俺、結城直人、27歳。工務店勤務の大工だ。
去年の冬、祖父が亡くなった。郊外に残されたのは、築六十年の古民家。 両親は「売るか、潰して更地にするか」と言った。でも俺には、それができなかった。
子供の頃、夏になるとこの家に泊まりに来た。 祖父が縁側で削っていた鉋屑の匂い。太い梁を見上げて「これは欅だ」と教えてくれた声。全部この家に染み込んでいる。
(潰すなんて、無理だ)
だから俺は、相続した古民家を自力で改装することにした。 工務店の仕事が休みの土日に通って、床を張り替え、水回りを直し、壁を塗り直した。半年かけて、ようやく一部屋が人の住める状態になった。
一人で持つには広すぎる家だ。それなら——シェアハウスにすればいい。 家賃で改装費の足しにもなるし、何より家に人の気配が戻る。祖父が遺したこの家を、もう一度、生きた家にしたかった。
入居者募集の写真を撮って、ネットに載せた。古民家、太い梁、縁側、川が近い。家賃は格安。 ただし「他の部屋は改装中」と正直に書いた。すぐには決まらないだろうと思っていた。
七月の初め。最初の内見の連絡が来た。
土曜の午後、約束の時間。 玄関の引き戸を開けて待っていると、自転車が一台、砂利を踏んで近づいてきた。降りてきたのは、若い女性だった。
ポニーテール。日に焼けた手足。麻のシャツに、なぜか作業着のようなカーゴパンツ。背中にはやけに膨らんだリュック。
「あの、内見の方ですか」
「はい! 桜井詩織です。今日はよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。声が明るい。顔を上げた瞬間、思わず息を呑んだ。 汗で前髪が額に張り付いて、頬が少し赤い。それなのに——目がやたらと綺麗だった。まっすぐで、好奇心の塊みたいな目。
(美人、だな……)
彼女は玄関に一歩入って、上を見上げた。そして、固まった。
「……うわ」
「え、なにか」 「……この梁」
詩織の声が、震えていた。
「これ……登り梁、ですよね……!」
「のぼり……?」 「斜めにかけてる、この太いやつです。普通の家は水平の梁ですけど、ここは屋根の勾配に合わせて斜めに渡してて……しかも継いでない。一本物の松ですよこれ。すごい、すごいです」
語彙が急に幼くなった。リュックを背負ったまま、首が痛くなりそうな角度で天井を見上げている。
「えっと……建築、詳しいんですか」
「あ、すみません。私、大学院で建築学やってて。古民家の構法が研究テーマなんです」
なるほど。それで作業着か。
「触ってもいいですか、この柱」
「あ、どうぞ」
詩織は柱に手を当てて、目を閉じた。木目を確かめるように、手のひらをゆっくり滑らせる。
「……手斧の跡だ。これ、機械じゃなくて手で削ってますね。職人さんの仕事だ」
「祖父が……いや、祖父が頼んだ大工が、昔ながらのやり方でやったみたいで」 「おじいさまの家なんですか」 「相続して。改装は、俺が一人で」
詩織がぱっとこっちを向いた。さっきまで木を見ていた目が、今度はまっすぐ俺に向いている。
「結城さんが、一人で? この床も?」
「床は張り替えました。あと水回りと、壁」 「……すごい。プロなんですか」 「工務店の大工です」 「本物の職人さんだ……!」
なぜか感動されている。木の話で目を輝かせる人は初めてだった。
奥の改装済みの部屋を案内した。六畳の和室。畳は新しい。窓の外は雑木林で、蝉が鳴いている。 詩織は部屋の真ん中に立って、ぐるりと見回した。
「いい部屋……」
「他の部屋はまだ全然なんです。正直、当面は俺と二人だけで」 「私、ここにします」 「……え」 「入居します。即決です」
あまりに早い。
「いや、他も見てから決めた方が」
「他はいいです。ここがいいです。だってこんな梁の下で暮らせるんですよ。研究にもなるし、何より——」
詩織はもう一度、梁を見上げた。
「……かっこいいから」
その横顔に、なぜか俺の方がどきりとした。
こうして、入居者第一号が決まった。桜井詩織、24歳。建築学専攻の大学院生。 問題は——他の部屋がまだ改装中で、当面この家には俺と詩織の二人しかいないということ。
引っ越しの日。軽トラで荷物を運び込みながら、俺はその事実を改めて噛みしめていた。
(二人きり……だよな、これ)
シェアハウスのつもりが、実質、若い男女の同居だ。 詩織は気にしている様子もなく、段ボールから本を取り出して本棚に並べている。分厚い建築の専門書ばかりだ。
「結城さん、この棚も手作りですか」
「あ、はい。端材で」 「すごい。ほぞ組だ。釘使ってない」 「……よく見てますね」 「だって面白いから。ふふ」
詩織が笑った。日に焼けた頬に、えくぼができる。その笑い方が、なんだか妙に印象に残った。
最初の一週間は、お互い距離を測るように過ごした。 朝、台所ですれ違って挨拶。夜、それぞれの部屋で過ごす。詩織は大学院に通い、俺は現場に通う。 変化が起きたのは、次の土曜だった。
その日、俺は二つ目の部屋の改装に取りかかっていた。古い砂壁を剥がして、下地を作る作業。一人だと、なかなか進まない。 汗だくで石膏ボードと格闘していると、襖が開いた。
「結城さん、手伝います」
「え、いや、休みの日に悪いですよ」 「私が見たいんです。改装してるとこ。研究のためにも」
そう言って詩織は、当然のように軍手をはめた。作業着姿だ。ポニーテールをきゅっと結び直す。
「じゃあ……このボード、押さえててもらっていいですか」
「了解です」
詩織はボードを壁に当てて、しっかり押さえた。俺がビス留めする間、ぴたりと動かない。力の入れ方を分かっている。
「……上手いですね」
「実家、工務店なんです」 「あ、そうだったんだ」 「父が大工で。小さい頃から現場についてって、道具触ってたから」
それで道具に詳しいのか。 インパクトドライバーを渡すと、当たり前のように使いこなす。ビスの長さも、下地の位置も、言わなくても分かっている。 息が合う。言葉が少なくても、次に何をするか、お互い分かる。
午後、壁の下地が一面分終わった。二人で並んで、出来上がった壁を眺める。
「気持ちいいですね、これ」
「ん?」 「何もなかったとこに、形ができてく。私、図面ばっかり描いてて。実際に手を動かして物が立ち上がってくの、初めてで」 「……まあ、それが現場の面白さですね」 「うん。すごい、楽しい」
汗を拭いながら、詩織が無邪気に笑う。さっきまで敬語の中に、少しだけタメ口が混ざり始めていた。
それから毎週末、詩織はDIYを手伝うようになった。壁を塗り、床を張り、建具を直す。 教えると一度で覚える。覚えると、もう俺より丁寧にやる。気づけば、敬語はほとんど消えていた。
「直人さん、ここの巾木どうする?」
「あ、それは古いの再利用したいんだよな。味があるから」 「だよね。私もそう思ってた。古いの、いいよね」
いつの間にか「直人さん」になっていた。俺もいつの間にか、詩織と呼んでいた。
七月の終わり。作業を終えた夕方、縁側に二人で腰掛けた。 俺が冷蔵庫から缶ビールを二本取ってくる。プシュッと開けて、詩織に渡す。
「お疲れ」
「お疲れさまです。あ、敬語に戻っちゃった」 「ふふ、どっちでもいいよ」
ことん、と缶を軽くぶつける。ぬるくなりかけた風が、雑木林を抜けて縁側に流れてくる。 ひぐらしが鳴いている。空はゆっくり茜色に染まっていた。
「いい時間ですね、これ」
「祖父さんも、夏はここでビール飲んでた」 「おじいさまと、仲良かったんですか」 「うん。子供の頃、よく泊まりに来てた」
俺はビールを一口飲んで、縁側の柱を撫でた。
「ここで鉋かけてる祖父さんの背中、今でも覚えてる。木の匂いがして。『直人、木は生きてるんだぞ』って、よく言ってた」
「……素敵」 「正直さ、この家、相続したとき潰す話も出たんだ」 「えっ」
詩織が缶を持つ手を止めた。
「両親は売れって。一人で持つには広すぎるし、古いし。でも……無理だった。この家、祖父さんそのものみたいで」
「……それで、自分で改装を」 「うん。シェアハウスにすれば、家賃で改装費の足しにもなるし。何より——人が住んでたら、家って生き返るだろ。死なせたくなかった」
言ってから、少し照れた。柄でもないことを喋った気がする。 でも詩織は、笑わなかった。じっと俺を見て、それから縁側の床に手を置いた。
「私、分かります」
「ん?」 「家にも、命があるって。古い家を調べてると、いつも思うんです。柱の一本一本に、住んでた人の時間が染み込んでて。それを残すのって、すごく……尊い仕事だなって」 「……尊い、か」 「直人さんがやってることは、研究より、ずっと尊いです」
茜色の光が、詩織の横顔を照らしていた。ポニーテールのほつれ毛が風に揺れる。
(……綺麗だな)
その思いを、俺はビールで飲み下した。
数日後の夜。詩織が大学院から帰ってきたとき、様子がおかしかった。 玄関でぼんやり靴を脱いで、「ただいま」も小さい。顔色が悪い。目が赤い。
「おかえり。……どうした、なんかあった?」
「……研究発表が、あったんです。今日」 「ああ、言ってたな。うまくいった?」 「……ぼろぼろでした」
詩織は台所の椅子にぺたりと座った。肩が落ちている。いつもの元気がない。
「教授に、全部否定されて。『君のは郷愁だ。学問じゃない』って。『古い家を愛でるのは趣味であって、研究は成立してない』って」
声が、震えていた。
「……自分でも、分かってたんです。私、好きすぎて。古民家が。だから客観的に見れなくて。でも、面と向かって言われたら……」
詩織がうつむいた。ぽたっ、と膝に雫が落ちた。 俺は、なんて言えばいいか分からなかった。学問のことなんて分からない。論文の良し悪しも分からない。 でも——一つだけ、言えることがあった。俺は詩織の前にしゃがんで、目を見た。
「詩織」
「……はい」 「俺は学問のことは分からない。でも、現場の人間として一つ言わせてくれ」 「……はい」
詩織が顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃの顔。
「お前が梁を見上げて『すごい』って言ったとき、俺、初めてだったんだよ。木の話でそんな顔する人。柱触って『手斧の跡だ』って分かる人。そんなやつ、現場でもなかなかいない」
「……」 「お前のその『好き』は、趣味なんかじゃない。本物だ。本物だから、誰よりも木が見える。その目は、絶対に武器になる。郷愁? 上等だろ。家を愛せないやつが、家を残せるかよ」
詩織の目が、大きく見開かれた。涙が、止まらないまま、ぼろぼろこぼれていく。
「……っ」
「現場の人間が保証する。お前は、いい仕事をする」
詩織は両手で顔を覆った。肩を震わせて、しばらく泣いた。 やがて、顔を上げて、ぐしゃぐしゃの笑顔を見せた。
「……ずるいです。そんなこと言われたら」
「ずるくないだろ」 「だって……立ち直っちゃうじゃないですか」 「立ち直れよ」 「……はい。立ち直ります」
涙を拭って、詩織は鼻をすすった。それでもまだ、目の縁が赤い。
「ありがとうございます、直人さん。……お礼、させてください」
「礼なんていいよ」 「ダメです。明日の夜、空いてますか」 「明日? まあ、空いてるけど」 「川辺、行きましょう。今、蛍が出てるんです。すごく綺麗なんですよ」
蛍。そういえば、子供の頃、祖父に連れられて見た記憶がある。
「……いいな。行くか」
「やった」
涙のあとの笑顔が、やけに眩しかった。
翌日の夜。日が落ちて、辺りがすっかり暗くなった頃、二人で家を出た。 懐中電灯を持って、川沿いの小道を歩く。草いきれと、水の匂い。蛙の声。空には星が出ていた。
「この先です。昔から蛍の名所で」
「よく知ってるな」 「下見しました、昼間に。直人さんに変なとこ案内したら申し訳ないし」 「……わざわざ?」 「えへへ」
少し歩くと、川幅が広がった。川面のあたりに——光が、ふわりと舞っていた。 ひとつ、ふたつ。やがて、いくつも。 淡い黄緑の光が、闇の中をゆっくり漂う。川辺の草むらにも、点々と光が灯っている。
「……綺麗」
「すげえな、これ」
俺も詩織も、声をひそめた。蛍の光が、暗闇に溶けては、また現れる。 詩織が、すっと俺の隣に立った。肩が触れそうな距離。
「直人さん、昨日……ありがとうございました」
「もういいって」 「よくないです。私、あのまま研究やめようかとも思ってたんです。でも、直人さんの言葉で……続けようって、思えた」
蛍の光が、詩織の頬を淡く照らす。
「直人さんがいてくれて、よかった」
闇の中で、詩織の手が、そっと俺の手に触れた。指先が、冷たい。でも、震えていた。 俺は、その手をそっと握り返した。詩織の指が、きゅっと俺の指に絡む。
「……寒いか?」
「……ううん」
蛍が一匹、二人の間をふわりと横切った。詩織が、こちらを見上げる。暗くて表情はよく見えない。 でも、その瞳に、蛍の光が小さく映っていた。言葉はなかった。ただ、握った手の温度だけが、確かだった。
その夜、家に帰っても、手のひらに残った詩織の指の感触が消えなかった。 それから、二人の距離は明らかに変わった。作業の合間に肩が触れても、どちらも離れない。 夜、縁側で並んで話す時間が、少しずつ長くなった。
でも、決定的な一歩は、まだ踏み出せずにいた。俺は口下手だ。気持ちを言葉にするのが、どうしようもなく苦手だった。 そのきっかけは、思いがけない形でやってきた。八月の半ば、ゲリラ豪雨の夜だった。
夜中、轟音で目が覚めた。屋根を叩く激しい雨。雷。 そして——天井から、ぽたり、ぽたりと、嫌な音がした。
「……雨漏りか」
飛び起きて懐中電灯をつけると、廊下の天井から水が垂れていた。古い家だ。改装が追いついていない箇所がある。 廊下に出ると、向こうの襖も開いた。
「直人さん、雨漏り!」
「ああ、こっちもだ。詩織、起きてたか」 「音で起きました。どうしよう、本棚の上に落ちてる!」
二人とも寝間着のまま、家中を駆け回った。バケツを置き、雑巾を敷き、本を避難させる。 雨はどんどん強くなる。一番ひどいのは、改装中の部屋の天井だった。
「詩織、屋根裏に上がる。下で懐中電灯当ててくれ」
「私も上がります! 二人の方が早い」 「危ないぞ」 「実家で慣れてます! 早く!」
押し問答してる暇はなかった。二人で天井裏に潜り込む。狭い。埃っぽい。雨音がすぐ頭上で鳴っている。 懐中電灯の光で、雨漏りの箇所を探す。古い防水シートが、一箇所めくれていた。
「ここだ! シート剥がれてる!」
「ブルーシート持ってくる。詩織、ここ押さえてろ」 「了解!」
俺が応急のブルーシートを引き上げて、二人で破れた箇所に被せる。ガムテープで仮留めして、上から角材で押さえる。 雨が顔に降りかかる。汗とも雨とも分からないもので、全身ずぶ濡れだ。
「もう一押し! そっち持ち上げて!」
「うんっ……重い……!」 「いける、もうちょい!」
二人がかりで、なんとかシートを固定した。垂れていた水が、止まった。 天井裏で、二人とも、息を切らして座り込んだ。
「……止まった」
「ああ。止まった」 「やった……!」
詩織が、泥と埃だらけの顔で、にかっと笑った。 前髪がぺったり額に張り付いて、寝間着はずぶ濡れ。それなのに、満面の笑顔。 俺は、思わず吹き出した。
「お前、ひどい顔してるぞ」
「直人さんもです! 真っ黒!」 「あはは」 「ふふっ、あはは!」
二人で、天井裏で大笑いした。真夜中の、ずぶ濡れの、泥だらけの二人。 笑いが、少しずつ収まっていく。そして——沈黙が訪れた。
懐中電灯の光が、狭い空間でぼんやり揺れている。雨音だけが、頭上で響いている。 詩織の顔が、すぐ近くにあった。濡れた前髪。上気した頬。半分開いた唇。 笑った余韻のまま、こっちを見ている。その目が——笑っていなかった。
(……やばい)
距離が、近い。詩織のまつげに、水滴がついている。 その水滴が、懐中電灯の光を受けてきらりと光った。 俺は、動けなかった。詩織も、動かなかった。雨音の中で、二人だけの時間が、止まっていた。
「……直人さん」
「……ん」 「……」
何か言いかけて、詩織は口をつぐんだ。代わりに、視線をふっと逸らして、立ち上がろうとした。
「……先、お風呂、入っていいですか。泥だらけで」
「あ、ああ。入れよ」 「直人さんも、入らないと」 「俺は後でいい。詩織が先に」
天井裏から降りて、二人とも、なんとなく目を合わせられないまま、廊下に立っていた。
「……じゃあ、お先に」
「ああ」 「……あの、直人さん」 「ん?」 「やっぱり、直人さんが先に入ってください。私、まだ片付けあるし」 「いや、いいよ。詩織が先に」 「……いえ、直人さんが」
風呂を、譲り合っていた。お互い、相手のことを考えて。でも、本当は、何か別のことを考えていて。 結局、じゃんけんで詩織が先に入ることになった。
俺は廊下の片付けをしながら、心臓がうるさかった。 さっきの天井裏。あの距離。あの目。もし、あのまま——。
(……いや、何考えてんだ)
頭を振って、雑巾を絞る。しばらくして、風呂場の戸が開く音がした。湯上がりの、石鹸の匂いが廊下に漂ってくる。 詩織が、洗面所から出てきた。濡れ髪を下ろしている。ポニーテールじゃない詩織を、初めて見た。 Tシャツに短パンの寝間着。火照った頬。俺は、思わず目を逸らした。
「……お疲れ。気持ちよかったか」
「……はい」 「じゃ、俺も入ってくるわ」
通り過ぎようとしたとき。
「直人さん」
詩織が、俺のTシャツの裾を、きゅっと掴んだ。 俺は、足を止めた。振り返ると、詩織がうつむいたまま、裾を掴んでいる。 湯上がりの頬が、雨に濡れたとき以上に、赤い。
「……あの」
「……どうした」 「お風呂、上がったら……」
詩織が、顔を上げた。潤んだ目で、まっすぐ俺を見て——
「直人さんの部屋、行っていい……ですか」
心臓が、跳ねた。 その言葉の意味を、俺は分かっていた。詩織も、分かっていて言っていた。 雨音が、まだ屋根を叩いている。廊下の薄暗い灯りの下で、詩織の手が、震えていた。
「……ああ」
「……」 「待ってる」
詩織が、こくんと頷いた。
風呂に入っている間、心臓がずっとうるさかった。体は洗っているのに、頭の中は詩織のことでいっぱいだった。 あの裾を掴んだ手。潤んだ目。「行っていいですか」という声。 風呂を上がって、自分の部屋に戻る。六畳の和室。新しい畳の匂い。窓の外では、雨が少し弱くなっていた。 布団は、まだ敷いていなかった。
しばらくして、襖が、そっと開いた。詩織が、立っていた。 さっきと同じ寝間着。でも、その下に、何も着けていないのが、なんとなく分かった。濡れ髪が、肩に流れている。
「……来ました」
「ああ」 「……入っていい?」 「……おいで」
詩織が、襖を閉めて、部屋に入ってきた。畳の上に、二人で向かい合って座る。言葉が、続かない。 俺は、手を伸ばして、詩織の頬に触れた。湯上がりで、温かい。少し湿っている。詩織が、目を閉じた。 それが、合図だった。俺は、ゆっくり、唇を重ねた。
柔らかい。触れているか、いないか。それくらいの、最初のキス。
ちゅ……
少しだけ離して、詩織の顔を見る。目を閉じたまま、震えている。
「……怖いか」
「……ううん。直人さんだから、平気」
その言葉に、胸が締め付けられた。 もう一度、唇を重ねる。今度は、もう少し深く。頬に手を添えて、詩織の唇を、ゆっくり食む。
ちゅっ……んっ……
詩織の唇が、おずおずと開いた。舌で、そっと割って入る。
れろ……ちゅる……
「ん……っ♡」
詩織の舌が、おそるおそる絡んでくる。慣れていない動き。でも、応えようとしてくれる。それが、たまらなく愛しかった。
ちゅぷ……ちゅるるっ……
「はぁ……♡ んっ……♡」
キスをしながら、腰に手を回す。詩織の体が、びくっと震えた。 でも、逃げない。むしろ、俺の胸に体を寄せてくる。 俺は、詩織をそっと畳に横たえた。濡れ髪が、新しい畳の上に広がる。窓からの淡い灯りが、火照った頬を照らしていた。
「……詩織」
「……はい」 「綺麗だ」 「……っ♡ 恥ずかしい……」
もう一度キスをして、手が寝間着の裾に触れる。Tシャツの中に、ゆっくり手を滑り込ませる。 詩織の肌は、滑らかで、温かかった。
「ひゃっ……♡ くすぐったい……♡」
手が、ゆっくり上へ向かう。やがて——ふにっ、と、柔らかいものに触れた。
「あっ……♡」
やっぱり、何も着けていなかった。
「……つけてないんだな」
「だって……お風呂上がりだし……それに……♡」 「それに?」 「……こうなるって、分かってたから……♡」
その言葉に、俺の中の何かが、ぐっと熱くなった。 Tシャツをめくり上げる。白い肌。日焼けの跡が、Tシャツのラインで残っている。そのコントラストが、やけに色っぽかった。 淡いピンクの胸の先が、もう、つんと尖っている。
「……見ないで♡」
「無理だ。綺麗すぎる」 「……ばか♡」
胸を、手のひらで包む。ふにふに……
「んっ……♡ あっ……♡」
手に収まる、形のいい胸。指先で、尖った先端を、そっと転がす。
こりっ……こりこりっ……
「ひっ……♡♡」
詩織の体が、びくんと跳ねた。 片方を指で弄りながら、もう片方の先端に、口を寄せる。
ちゅっ……れろ……ちゅぱっ……
「んあっ♡♡ だめっ……♡ 声、出ちゃう……♡♡」
詩織が、手の甲で口を押さえた。
(この声は……やばい)
左右を交互に、舌で転がし、吸う。空いた手で、もう片方を揉みしだく。
ちゅぱっ……じゅるっ……
「あっ♡ んっ♡ はぁっ♡♡ 直人さぁん……♡♡」
詩織の息が、どんどん荒くなっていく。俺の手が、寝間着の短パンの縁に触れた。
「下も、いいか」
「……うん♡」
こくんと頷く詩織。短パンを、ゆっくり下ろす。下着も、つけていなかった。
「……ほんとに、何も」
「言わないで……♡♡」
太ももの内側が、もう、しっとり濡れて光っている。
「もう濡れてる」
「……っ♡ 言わないでってば……♡」
太ももを、そっと開かせる。脚の付け根に、ぷっくりと膨らんだ花弁。蜜が、てらてらと、淡い灯りを反射していた。 花弁を、指でそっと開く。ぷちゅ……
「ひあっ♡♡」
中は、熱くて、ぬるぬるしていた。小さな突起を探り当てて——くりっ。
「んんっ♡♡♡」
腰が、びくんと跳ねた。
「ここ、気持ちいいか」
「あっ♡♡ わかんないっ……♡♡ でも……♡♡」 「でも?」 「……気持ちいい……♡♡♡」
突起を、くりくりと刺激しながら、中指を、ゆっくり沈めていく。ずぷっ……
「んああっ♡♡♡」
きゅうっと、締め付けてくる。詩織の中は、狭くて、熱かった。
ぐちゅ……ぐちゅぐちゅ……
「あっ♡ 指っ♡ 入ってる……♡♡」
指を、ゆっくり出し入れする。浅いところを擦り、奥を探る。 上の壁の、少しざらついた場所を見つけて——ぐりぐりっ。
「ひぃっ♡♡♡ そこっ♡♡ なにそれっ♡♡♡」
詩織が、知らない感覚に戸惑ったように、首を振った。 そこを、重点的に擦る。同時に、親指で、突起も刺激する。
「あっ♡♡ りょ、両方っ♡♡♡ だめっ♡♡♡」
詩織の体が、ぶるぶると震え始める。お腹が、ぴくぴく痙攣している。
「なんか来るっ♡♡♡ 来ちゃうっ♡♡♡♡」
「いいぞ。来いよ」 「やっ♡♡♡ 止まらないっ♡♡♡♡」
ぐちゅぐちゅぐちゅっ♡♡♡
「あっ♡♡♡ あっ♡♡♡♡ いくっ♡♡♡♡ いっちゃうっ♡♡♡♡♡」
びくんっ♡♡♡♡
きゅうぅぅっと指を締め付けて、じゅわぁっと、温かいものが俺の手を濡らした。 詩織が、畳の上で、弓なりに反って、震えている。
「はぁ……♡ はぁ……♡♡」
詩織が、力なく、畳に沈んだ。俺は、指を、ゆっくり抜く。ぬぷっ……
「……すごかった……♡」
潤んだ目で、詩織がこっちを見た。
「直人さんも……気持ちよく、なってほしい……♡」
詩織が、体を起こして、俺のズボンに手をかけた。 震える指で、ベルトを外し、ズボンを下ろす。下着の上から、そっと触れる。
「……すごい♡ もう、こんなに……♡」
下着を下ろすと、ぶるんっと、飛び出した。
「わっ……♡♡ おっきい……♡♡」
詩織が、おそるおそる、細い指で握る。きゅっ。
「……っ」
「気持ちいい?」 「……ああ。めちゃくちゃ」
ゆっくり、上下に手を動かす。しゅっ……しゅっ…… 詩織が、顔を近づけて、先端に、ちゅっ♡
「ぴくって、動いた♡」
「煽るなって」 「……えへへ♡」
舌を出して、ぺろぺろと舐め始める。れろ……ちゅる…… 慣れない手つきだけど、一生懸命だった。
「これで、合ってる……?♡」
「ああ……すげえいい」
褒めると、嬉しそうに、口を開けて、咥えた。ずぷっ……
ちゅぱっ……じゅるっ……ちゅぷちゅぷ……
「んっ♡ んむっ♡」
濡れ髪が、さらさら揺れる。頭を、ぎこちなく上下に動かす。口の中は、温かくて、ぬるぬるで——やばかった。
「詩織、待って。それ以上は、まずい」
俺は、詩織の頭を、そっと持ち上げた。唾液の糸が、つうっと光る。
「……入れたい」
詩織が、こくんと頷いた。
「……うん♡ 来て♡」
「……ゴム、持ってない」 「私も、ない。でも……」
詩織が、頬を赤くして、目を逸らした。
「今日、安全日だから……♡ そのまま、いいよ……♡」
俺は、詩織を、もう一度、畳に横たえた。濡れ髪が広がり、汗ばんだ肌が、淡い灯りに光る。 脚を開かせて、間に入る。先端を、入り口に当てる。ぬるっ。たっぷりの蜜で、ぬるぬるだ。
「入れるぞ」
「……うん♡ ゆっくり……♡♡」
ずぷっ……
「ぁああっ♡♡♡♡」
熱い。きゅうぅっと、締め付けてくる。詩織の中が、俺を包み込む。
「詩織……中、すげえ……」
「おっきい……♡♡ 入ってくる……♡♡♡」
ゆっくり、奥まで、押し込んでいく。ずず……ずずずっ……
「んんっ♡♡♡ 奥まで……♡♡♡ 当たってる……♡♡♡♡」
最奥まで、入りきった。隙間なく、詩織の中に包まれている。 少しの間、動かずに、詩織の頬に手を当てた。
「……平気か」
「……うん♡ 直人さんで、いっぱいです……♡♡」
その言葉に、胸の奥が、熱くなった。
「動くぞ」
ずちゅっ♡ ずちゅっ♡♡
「あっ♡♡ あっ♡♡ んっ♡♡♡」
ゆっくり、リズムを作って、腰を動かす。ぱんっ♡ ぱんっ♡
「直人さんっ♡♡ 気持ちいいっ♡♡♡」
「俺も……詩織の中、最高だ……」
少しずつ、速くしていく。ぱんぱんっ♡♡
ぐちゅっ♡ ぬちゅっ♡ ぱんっ♡♡
「あんっ♡♡ 奥っ♡♡ 奥に当たるっ♡♡♡」
詩織の脚が、俺の腰に絡みついた。もっと奥へ、と求めるように。
「もっと……♡♡ もっと、ぎゅってして……♡♡♡」
俺は、詩織の体を抱きしめながら、腰を打ち付けた。 古い家の、静かな夜。聞こえるのは、雨の名残と、肌がぶつかる音と、詩織の甘い声だけ。
ぱんっぱんっぱんっ♡♡♡
「声、出ちゃうっ♡♡♡ でも、誰もいないから……♡♡♡」
「ああ。二人だけだ。好きなだけ出せ」 「やだっ♡♡♡ でも、止まらないっ♡♡♡♡」
ぱんぱんぱんぱんっ♡♡♡♡
新しい畳が、二人の重みで、かすかに軋む。詩織の濡れ髪が、汗で頬に張り付いている。その表情が、とろけきっていた。
「詩織……顔、エロいぞ」
「言わないで……♡♡♡ 直人さんのせいだもん……♡♡♡」
ぐっと体を起こして、詩織の脚を抱え、角度を変える。今まで届かなかった奥に、先端が当たる。
「ひあっ♡♡♡ そこっ♡♡♡ それ、だめっ♡♡♡♡」
同じ場所を、狙って突く。ずんっ♡ ずんっ♡♡
「あっ♡♡♡ すごいっ♡♡♡ 頭、真っ白になるっ♡♡♡♡」
詩織が、俺の腕を、ぎゅっと掴んだ。
「また来るっ♡♡♡♡ さっきの、また来ちゃうっ♡♡♡♡」
「俺も、もう……」 「一緒がいいっ♡♡♡♡ 直人さんと、一緒にっ♡♡♡♡♡」
ぱんぱんぱんぱんぱんっ♡♡♡♡♡
「いくっ♡♡♡♡♡ いくいくいくっ♡♡♡♡♡♡」
「詩織っ……中に出すぞっ……!」 「出してっ♡♡♡♡♡ 中にっ♡♡♡♡♡ 直人さんの、全部っ♡♡♡♡♡♡」
ずんっずんっずんっ♡♡♡♡
「イクっ♡♡♡♡♡♡」
「出る……っ!!」
びゅるっ♡♡ びゅるるっ♡♡♡ どくどくっ♡♡♡♡
「んんんっ♡♡♡♡♡♡♡」
詩織の一番奥に、熱いものが、どくどくと注がれていく。 詩織の体が、びくびくと痙攣しながら、きゅうぅぅっと、俺を締め付ける。
「はぁ……♡♡ あったかい……♡♡♡♡」
詩織が、虚ろな目で、幸せそうに微笑んだ。 俺は、詩織を抱きしめて、唇を重ねた。ちゅっ♡
「詩織……最高だった」
「私も……♡♡ すっごい、気持ちよかった……♡♡♡」
繋がったまま、しばらく、キスを交わす。 詩織の中で、俺の熱は、まだ収まっていなかった。むしろ、再び、硬くなっていく。
「……え♡ まだ、元気……?♡」
「詩織が、可愛すぎるから」 「……っ♡♡♡」
詩織が、潤んだ目で、こっちを見て、それから——少しだけ、いたずらっぽく笑った。
「……今度は、私が、上に……いい?♡」
その笑い方に、また心臓が跳ねた。 詩織が、俺を、そっと押し倒す。繋がったまま、体勢を入れ替える。
ずるっ……ずぷっ♡♡
「んっ♡♡♡ この体勢……奥まで、入っちゃう……♡♡♡♡」
詩織が、俺の上で、背筋を伸ばした。濡れ髪が、背中に流れる。 淡い灯りが、汗ばんだ体のシルエットを、際立たせていた。
(……綺麗だ)
詩織が、ゆっくり、腰を上下に動かし始める。ずちゅっ♡♡ ずちゅっ♡♡
「あっ♡♡ 自分で動くの……すごい♡♡♡」
胸が、動きに合わせて、たゆんたゆんと揺れる。俺は、手を伸ばして、揺れる胸を、下から掴んだ。もにゅっ♡♡
「ひゃっ♡♡♡ 胸、揉みながらっ♡♡♡ ずるいっ♡♡♡♡」
詩織の腰の動きが、激しくなっていく。自分の気持ちいいところを探すように、腰をぐりぐり回す。
「あっ♡♡♡♡ ここっ♡♡♡♡ ここ、当たるっ♡♡♡♡♡」
見つけたらしい。そこを、重点的に擦り付けるように、前後に動く。
ずちゅっずちゅっずちゅっ♡♡♡♡
「気持ちいいっ♡♡♡♡ 直人さんのっ♡♡♡♡ 最高っ♡♡♡♡♡」
俺の胸に、両手をついて、詩織が腰を打ち付ける。ぱんっぱんっぱんっぱんっ♡♡♡♡♡ 理系の真面目な院生が、こんな顔をするなんて、誰も知らない。俺だけが知っている。そう思うと、たまらなかった。
「また、来るっ♡♡♡♡ イっちゃうっ♡♡♡♡♡」
「俺も、もう……!」 「一緒にっ♡♡♡♡♡ 一緒に、イこっ♡♡♡♡♡♡」
俺は、詩織の腰をがっしり掴んで、下から深く突き上げた。ぱんぱんぱんぱんぱんっ♡♡♡♡♡♡
「イくっ♡♡♡♡♡♡ いくいくいくっ♡♡♡♡♡♡♡」
「詩織っ……もう一回、出すぞっ……!!」
ずんっ♡♡♡♡
びゅるるっ♡♡♡♡ どくどくどくっ♡♡♡♡♡♡
「んんんんっ♡♡♡♡♡♡♡♡」
二回目を、さっきよりさらに奥に、どくどくと注ぎ込む。 詩織が、ぶるぶる震えて、がくんと、俺の上に倒れ込んだ。
「はぁ……♡♡♡ すごかった……♡♡♡♡♡」
詩織が、俺の胸に、頬を埋める。汗ばんだ肌。伝わってくる、速い鼓動。
「直人さん……♡」
「ん?」 「……幸せ♡♡」
詩織が、ぎゅっと抱きついてくる。俺も、抱きしめ返した。 しばらく、二人とも、動けなかった。雨は、いつの間にか、やんでいた。
気がつくと、障子の向こうが、白み始めていた。夜が、明けようとしている。 詩織が、俺の腕の中で、すやすやと眠っていた。ポニーテールをほどいた寝顔が、無防備で、あどけない。
(……夢じゃ、ないよな)
腕の中の温もりが、それを証明している。 俺は、そっと布団を出て、縁側へ向かった。障子を開けると、雨上がりの朝の光が、差し込んでくる。 雑木林が、雨に洗われて、きらきら光っている。冷たい、澄んだ空気。
しばらくすると、後ろで、襖の開く音がした。
「……おはようございます」
寝間着姿の詩織が、目をこすりながら、縁側に出てきた。俺の隣に、ちょこんと座る。
「おはよう。よく眠れたか」
「……はい♡」
詩織が、照れくさそうに微笑む。昨夜の大胆さは、どこへやら。耳が、真っ赤だ。 二人で、並んで、雨上がりの庭を眺めた。
「昨日の雨漏り、応急処置だけだから……ちゃんと直さないと」
「ああ。あの防水シート、全部やり直しだな」 「……手伝います。私」 「ありがとな」
少しの沈黙。ひぐらしが、朝から鳴いている。 俺は、深呼吸をした。口下手な俺が、それでも、今、言わなきゃいけないことがあった。
「詩織」
「……はい」 「昨日のこと、安全日だからとか、雨漏りで気が高ぶってたとか、そういうのじゃなくて」
詩織が、こっちを見た。
「俺、ちゃんと言う。口下手だけど、ちゃんと言いたい」
俺は、詩織の目を、まっすぐ見た。
「俺、詩織のことが好きだ。蛍の夜から……いや、たぶん、梁を見上げて目を輝かせてた、あの内見の日から、ずっと」
詩織の目が、大きく見開かれた。じわじわと、潤んでいく。
「この家、まだ全然、完成してない。改装中の部屋だらけだ。でも——」
俺は、庭の向こうの、古い屋根を見た。祖父が遺した、この家を。
「この家、二人で完成させよう。詩織と一緒なら、どんな家にだって、できる気がするんだ」
それが、俺の精一杯の告白だった。 詩織は、しばらく、言葉を失っていた。それから、ぽろぽろと、涙をこぼした。
「……ずるいです。また、ずるい」
「……ずるいか?」 「だって、そんな……家のプロポーズと、私への告白、一緒にするなんて……♡♡」
詩織が、涙を拭いながら、笑った。朝の光の中の、ぐしゃぐしゃの、最高の笑顔。
「私も……好きです。直人さんのこと。あの内見の日、梁よりも先に、直人さんに見惚れてました」
「……マジか」 「マジです。職人の手、してたから……♡」
詩織が、俺の手を取って、自分の頬に当てた。鉋やノミでできた、固い手のひらを。
「この手で、この家を、生き返らせたんですよね」
「……まあ」 「私、その手と一緒に、この家を完成させたいです」
詩織が、こくんと、頷いた。
「完成させましょう。二人で。……この家も、私たちのことも」
俺は、詩織を抱き寄せて、キスをした。朝の、柔らかい光の中で。穏やかな、確かめるようなキス。
ちゅ♡
「……えへへ♡」
「なんだよ」 「彼女になっちゃった♡」 「……ああ。なったな」 「直人さん、私のこと、ちゃんと『詩織』って呼んでください。もう、桜井さんとか、なしで」 「最初から詩織って呼んでるだろ」 「……あ、そうだった♡ ふふっ」
詩織が、嬉しそうに、俺の腕にしがみついた。
「これからさ、改装、本格的に手伝ってもらうけど。いいのか」
「望むところです。研究のためにもなるし」 「研究、続けるんだな」 「……はい。直人さんが、続けろって言ってくれたから」
詩織が、まっすぐ前を見て、言った。
「教授を、いつか黙らせます。この家を、論文にして。『郷愁じゃない、本物の研究だ』って」
「いいな、それ」 「直人さんは、共同研究者です。現場の、専門家として」 「俺が論文に載るのか」 「載せます。一番大事な人として♡」
朝の光が、詩織のほどけた髪を、金色に染めていた。
「他の部屋、急がないとな」
「……どうして急ぐんですか?」 「シェアハウスだろ。他の入居者、入れないと」
詩織が、ぷくっと頬を膨らませた。
「……他の入居者、いりません」
「は?」 「だって、私が、二号室も、三号室も、全部使いたいから」 「全部?」 「直人さんと、二人で住むんです。この家、まるごと。シェアハウスじゃなくて……二人の家にしましょう♡」
俺は、思わず吹き出した。
「シェアハウスの開業、初日で頓挫だな」
「ふふ、いいじゃないですか。入居者第一号が、家ごと、もらっちゃいました♡」
詩織が、得意げに笑う。日に焼けた頬の、えくぼ。 あの内見の日に見た笑顔が、今は、世界で一番近くにある。
縁側に並んで、二人で、雨上がりの庭を眺めた。 祖父が遺した家。俺が一人で直し始めた家。これから、詩織と二人で、完成させていく家。
「直人さん」
「ん?」 「次は、どこから直しますか?」 「……縁側、だな。ここで、これからもビール飲みたいし」 「いいですね。じゃあ、この柱、補強して……あと、ここの板も張り替えて……」
詩織の建築談義が、止まらなくなる。理系口調で、専門用語を交えて、楽しそうに、これからの計画を喋る。 俺は、その横顔を見ながら、思った。祖父さん。この家、生き返ったよ。それも、世界で一番、いいかたちで。
「詩織」
「はい?」 「これから、よろしくな」 「……こちらこそ♡ 末永く、よろしくお願いします♡」
ひぐらしの声と、雨上がりの匂いの中で。俺たちの、二人だけの古民家暮らしが、本当の意味で、始まった。
― 終 ―