ぴくっと、肩を強張らせた。俺は、その肩を、ぎゅっと抱き寄せた。

涼介「でも、紙のこと、お前に、一から教われないか。……いずれ、こっちに、軸足を移したい」

「……え」

涼介「俺さ、東京で、紙を『コストの安いほう』で選ぶの、ずっと嫌だったんだ。……でも、ここで、お前の漉いた紙を、灯りに透かして見て、わかった。俺、ほんとは、こういう紙を、本にしたかったんだ」

紬が、ぱっと顔を上げて、俺を見た。俺は、梁を見上げたまま、続けた。

涼介「お前が漉いた紙で、本を作りたい。装丁屋として、東京と、この谷を繋ぐ仕事が、たぶん、できる。……そうすれば、お前の紙の、行き先が、一個増える。源さんの楮の、行き先も」

「……それ、本気で言ってる?」

涼介「本気。——お前が漉いた寒漉きの白が、あんなにきれいだったんだ。あれを、東京で埋もれさせるなんて、もったいないだろ」

紬の目に、また涙が盛り上がった。今度は、笑いながらだった。

「……ばか。一人で背負ってんの、もう疲れたって、ずっと言えなかったのに。……あんた、なんで、今ごろ帰ってくるの」

涼介「悪い。十年、遠回りした。……でも、もう、一人で背負わせない」

俺は、彼女の手を握った。あかぎれだらけの、よく働く手。子どもの頃、川で俺の手を引いてくれた、あの手だ。それが今、俺の指に、しっかり絡んで、もう離れる気配がなかった。

「……次、いつ帰ってくる」

涼介「春。雪が解けて、楮の芽が出る頃には、また来る。仕事の合間、縫ってでも」

「……待ってる。あんたに教える分の楮、私が、ちゃんと晒しとくから」

涼介「ああ。頼む。——高瀬紙工房の、跡取り娘さん」

「もう。誰が跡取り娘だ」

紬が、俺の胸を、ぽかっと叩いて、それから、その胸に、頬をすり寄せてきた。

障子を少し開けると、雪あけの、ひんやりした谷の空気が流れ込んでくる。降りやんだ空は、抜けるように青かった。軒先から、雪解けの雫が、ぽつ、ぽつ、と落ちている。十年前、俺がこの谷に背を向けたとき、どうしても見えていなかった、すぐ隣にあった気持ち。

東京と、この雪の里。どちらか一つを選ばなきゃいけないと思っていた。でも、違った。新幹線で、会いに来ればいい。守りたいものが、二つになるだけだ。一つは、彼女が漉く、世界一白い紙。もう一つは、その紙を、凍えながら一枚ずつ生み出している、この静かな幼馴染だ。

涼介「紬。次の冬も、その次の冬も。……ずっと、一緒に漉こうな」

「……うん。約束」

雪あかりの光が、少しずつ強くなって、乾いたばかりの真っ白なお札の上で、淡く光った。俺は、もう、この幼馴染の顔を見るのを、我慢しなかった。十年の遠回りの先で、俺はやっと、ずっと隣にあった手を、握り返したのだった。

― 終 ―


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