祖父のフィルムカメラを抱えて二年で潜り込んだ廃部寸前の大学写真部で、取り壊し間近の暗室にひとりこもる寡黙な四年の先輩に現像を教わるうち、最後の一本を引き伸ばした初夏の夜に赤い灯りの下で結ばれた話

暗室というのは、世界からいちばん遠い部屋だと思う。

僕、高梨蓮(たかなし れん)、二十歳。大学の二年生で、つい先月、半分つぶれかけた写真部にこっそり入部した。きっかけは、春に亡くなった祖父の遺品だ。古いフィルムの一眼レフと、中に入ったまま現像されていない、一本のフィルム。祖父が最後に何を撮ったのか、それが知りたくて、僕はデジタルしか触ったことのない素人のくせに、フィルムを現像できる場所を探した。

たどり着いたのが、キャンパスのいちばん奥、もう誰も近寄らないプレハブの部室棟の二階だった。

(……本当に、ここで合ってるのか)

ドアには色あせた「写真部」の札。ノックをしても返事はなくて、おそるおそる開けると、中は真っ暗だった。ただ、奥のもうひとつのドアの隙間から、ぼうっと赤い光が漏れている。

「――入るなら、早く閉めて。光が入る」

低くて、静かな声がした。慌ててドアを閉めると、その赤い光のほうから、白い手だけが先に見えた。


赤い安全光の下に立っていたのは、ひとりの女の人だった。

宮原灯子(みやはら とうこ)さん。四年生で、いまや部員がほとんどいなくなったこの写真部に、たった一人だけ残ってフィルムを焼き続けている先輩だった。髪をうしろで無造作にまとめて、黒いエプロンをして、トレイの中の印画紙を、ピンセットでゆっくり揺らしていた。

「見学? それとも入部?」

「あの……現像を、教わりたくて。このフィルム、祖父の形見で」

僕が古いパトローネを差し出すと、先輩は手を止めて、こちらをちらりと見た。表情はあまり動かない。けれど、その目が、僕の手のひらのフィルムを、ずいぶん長いあいだ見つめていた。

「……モノクロね。これ、自分で焼く?」

「焼く、って……何をすればいいのかも、わからなくて」

「じゃあ、いちから。気の長い話になるけど、いい?」

そう言って、先輩は初めて、口の端をほんの少しだけ上げた。笑った、というには控えめすぎる表情。でも、その一瞬で、僕はこの赤い部屋から、しばらく出られなくなる予感がした。


写真部は、もうほとんど死にかけていた。

僕の同期で、唯一の知り合いだった工藤が、廊下でこっそり教えてくれた。

「お前、あの暗室の先輩に教わってんの? すげえな。あの人、ほぼ誰とも喋らないって有名だぞ」

「そんなに?」

「部、もう実質あの人だけだもん。しかもさ、この部室棟、夏休みに取り壊し決まってんだよ。暗室も、それで終わり」

その話は、先輩からも聞いていた。築五十年のプレハブは耐震の基準を満たさなくて、夏のあいだに解体される。大学にはもう、フィルムの暗室なんて作り直す予算はない。つまり、この赤い部屋でフィルムを焼けるのは、あと一ヶ月ちょっとだけ、ということだった。

「先輩は、寂しくないんですかね。この暗室、なくなるの」

「さあ。あの人、何考えてるかわかんねえもん」

わからない、と工藤は言った。でも僕には、あの赤い光の下で印画紙を見つめる先輩の横顔が、寂しくないわけがない、と思えてならなかった。


現像は、想像していたよりずっと、地味な作業だった。

暗闇の中で手探りでフィルムをリールに巻き、現像液、停止液、定着液と、決められた時間、決められた温度で薬品を通していく。先輩は、ひとつひとつの工程を、低い声で淡々と教えてくれた。

「焦らないで。フィルムは、時間とおんなじだから。早送りはできない」

「時間……」

「うん。撮った瞬間が、そのまま閉じ込められてる。だから、ていねいに開けてあげるの」

ネガが乾いたら、今度は引き伸ばし。引き伸ばし機にネガをセットして、印画紙に光を当て、そして――現像液のトレイに、その紙を、そっと滑り込ませる。

「見てて。ここからが、いちばんいいとこ」

白かった印画紙の上に、じわり、と影が滲んできた。淡い灰色が、だんだん濃くなって、輪郭になって、やがて――それは、祖父が撮った景色になった。

縁側から見た、夏の庭。祖母が育てていた、朝顔の鉢。半世紀前の、誰も知らない一日が、赤い光の下で、ゆっくりと浮かび上がってくる。

「……すごい。出て、くる」

「うん。出てくる」

気づいたら、僕は泣きそうになっていた。それを見て、先輩は何も言わず、ただ僕の隣で、印画紙が像を結んでいくのを、一緒に見ていてくれた。


それから、僕はほとんど毎晩、暗室に通うようになった。

口実は現像の練習だったけれど、本当は、たぶん違った。赤い光の下で、二人きりで、薬品の匂いに包まれて過ごす時間が、いつのまにか僕の一日の真ん中になっていた。

先輩は、暗室の中では別人みたいに、よく喋った。

「私、明るいとこだと、うまく喋れないの。人の目が、まぶしくて」

「暗室だと、平気なんですか」

「ここは、赤い光しかないから。相手の顔も、半分しか見えない。それくらいが、ちょうどいい」

トレイの中の印画紙を揺らしながら、先輩はぽつりと続けた。

「高梨くんは、よく来るね。みんな、すぐ来なくなるのに」

「……先輩のいる暗室、居心地がいいんです」

「……変なの」

そう言いながら、先輩の横顔が、赤い光の中で、少しだけやわらかくなった。狭い暗室は、二人で立つと、肩が触れそうなほど近い。薬品を取ろうと先輩が手を伸ばすたび、まとめた髪から、ほのかに石けんの匂いがした。


ある晩、先輩が自分のネガを焼いていた。

引き伸ばし機の下に浮かんだのは、夜のキャンパスだった。誰もいない、がらんとした部室棟。窓の灯り。そして、その何枚かに、見覚えのある後ろ姿が写っていた。フィルムカメラを抱えた、僕の背中だった。

「……これ、僕ですか」

「……あ」

先輩が、めずらしく慌てた。トレイの前で、印画紙を取り上げようとして、ピンセットを落とした。

「ち、違う。これは、その、人物の練習で」

「練習で、僕だけ何枚も?」

「……っ」

赤い光の下でも、先輩の頬が赤くなったのが、わかった。いつも淡々としている人が、言葉に詰まって、目を伏せている。その姿に、僕の心臓は、ばくばくと鳴りはじめた。

「……この暗室がなくなったら、私、ここに高梨くんがいたこと、忘れちゃう気がして。だから……残しておきたかったの」

「忘れないでください。僕も、絶対、忘れないので」

言ってから、自分の声が熱を帯びていることに気づいた。先輩は何も言わず、ただ、落としたピンセットを拾うふりをして、ずっとうつむいていた。


部室棟の取り壊しは、思っていたより早く迫った。

解体の二日前。最後の週末に、僕は祖父のフィルムの、まだ焼いていなかった残りの一枚を持って、暗室へ向かった。先輩も、私物を片付けに来ていた。何年も使い込んだ暗室は、薬品の瓶も、引き伸ばし機も、もうほとんど箱に詰められていた。

「……最後だね。この部屋でフィルムを焼くの」

「先輩。最後の一枚、一緒に焼いてもらえませんか。祖父の、いちばん最後のコマ」

「……うん。焼こう」

引き伸ばし機を、もう一度だけ組み立てた。ネガをセットして、光を当てて、印画紙をトレイに滑らせる。二人で、息を詰めて、像が浮かぶのを待った。

じわり、と滲んできたのは――縁側で、こちらにカメラを向けて笑っている、若いころの祖母だった。撮ったのは、きっと祖父だ。半世紀前、誰かを大切に思いながらシャッターを切った、その一瞬が、いま、赤い光の下に、ゆっくりと姿を現した。

「……じいちゃん、ばあちゃんのこと、こんな顔で撮ってたんだ」

「……いい写真。ピント、ちゃんと、好きな人に合ってる」

ぽつりと言った先輩の声が、少し震えていた。僕は、印画紙から目を上げて、隣の先輩を見た。赤い光に半分だけ照らされた横顔に、涙が一筋、伝っていた。


「先輩」

「……なに」

「僕も、ちゃんとピント、合わせていいですか。……先輩に」

先輩が、ゆっくりとこちらを向いた。赤い光の下で、その目が、揺れていた。

「……それ、どういう意味か、わかって言ってる?」

「わかってます。……宮原先輩のことが、好きです。暗室がなくなっても、先輩がいなくなるのは、いやです」

しばらく、暗室には、定着液のかすかな匂いと、二人の息の音だけが満ちていた。やがて先輩は、僕のほうへ、ほんの一歩、近づいた。

「……私もね。高梨くんが来るようになってから、夜が、楽しみだった。この暗室が終わるのが、本当は、ずっと怖かったの。……でも、もっと怖いのは」

「……もっと?」

「高梨くんに、会えなくなること」

声が、最後はかすれていた。僕は、もう我慢できなかった。先輩の頬に手を伸ばすと、涙の跡が、指先で濡れた。

どちらからともなく、顔が近づいて――唇が、重なった。

「ん……」

薬品の匂いの奥に、かすかに塩の味がした。一度離れて、目を合わせて、もう一度、今度は少し深く重なる。

ちゅ……ちゅっ……

「……高梨、くん」

「蓮、でいいです」

「……蓮くん」

下の名前で呼ばれて、胸の奥が、きゅうっと締めつけられた。


暗室のドアには、内側から鍵がかかっていた。窓のない部屋。外に漏れる光も、入ってくる光もない。あるのは、赤い安全光だけ。

「……誰も、来ませんよね」

「来ない。もう、この部屋に来るのは、私たちだけ」

僕は、先輩のまとめた髪を留めていたピンを、そっと外した。さらりと、長い髪が肩に落ちる。いつも結んでいる先輩の髪を解いたのは、たぶん、僕が初めてだった。

「……髪、おろしてるの、きれいです」

「……赤い光だから。きっと、よく見えてないだけ」

「見えてます。ちゃんと、ピント合ってます」

「……ずるい、その言い方」

先輩は、僕の首に腕を回してきた。黒いエプロンの紐をほどいて、ブラウスのボタンを、一つずつ外していく。下から現れた素肌は、赤い光に染まって、薄く色づいて見えた。手のひらを背中に滑らせると、先輩の体が、びくりと小さく震えた。

れろ……ちゅ……

「ん……ふ……っ」

いつも静かな先輩が、僕の手の中で、少しずつ熱を持っていく。それが、どうしようもなく愛おしかった。


作業台の上に、先輩をそっと座らせた。

ブラウスを肩から落とすと、先輩は恥ずかしそうに、胸の前で腕を組んだ。

「……あんまり、見ないで」

「無理です。きれいすぎて」

「……っ、もう」

ブラのホックにそっと触れると、先輩は小さく息を呑んで、それから、こくんと頷いた。ホックが外れて、白い胸が、赤い薄明かりの中にこぼれる。僕は、それを壊れ物みたいに、そっと手で包んだ。

「あ……っ」

「……痛くないですか」

「いた、くない……っ」

指の腹で、つんと立ちはじめた先端をかすめると、先輩の肩がぴくんと跳ねた。

「ひゃ……っ、そこ……っ」

「……ここ?」

「……っ、変な、声、出ちゃう……っ」

口では恥ずかしがるのに、僕が先端を口に含んで、舌で転がしはじめると、先輩の体から、ふっと力が抜けていった。

れろ……ちゅ……ちゅうっ……

「あ……っ、ん……っ♡ やぁ……っ♡」

甘い声が、狭い暗室に漏れる。窓のないこの部屋なら、どんな声も、外には届かない。誰にも聞かせたくない声を、僕だけが、独り占めしていた。

胸を愛撫しながら、もう片方の手で、先輩のスカートの中、太腿の内側を、ゆっくり撫で上げていく。

「ん……っ♡」

「……力、抜いてください。先輩のペースで」

「……っ、蓮くんが、そう言うと、ずるい……っ」

下着の上から、いちばん敏感なところに触れると、もうそこが熱くなっているのがわかった。指でそっと撫でるたびに、先輩の腰が、小さく揺れる。やがて下着をずらして、直接そこに触れると――

くちゅ、と。

「ひゃ……っ♡」

「……濡れてます」

「言わないで……っ♡ さっき、キスのとき、から……っ」

恥ずかしさで顔を背ける先輩に、僕は何度も口づけながら、敏感な突起を、指の腹でくるくると撫でた。先輩が、僕の腕にぎゅっとしがみつく。

くちゅ……くちゅ……

「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡」

「……気持ちいいですか」

「……っ♡ うん……っ♡」

指を、ゆっくり中へ沈めていく。

ずぷ……っ

「ん……あぁ……っ♡」

熱くて、とろとろだった。先輩の中を、こわごわ、けれど確かめるように広げていく。指の動きに合わせて、先輩の体が、だんだん高まっていくのがわかった。

くちゅくちゅくちゅっ……

「あっ♡ あっ♡ だめ……っ♡ なんか、来ちゃう……っ♡」

「いいですよ。そのまま」

「やっ♡ 見ないで……っ♡♡」

指の動きを速めると、先輩の体が、びくびくっと跳ねた。

「あっ♡ あっ♡ あっ♡——っ♡♡♡」

僕の腕の中で、先輩はぎゅっと体を丸めて、達した。いつも凛としている人が、僕の前で乱れて、肩で息をしている。その姿に、胸が締めつけられた。

「……大丈夫ですか」

「……っ、はぁ……っ、だい、じょうぶ……っ♡」

息を切らす先輩の額に張りついた前髪を、僕はそっとよけた。


「……蓮くん」

「はい」

「……最後まで、してほしい。この部屋が、なくなる前に。蓮くんと、なら」

いつも言葉の少ない先輩が、頬を染めて、そんなことを言う。僕は、ごくりと喉を鳴らした。

「……無理、してないですか」

「してない。私が、したいの」

僕は、財布の中に念のため入れていた小さな包みを取り出した。先輩が、それを見て、ほっとしたように、ふっと笑う。

「……そういうとこ、ちゃんとしてる」

「先輩に、ていねいにやれって、教わったので」

「……もう。こんなときに」

作業台の上で、僕は先輩にそっと覆いかぶさった。脚の間に体を進めて、熱く張りつめたものを、入り口にあてがう。

「……いきます。痛かったら、すぐ言ってください」

「……うん」

ずぷ……っ♡

「ん……あぁ……っ♡♡」

先端が入った瞬間、先輩は僕の背中に腕を回して、しがみついてきた。きつい。でも、とろとろに濡れているから、ゆっくりと、先輩の中が僕を受け入れていく。

ずず……っ

「っ……あ……っ」

「……止めますか」

「やだ……止めないで……っ♡ 大丈夫、だから……っ」

僕は、先輩の様子を窺いながら、ほんの少しずつ進んだ。途中で何度も止まって、先輩の額にキスを落として、また少し進む。やがて、根元まで、深く繋がった。繋がった場所から、じんわりと熱が広がっていく。

「……全部、入ってる……?」

「はい。……全部」

「……繋がってるんだ、私たち……」

先輩の目に、うっすら涙がにじんでいた。ずっとトレイ越しに、引き伸ばし機越しに見ていた人と、今、こんなに近くで、ひとつになっている。僕は、その涙を指でそっと拭った。

「……動いて、平気ですか」

「うん……っ。来て、蓮くん……っ」

ゆっくりと、動きはじめた。

ずちゅ……ぱちゅ……

「あっ♡ ん……っ♡ あっ♡」

最初は、先輩の体を気遣う、ゆっくりした律動。引くたびに切なくて、奥に届くたびに、先輩の声が漏れる。赤い光が、汗ばんだ二つの体を、ほのかに染めていた。

「……痛くないですか」

「……っ♡ 平気……っ♡ なんか……変な、感じ……っ♡」

「気持ちよく、なってきました?」

「……っ♡ わかんな……っ♡ でも、蓮くんの、好き……っ♡」

口走ってから、先輩は自分の言葉に、また顔を赤くした。それが体のことなのか、僕自身のことなのか、たぶん、どっちもだったんだと思う。

ぱちゅ……ぱちゅ……

「蓮くん……っ♡」

「灯子さん」

「……っ♡ 名前……」

「灯子さん。……ずっと、こうやって呼びたかった」

下の名前で呼ぶと、先輩は僕の首に腕を回して、自分から唇を求めてきた。キスをしながら繋がっているのが、こんなに幸せだなんて、知らなかった。律動が、少しずつ深くなる。

ぱちゅ……ぱちゅ……ぱちゅっ♡

「あっ♡ あっ♡ 蓮くん……っ♡ なんか、また……っ♡」

「……僕も、そろそろ」

「一緒が、いい……っ♡ 蓮くんと、一緒……っ♡」

僕は、先輩をぎゅっと抱きしめて、最後の律動を、少しだけ速めた。

ぱちゅぱちゅぱちゅっ♡♡

「あっ♡ あっ♡ あっ♡♡ 蓮くん……っ♡♡」

「……っ、灯子さん……っ!」

ぱちゅんっ——♡♡♡

「あぁぁ……っ♡♡♡」

奥でびくびくと跳ねる僕を、先輩の体が、ぎゅうっと締めつけながら受け止める。二人で、同じ波にさらわれた。赤い光だけの暗室で、汗ばんだ二つの体が、ぴったり重なったまま、しばらく動けなかった。

「……はぁ……っ、蓮くん……」

「……灯子さん。痛くなかったですか」

「……痛かった、けど。……それより、ずっと、幸せだった」

僕は、先輩の汗ばんだ額に、何度もキスを落とした。


暗室の壁に貼られた、乾きかけの印画紙が、赤い光の中で、かすかに揺れていた。

そのうちの一枚は、さっき焼いたばかりの、祖母の笑顔。もう一枚は、いつのまにか先輩が焼いていた、フィルムカメラを抱えた、僕の後ろ姿。半世紀の時間を隔てた二枚が、同じ壁で、同じ赤い光に照らされている。

「……この部屋、明後日には、なくなるんだね」

「はい」

「……でも、不思議。なくなるのが、もう、そんなに怖くない」

「どうしてですか」

「……ここで起きたことは、なくならないから。フィルムとおんなじ。ちゃんと、焼きついた」

先輩は、まだ少し汗ばんだ手で、僕の手をそっと握った。赤い光の下で、その指は、もう震えていなかった。

「灯子さん。卒業しても、会ってくれますか」

「……当たり前でしょ。むしろ、私のほうがお願いしたいくらい」

「……じゃあ、付き合ってください。先輩じゃなくて、僕の、恋人として」

先輩は、一瞬きょとんとして、それから、今度ははっきりと、声を出して笑った。暗室の中でしか見せない、あのやわらかい笑い方で。

「……うん。よろしく、蓮くん」

僕らは、最後にもう一度だけ、引き伸ばし機の電源を入れた。先輩がネガをセットして、僕が印画紙をトレイに滑らせる。二人で並んで、息を詰めて、像が浮かぶのを待つ。

それは、さっき先輩が、自分のスマホで撮ってくれた一枚だった。赤い光の下、肩を寄せ合って笑う、僕と先輩の写真。

「……ほら。出てくる」

「……出てきますね」

白かった紙の上に、じわり、と僕らの姿が滲んでくる。取り壊される暗室の、最後の一枚。それは、これから始まる二人を、いちばん最初に焼きつけた一枚になった。

赤い光の下で、僕らは、その紙が像を結んでいくのを、手を繋いだまま、いつまでも見つめていた。

― 終 ―


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