1. 手綱
新幹線が岐阜羽島に着く頃、私のスマホには、まだ十三件の未読が溜まっていた。
私、沢口沙耶(さわぐち さや)、三十歳。都内の物流系の会社で、十人のチームをまとめる立場にいる。立場、なんて言うと聞こえはいいけれど、実際は朝から晩まで、誰かの代わりに頭を下げ、誰かの尻を拭い、誰かの不安を引き受けているだけだ。
沢口沙耶(……もう、いいや)
金曜の夜、終わらない引き継ぎ資料を前にして、ふっと糸が切れた。気づいたら有給の申請を出して、温泉宿を一軒だけ予約していた。長良川温泉。深い理由なんてなかった。子供の頃、図鑑で見た「鵜飼」という二文字が、なぜだか急に頭に浮かんだ。それだけ。
沢口沙耶(篝火の中を、鳥が潜る。……あれ、今もやってるのかな)
調べたら、まだやっていた。千三百年以上、途切れず続いているのだという。五月から十月まで、毎晩。私が生まれるずっと前から、何ひとつ変えずに。
それを知った瞬間、私は妙にほっとした。私が手綱を握っていなくても、ちゃんと回っていく世界が、どこかにあるんだ、と。
ホームに降りると、夏のはじめの、むっとした川の匂いがした。スマホの通知を、私は思いきって、全部オフにした。
2. 川辺の宿
宿は、長良川のすぐそばにあった。
「鵜の宿 なぐら」。古い木造の、こぢんまりとした二階家だ。タクシーを降りると、玄関先で、男の人が大きなたらいを抱えて、何かを洗っていた。
沢口沙耶「あの……予約していた、沢口です」
名倉漣「……はい。聞いてます」
顔を上げた彼は、私より少し上くらいだろうか。日に焼けた、無駄のない体つき。たらいの中には、藁で編んだ籠のようなものが沈んでいた。彼はそれをていねいに濯いでから、手を拭いて、ようやくこちらへ来た。
名倉漣「名倉漣(なぐら れん)です。今日、案内します。……荷物、持ちます」
それだけ言って、私のキャリーケースを、ひょいと持ち上げる。愛想がいいわけじゃない。言葉数も、ひどく少ない。それなのに、不思議と、ぶっきらぼうには感じなかった。
沢口沙耶「あの、さっき洗ってたの、なんですか」
名倉漣「鵜籠(うかご)です。鵜を運ぶ籠。……今夜、使うので」
沢口沙耶「鵜って……鵜飼の、鵜?」
名倉漣「はい。うち、鵜匠(うしょう)の家なんで」
さらりと言われて、私は思わず足を止めた。鵜匠。図鑑の中の、篝火を焚いていた人。それが、目の前の彼の家業なのだという。
沢口沙耶「じゃあ、漣さんも……?」
名倉漣「見習いです。まだ、舟の上で雑用してるだけ」
そう言った横顔が、ほんの少しだけ、固くなった。私は、その一瞬の翳りを、なぜだか見逃せなかった。
名倉漣「……鵜飼、初めてですか」
沢口沙耶「はい。図鑑で見ただけで」
名倉漣「じゃあ、今夜。観覧船、取ってあります」
廊下の奥から、夕餉の支度の匂いが流れてきた。私の張りつめていた肩から、ほんの少しだけ、力が抜けていくのがわかった。
3. 鵜小屋
夕方まで時間があると言うと、漣さんは「見ますか」と、宿の裏手へ私を連れていった。
庭の奥に、低い小屋があった。金網越しに中をのぞくと、黒い、大きな鳥たちが、十数羽、思い思いに羽を休めている。海鵜(うみう)だ、と彼は言った。
名倉漣「茨城の海で捕られて、ここに来る。それから、何年も一緒に漁をする。長いやつは、二十年近く」
沢口沙耶「二十年……」
漣さんが小屋に入っていくと、鳥たちが、ばさばさと羽を広げて寄ってきた。彼は一羽の喉元を、指で優しく撫でる。鳥は、嫌がるどころか、目を細めて、彼の手のひらに体を預けていた。
名倉漣「こいつが、いちばん古株。源治(げんじ)」
沢口沙耶「名前、あるんですね」
名倉漣「全部に。顔も、性格も、みんな違うんで。……潜るのが上手いやつ、臆病なやつ、欲張りなやつ」
野生の鳥のはずなのに、彼の手の中では、まるで長年連れ添った相棒みたいだった。私は、その光景に、思わず見入っていた。あんなに無口な人の手が、こんなに雄弁に、いきものと話している。
沢口沙耶「……懐いてるんですね」
名倉漣「懐かせたわけじゃないです。信用してもらえるまで、こっちが、ずっと待っただけで」
待っただけ。その言い方が、私の胸の、思わぬところに引っかかった。私はいつも、待てなかった。部下が答えを出すより先に、自分で手を出して、自分で巻き取ってしまう。そのほうが、早いから。
名倉漣「沢口さんも、撫でてみますか。源治、おとなしいんで」
沢口沙耶「……いいんですか」
おそるおそる差し出した手を、漣さんが、下からそっと支えてくれた。彼の手は、川の水で冷えていて、けれど、芯のところが温かかった。導かれるまま、黒い羽に触れる。思っていたより、ずっと、なめらかだった。
沢口沙耶「……あったかい」
名倉漣「生きてますから」
当たり前のことを、彼は、当たり前みたいに言った。私の手の甲に、彼の手が、まだ添えられたままだった。
4. 篝火
夜の七時過ぎ、私は川岸の乗船場から、屋根のついた観覧船に乗り込んだ。
川面は、もう藍色に沈んでいた。対岸の金華山の上に、岐阜城の灯りが、ぽつんと浮かんでいる。船はゆっくりと流れの中ほどへ出て、漁が始まるのを待った。やがて、川上のほうから、低い、太鼓のような音が近づいてきた。
沢口沙耶(……来た)
闇の中に、ぼうっと、橙色の火が見えた。一艘、二艘、三艘——。鵜舟の舳先に吊るされた篝火が、川を下ってくる。松割木の爆ぜる音と、火の粉。水面が、揺れる炎を映して、金色にうねる。私は、息をするのも忘れて、それに見入った。
舟が近づくと、漁の様子が、はっきりと見えた。烏帽子をかぶり、藁の腰蓑をつけた鵜匠が、舳先に仁王立ちになっている。その手には、何本もの細い縄が、扇のように束ねられていた。縄の先には、潜っては浮かぶ、黒い鵜たち。
沢口沙耶(あの縄……一本、二本……ぜんぶで、十二本?)
数えて、私は愕然とした。十二羽の鵜が、てんでばらばらに、火に集まる鮎を追って、潜り、もぐり、首を振る。それなのに、鵜匠の手の中で、十二本の手縄は、一度も絡まらない。ほどけることも、もつれることもない。たぐり、繰り出し、また手繰る。まるで、十二本の縄が、彼の指の延長みたいだった。
沢口沙耶(……どうやって、あんなこと)
私には、たった十本のチームの糸さえ、いつも、こんがらがって仕方がなかったのに。
そのうちの一艘、いちばん川下の舟で、艫(とも)に立って櫂を操る、若い人影が見えた。火明かりに照らされた、無駄のない体つき。
漣さんだった。
舳先の鵜匠を支えるように、彼は黙々と舟を操り、鵜を取り込み、籠の鮎を仕分けていく。昼間、鳥の喉を撫でていた、あの手で。私は、彼から目を離せなくなっていた。
5. 鵜飼のあとで
漁が終わって宿に戻ると、漣さんは、まだ川にいた。
私は寝つけなくて、浴衣に羽織をかけて、ひとりで川辺へ降りた。月が出ていた。さっきまで火の海だった川が、今は静かに、月光を流している。岸に引き上げられた鵜舟のそばで、漣さんが、鵜を一羽ずつ籠から出して、喉を診ていた。
沢口沙耶「……お疲れさまでした」
名倉漣「……起きてたんですか」
沢口沙耶「すごくて。眠れなくて」
漣さんは、ちょっと驚いた顔をして、それから、源治の喉を撫でながら、ぽつりと言った。
名倉漣「漁のあとは、必ず一羽ずつ診るんです。怪我してないか。獲りすぎて、苦しくないか」
沢口沙耶「あの、首に……何か、結んでありましたよね」
名倉漣「首結い。喉のところを、紐で軽く結ぶ。大きい鮎は呑み込めないように。でも」
彼は、紐をするりとほどいた。鵜が、ごくん、と小さな魚を一匹、自分で呑み込む。
名倉漣「きつく締めるわけじゃない。小さいのは、ちゃんと自分で食える。……縛って、奪ってるんじゃないんです。獲った半分は、こいつのもの。残りを、分けてもらってる」
私は、その言葉に、しばらく何も言えなかった。私はずっと、自分が手綱を握ることは、誰かを縛ることだと思っていた。だから握るのが、苦しかった。
沢口沙耶「漣さん。……あの手縄、十二本。どうして、絡まらないんですか」
名倉漣「……力で握ってないからです」
彼は、自分の手のひらを、月明かりにかざした。指の節が、太く、節くれだっていた。
名倉漣「握りしめたら、絡む。鵜が右に行きたいのを、左に引っぱったら、もつれる。……感じるんです、手縄越しに。こいつが今、どっちに行きたいか。引くんじゃなくて、ついていく。それだけ」
沢口沙耶「ついていく……」
名倉漣「束ねてるけど、縛ってない。信じてる、っていうほうが、近いかな」
川の音が、私の中の、ずっと張りつめていた何かを、そっとほどいていった。私は、自分の手を見た。いつも、何もかもを握りしめて、白くなっていた手を。
6. 金華山のロープウェイ
翌日、漣さんは漁が休みだった。「案内、します」と、彼は私を金華山の麓まで連れていってくれた。
ロープウェイで山頂へ上ると、眼下に、長良川が銀色のリボンみたいに蛇行しているのが見えた。昨夜、火の海だった場所。昼に見ると、こんなにも穏やかで、広い。
沢口沙耶「……漣さんは、ずっと、鵜匠を継ぐつもりなんですか」
名倉漣「……どうかな」
彼は、めずらしく、言葉を濁した。手すりにもたれて、川を見下ろしながら。
名倉漣「祖父が鵜匠で、父も継いだ。俺は、その下で、舟漕いで八年。……正直、一回、逃げたんです。東京で、就職して」
沢口沙耶「東京に……?」
名倉漣「三年いました。スーツ着て。でも、毎晩、川の夢を見た。源治たちが、火の中で潜る夢。……結局、帰ってきた」
意外だった。この、川と一体みたいな人にも、迷いがあって、一度はここを離れたのだと。私は、なぜだか、急に彼が近くに感じられた。
沢口沙耶「私、逆です。私は……たぶん、ずっと、握ってるものから、逃げたくて、ここに来た」
名倉漣「握ってるもの」
沢口沙耶「仕事も、家のことも。誰かの手綱を、ぜんぶ私が握ってないと、回らないって思ってて。……でも、ほんとは、私が一番、絡まってた」
口にして、初めて気づいた。自分でも、整理できていなかった気持ちが、彼の前だと、するすると言葉になる。漣さんは、口を挟まず、ただ聞いていた。昨日、鵜の喉に手を添えるみたいに、私の言葉を、静かに受け止めて。
名倉漣「……三日くらい、手綱、置いていけばいい。ここに」
沢口沙耶「え?」
名倉漣「川は、誰が見てなくても、流れてる。鵜飼も、千三百年、勝手に続いてる。……沙耶さんがいなくても、東京は、たぶん、回ります」
ぶっきらぼうな言い方なのに、それは、私がこの数年、いちばん言ってほしかった言葉だった。沙耶さん、と初めて名前で呼ばれたことに、心臓が、小さく跳ねた。
7. 鵜匠の家
その夜、宿の囲炉裏端で、漣さんの祖父——現役の鵜匠だという、名倉宗一(なぐら そういち)さんが、私に酒を勧めてくれた。
名倉宗一「東京から、ひとりで来なすったか。物好きじゃのう」
沢口沙耶「……すみません、急に」
名倉宗一「謝ることはない。川は、来る者を選ばん」
齢七十は過ぎているだろう。けれど、その目は、川面を見る鷹みたいに、澄んで鋭かった。宗一さんは、漣さんをちらと見て、にやりと笑った。
名倉宗一「漣がな、客人を山まで案内するなんぞ、初めてじゃ。こいつ、無口で、女っ気もなくてのう」
名倉漣「……じいちゃん」
名倉宗一「ふぉっふぉ。怒るな怒るな」
宗一さんは、ぐい飲みを傾けて、しみじみと言った。手縄を、何十年も握ってきた手だ。漣さんと、同じ形をしていた。
名倉宗一「鵜飼はな、鵜匠ひとりじゃできん。舳先で縄を持つ者、艫で舟を操る者、中で鵜を取り込む者。三人がそろって、ひとつの漁になる」
沢口沙耶「三人で……」
名倉宗一「漣は、艫が、誰より上手い。舳先の儂が、安心して縄に集中できるのは、後ろを、こいつが守っとるからじゃ。……ひとりで全部、握る必要はないんよ。お嬢さん」
その言葉が、私の胸に、まっすぐ刺さった。まるで、私の話を、ぜんぶ聞いていたみたいに。私は、思わず目を伏せた。涙が出そうだった。
漣さんが、気づいて、そっと私の湯飲みに、お茶を注いでくれた。何も言わずに。その気遣いが、囲炉裏の火より、ずっと温かかった。
8. 鵜飼仕舞いの夜
長良川での最後の夜。漣さんは、特別に、私を漁のいちばん近くで見られる舟に乗せてくれた。
その夜は「総がらみ」だった。漁の終わりに、すべての鵜舟が横一列に並んで、火を焚き、鵜を放って、いっせいに川を下る。バラバラだった舟が、最後にひとつになる、鵜飼仕舞いの、いちばんの見せ場。
沢口沙耶(きれい……)
六艘の篝火が、横一列に連なって、川面を金色に焼いた。火の粉が、無数の星みたいに、夜空へ昇っていく。私の乗る舟の艫で、漣さんが、火明かりに照らされて、櫂を操っていた。汗が、その横顔を伝って光る。私は、その姿を、目に焼きつけるように見ていた。
漁が終わり、舟が岸に着くと、他の舟の人たちは、それぞれ家へ帰っていった。漣さんは、火の始末をして、最後に残った。川辺に、私たち二人だけになった。
名倉漣「……どうでした、最後の夜は」
沢口沙耶「……帰りたく、なくなりました」
言ってしまってから、私は、自分の言葉に驚いた。漣さんが、ゆっくりとこちらを振り返る。篝火の名残の、消えかけた橙色が、彼の目に映っていた。
名倉漣「……手綱、置いていけました?」
沢口沙耶「……はい。たぶん、いちばん絡まってたの、ここに」
私は、自分の胸に、手を当てた。漣さんが、一歩、距離を詰めた。川の水音が、急に近く聞こえた。
名倉漣「沙耶さん。……俺、無口で、気の利いたこと、言えないけど」
沢口沙耶「……はい」
名倉漣「あなたが帰ったら、また毎晩、川の夢に、あなたが出てくる気がする」
不器用すぎる告白だった。でも、だからこそ、嘘がないと、わかった。私は、自分から、彼の漁服の胸元を、きゅっと掴んだ。
沢口沙耶「……漣さん」
彼の手が、ためらいがちに、私の頬に触れた。川の水で冷えた、けれど芯の温かい、あの手。ゆっくり顔が近づいて、私は、そっと目を閉じた。
唇が、やわらかく重なった。
沢口沙耶「ん……」
松割木の、煙の匂いがした。
9. 川音の中で
漣さんの離れの、二階の部屋に、私たちはいた。
窓の下を、長良川が流れている。漁を終えたばかりの川は、月明かりだけを乗せて、静かに音を立てていた。漣さんが、もう一度、私に口づける。今度は、さっきより、ずっと深く。
ちゅ……ちゅぷ……♡
沢口沙耶「は……ん……っ♡」
唇の隙間から、舌が触れる。私はおずおずと応えた。彼の手が、私の浴衣の帯を、ゆっくりとほどいていく。急かさない手つき。鵜の喉を撫でるときと、同じ、優しさだった。
名倉漣「……怖い?」
沢口沙耶「……ううん。やめないで」
肩から、するりと布が落ちた。露わになった肌を、彼の視線が、そっとなぞる。
名倉漣「……きれいだ」
沢口沙耶「やだ……あんまり、見ないで……っ」
名倉漣「無理です。……ずっと、見ていたい」
普段あんなに無口な人の、まっすぐな言葉に、胸の奥が、きゅうっと締めつけられた。彼の唇が、首筋に降りてくる。
ちゅ……ちゅっ……♡
沢口沙耶「ん……っ♡」
鎖骨に、肩に、唇が落ちるたび、肌がぴくんと震える。彼の大きな手が、私の胸を、下からそっと包んだ。
沢口沙耶「あ……っ♡」
名倉漣「……柔らかい」
沢口沙耶「もう……いちいち、言わないで……っ♡」
やわやわと、形を確かめるように揉まれる。指の腹が、つんと立ちはじめた先端をかすめると、体がびくっと跳ねた。
沢口沙耶「ひゃ……っ♡ そこ……っ」
名倉漣「ここ、弱い」
沢口沙耶「言わ、ないでって……っ♡」
口では強がるのに、彼が先端を口に含んで、舌で転がしはじめると、もうだめだった。
れろ……ちゅ……ちゅうっ……♡
沢口沙耶「あ……っ♡ ん……っ♡ やぁ……っ♡」
甘い声が、勝手に漏れる。気持ちいい。あの、十二本の手縄を絡ませない指が、いま、私の体だけを、ていねいにほどいていく。胸を愛されながら、もう片方の手が、私の腿の内側を、ゆっくり撫で上げた。
沢口沙耶「ん……っ♡」
名倉漣「力、抜いて。……ついていくから、沙耶さんに」
ついていく。鵜にかける、あの言葉。私の体から、自然と力が抜けた。彼の指が、下着の上から、私のいちばん敏感なところに触れる。
沢口沙耶「あっ……♡」
布越しでも、もうそこが熱を持っているのが、自分でわかった。やがて下着が脱がされて、彼の指が、直接そこに触れた。
くちゅ、と。
沢口沙耶「ひゃ……っ♡」
名倉漣「……もう、こんなに」
沢口沙耶「言わないで……っ♡ 川辺で、キスしたときから……っ♡」
敏感な突起を、指の腹で、くるくると円を描くように撫でられて、私は彼の腕にしがみついた。
くちゅ……くちゅ……♡
沢口沙耶「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 弱いの……っ♡」
名倉漣「うん。……教えて。沙耶さんの、弱いとこ」
指が、ゆっくり中へ滑り込んでくる。
ずぷ……っ♡
沢口沙耶「あぁ……っ♡」
熱い。彼の指が、私の中を、感じる場所を探るように撫でた。弱い場所を擦られ、同時に親指で突起を転がされて、私の腰は、もう自分の意思では止まらなかった。
くちゅくちゅくちゅっ……♡
沢口沙耶「あっ♡ あっ♡ だめ……っ♡ それ以上は……っ♡」
名倉漣「いいよ。……そのまま」
沢口沙耶「やっ♡ 見ないで……っ♡ 恥ずかしいの……っ♡♡」
指の動きが速くなって、私の体は、あっという間に高みへ押し上げられた。
沢口沙耶「あっ♡ あっ♡ あっ♡——っ♡♡♡」
びくびくっ、と腰が跳ねて、頭の中が真っ白になる。彼の腕の中で、私はぎゅっと体を丸めて、達した。息を切らせる私の額に、漣さんが、そっとキスを落とした。
10. ひとつに
沢口沙耶「……漣さん。私ばっかり、ずるい」
自分でも、こんなこと言えるんだ、と思った。でも、彼となら、言えた。私は体を起こして、彼の浴衣の帯に手をかける。漣さんが、ごくりと喉を鳴らした。
張りつめたものを、そっと手のひらに包むと、彼が、小さく息を詰める。私は、おずおずと顔を近づけて、先端に、ちゅっと口づけた。
名倉漣「……っ、沙耶さん、それは」
沢口沙耶「……だめ?」
名倉漣「……だめじゃない。けど、もたない」
くすっと笑って、私は彼を布団に押し倒した。普段、川の上であんなに堂々としている人が、私の手の中で、余裕をなくしている。それが、たまらなく愛おしかった。
漣さんが、体を起こして、今度は私を、そっと布団に横たえる。脚の間に、彼の体が割り込んだ。
名倉漣「……つける。待って」
沢口沙耶「うん……」
避妊具をつける彼を、私はぼうっと見ていた。最後まで、私を大事にしてくれる。その律儀さが、彼らしかった。準備を終えて、漣さんが、もう一度、私の頬に手を添える。
名倉漣「いくよ。……痛かったら、言って」
沢口沙耶「うん……来て、漣さん」
熱い先端が、入り口にあてがわれた。
ずぷ……っ♡
沢口沙耶「ん……あぁ……っ♡♡」
入ってきた瞬間、私は彼の背中に腕を回して、しがみついた。きつい。でも、とろとろに濡れているから、痛みより、満たされていく感覚のほうが、ずっと大きかった。
ずず……っ♡
沢口沙耶「あ……っ♡ 奥まで……来てる……っ♡」
名倉漣「……っ、沙耶さんの中、すごく熱い」
根元まで収まって、漣さんが、ふっと息を吐いた。繋がった場所から、三日ぶんの距離が、じんわりと埋まっていく。
沢口沙耶「……繋がってる。私たち……っ♡」
名倉漣「ああ。……離したくない」
漣さんが、ゆっくり動きはじめた。
ずちゅ……ぱちゅ……♡
沢口沙耶「あっ♡ あっ♡ ん……っ♡」
最初は、私の体を気遣う、優しい律動。引くたびに切なくて、奥に届くたびに、声が漏れる。彼の手が、私の手を、布団の上で、ぎゅっと握った。十二本の手縄を握る、あの手が。今は、私ひとりの手を。
名倉漣「沙耶さん。……気持ちいい?」
沢口沙耶「……っ♡ うん……っ♡ すごく……っ♡」
だんだん、律動が深くなる。奥のいちばん感じる場所を突かれるたび、私の体は跳ねた。
ぱちゅ……ぱちゅ……ぱちゅっ♡
沢口沙耶「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 奥、当たるの……っ♡♡」
名倉漣「ここ、好き?」
沢口沙耶「っ♡♡ 好き……っ♡ 漣さんの、好きっ……♡♡」
口走ってから、それが体のことなのか、彼自身のことなのか、わからなくなった。たぶん、どっちもだった。漣さんが、私の脚を抱え直して、結合が深くなる。
ぱちゅんっ♡♡
沢口沙耶「ひあっ♡♡ 深いっ……♡♡」
名倉漣「沙耶さん……っ、中、すごい締まってる」
沢口沙耶「だって……っ♡ 気持ちよくて……っ♡♡」
窓の外の川音と、二人の息と、肌のぶつかる音が、部屋に満ちる。私は、もう何も考えられなかった。手綱も、仕事も、東京も。ただ、目の前の人が愛しくて、三日ぶんの想いが、体の奥から溢れてくる。
名倉漣「沙耶さん……そろそろ……っ」
沢口沙耶「うん……っ♡ 私も……っ♡ 一緒が、いい……っ♡」
漣さんが、私をぎゅっと抱きしめて、最後の律動を速めた。
ぱちゅぱちゅぱちゅっ♡♡♡
沢口沙耶「あっ♡ あっ♡ あっ♡♡ イクっ……♡ 漣さん、一緒に……っ♡♡」
名倉漣「ああ……っ、沙耶……っ!」
ぱちゅんっ——♡♡♡
沢口沙耶「あぁぁ……っ♡♡♡」
奥でびくびくと跳ねる彼を、私の体が、ぎゅうっと締めつけながら受け止める。二人で、同じ波にさらわれた。汗ばんだ体が、ぴったり重なったまま、しばらく、動けなかった。
沢口沙耶「……はぁ……っ♡ すごかった……」
名倉漣「……呼び捨てに、しちゃった」
沢口沙耶「……ふふ。いいよ。そっちのほうが、好き」
私は、彼の胸に頬をすり寄せて、こくりと頷いた。川の音が、ずっと、私たちを包んでいた。
11. 川は流れる
朝、障子の向こうが白みはじめた頃、私は漣さんの腕の中で、目を覚ました。
沢口沙耶「……漣さん。私、今日、東京に戻らなきゃ」
名倉漣「……うん。わかってる」
口にしてから、胸がきゅっと痛んだ。岐阜と東京。遠い。昨日までの私なら、きっと「だから、これは旅の思い出」と、自分の心に蓋をして、なかったことにしていた。何もかも、ひとりで握って、ひとりで処理して。
でも——もう、ひとりで握らなくていいと、彼が教えてくれた。
沢口沙耶「ねえ、漣さん。手縄って、何本まで、握れるんですか」
名倉漣「……鵜匠で、十二本が、だいたい限界です」
沢口沙耶「じゃあ、あと一本くらい……東京の、私の手縄も、握ってもらえませんか」
我ながら、不器用なたとえだった。でも、彼になら、伝わると思った。漣さんが、ゆっくり体を起こして、私を見下ろす。寝起きの、少しくしゃくしゃの髪。その顔が、ほどけるように、笑った。初めて見る、彼の、満面の笑顔だった。
名倉漣「……握ります。絶対、絡ませない」
沢口沙耶「ふふ。鵜匠の、お墨付き?」
名倉漣「鵜飼は、十月の十五日で終わる。終わったら、俺が、東京に会いに行く。……オフシーズンは、暇なんで」
冗談めかして言う彼の目が、少しも逃げていないことに、私は気づいた。
朝の囲炉裏端で、宗一さんが、味噌汁をよそいながら、にやにやしていた。
名倉宗一「ようやく、漣のやつも、ひとり前じゃのう」
名倉漣「……じいちゃん」
名倉宗一「お嬢さん。手綱はな、握る相手がおって、初めて、意味が出るんよ。ひとりで握る縄なんぞ、ただの紐じゃ」
その言葉を、私は、東京へ帰る新幹線の中で、ずっと反芻していた。
スマホの電源を入れると、未読は、まだ溜まっていた。でも、もう、こわくなかった。私は、ひとつずつ、ていねいに手繰っていけばいい。絡まったら、ほどけばいい。ついていけばいい。——握りしめなくても、私の手は、ちゃんと、温かいものを掴める。
窓の外を、夏の光が流れていく。
手の中には、もう、手放したくない一本の手縄が、たしかに、握られていた。
― 終 ―