去年の健康診断で、医者に「このままだと十年後がきついよ」と言われた。
俺、笠原涼太、二十八歳。東京のメーカーで働いている。仕事は座りっぱなし、帰りはコンビニ、休みは寝るだけ。そんな生活の言い訳みたいにして、半年前にロードバイクを買った。
最初は近所の河川敷を走るだけだった。それが少しずつ距離が伸びて、いつか走ってみたい場所ができた。
しまなみ海道。
「一回くらい、ちゃんとした遠出してみるか」
六月の半ば。梅雨のど真ん中だったけど、天気予報にぽっかり晴れマークがひとつだけ並んだ日があった。有給を一日くっつけて、一泊二日。尾道から今治まで、瀬戸内の島を六つ繋いで渡る、約七十キロのコース。
輪行袋に分解したバイクを詰めて、新幹線で福山まで。在来線で尾道に着いたのは、朝の九時前だった。
駅前で組み立て直して、渡船乗り場へ向かう。
しまなみ海道は、最初の一本だけ自転車で渡れない。尾道水道を、小さなフェリーで向島へ渡るのが定番のスタートだ。
(潮の匂いだ)
東京じゃ嗅がない匂い。船のデッキで風を受けながら、対岸の緑の島を見ていた。雨上がりの空気は澄んでいて、海の色が深い。三分ほどで向島に着いた。
ここからが、本番だった。
向島に上陸して、最初の橋——因島大橋を目指す。ガイドブックには「最初の登りがきつい」と書いてあった。
その通りだった。
橋の上は高い。だから橋に取り付くまでに、ぐるぐると螺旋を描くようなアプローチの坂を登らされる。普段、平らな河川敷しか走っていない脚には、これがこたえた。
「うわ、きっつ……」
息が上がる。ギアを一番軽くしても、時速は十キロを切っている。汗が顎から落ちる。情けないくらい遅い。
そのときだった。
後ろから、しゅっ、と空気を切る音がした。
「お先です」
短くそれだけ言って、一人のライダーが俺の横を抜いていった。
軽い。本当に、軽そうに登っていく。同じ坂を、まるで平地みたいに。後ろ姿を、つい目で追ってしまった。
すらりとした背中。日に焼けたふくらはぎが、ペダルを綺麗な円で回している。後ろで一つに束ねた髪が、ヘルメットの下で揺れている。
——女の人だ。
(速……)
あっという間に、その背中は坂の上に消えていった。俺は俺で、ぜえぜえ言いながら、亀みたいな速度で坂を登りきった。
因島大橋を渡る。橋は二階建てになっていて、自転車は車道の下、金網で囲われた通路を走る。眼下に海が見える。船が白い航跡を引いている。風が強い。最高だった。
橋を渡りきって、因島に入る。少し走ると、道沿いに小さな休憩所があった。柑橘のジュースを売る、無人みたいな小さなスタンド。
そこに、さっきのライダーがいた。
ベンチに腰かけて、紙コップを傾けている。ヘルメットを脱いでいた。束ねた髪と、汗で少し額に貼りついた前髪。涼しげな目元。スポーツサングラスを頭に上げて、海を見ていた。
(あの人だ……)
声をかけるつもりなんてなかった。ただ、俺も喉がからからで、同じスタンドではっさくのジュースを買った。受け取って、ベンチの端——彼女から少し離れたところに座る。
一口飲んだ。
「……うま」
冷たくて、甘くて、酸っぱい。疲れた体に染みた。思わず声が出た。
彼女が、ちらっとこっちを見た。
「でしょ」
ふっと、口の端だけで笑う。
「さっき、因島大橋の坂で死にそうになってた人だ」
「……見てましたか」
「抜いたの私だもん」
ばれている。というか、本人だ。恥ずかしくて、ジュースに視線を逃がした。
「いや、お恥ずかしい。今日が初めてのロングライドで」
「そんな感じだった。フォーム、めちゃくちゃ力んでたから」
「うっ……」
容赦がない。でも、嫌な感じはしなかった。事実だから。彼女はもう一口ジュースを飲んで、ふっと表情を緩めた。
「でも、いいと思う。初しまなみ。天気、奇跡だよ。梅雨にこんな晴れる日、なかなかない」
頭上を見上げる。雲ひとつない、洗ったみたいな青。さっきまで容赦なかった目が、空の下で柔らかく細められた。
その横顔が、きれいだった。
「私、浅倉。浅倉凪」
「笠原涼太です。あの、凪さんは、しまなみ慣れてるんですか」
「凪でいいよ。慣れてるっていうか……まあ、何回も来てる。一人で」
凪、と名乗った彼女の名前と、目の前の凪いだ瀬戸内の海が、なんだか重なって聞こえた。
聞けば、凪さんも今日は今治まで走るという。一泊して、明日フェリーで戻るらしい。俺と、ほとんど同じ行程だった。
「笠原くん、このペースだと今治着くの夜になるよ」
「えっ、まじですか」
「坂のたびに死んでたら、そりゃね」
立ち上がって、彼女はヘルメットをかぶり直した。あごのバックルをかちっと留める。
「……しょうがないな。生口島まで、前で引いてあげる。後ろ、ついてきて」
「引く?」
「前の人が風よけになるの。後ろは楽。私の腰のあたり、見ながらついてきな。離れたら言って」
そう言って、さっさとペダルに足をかけた。俺は慌ててジュースを飲み干して、後を追った。
凪さんの後ろにつくと、本当に楽だった。同じ速度なのに、体感の風がまるで違う。彼女の引く綺麗なラインを、トレースするように走る。
生口島へ渡る生口橋。海の上を、白い斜張橋がまっすぐ伸びている。橋の上で、凪さんが少しだけ振り返った。
「ついてこれてる?」
「なんとか!」
「いい声してきたじゃん」
風に乗って、笑い声が後ろまで届いた。
生口島に渡ると、道の両側にレモンや、みかんの段々畑が広がっていた。六月の柑橘は、まだ青い実をつけはじめたところ。白い花がところどころ残っていて、走るとふわっと甘い匂いがする。
「いい匂いしますね、この島」
「みかんの花。今の時期だけ。レモンの島なんだよ、ここ」
道沿いのカフェの前で、いったん止まった。海を見下ろすテラスのある店。アイスコーヒーを二つ頼んで、テラスの端の席に並んで座った。
下を見れば、青い海と、段々畑と、ぽつぽつと浮かぶ島影。船がゆっくり横切っていく。
「私ね、看護師なんだ」
ぽつりと、凪さんが言った。
「川崎の総合病院。救急やってて、もう五年」
「救急……大変なやつじゃないですか」
「大変だよ。夜勤明けで頭ぼーっとして、人の命ばっかり気にして、自分のことは後回し。ずっとそんな感じ」
アイスコーヒーのストローを、指でくるくる回している。
「だから、たまにこうやって、一人で逃げてくるの。しまなみに。ここ走ってると、なんにも考えなくていいから」
「逃げる」
「うん。坂登ってるときは、しんどいことしか考えられないでしょ。逆に楽なんだ、それが」
俺は、なんと言っていいか分からなかった。人の命を背負って働く人の疲れなんて、座りっぱなしの俺には想像もできない。
でも、ひとつだけ思ったことがあった。
「凪さん、いつも誰かのこと気にして働いてるんですよね」
「まあ、仕事だからね」
「じゃあ今日は、俺が凪さんのこと気にしますよ。後ろ、ずっとついてくんで」
言ってから、変なこと言ったかと思った。でも凪さんは、きょとんとした後で、ふっと吹き出した。
「なにそれ。引いてもらってる側のくせに」
「あ、確かに」
「……でも、ありがと。そういうの言われたの、久しぶり」
海を見たまま、彼女がそう言った。ストローを回す指が、少しだけ止まっていた。
それから、俺たちは並んで走った。引いたり引かれたり。多々羅大橋——しまなみで一番大きい、真っ白な斜張橋。橋の根元には、手を叩くと音が反響して龍の鳴き声みたいに聞こえる「鳴き龍」のスポットがある。
凪さんが、橋の主塔の真下で、ぱん、と手を叩いた。
きゅるるるる、と高い音が空に昇っていく。
「ね、すごいでしょ」
「うわ、ほんとだ。龍だ」
子どもみたいに、二人で何度も手を叩いた。さっきまでの疲れた顔が、今は笑っている。その顔を見られただけで、ここまで来てよかったと思った。
多々羅大橋を渡ると、大三島。今日の宿は、この島にあった。
「俺、今日この島の宿なんですよ。サイクリスト向けの民宿で」
「……えっ。宿、どこ?」
「『汐見荘』ってとこですけど」
凪さんが、ぽかんと口を開けた。それから、額に手を当てて、笑い出した。
「うそでしょ。私もそこ」
「えっ」
「『汐見荘』。海の見える、一棟貸しみたいなとこでしょ。私、毎回そこ泊まるんだもん」
偶然だった。本当に。でも、その偶然を、俺は内心で何度もガッツポーズした。
夕方、二人で『汐見荘』に着いた。古い民家を改装した、小さな宿。庭の先がすぐ海で、サイクルラックにバイクをかけると、潮風がさあっと汗を乾かした。
オーナーの中年の男性が、人のいい笑顔で出てきた。
「お、凪ちゃん。また来たね。今日は……お連れさん?」
「ちがいます。途中で拾った初心者」
「はは、拾ったって。まあ、晩ごはん、二人分でいいかい」
「あ、お願いします」
通された部屋は別々だったけど、夕食は庭に面した共用の食堂だった。瀬戸内の魚の煮付け、地のタコの刺身、レモンを搾った冷たいそうめん。走った後の体に、全部が沁みた。
「うちはね、風呂が自慢なんよ。海見ながら入れるから。汗、ゆっくり流してき」
オーナーがそう言って、奥に引っ込んだ。食堂には、俺と凪さんだけが残った。
「七十キロ、ちゃんと走りきったね、笠原くん」
「凪さんのおかげですよ。一人だったら、まじで夜になってた」
「でしょ」
得意げに、ビールの缶を傾ける。風呂上がりみたいに、頬がほんのり赤い。いや、これはビールか。
食後、俺は先に風呂をもらった。オーナーの言う通り、湯船の窓の外がすぐ海だった。日が落ちて、空と海の境目がオレンジから藍色へ溶けていく。一日走った疲れが、お湯に溶けていくみたいだった。
風呂から上がって、庭に出た。木のデッキにベンチがあって、目の前に海が広がっている。もうすっかり暗い。波の音だけがする。
少しして、風呂上がりの凪さんが出てきた。ジャージじゃなくて、ラフなTシャツに短パン。束ねていた髪を下ろしていた。湿った髪が、首筋に張りついている。
昼間のきびきびした「速い人」とは、まるで別人みたいだった。
「隣、いい?」
「どうぞ」
ベンチに、少し間を空けて座る。空には、東京じゃ絶対に見えない数の星が出ていた。海の上にも、ぽつぽつと漁火が浮いている。
「ね、星」
「やばいですね。こんなに見えるんだ」
しばらく、二人で黙って星を見ていた。波の音が、規則正しく寄せては返す。
「……今日さ」
凪さんが、ぽつりと口を開いた。
「楽しかった。一人で走るの、好きなんだけどさ。誰かが後ろにいるのって、悪くないなって思った。久しぶりに」
「俺は、ずっと前を見てましたよ。凪さんの背中」
「ふふ、なにそれ。風よけにされてただけでしょ」
「それもあるけど」
少しだけ、勇気を出した。
「綺麗な背中だなって、ずっと思ってました」
凪さんが、こっちを向いた。星明かりの中で、目が揺れている。いつも誰かのことばかり気にしてきた人の目が、今は、まっすぐ俺を見ていた。
「……笠原くんって、たまにずるいこと言うね」
「凪さんが、言わせるんですよ」
距離が、少しだけ縮まった。風呂上がりの石鹸の匂いと、潮の匂いが混じる。
彼女の濡れた髪が、頬にかかっていた。それを、指でそっと耳にかけてやる。凪さんは、逃げなかった。目を、ゆっくり閉じた。
唇を、重ねた。
ちゅ……。
波の音の中で、柔らかく触れる。一度離れて、もう一度。今度は少し長く。凪さんの手が、俺のTシャツの裾を、きゅっと掴んだ。
「ん……♡」
「凪」
「呼び捨て……いいね♡」
くすっと笑った唇を、また塞ぐ。今度は舌先で、薄く開いた唇をなぞった。
ちゅる……れろ……ちゅ……♡
「ん……ふっ……♡」
腰に手を回して引き寄せると、Tシャツ越しに、細い体が震えたのが分かった。風呂上がりの肌が、熱い。
ぷはっ、と唇を離すと、二人の間に細い糸が引いて、星明かりに光って切れた。
「……部屋、行こ。私の方」
その手を取って、立ち上がった。彼女の指は、湯上がりなのに少し冷えていて、握り返すと、すぐに温かくなった。
庭から廊下を抜けて、凪さんの部屋へ。畳の和室に、敷かれた布団がひと組。窓の障子は開けたままで、海の音と、夜風が入ってくる。電気はつけなかった。窓から差す月明かりだけで、十分だった。
向かい合って座ると、凪さんが、自分の濡れた髪をかき上げた。
「あんまり、見ないでよ……♡」
「無理です。ずっと見てたい」
「ばか……♡」
Tシャツの裾に手をかけて、ゆっくり頭から抜いた。下ろした髪が、肩にばさっと広がる。日に焼けた腕とは違う、白い肩。シンプルな水色のブラに包まれた胸が、月明かりに淡く照らされていた。
「綺麗だ」
「……日焼け、変じゃない? サイクルジャージの跡」
二の腕の真ん中で、肌の色がくっきり分かれている。袖の跡。その白い部分を、指でそっとなぞった。
「これも凪だ。可愛い」
「もう……♡」
照れた顔を隠すみたいに、凪が俺の首に腕を回してきた。そのまま、布団の上にゆっくり倒れ込む。覆いかぶさって、もう一度唇を重ねた。
ちゅぷ……れろ……ちゅる……♡
「んっ……♡」
首筋に唇を移す。風呂上がりの匂い。鎖骨を舌でたどると、凪の肩がびくっと跳ねた。
「あっ……♡ そこ……♡」
背中に手を回して、ブラのホックを外す。ぷつっ、と緩む。月明かりの下に、形のいい胸がこぼれた。
「……すごい」
「言わなくていいから……♡」
両手で、そっと包む。柔らかい。指の間で、その重みが沈む。
もにゅ……♡
「んっ……♡」
先端を指先で転がすと、凪の腰が浮いた。
「あっ♡ ……っ、笠原くんっ……♡」
「涼太でいい」
「りょう、た……♡」
名前を呼ばれるたびに、こっちの理性が削れていく。胸の先に、口をつけた。
ちゅ……れろ……♡
「ひゃっ♡ ……んんっ♡」
舌で転がしながら、もう片方を指で。凪の手が、俺の髪をくしゃっと掴む。普段、人の体を治す側の手が、今は俺にしがみついている。
れろ……ちゅぷ……ちゅるっ……♡
「あっ♡ だめ……っ、それ、弱い……♡」
短パンのウエストに手をかけると、凪が小さく頷いた。ゆっくり下ろす。水色の下着が、月明かりにうっすら濡れて見えた。
「……もう」
「言わないでってば……♡」
下着の上から、そっと指を沿わせる。布越しに、熱がじんと伝わってきた。
くちゅ……♡
「んあっ♡ ……っ♡」
凪の脚が、きゅっと閉じようとする。それを、優しく押し開いた。下着を横にずらして、直接、指を滑らせる。とろりと、あふれていた。
「すごい、濡れてる」
「涼太が……いっぱい、触るから……♡」
すじに沿って、ゆっくりなぞる。くちゅ、くちゅ、と濡れた音がする。膨らんだ芽を指先でかすめると、凪の腰がびくんと跳ねた。
「ひっ♡ ……そこっ♡ ……だめっ……♡」
くちゅくちゅ……♡
中指を、ゆっくり沈めていく。ぬるっ、と熱に包まれた。
「んあぁっ♡」
きゅうっと締めつけてくる。指を浅く出し入れしながら、親指で芽を撫でる。
ぐちゅ……ぬちゅ……♡
「あっ♡ あっ♡ ……涼太っ♡ ……それ、やばっ……♡」
普段冷静な人が、月明かりの下で乱れていく。その顔から、目が離せなかった。
「ま、待って……♡ 私ばっかり……♡」
凪が、息を切らしながら身を起こした。俺の短パンに手をかけて、もどかしそうに下ろす。窮屈にしていたものが、ぶるんと跳ねた。
「……っ、もう、こんな」
細い指で、そっと握る。
「く……っ」
「ふふ。涼太も、限界じゃん♡」
ゆっくり、上下に動かす。下ろした髪を耳にかけて、顔を近づけてきた。先端に、ちゅ、と口づける。
「凪、それは……」
「気にしてあげるって、言ったでしょ。私のこと♡ ……今度は、私の番」
舌を出して、裏側を下から舐め上げる。れろ、と。それから、ゆっくり口に含んだ。
ちゅぷ……じゅる……♡
「うっ……それ、やば……」
下ろした髪が揺れる。時々、上目遣いでこっちを確かめてくる。その視線が、反則だった。
ちゅぷちゅぷ……じゅるっ……♡
このままじゃ、もたない。俺は凪の肩をそっと押し戻した。
「凪、もう……」
「ん……♡」
ちゅぽん、と口を離す。とろんとした目で、俺を見上げた。
「……きて。涼太」
布団に、仰向けに横たえる。月明かりが、汗ばんだ白い肌を照らしている。財布から出したものを着けて、脚の間に体を進めた。先端が、とろとろの入り口に触れる。
「いくよ」
「うん……ゆっくり……♡」
ずぷっ……♡
「んあぁっ……♡」
熱い。ぬるぬると締めつけてくる。ゆっくり、奥へ。
「あっ♡ ……はいって、くる……♡」
「凪の中、すごい……」
最奥まで届くと、凪が俺の背中に腕を回してきた。隙間なく、抱きしめられる。
「動くよ」
ゆっくり、腰を引いて、戻す。ずちゅ、ずちゅ、と濡れた音。
「あっ♡ ……あっ♡ ……っ、涼太っ♡」
波の音に、二人の声と、肌の触れる音が混ざる。凪の脚が、俺の腰に絡んだ。かかとが、背中をぐっと引き寄せる。
「もっと……♡ もっと、奥……♡」
「凪……っ」
リズムが、少しずつ速くなる。ぱん、ぱん、と腰がぶつかる。月明かりの中で、凪の胸が揺れている。
ずちゅっ♡ ぬちゅっ♡
「あんっ♡ ……そこ、当たるっ♡ ……だめ、それ、だめっ♡」
「だめじゃないだろ」
「だめなのっ♡ ……気持ちよすぎてっ♡」
汗が、額から落ちる。凪の指が、俺の背中に食い込んだ。
「涼太っ♡ ……私、もうっ♡ ……いっちゃ……♡」
「俺も……っ」
ぱんぱんぱんっ♡
最後に、奥まで強く突き入れる。
「いくっ♡ ……いっ……んんんっ——♡」
びくんっ、と凪の体が跳ねて、中がぎゅうっと締まった。その締めつけに、俺も限界を超えた。
「く……っ」
どくっ、と熱が放たれる。薄い膜越しに、それでも凪の中の脈動が伝わってきた。
二人とも、しばらく動けなかった。荒い息だけが、波の音に混じる。
「……はぁっ……♡ ……すご……♡」
「凪、大丈夫?」
「ん……。……ねえ、ほら。また私のこと、気にしてる♡」
ふっと笑って、汗で濡れた俺の前髪を、指で払ってくれた。繋がったまま、もう一度、唇を重ねた。
ちゅ……♡
しばらくして、ゆっくり離れる。凪が、俺の腕に頭を乗せてきた。窓の外に、星と、漁火。波の音が、ずっと続いている。
「逃げてきたつもりだったのにな」
ぽつりと、凪が言った。
「ここ、いつも一人になりに来る場所だったのに。なんで隣に、知らない人がいるんだろ」
「拾われたんで」
「ふふ、それ私のセリフ」
くすくす笑って、俺の胸に顔を埋める。
「凪。これ、今日だけにしたくない」
凪の体が、少しだけ強張った。
「旅先の出会いだから、で終わらせたくないです。俺、東京。凪さんは川崎でしょ。会える距離だ」
「……」
「凪さんが、いつも誰かのこと気にして疲れてるなら。俺が、凪さんのこと気にする人になりたい。後ろ、ずっとついてくんで」
凪が、顔を上げた。月明かりの中で、目が潤んでいる。いつも気丈な人の、初めて見る顔だった。
「……ほんとに、ずるい」
「ずるくていいです」
「夜勤明け、めちゃくちゃ機嫌悪いよ。私」
「知ってます。今日、坂で抜かれたとき、めちゃくちゃ怖かったんで」
凪が、吹き出した。それから、涙のたまった目で、こくんと頷いた。
「……うん。終わらせない。今日で、終わりにしない」
もう一度、唇を重ねた。今度のは、約束みたいなキスだった。
翌朝。
梅雨の中休みは、まだ続いていた。雲ひとつない空の下、俺たちは大三島から、最後の島を繋いで今治を目指した。来島海峡大橋。三つの吊り橋が連なる、しまなみ最長の橋。眼下で、潮が渦を巻いている。
その橋の上を、凪が前を引いて、俺が後ろをついていく。
「笠原くん、ちゃんとついてきてる?」
「もう涼太でいいでしょ」
「人前だと照れるから、まだ笠原くん♡」
風が、彼女の笑い声を運んでくる。
今治のゴール地点に着いて、二人でハイタッチした。汗だくで、でも最高の笑顔で。連絡先を交換して、フェリーで尾道へ戻る凪を、港で見送った。
「次は、東京で。私の夜勤明け、付き合ってよ」
「もちろん。気にする係なんで」
船のデッキで手を振る凪が、だんだん小さくなる。瀬戸内の海は、名前の通り、凪いでいた。
運動不足の言い訳で始めたロードバイク。初めての一人旅で出会った、坂を風みたいに登る美人看護師。
梅雨の晴れ間のしまなみ海道で並んで走った俺たちは、旅先の出会いで終わらず——東京と川崎の、ちゃんと続く二人になった。
次の連休も、また二人でここを走る約束をしている。今度は、俺が前を引けるくらいには、強くなっていたい。
― 終 ―