1. 五階の奥の部屋
僕、宮原啓介、三十一歳。
中堅の機械メーカーで、五年間、ずっと営業をやってきた。
得意先を回って、頭を下げて、数字を作る。向いているとは思わなかったけれど、嫌いでもなかった。
それが、崩れたのは、去年の秋からだった。
大口の取引が一件、僕のミスで流れた。連鎖するように、数字が落ちた。月末の会議で、課長に詰められる。眠れなくなって、朝、満員電車のホームで、足が動かなくなる日が、増えた。
宮原啓介(……もう、無理かもしれない)
そう思いはじめた頃、人事から、異動の内示が出た。
辞令の紙には、聞いたこともない部署の名前が、書いてあった。
「社史編纂室付」。
宮原啓介「……社史、編纂?」
総務の人が、気まずそうに、説明してくれた。来年、会社は創立七十周年を迎える。その記念誌を作るための、臨時の部署。場所は、本社ビルの五階のいちばん奥。
要するに、これは、体のいい「上がり」だ。
数字を作れなくなった営業を、表に置いておけないから、誰も来ない奥の部屋に、しまっておく。そういうことだろう。
同期の田所が、エレベーターホールで、僕の肩を、ぽんと叩いた。
田所「宮原。……まあ、しばらく、休めって意味だよ。きっと」
宮原啓介「……そうかな」
田所「腐るなよ。半年か一年、適当にやり過ごせば、また戻れるって」
戻れる、という言葉が、ぜんぜん、響かなかった。
僕は、段ボールひと箱分の私物を抱えて、五階の、いちばん奥の部屋の、すりガラスのドアを、開けた。
2. 写真の海
ドアを開けた瞬間、紙と、埃と、古い糊の匂いがした。
窓のない壁を、天井までの書架が、ぐるりと囲んでいる。社内報の合本。古いアルバム。色あせた箱が、びっしりと詰まっている。
部屋の真ん中の、大きな作業机。
その一面に、白黒の写真が、何百枚と、広げられていた。
その写真の海の中に、一人、女の人が、座っていた。
倉橋千尋「……ああ。今日からの方ですね」
顔を上げて、彼女は、静かに言った。
歳は、僕より、少し上だろうか。化粧気の薄い、整った顔。長い髪を、後ろでひとつに束ねている。白い綿の手袋をはめた手に、ピンセットのような細い道具を、持っていた。
倉橋千尋「倉橋です。倉橋千尋。……ここの、編纂を、やっています」
宮原啓介「宮原です。今日から、お世話に……」
言いかけて、机の上の、おびただしい写真に、目を奪われた。
運動会。社員旅行。古い工場の落成式。見慣れた今の社屋とは、まるで違う、木造の建物の前で、大勢の人が、固い顔で並んでいる。
宮原啓介「……これ、全部」
倉橋千尋「七十年分です。倉庫に、ばらばらに眠っていたのを、少しずつ、出してきて」
倉橋さんは、ピンセットの先で、一枚の写真を、そっと持ち上げた。
倉橋千尋「いつ、どこで、誰が写っているか。一枚ずつ、調べて、整理しています。……記念誌に載るのは、ほんの数枚ですけど」
宮原啓介「……数枚のために、これを、全部?」
倉橋千尋「ええ」
当たり前のように、彼女は頷いた。
無駄なことを、こんなに淡々と続けられる人が、いるのか。僕は、半ば、呆れた。
そのときの僕は、まだ、知らなかった。
この、気の遠くなるような作業の意味を、僕が、後で、痛いほど、わかることになるなんて。
3. 名前のない人
最初の数日、僕は、ほとんど、役に立たなかった。
何をすればいいのか、わからない。倉橋さんは、多くを語らない。僕は、机の隅で、ただ、古い社内報のページを、めくっていた。
見かねたように、四日目の午後、倉橋さんが、一枚の写真を、僕の前に置いた。
倉橋千尋「宮原さん。これ、いつの写真だと思いますか」
工場の前で、十数人が並んだ、集合写真だった。
宮原啓介「……さあ。昭和、ですか」
倉橋千尋「ふふ。そうですね。……ヒント、あげます」
倉橋さんが、写真の隅を、ピンセットで、そっと指した。並んだ人たちの、足元。
倉橋千尋「この、車。ナンバープレートの形と、車種で、だいたいの年代が、わかります。それと、後ろの建物。第二工場は、昭和四十年に建っているから、それが写っているなら、それ以降」
宮原啓介「……そんなことまで、調べるんですか」
倉橋千尋「写真は、嘘をつかないので。写っているものを、一つずつ、読んでいくんです」
彼女の声は、淡々としているのに、どこか、熱があった。
僕は、おそるおそる、別の一枚を、手に取った。若い男の人が、機械の前で、笑っている写真。裏には、何も書いていない。
宮原啓介「……これ、誰だか、わからないですよね。名前も、書いてないし」
倉橋千尋「ええ。たぶん、もう、わかりません」
倉橋さんは、その写真を、僕の手から、そっと受け取った。
倉橋千尋「でも、この人は、確かに、ここにいたんです。この機械を動かして、笑って。……それが、わかるだけで、いいと思いませんか」
宮原啓介「……いいって」
倉橋千尋「名前が残らなくても。記念誌に載らなくても。……この人がいたから、今の会社が、あるんです。一枚ずつ、ちゃんと、見てあげたくて」
彼女は、その名もない人の写真を、丁寧に、整理用の袋に納めた。
その手つきが、あんまり優しくて、僕は、なぜだか、胸の奥が、ざわついた。
数字を作れなくなって、奥の部屋に「しまわれた」自分のことを、ふと、その写真に、重ねてしまったのだ。
4. 二人の昼休み
その部屋には、僕と、倉橋さんしか、いなかった。
電話も、ほとんど鳴らない。来客もない。時間が、ゆっくりと、流れていた。
昼休み。倉橋さんは、いつも、小さな弁当を持ってきて、作業机の端で、静かに食べていた。
ある日、僕が、コンビニのパンをかじっていると、彼女が、ぽつりと言った。
倉橋千尋「宮原さんは、営業から、来たんですよね」
宮原啓介「……はい。まあ、その。飛ばされた、というか」
自嘲を込めて言うと、倉橋さんは、箸を止めて、僕を見た。
倉橋千尋「飛ばされた、と思ってるんですか」
宮原啓介「……正直、そうです。数字、作れなくなって。表に置いとけないから、ここに」
倉橋千尋「……そうですか」
彼女は、それ以上、慰めも、否定も、しなかった。ただ、少し間を置いて、自分のことを、話しはじめた。
倉橋千尋「私、嘱託なんです。一年ごとの、契約。……記念誌が出来上がったら、この仕事も、終わりです」
宮原啓介「……そうなんですか」
倉橋千尋「もともと、市の郷土資料館で、古い写真や文書を整理する仕事を、していました。でも、予算が削られて、契約が切られて。……それで、この記念誌の話を、もらって」
淡々と、彼女は言った。
倉橋千尋「私も、ある意味、しまわれた人間ですよ。要らなくなったら、契約が切れる。……宮原さんと、そんなに、変わりません」
その言葉に、僕は、はっとした。
この人は、僕が、自分を哀れんでいることを、見抜いていた。そして、自分も同じだ、と、さらりと言うことで、僕の自己憐憫を、そっと、横に置いてくれた。
倉橋千尋「でも、私は、この仕事、好きです。……誰も見ない写真を、ちゃんと見る人が、一人くらい、いてもいいでしょう」
そう言って、倉橋さんは、ほんの少しだけ、笑った。
その日初めて見た、彼女の笑顔だった。
5. 創業者の机
記念誌の仕事は、地味だけれど、奥が深かった。
倉橋さんに教わりながら、僕は、少しずつ、写真を読めるようになっていった。年代を割り出し、場所を特定し、わかる範囲で、人物を調べる。古い社員名簿と、写真を、照らし合わせる。
夢中になっている自分に、ある日、気づいた。
営業のとき、あんなに重かった一日が、この部屋では、あっという間に過ぎた。
ある午後、倉橋さんが、書架の奥から、古い木箱を、運んできた。
倉橋千尋「宮原さん。これ、創業者の、遺品らしくて。倉庫の隅に、ずっと、あったみたいです」
箱の中には、変色した手帳や、万年筆、それから、一枚の写真が、入っていた。
若い男が、何もない更地に、一人で立っている写真。
倉橋千尋「……これ、たぶん、創業の年です。会社を、始める前。この更地に、最初の工場が、建ちました」
宮原啓介「一人、ですね」
倉橋千尋「ええ。最初は、いつだって、一人です」
倉橋さんは、その写真を、灯りに、そっとかざした。
倉橋千尋「この人も、きっと、怖かったと思います。何もない場所に、立って。……でも、ここから、七十年分の、何千人の人生が、始まったんです」
僕は、その横顔を、見ていた。
古い写真を見つめる、彼女の目が、まるで、その更地に立つ若者と、言葉を交わしているみたいに、優しかった。
宮原啓介「……倉橋さんは、すごいですね」
倉橋千尋「え?」
宮原啓介「僕、ここに来るまで、社史なんて、誰も読まない、過去の記録だと、思ってました。……でも、倉橋さんが見てると、なんか、写真の中の人が、生きてるみたいに、見えてくる」
倉橋さんは、少し驚いた顔をして、それから、目を伏せた。
倉橋千尋「……そんなふうに、言ってくれた人、初めてです」
その耳が、ほんのり、赤かった。
窓のないこの部屋に、いつのまにか、僕にとっての、唯一の居場所が、できはじめていた。
6. 残業の灯り
秋が、深まっていった。
記念誌の入稿の締め切りが、近づいていた。本文の校正、写真の選定、キャプションの確認。やることは、山ほどあった。
僕たちは、毎晩のように、残業をした。
五階の奥の、すりガラスのドアの向こうだけに、灯りがともる。ビルのほかのフロアは、とっくに暗くなっているのに、僕たちの部屋だけ、夜遅くまで、明るかった。
宮原啓介「倉橋さん。このキャプション、年代、合ってます?」
倉橋千尋「……ええと、待ってください。元の写真、確認します」
肩を並べて、一枚の写真を、覗き込む。
倉橋さんの髪から、ふわりと、石鹸みたいな匂いがした。近い距離に、心臓が、跳ねる。
倉橋千尋「……合ってますね。大丈夫です」
宮原啓介「……あ、はい」
慌てて、僕は、体を引いた。
倉橋さんは、気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、淡々と、次の写真に、手を伸ばした。
夜の十時を回って、僕は、自販機で、缶コーヒーを二つ買ってきた。
宮原啓介「……これ。よかったら」
倉橋千尋「……ありがとうございます」
並んで、温かい缶を、手のひらで包む。
ふと、倉橋さんが、ぽつりと言った。
倉橋千尋「……宮原さん。最近、顔つき、変わりましたね」
宮原啓介「え?」
倉橋千尋「ここに来た頃、すごく、しんどそうな顔、してました。……今は、ちょっと、楽しそう」
宮原啓介「……そう、ですか」
倉橋千尋「ええ。……写真、楽しいでしょう」
写真が、というより。
楽しいのは、たぶん、この部屋で、あなたと、こうしていることだ。
そう言いかけて、僕は、缶コーヒーを、ぐっと、飲み込んだ。
まだ、言えなかった。けれど、自分の気持ちが、どこに向かっているのかは、もう、はっきりしていた。
7. 消えた一枚
入稿の、三日前だった。
事件が、起きた。
記念誌の、巻頭を飾るはずの、一枚の写真が、見つからなくなったのだ。創業初期の、社員全員が写った、いちばん大切な集合写真。データ化する前の、オリジナルのプリントが、どこにもない。
倉橋千尋「……おかしいです。先週まで、確かに、ここに」
倉橋さんの顔が、青ざめていた。いつも淡々としている彼女が、初めて、慌てていた。
宮原啓介「倉橋さん。落ち着いて。一緒に、探しましょう」
その夜、僕たちは、終電も気にせず、書架を、一段ずつ、ひっくり返した。
何百という箱を、開けては、戻す。埃で、二人とも、真っ白になった。
日付が変わる頃。
書架のいちばん下の、別の箱に紛れ込んでいた、その一枚を、僕が、見つけた。
宮原啓介「……倉橋さん! あった! これ、ですよね」
倉橋千尋「……っ、それ……!」
倉橋さんが、駆け寄ってきた。写真を確かめて、彼女は、その場に、へなへなと、座り込んだ。
倉橋千尋「……よかった……。本当に、よかった……」
宮原啓介「倉橋さん?」
見ると、彼女の目から、ぽろぽろと、涙が、こぼれていた。
いつも、感情を、表に出さない人が。
倉橋千尋「……すみません。私、これがなかったら、どうしようって。……この記念誌、私の、最後の仕事だから」
宮原啓介「……最後の」
倉橋千尋「契約、来年の三月で、終わりです。……これが、私が、最後に、ちゃんと残せるもの、なんです。だから……っ」
涙を拭おうとして、手袋が、埃で汚れていることに気づいて、彼女は、困ったように、手を止めた。
僕は、思わず、ポケットのハンカチを、差し出した。
宮原啓介「……これ、使ってください」
倉橋千尋「……っ、ありがとう、ございます」
ハンカチで目元を押さえる彼女の、その小さな肩が、震えていた。
僕は、もう、我慢できなかった。
宮原啓介「倉橋さん。……あなたは、要らなくなる人間なんかじゃ、ない」
倉橋千尋「……え」
宮原啓介「あなたが言ったんですよ。名前が残らなくても、その人は、確かにいた、って。……あなたのやった仕事は、ぜんぶ、この記念誌に、残る。何十年も先まで、残るんです」
倉橋さんが、潤んだ目で、僕を見上げた。
宮原啓介「……あなたは、しまわれた人間なんかじゃ、ない。僕が、いちばん、それを、知ってます」
埃まみれの、深夜の編纂室で。
僕たちは、しばらく、見つめ合っていた。
8. 入稿の夜
そして、入稿の日が、来た。
最後のデータを、印刷会社に送る。送信ボタンを押した瞬間、倉橋さんが、長い、長い息を、吐いた。
倉橋千尋「……終わった」
宮原啓介「……お疲れ様でした」
時計は、夜の九時を、回っていた。
ビルは、しんと、静まり返っている。この部屋だけが、まだ、明るい。
倉橋さんが、書架にもたれて、ぼんやりと、天井を見上げた。
倉橋千尋「……宮原さんが、いてくれて、よかったです。一人だったら、たぶん、間に合わなかった」
宮原啓介「僕のほうこそ。……ここに来なかったら、僕、たぶん、会社、辞めてました」
窓の外——いや、この部屋に窓はない。けれど、廊下の先の、非常口の小さな窓から、秋の夜の、澄んだ気配が、流れ込んでくるようだった。
宮原啓介「倉橋さん」
倉橋千尋「はい」
宮原啓介「契約が、三月で終わっても。……あなたと、ここで終わりに、したくないんです」
倉橋さんが、書架から、背を起こした。
宮原啓介「最初は、写真が、楽しかった。でも、いつのまにか、僕が、毎日、楽しみにしてたのは。……この部屋に、あなたが、いることでした」
静かな部屋に、僕の声だけが、響いた。
宮原啓介「好きです、倉橋さん。……仕事の、相手としてじゃなくて」
倉橋さんは、しばらく、何も言わなかった。
それから、ゆっくりと、僕のほうへ、一歩、近づいてきた。
倉橋千尋「……宮原さん。私、もう、若くないし。契約も、不安定だし。……こんな、面倒な人間ですよ」
宮原啓介「知ってます。……ぜんぶ、見てきました。半年、ずっと」
倉橋千尋「……ずるい、です。そんな言い方」
彼女の声が、震えていた。
倉橋千尋「……私も、なんです。宮原さんが、来てくれてから。……この部屋に、来るのが、毎朝、楽しみで」
僕は、彼女の頬に、そっと、手を伸ばした。
埃と、紙の匂いの中で。
倉橋さんは、逃げなかった。目を閉じて、ほんの少し、顔を、上向けた。
僕は、ゆっくりと、唇を重ねた。
ちゅっ。
倉橋千尋「……ん」
柔らかくて、少しだけ、しょっぱい味がした。さっき、泣いたからだろうか。
一度離れて、見つめ合う。
宮原啓介「……もう一回、いいですか」
倉橋千尋「……はい」
今度は、もっと、深く。
ちゅっ……ちゅるっ……
倉橋さんの手が、おずおずと、僕のシャツの胸元を、きゅっと、握った。
9. 灯りの下で
部屋の、天井の蛍光灯を、半分だけ、消した。
作業机を照らす、手元のライトだけが、残る。
その、やわらかい光の中で、僕は、倉橋さんを、書架の前の、古いソファへ、そっと、座らせた。
倉橋千尋「……こんなところで、なんて。……だめな、大人ですね、私たち」
宮原啓介「……ここが、いいんです。二人の、始まった場所だから」
倉橋千尋「……ふふ。なにそれ」
笑った彼女の唇に、もう一度、口づける。
束ねた髪を、そっと、ほどいた。長い髪が、肩に、さらりと、落ちる。
いつも、きっちりと結んでいた彼女が、急に、無防備に見えて、僕は、息を呑んだ。
宮原啓介「……綺麗です」
倉橋千尋「……言わないで、ください。恥ずかしい」
ブラウスのボタンを、一つずつ、外していく。
白い肌が、手元のライトに、ほんのり、照らされる。普段、地味なシャツに隠れている体は、思っていたよりも、ずっと、女らしかった。
倉橋千尋「……あんまり、見ないで」
両腕で、胸元を、隠そうとする。
その手を、僕は、そっと、どけた。
背中に手を回して、ホックを外す。
かちり、と。
倉橋千尋「……っ」
ふるん、と、白い胸が、こぼれた。
僕は、その柔らかさを、両手で、そっと包んだ。
倉橋千尋「ん……っ」
宮原啓介「……柔らかい」
倉橋千尋「……いちいち、言わないで……っ」
口では、そう言うのに、彼女の息は、もう、少し、上がっていた。
指の先で、つんと色づいた先端に触れると、体が、びくっと、跳ねた。
倉橋千尋「ひゃっ……そこ……っ」
宮原啓介「ここ、弱いんですか」
倉橋千尋「……知らない、です……っ」
僕は、片方の先端を、口に含んだ。
ちゅっ……れろっ……
倉橋千尋「あっ……ん……っ」
いつも、古い写真を前に、淡々としている彼女が。
甘くて、頼りない声を、こぼしている。
そのギャップに、僕は、たまらなくなった。
舌で先端を転がしながら、もう片方の胸を、やわやわと、揉む。
倉橋千尋「宮原さん……っ、それ……だめ……っ」
倉橋さんの太ももが、もじもじと、すり合わさっている。
僕は、そっと、スカートの中へ、手を滑らせた。
宮原啓介「……脱がせて、いいですか」
倉橋千尋「……っ、はい」
スカートを下ろすと、白い下着だけに、なった。
その中心は、もう、しっとりと、湿りはじめていた。
布越しに、そっと指でなぞると。
倉橋千尋「んっ……」
彼女の腰が、ぴくんと、跳ねた。
宮原啓介「……もう、濡れてます」
倉橋千尋「……言わないで、って……っ。だって、宮原さんが……」
恥ずかしそうに、顔を背ける、その横顔が、たまらなく、可愛かった。
僕は、最後の一枚を、ゆっくりと、脱がせた。
手元のライトの光に、しっとりと濡れたそこが、ほのかに、光っていた。
指で、優しく、敏感な突起を、撫でる。
くちゅ、と、小さな水音がした。
倉橋千尋「あっ……♡」
宮原啓介「気持ち、いいですか」
倉橋千尋「……っ、うん……っ♡」
円を描くように撫でながら、指を、ゆっくり、中へ滑らせた。
ずぷ、と。
倉橋千尋「んあっ……♡」
熱くて、きつい中が、僕の指を、きゅっと、締めつける。
倉橋千尋「宮原さん……っ♡ だめ……それ……っ♡」
宮原啓介「いいですよ。……我慢、しないで」
倉橋千尋「やっ♡ 見ないで……っ♡♡」
指の動きを速めると、彼女の体が、ぐっと、反った。
倉橋千尋「あっ♡ あっ♡ ——っ♡♡♡」
びくびく、と腰が震えて、中が、きゅうっと、締まる。
息を切らせる倉橋さんの額に、汗で張りついた髪を、僕は、そっと、よけてやった。
10. 重なる二人
倉橋千尋「……はぁ……っ。宮原さんも……」
倉橋さんが、潤んだ目で、僕を、見上げた。
倉橋千尋「……私だけ、なんて。ずるい、です」
僕は、避妊具をつけて、彼女の脚の間に、体を、進めた。
熱く張りつめたものを、濡れた入り口に、あてがう。
宮原啓介「……いきます」
倉橋千尋「……はい。来て、ください」
ゆっくりと、腰を進めた。
ずぷ……っ♡
倉橋千尋「んっ……あぁ……っ♡♡」
先端が入った瞬間、倉橋さんが、僕の背中に、しがみついた。
きつい。でも、とろとろに濡れているから、彼女の中は、僕を、奥まで、ゆっくりと、受け入れていく。
ずず……っ
倉橋千尋「あ……っ♡ 奥……来てる……っ♡」
宮原啓介「……倉橋さんの中、すごく、熱い」
根元まで収まって、僕は、一度、深く、息を吐いた。
繋がった場所から、半年間、同じ部屋で過ごした距離が、じんわりと、埋まっていく。
宮原啓介「……動いて、平気ですか」
倉橋千尋「……うん。来て、ください……っ」
ゆっくりと、動きはじめた。
ずちゅ……ぱちゅ……
倉橋千尋「あっ♡ ん……っ♡」
誰もいない、夜のビル。古い写真に囲まれた、二人だけの部屋。
その静けさに、彼女の甘い声と、肌の触れ合う音が、混ざっていく。
宮原啓介「倉橋さん、気持ち、いいですか」
倉橋千尋「……っ♡ うん……っ♡ すごく……っ♡」
宮原啓介「僕も。……ずっと、こうしてたい」
倉橋さんが、僕の首に腕を回して、自分から、唇を、求めてきた。
キスをしながら、奥を突くたびに、彼女の体が、跳ねる。
ぱちゅ……ぱちゅ……ぱちゅっ♡
倉橋千尋「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 奥、当たるの……っ♡♡」
宮原啓介「ここ、好きですか」
倉橋千尋「っ♡♡ 好き……っ♡ 宮原さんの……好き……っ♡♡」
それが、体のことなのか、僕自身のことなのか。たぶん、どっちも、だった。
倉橋千尋「……名前で、呼んで、ください……っ♡」
宮原啓介「……千尋さん」
倉橋千尋「……っ♡♡」
名前を呼ぶと、彼女の中が、きゅうっと、締まった。
宮原啓介「千尋さん。……あなたが、いてくれて、よかった」
倉橋千尋「……私も……っ♡ 啓介さん……っ♡」
僕の名前を、彼女が、初めて、呼んでくれた。
それだけで、胸の奥が、いっぱいに、なった。
ソファが、小さく、軋む。
手元のライトの光の中、二人の声が、満ちていく。
倉橋千尋「啓介さん……っ♡ もう……っ♡」
宮原啓介「僕も……っ。一緒に」
倉橋千尋「うん……っ♡ 一緒が、いい……っ♡」
僕は、千尋さんを、ぎゅっと抱きしめて、最後の律動を、速めた。
ぱちゅぱちゅぱちゅっ♡♡♡
倉橋千尋「あっ♡ あっ♡ イクっ……♡ 啓介さん、一緒に……っ♡♡」
宮原啓介「……っ、千尋さんっ」
ぱちゅんっ——♡♡♡
倉橋千尋「あぁぁ……っ♡♡♡」
奥で、僕が震えるのを、千尋さんの体が、ぎゅうっと締めつけながら、受け止める。
二人で、同じ波に、さらわれた。
汗ばんだ体が、ぴったり重なったまま、しばらく、動けなかった。
倉橋千尋「……はぁ……っ。……こんなの、初めてです」
宮原啓介「……千尋さん」
倉橋千尋「ん……?」
宮原啓介「明日も、明後日も。……この部屋に、来ていいですか」
千尋さんが、ふっと、笑った。
倉橋千尋「……当たり前です。記念誌、まだ、校了まで、あるんですから」
そう言って、僕の胸に、頬を、すり寄せた。
11. 七十一年目の写真
数日後。
完成した記念誌が、編纂室に、届いた。
ずっしりと重い、ハードカバーの一冊。表紙には、創業者が、一人で立つ、あの更地の写真が、使われていた。
僕と千尋さんは、机に並んで、ページを、一枚ずつ、めくった。
名もない人たちの、笑顔。古い工場。社員旅行。運動会。七十年分の、誰かの人生が、そこに、ちゃんと、残っていた。
倉橋千尋「……できましたね」
宮原啓介「……はい。すごい、ですね。これ」
倉橋千尋「宮原さんが、見つけてくれた、あの写真も」
巻頭の、創業初期の集合写真を、千尋さんが、指でなぞった。
倉橋千尋「……ここに、ちゃんと、載りました」
その横顔が、満ち足りていて、僕は、見とれた。
宮原啓介「千尋さん。……契約のこと、なんですけど」
倉橋千尋「……はい」
宮原啓介「総務に、掛け合おうと思ってます。記念誌が終わっても、社史室を、ちゃんと残すべきだ、って。……七十年分の資料を、せっかく整理したのに、また倉庫に戻したら、もったいない」
千尋さんが、驚いた顔で、僕を見た。
宮原啓介「僕、ここに、残ろうと思います。営業には、戻りません。……この仕事が、好きになったから」
倉橋千尋「……宮原さん」
宮原啓介「だから。……あなたの契約も、僕が、絶対に、守ります。一緒に、続けましょう。この部屋を」
千尋さんの目に、じわりと、涙が、にじんだ。
倉橋千尋「……しまわれた者同士、だったのに」
宮原啓介「ええ。……でも、もう、違う。僕たちは、自分で、ここを選んだんです」
千尋さんが、僕の手を、きゅっと、握った。
白い手袋を外した、その素手は、少しだけ、冷たくて、けれど、確かに、生きていた。
倉橋千尋「……ねえ、啓介さん」
宮原啓介「はい」
倉橋千尋「いつか、七十一年目の記念誌を作るとき。……今日の私たちのことも、一行くらい、載せて、もらえるかな」
宮原啓介「……載せましょう。『この年、社史編纂室で、二人が出会った』って」
千尋さんが、泣きながら、笑った。
窓のない、古い紙の匂いのする部屋。
誰も来ない、会社の隅の、しまわれた部屋。
そこは、いつのまにか、僕にとって、世界でいちばん、大切な場所に、なっていた。
倉橋千尋「……これからも、よろしくお願いします。啓介さん」
宮原啓介「こちらこそ。……千尋さん」
僕は、彼女の手を、握り返した。
七十年分の、名もない人たちの写真に、見守られながら。
僕たちの、新しい一枚目が、静かに、始まっていた。
― 終 ―