祖父の家を改装してシェアハウスを始めたら入居者第一号が美人大学院生だった話

2026.06.12NEW

31分で読了

俺、結城直人、27歳。工務店勤務の大工だ。

去年の冬、祖父が亡くなった。郊外に残されたのは、築六十年の古民家。 両親は「売るか、潰して更地にするか」と言った。でも俺には、それができなかった。

子供の頃、夏になるとこの家に泊まりに来た。 祖父が縁側で削っていた鉋屑の匂い。太い梁を見上げて「これは欅だ」と教えてくれた声。全部この家に染み込んでいる。

(潰すなんて、無理だ)

だから俺は、相続した古民家を自力で改装することにした。 工務店の仕事が休みの土日に通って、床を張り替え、水回りを直し、壁を塗り直した。半年かけて、ようやく一部屋が人の住める状態になった。

一人で持つには広すぎる家だ。それなら——シェアハウスにすればいい。 家賃で改装費の足しにもなるし、何より家に人の気配が戻る。祖父が遺したこの家を、もう一度、生きた家にしたかった。

入居者募集の写真を撮って、ネットに載せた。古民家、太い梁、縁側、川が近い。家賃は格安。 ただし「他の部屋は改装中」と正直に書いた。すぐには決まらないだろうと思っていた。

七月の初め。最初の内見の連絡が来た。

土曜の午後、約束の時間。 玄関の引き戸を開けて待っていると、自転車が一台、砂利を踏んで近づいてきた。降りてきたのは、若い女性だった。

ポニーテール。日に焼けた手足。麻のシャツに、なぜか作業着のようなカーゴパンツ。背中にはやけに膨らんだリュック。

「あの、内見の方ですか」

「はい! 桜井詩織です。今日はよろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げる。声が明るい。顔を上げた瞬間、思わず息を呑んだ。 汗で前髪が額に張り付いて、頬が少し赤い。それなのに——目がやたらと綺麗だった。まっすぐで、好奇心の塊みたいな目。

(美人、だな……)

彼女は玄関に一歩入って、上を見上げた。そして、固まった。

「……うわ」

「え、なにか」 「……この梁」

詩織の声が、震えていた。

「これ……登り梁、ですよね……!」

「のぼり……?」 「斜めにかけてる、この太いやつです。普通の家は水平の梁ですけど、ここは屋根の勾配に合わせて斜めに渡してて……しかも継いでない。一本物の松ですよこれ。すごい、すごいです」

語彙が急に幼くなった。リュックを背負ったまま、首が痛くなりそうな角度で天井を見上げている。

「えっと……建築、詳しいんですか」

「あ、すみません。私、大学院で建築学やってて。古民家の構法が研究テーマなんです」

なるほど。それで作業着か。

「触ってもいいですか、この柱」

「あ、どうぞ」

詩織は柱に手を当てて、目を閉じた。木目を確かめるように、手のひらをゆっくり滑らせる。

「……手斧の跡だ。これ、機械じゃなくて手で削ってますね。職人さんの仕事だ」

「祖父が……いや、祖父が頼んだ大工が、昔ながらのやり方でやったみたいで」 「おじいさまの家なんですか」 「相続して。改装は、俺が一人で」

詩織がぱっとこっちを向いた。さっきまで木を見ていた目が、今度はまっすぐ俺に向いている。

「結城さんが、一人で? この床も?」

「床は張り替えました。あと水回りと、壁」 「……すごい。プロなんですか」 「工務店の大工です」 「本物の職人さんだ……!」

なぜか感動されている。木の話で目を輝かせる人は初めてだった。

奥の改装済みの部屋を案内した。六畳の和室。畳は新しい。窓の外は雑木林で、蝉が鳴いている。 詩織は部屋の真ん中に立って、ぐるりと見回した。

「いい部屋……」

「他の部屋はまだ全然なんです。正直、当面は俺と二人だけで」 「私、ここにします」 「……え」 「入居します。即決です」

あまりに早い。

「いや、他も見てから決めた方が」

「他はいいです。ここがいいです。だってこんな梁の下で暮らせるんですよ。研究にもなるし、何より——」

詩織はもう一度、梁を見上げた。

「……かっこいいから」

その横顔に、なぜか俺の方がどきりとした。

こうして、入居者第一号が決まった。桜井詩織、24歳。建築学専攻の大学院生。 問題は——他の部屋がまだ改装中で、当面この家には俺と詩織の二人しかいないということ。

引っ越しの日。軽トラで荷物を運び込みながら、俺はその事実を改めて噛みしめていた。

(二人きり……だよな、これ)

シェアハウスのつもりが、実質、若い男女の同居だ。 詩織は気にしている様子もなく、段ボールから本を取り出して本棚に並べている。分厚い建築の専門書ばかりだ。

「結城さん、この棚も手作りですか」

「あ、はい。端材で」 「すごい。ほぞ組だ。釘使ってない」 「……よく見てますね」 「だって面白いから。ふふ」

詩織が笑った。日に焼けた頬に、えくぼができる。その笑い方が、なんだか妙に印象に残った。

最初の一週間は、お互い距離を測るように過ごした。 朝、台所ですれ違って挨拶。夜、それぞれの部屋で過ごす。詩織は大学院に通い、俺は現場に通う。 変化が起きたのは、次の土曜だった。

その日、俺は二つ目の部屋の改装に取りかかっていた。古い砂壁を剥がして、下地を作る作業。一人だと、なかなか進まない。 汗だくで石膏ボードと格闘していると、襖が開いた。

「結城さん、手伝います」

「え、いや、休みの日に悪いですよ」 「私が見たいんです。改装してるとこ。研究のためにも」

そう言って詩織は、当然のように軍手をはめた。作業着姿だ。ポニーテールをきゅっと結び直す。

「じゃあ……このボード、押さえててもらっていいですか」

「了解です」

詩織はボードを壁に当てて、しっかり押さえた。俺がビス留めする間、ぴたりと動かない。力の入れ方を分かっている。

「……上手いですね」

「実家、工務店なんです」 「あ、そうだったんだ」 「父が大工で。小さい頃から現場についてって、道具触ってたから」

それで道具に詳しいのか。 インパクトドライバーを渡すと、当たり前のように使いこなす。ビスの長さも、下地の位置も、言わなくても分かっている。 息が合う。言葉が少なくても、次に何をするか、お互い分かる。

午後、壁の下地が一面分終わった。二人で並んで、出来上がった壁を眺める。

「気持ちいいですね、これ」

「ん?」 「何もなかったとこに、形ができてく。私、図面ばっかり描いてて。実際に手を動かして物が立ち上がってくの、初めてで」 「……まあ、それが現場の面白さですね」 「うん。すごい、楽しい」

汗を拭いながら、詩織が無邪気に笑う。さっきまで敬語の中に、少しだけタメ口が混ざり始めていた。

それから毎週末、詩織はDIYを手伝うようになった。壁を塗り、床を張り、建具を直す。 教えると一度で覚える。覚えると、もう俺より丁寧にやる。気づけば、敬語はほとんど消えていた。

「直人さん、ここの巾木どうする?」

「あ、それは古いの再利用したいんだよな。味があるから」 「だよね。私もそう思ってた。古いの、いいよね」

いつの間にか「直人さん」になっていた。俺もいつの間にか、詩織と呼んでいた。

七月の終わり。作業を終えた夕方、縁側に二人で腰掛けた。 俺が冷蔵庫から缶ビールを二本取ってくる。プシュッと開けて、詩織に渡す。

「お疲れ」

「お疲れさまです。あ、敬語に戻っちゃった」 「ふふ、どっちでもいいよ」

ことん、と缶を軽くぶつける。ぬるくなりかけた風が、雑木林を抜けて縁側に流れてくる。 ひぐらしが鳴いている。空はゆっくり茜色に染まっていた。

「いい時間ですね、これ」

「祖父さんも、夏はここでビール飲んでた」 「おじいさまと、仲良かったんですか」 「うん。子供の頃、よく泊まりに来てた」

俺はビールを一口飲んで、縁側の柱を撫でた。

「ここで鉋かけてる祖父さんの背中、今でも覚えてる。木の匂いがして。『直人、木は生きてるんだぞ』って、よく言ってた」

「……素敵」 「正直さ、この家、相続したとき潰す話も出たんだ」 「えっ」

詩織が缶を持つ手を止めた。

「両親は売れって。一人で持つには広すぎるし、古いし。でも……無理だった。この家、祖父さんそのものみたいで」

「……それで、自分で改装を」 「うん。シェアハウスにすれば、家賃で改装費の足しにもなるし。何より——人が住んでたら、家って生き返るだろ。死なせたくなかった」

言ってから、少し照れた。柄でもないことを喋った気がする。 でも詩織は、笑わなかった。じっと俺を見て、それから縁側の床に手を置いた。

「私、分かります」

「ん?」 「家にも、命があるって。古い家を調べてると、いつも思うんです。柱の一本一本に、住んでた人の時間が染み込んでて。それを残すのって、すごく……尊い仕事だなって」 「……尊い、か」 「直人さんがやってることは、研究より、ずっと尊いです」

茜色の光が、詩織の横顔を照らしていた。ポニーテールのほつれ毛が風に揺れる。

(……綺麗だな)

その思いを、俺はビールで飲み下した。

数日後の夜。詩織が大学院から帰ってきたとき、様子がおかしかった。 玄関でぼんやり靴を脱いで、「ただいま」も小さい。顔色が悪い。目が赤い。

「おかえり。……どうした、なんかあった?」

「……研究発表が、あったんです。今日」 「ああ、言ってたな。うまくいった?」 「……ぼろぼろでした」

詩織は台所の椅子にぺたりと座った。肩が落ちている。いつもの元気がない。

「教授に、全部否定されて。『君のは郷愁だ。学問じゃない』って。『古い家を愛でるのは趣味であって、研究は成立してない』って」

声が、震えていた。

「……自分でも、分かってたんです。私、好きすぎて。古民家が。だから客観的に見れなくて。でも、面と向かって言われたら……」

詩織がうつむいた。ぽたっ、と膝に雫が落ちた。 俺は、なんて言えばいいか分からなかった。学問のことなんて分からない。論文の良し悪しも分からない。 でも——一つだけ、言えることがあった。俺は詩織の前にしゃがんで、目を見た。

「詩織」

「……はい」 「俺は学問のことは分からない。でも、現場の人間として一つ言わせてくれ」 「……はい」

詩織が顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃの顔。

「お前が梁を見上げて『すごい』って言ったとき、俺、初めてだったんだよ。木の話でそんな顔する人。柱触って『手斧の跡だ』って分かる人。そんなやつ、現場でもなかなかいない」

「……」 「お前のその『好き』は、趣味なんかじゃない。本物だ。本物だから、誰よりも木が見える。その目は、絶対に武器になる。郷愁? 上等だろ。家を愛せないやつが、家を残せるかよ」

詩織の目が、大きく見開かれた。涙が、止まらないまま、ぼろぼろこぼれていく。

「……っ」

「現場の人間が保証する。お前は、いい仕事をする」

詩織は両手で顔を覆った。肩を震わせて、しばらく泣いた。 やがて、顔を上げて、ぐしゃぐしゃの笑顔を見せた。

「……ずるいです。そんなこと言われたら」

「ずるくないだろ」 「だって……立ち直っちゃうじゃないですか」 「立ち直れよ」 「……はい。立ち直ります」

涙を拭って、詩織は鼻をすすった。それでもまだ、目の縁が赤い。

「ありがとうございます、直人さん。……お礼、させてください」

「礼なんていいよ」 「ダメです。明日の夜、空いてますか」 「明日? まあ、空いてるけど」 「川辺、行きましょう。今、蛍が出てるんです。すごく綺麗なんですよ」

蛍。そういえば、子供の頃、祖父に連れられて見た記憶がある。

「……いいな。行くか」

「やった」

涙のあとの笑顔が、やけに眩しかった。

翌日の夜。日が落ちて、辺りがすっかり暗くなった頃、二人で家を出た。 懐中電灯を持って、川沿いの小道を歩く。草いきれと、水の匂い。蛙の声。空には星が出ていた。

「この先です。昔から蛍の名所で」

「よく知ってるな」 「下見しました、昼間に。直人さんに変なとこ案内したら申し訳ないし」 「……わざわざ?」 「えへへ」

少し歩くと、川幅が広がった。川面のあたりに——光が、ふわりと舞っていた。 ひとつ、ふたつ。やがて、いくつも。 淡い黄緑の光が、闇の中をゆっくり漂う。川辺の草むらにも、点々と光が灯っている。

「……綺麗」

「すげえな、これ」

俺も詩織も、声をひそめた。蛍の光が、暗闇に溶けては、また現れる。 詩織が、すっと俺の隣に立った。肩が触れそうな距離。

「直人さん、昨日……ありがとうございました」

「もういいって」 「よくないです。私、あのまま研究やめようかとも思ってたんです。でも、直人さんの言葉で……続けようって、思えた」

蛍の光が、詩織の頬を淡く照らす。

「直人さんがいてくれて、よかった」

闇の中で、詩織の手が、そっと俺の手に触れた。指先が、冷たい。でも、震えていた。 俺は、その手をそっと握り返した。詩織の指が、きゅっと俺の指に絡む。

「……寒いか?」

「……ううん」

蛍が一匹、二人の間をふわりと横切った。詩織が、こちらを見上げる。暗くて表情はよく見えない。 でも、その瞳に、蛍の光が小さく映っていた。言葉はなかった。ただ、握った手の温度だけが、確かだった。

その夜、家に帰っても、手のひらに残った詩織の指の感触が消えなかった。 それから、二人の距離は明らかに変わった。作業の合間に肩が触れても、どちらも離れない。 夜、縁側で並んで話す時間が、少しずつ長くなった。

でも、決定的な一歩は、まだ踏み出せずにいた。俺は口下手だ。気持ちを言葉にするのが、どうしようもなく苦手だった。 そのきっかけは、思いがけない形でやってきた。八月の半ば、ゲリラ豪雨の夜だった。

夜中、轟音で目が覚めた。屋根を叩く激しい雨。雷。 そして——天井から、ぽたり、ぽたりと、嫌な音がした。

「……雨漏りか」

飛び起きて懐中電灯をつけると、廊下の天井から水が垂れていた。古い家だ。改装が追いついていない箇所がある。 廊下に出ると、向こうの襖も開いた。

「直人さん、雨漏り!」

「ああ、こっちもだ。詩織、起きてたか」 「音で起きました。どうしよう、本棚の上に落ちてる!」

二人とも寝間着のまま、家中を駆け回った。バケツを置き、雑巾を敷き、本を避難させる。 雨はどんどん強くなる。一番ひどいのは、改装中の部屋の天井だった。

「詩織、屋根裏に上がる。下で懐中電灯当ててくれ」

「私も上がります! 二人の方が早い」 「危ないぞ」 「実家で慣れてます! 早く!」

押し問答してる暇はなかった。二人で天井裏に潜り込む。狭い。埃っぽい。雨音がすぐ頭上で鳴っている。 懐中電灯の光で、雨漏りの箇所を探す。古い防水シートが、一箇所めくれていた。

「ここだ! シート剥がれてる!」

「ブルーシート持ってくる。詩織、ここ押さえてろ」 「了解!」

俺が応急のブルーシートを引き上げて、二人で破れた箇所に被せる。ガムテープで仮留めして、上から角材で押さえる。 雨が顔に降りかかる。汗とも雨とも分からないもので、全身ずぶ濡れだ。

「もう一押し! そっち持ち上げて!」

「うんっ……重い……!」 「いける、もうちょい!」

二人がかりで、なんとかシートを固定した。垂れていた水が、止まった。 天井裏で、二人とも、息を切らして座り込んだ。

「……止まった」

「ああ。止まった」 「やった……!」

詩織が、泥と埃だらけの顔で、にかっと笑った。 前髪がぺったり額に張り付いて、寝間着はずぶ濡れ。それなのに、満面の笑顔。 俺は、思わず吹き出した。

「お前、ひどい顔してるぞ」

「直人さんもです! 真っ黒!」 「あはは」 「ふふっ、あはは!」

二人で、天井裏で大笑いした。真夜中の、ずぶ濡れの、泥だらけの二人。 笑いが、少しずつ収まっていく。そして——沈黙が訪れた。

懐中電灯の光が、狭い空間でぼんやり揺れている。雨音だけが、頭上で響いている。 詩織の顔が、すぐ近くにあった。濡れた前髪。上気した頬。半分開いた唇。 笑った余韻のまま、こっちを見ている。その目が——笑っていなかった。

(……やばい)

距離が、近い。詩織のまつげに、水滴がついている。 その水滴が、懐中電灯の光を受けてきらりと光った。 俺は、動けなかった。詩織も、動かなかった。雨音の中で、二人だけの時間が、止まっていた。

「……直人さん」

「……ん」 「……」

何か言いかけて、詩織は口をつぐんだ。代わりに、視線をふっと逸らして、立ち上がろうとした。

「……先、お風呂、入っていいですか。泥だらけで」

「あ、ああ。入れよ」 「直人さんも、入らないと」 「俺は後でいい。詩織が先に」

天井裏から降りて、二人とも、なんとなく目を合わせられないまま、廊下に立っていた。

「……じゃあ、お先に」

「ああ」 「……あの、直人さん」 「ん?」 「やっぱり、直人さんが先に入ってください。私、まだ片付けあるし」 「いや、いいよ。詩織が先に」 「……いえ、直人さんが」

風呂を、譲り合っていた。お互い、相手のことを考えて。でも、本当は、何か別のことを考えていて。 結局、じゃんけんで詩織が先に入ることになった。

俺は廊下の片付けをしながら、心臓がうるさかった。 さっきの天井裏。あの距離。あの目。もし、あのまま——。

(……いや、何考えてんだ)

頭を振って、雑巾を絞る。しばらくして、風呂場の戸が開く音がした。湯上がりの、石鹸の匂いが廊下に漂ってくる。 詩織が、洗面所から出てきた。濡れ髪を下ろしている。ポニーテールじゃない詩織を、初めて見た。 Tシャツに短パンの寝間着。火照った頬。俺は、思わず目を逸らした。

「……お疲れ。気持ちよかったか」

「……はい」 「じゃ、俺も入ってくるわ」

通り過ぎようとしたとき。

「直人さん」

詩織が、俺のTシャツの裾を、きゅっと掴んだ。 俺は、足を止めた。振り返ると、詩織がうつむいたまま、裾を掴んでいる。 湯上がりの頬が、雨に濡れたとき以上に、赤い。

「……あの」

「……どうした」 「お風呂、上がったら……」

詩織が、顔を上げた。潤んだ目で、まっすぐ俺を見て——

「直人さんの部屋、行っていい……ですか」

心臓が、跳ねた。 その言葉の意味を、俺は分かっていた。詩織も、分かっていて言っていた。 雨音が、まだ屋根を叩いている。廊下の薄暗い灯りの下で、詩織の手が、震えていた。

「……ああ」

「……」 「待ってる」

詩織が、こくんと頷いた。

風呂に入っている間、心臓がずっとうるさかった。体は洗っているのに、頭の中は詩織のことでいっぱいだった。 あの裾を掴んだ手。潤んだ目。「行っていいですか」という声。 風呂を上がって、自分の部屋に戻る。六畳の和室。新しい畳の匂い。窓の外では、雨が少し弱くなっていた。 布団は、まだ敷いていなかった。

しばらくして、襖が、そっと開いた。詩織が、立っていた。 さっきと同じ寝間着。でも、その下に、何も着けていないのが、なんとなく分かった。濡れ髪が、肩に流れている。

「……来ました」

「ああ」 「……入っていい?」 「……おいで」

詩織が、襖を閉めて、部屋に入ってきた。畳の上に、二人で向かい合って座る。言葉が、続かない。 俺は、手を伸ばして、詩織の頬に触れた。湯上がりで、温かい。少し湿っている。詩織が、目を閉じた。 それが、合図だった。俺は、ゆっくり、唇を重ねた。

柔らかい。触れているか、いないか。それくらいの、最初のキス。

ちゅ……

少しだけ離して、詩織の顔を見る。目を閉じたまま、震えている。

「……怖いか」

「……ううん。直人さんだから、平気」

その言葉に、胸が締め付けられた。 もう一度、唇を重ねる。今度は、もう少し深く。頬に手を添えて、詩織の唇を、ゆっくり食む。

ちゅっ……んっ……

詩織の唇が、おずおずと開いた。舌で、そっと割って入る。

れろ……ちゅる……

「ん……っ♡」

詩織の舌が、おそるおそる絡んでくる。慣れていない動き。でも、応えようとしてくれる。それが、たまらなく愛しかった。

ちゅぷ……ちゅるるっ……

「はぁ……♡ んっ……♡」

キスをしながら、腰に手を回す。詩織の体が、びくっと震えた。 でも、逃げない。むしろ、俺の胸に体を寄せてくる。 俺は、詩織をそっと畳に横たえた。濡れ髪が、新しい畳の上に広がる。窓からの淡い灯りが、火照った頬を照らしていた。

「……詩織」

「……はい」 「綺麗だ」 「……っ♡ 恥ずかしい……」

もう一度キスをして、手が寝間着の裾に触れる。Tシャツの中に、ゆっくり手を滑り込ませる。 詩織の肌は、滑らかで、温かかった。

「ひゃっ……♡ くすぐったい……♡」

手が、ゆっくり上へ向かう。やがて——ふにっ、と、柔らかいものに触れた。

「あっ……♡」

やっぱり、何も着けていなかった。

「……つけてないんだな」

「だって……お風呂上がりだし……それに……♡」 「それに?」 「……こうなるって、分かってたから……♡」

その言葉に、俺の中の何かが、ぐっと熱くなった。 Tシャツをめくり上げる。白い肌。日焼けの跡が、Tシャツのラインで残っている。そのコントラストが、やけに色っぽかった。 淡いピンクの胸の先が、もう、つんと尖っている。

「……見ないで♡」

「無理だ。綺麗すぎる」 「……ばか♡」

胸を、手のひらで包む。ふにふに……

「んっ……♡ あっ……♡」

手に収まる、形のいい胸。指先で、尖った先端を、そっと転がす。

こりっ……こりこりっ……

「ひっ……♡♡」

詩織の体が、びくんと跳ねた。 片方を指で弄りながら、もう片方の先端に、口を寄せる。

ちゅっ……れろ……ちゅぱっ……

「んあっ♡♡ だめっ……♡ 声、出ちゃう……♡♡」

詩織が、手の甲で口を押さえた。

(この声は……やばい)

左右を交互に、舌で転がし、吸う。空いた手で、もう片方を揉みしだく。

ちゅぱっ……じゅるっ……

「あっ♡ んっ♡ はぁっ♡♡ 直人さぁん……♡♡」

詩織の息が、どんどん荒くなっていく。俺の手が、寝間着の短パンの縁に触れた。

「下も、いいか」

「……うん♡」

こくんと頷く詩織。短パンを、ゆっくり下ろす。下着も、つけていなかった。

「……ほんとに、何も」

「言わないで……♡♡」

太ももの内側が、もう、しっとり濡れて光っている。

「もう濡れてる」

「……っ♡ 言わないでってば……♡」

太ももを、そっと開かせる。脚の付け根に、ぷっくりと膨らんだ花弁。蜜が、てらてらと、淡い灯りを反射していた。 花弁を、指でそっと開く。ぷちゅ……

「ひあっ♡♡」

中は、熱くて、ぬるぬるしていた。小さな突起を探り当てて——くりっ。

「んんっ♡♡♡」

腰が、びくんと跳ねた。

「ここ、気持ちいいか」

「あっ♡♡ わかんないっ……♡♡ でも……♡♡」 「でも?」 「……気持ちいい……♡♡♡」

突起を、くりくりと刺激しながら、中指を、ゆっくり沈めていく。ずぷっ……

「んああっ♡♡♡」

きゅうっと、締め付けてくる。詩織の中は、狭くて、熱かった。

ぐちゅ……ぐちゅぐちゅ……

「あっ♡ 指っ♡ 入ってる……♡♡」

指を、ゆっくり出し入れする。浅いところを擦り、奥を探る。 上の壁の、少しざらついた場所を見つけて——ぐりぐりっ。

「ひぃっ♡♡♡ そこっ♡♡ なにそれっ♡♡♡」

詩織が、知らない感覚に戸惑ったように、首を振った。 そこを、重点的に擦る。同時に、親指で、突起も刺激する。

「あっ♡♡ りょ、両方っ♡♡♡ だめっ♡♡♡」

詩織の体が、ぶるぶると震え始める。お腹が、ぴくぴく痙攣している。

「なんか来るっ♡♡♡ 来ちゃうっ♡♡♡♡」

「いいぞ。来いよ」 「やっ♡♡♡ 止まらないっ♡♡♡♡」

ぐちゅぐちゅぐちゅっ♡♡♡

「あっ♡♡♡ あっ♡♡♡♡ いくっ♡♡♡♡ いっちゃうっ♡♡♡♡♡」

びくんっ♡♡♡♡

きゅうぅぅっと指を締め付けて、じゅわぁっと、温かいものが俺の手を濡らした。 詩織が、畳の上で、弓なりに反って、震えている。

「はぁ……♡ はぁ……♡♡」

詩織が、力なく、畳に沈んだ。俺は、指を、ゆっくり抜く。ぬぷっ……

「……すごかった……♡」

潤んだ目で、詩織がこっちを見た。

「直人さんも……気持ちよく、なってほしい……♡」

詩織が、体を起こして、俺のズボンに手をかけた。 震える指で、ベルトを外し、ズボンを下ろす。下着の上から、そっと触れる。

「……すごい♡ もう、こんなに……♡」

下着を下ろすと、ぶるんっと、飛び出した。

「わっ……♡♡ おっきい……♡♡」

詩織が、おそるおそる、細い指で握る。きゅっ。

「……っ」

「気持ちいい?」 「……ああ。めちゃくちゃ」

ゆっくり、上下に手を動かす。しゅっ……しゅっ…… 詩織が、顔を近づけて、先端に、ちゅっ♡

「ぴくって、動いた♡」

「煽るなって」 「……えへへ♡」

舌を出して、ぺろぺろと舐め始める。れろ……ちゅる…… 慣れない手つきだけど、一生懸命だった。

「これで、合ってる……?♡」

「ああ……すげえいい」

褒めると、嬉しそうに、口を開けて、咥えた。ずぷっ……

ちゅぱっ……じゅるっ……ちゅぷちゅぷ……

「んっ♡ んむっ♡」

濡れ髪が、さらさら揺れる。頭を、ぎこちなく上下に動かす。口の中は、温かくて、ぬるぬるで——やばかった。

「詩織、待って。それ以上は、まずい」

俺は、詩織の頭を、そっと持ち上げた。唾液の糸が、つうっと光る。

「……入れたい」

詩織が、こくんと頷いた。

「……うん♡ 来て♡」

「……ゴム、持ってない」 「私も、ない。でも……」

詩織が、頬を赤くして、目を逸らした。

「今日、安全日だから……♡ そのまま、いいよ……♡」

俺は、詩織を、もう一度、畳に横たえた。濡れ髪が広がり、汗ばんだ肌が、淡い灯りに光る。 脚を開かせて、間に入る。先端を、入り口に当てる。ぬるっ。たっぷりの蜜で、ぬるぬるだ。

「入れるぞ」

「……うん♡ ゆっくり……♡♡」

ずぷっ……

「ぁああっ♡♡♡♡」

熱い。きゅうぅっと、締め付けてくる。詩織の中が、俺を包み込む。

「詩織……中、すげえ……」

「おっきい……♡♡ 入ってくる……♡♡♡」

ゆっくり、奥まで、押し込んでいく。ずず……ずずずっ……

「んんっ♡♡♡ 奥まで……♡♡♡ 当たってる……♡♡♡♡」

最奥まで、入りきった。隙間なく、詩織の中に包まれている。 少しの間、動かずに、詩織の頬に手を当てた。

「……平気か」

「……うん♡ 直人さんで、いっぱいです……♡♡」

その言葉に、胸の奥が、熱くなった。

「動くぞ」

ずちゅっ♡ ずちゅっ♡♡

「あっ♡♡ あっ♡♡ んっ♡♡♡」

ゆっくり、リズムを作って、腰を動かす。ぱんっ♡ ぱんっ♡

「直人さんっ♡♡ 気持ちいいっ♡♡♡」

「俺も……詩織の中、最高だ……」

少しずつ、速くしていく。ぱんぱんっ♡♡

ぐちゅっ♡ ぬちゅっ♡ ぱんっ♡♡

「あんっ♡♡ 奥っ♡♡ 奥に当たるっ♡♡♡」

詩織の脚が、俺の腰に絡みついた。もっと奥へ、と求めるように。

「もっと……♡♡ もっと、ぎゅってして……♡♡♡」

俺は、詩織の体を抱きしめながら、腰を打ち付けた。 古い家の、静かな夜。聞こえるのは、雨の名残と、肌がぶつかる音と、詩織の甘い声だけ。

ぱんっぱんっぱんっ♡♡♡

「声、出ちゃうっ♡♡♡ でも、誰もいないから……♡♡♡」

「ああ。二人だけだ。好きなだけ出せ」 「やだっ♡♡♡ でも、止まらないっ♡♡♡♡」

ぱんぱんぱんぱんっ♡♡♡♡

新しい畳が、二人の重みで、かすかに軋む。詩織の濡れ髪が、汗で頬に張り付いている。その表情が、とろけきっていた。

「詩織……顔、エロいぞ」

「言わないで……♡♡♡ 直人さんのせいだもん……♡♡♡」

ぐっと体を起こして、詩織の脚を抱え、角度を変える。今まで届かなかった奥に、先端が当たる。

「ひあっ♡♡♡ そこっ♡♡♡ それ、だめっ♡♡♡♡」

同じ場所を、狙って突く。ずんっ♡ ずんっ♡♡

「あっ♡♡♡ すごいっ♡♡♡ 頭、真っ白になるっ♡♡♡♡」

詩織が、俺の腕を、ぎゅっと掴んだ。

「また来るっ♡♡♡♡ さっきの、また来ちゃうっ♡♡♡♡」

「俺も、もう……」 「一緒がいいっ♡♡♡♡ 直人さんと、一緒にっ♡♡♡♡♡」

ぱんぱんぱんぱんぱんっ♡♡♡♡♡

「いくっ♡♡♡♡♡ いくいくいくっ♡♡♡♡♡♡」

「詩織っ……中に出すぞっ……!」 「出してっ♡♡♡♡♡ 中にっ♡♡♡♡♡ 直人さんの、全部っ♡♡♡♡♡♡」

ずんっずんっずんっ♡♡♡♡

「イクっ♡♡♡♡♡♡」

「出る……っ!!」

びゅるっ♡♡ びゅるるっ♡♡♡ どくどくっ♡♡♡♡

「んんんっ♡♡♡♡♡♡♡」

詩織の一番奥に、熱いものが、どくどくと注がれていく。 詩織の体が、びくびくと痙攣しながら、きゅうぅぅっと、俺を締め付ける。

「はぁ……♡♡ あったかい……♡♡♡♡」

詩織が、虚ろな目で、幸せそうに微笑んだ。 俺は、詩織を抱きしめて、唇を重ねた。ちゅっ♡

「詩織……最高だった」

「私も……♡♡ すっごい、気持ちよかった……♡♡♡」

繋がったまま、しばらく、キスを交わす。 詩織の中で、俺の熱は、まだ収まっていなかった。むしろ、再び、硬くなっていく。

「……え♡ まだ、元気……?♡」

「詩織が、可愛すぎるから」 「……っ♡♡♡」

詩織が、潤んだ目で、こっちを見て、それから——少しだけ、いたずらっぽく笑った。

「……今度は、私が、上に……いい?♡」

その笑い方に、また心臓が跳ねた。 詩織が、俺を、そっと押し倒す。繋がったまま、体勢を入れ替える。

ずるっ……ずぷっ♡♡

「んっ♡♡♡ この体勢……奥まで、入っちゃう……♡♡♡♡」

詩織が、俺の上で、背筋を伸ばした。濡れ髪が、背中に流れる。 淡い灯りが、汗ばんだ体のシルエットを、際立たせていた。

(……綺麗だ)

詩織が、ゆっくり、腰を上下に動かし始める。ずちゅっ♡♡ ずちゅっ♡♡

「あっ♡♡ 自分で動くの……すごい♡♡♡」

胸が、動きに合わせて、たゆんたゆんと揺れる。俺は、手を伸ばして、揺れる胸を、下から掴んだ。もにゅっ♡♡

「ひゃっ♡♡♡ 胸、揉みながらっ♡♡♡ ずるいっ♡♡♡♡」

詩織の腰の動きが、激しくなっていく。自分の気持ちいいところを探すように、腰をぐりぐり回す。

「あっ♡♡♡♡ ここっ♡♡♡♡ ここ、当たるっ♡♡♡♡♡」

見つけたらしい。そこを、重点的に擦り付けるように、前後に動く。

ずちゅっずちゅっずちゅっ♡♡♡♡

「気持ちいいっ♡♡♡♡ 直人さんのっ♡♡♡♡ 最高っ♡♡♡♡♡」

俺の胸に、両手をついて、詩織が腰を打ち付ける。ぱんっぱんっぱんっぱんっ♡♡♡♡♡ 理系の真面目な院生が、こんな顔をするなんて、誰も知らない。俺だけが知っている。そう思うと、たまらなかった。

「また、来るっ♡♡♡♡ イっちゃうっ♡♡♡♡♡」

「俺も、もう……!」 「一緒にっ♡♡♡♡♡ 一緒に、イこっ♡♡♡♡♡♡」

俺は、詩織の腰をがっしり掴んで、下から深く突き上げた。ぱんぱんぱんぱんぱんっ♡♡♡♡♡♡

「イくっ♡♡♡♡♡♡ いくいくいくっ♡♡♡♡♡♡♡」

「詩織っ……もう一回、出すぞっ……!!」

ずんっ♡♡♡♡

びゅるるっ♡♡♡♡ どくどくどくっ♡♡♡♡♡♡

「んんんんっ♡♡♡♡♡♡♡♡」

二回目を、さっきよりさらに奥に、どくどくと注ぎ込む。 詩織が、ぶるぶる震えて、がくんと、俺の上に倒れ込んだ。

「はぁ……♡♡♡ すごかった……♡♡♡♡♡」

詩織が、俺の胸に、頬を埋める。汗ばんだ肌。伝わってくる、速い鼓動。

「直人さん……♡」

「ん?」 「……幸せ♡♡」

詩織が、ぎゅっと抱きついてくる。俺も、抱きしめ返した。 しばらく、二人とも、動けなかった。雨は、いつの間にか、やんでいた。

気がつくと、障子の向こうが、白み始めていた。夜が、明けようとしている。 詩織が、俺の腕の中で、すやすやと眠っていた。ポニーテールをほどいた寝顔が、無防備で、あどけない。

(……夢じゃ、ないよな)

腕の中の温もりが、それを証明している。 俺は、そっと布団を出て、縁側へ向かった。障子を開けると、雨上がりの朝の光が、差し込んでくる。 雑木林が、雨に洗われて、きらきら光っている。冷たい、澄んだ空気。

しばらくすると、後ろで、襖の開く音がした。

「……おはようございます」

寝間着姿の詩織が、目をこすりながら、縁側に出てきた。俺の隣に、ちょこんと座る。

「おはよう。よく眠れたか」

「……はい♡」

詩織が、照れくさそうに微笑む。昨夜の大胆さは、どこへやら。耳が、真っ赤だ。 二人で、並んで、雨上がりの庭を眺めた。

「昨日の雨漏り、応急処置だけだから……ちゃんと直さないと」

「ああ。あの防水シート、全部やり直しだな」 「……手伝います。私」 「ありがとな」

少しの沈黙。ひぐらしが、朝から鳴いている。 俺は、深呼吸をした。口下手な俺が、それでも、今、言わなきゃいけないことがあった。

「詩織」

「……はい」 「昨日のこと、安全日だからとか、雨漏りで気が高ぶってたとか、そういうのじゃなくて」

詩織が、こっちを見た。

「俺、ちゃんと言う。口下手だけど、ちゃんと言いたい」

俺は、詩織の目を、まっすぐ見た。

「俺、詩織のことが好きだ。蛍の夜から……いや、たぶん、梁を見上げて目を輝かせてた、あの内見の日から、ずっと」

詩織の目が、大きく見開かれた。じわじわと、潤んでいく。

「この家、まだ全然、完成してない。改装中の部屋だらけだ。でも——」

俺は、庭の向こうの、古い屋根を見た。祖父が遺した、この家を。

「この家、二人で完成させよう。詩織と一緒なら、どんな家にだって、できる気がするんだ」

それが、俺の精一杯の告白だった。 詩織は、しばらく、言葉を失っていた。それから、ぽろぽろと、涙をこぼした。

「……ずるいです。また、ずるい」

「……ずるいか?」 「だって、そんな……家のプロポーズと、私への告白、一緒にするなんて……♡♡」

詩織が、涙を拭いながら、笑った。朝の光の中の、ぐしゃぐしゃの、最高の笑顔。

「私も……好きです。直人さんのこと。あの内見の日、梁よりも先に、直人さんに見惚れてました」

「……マジか」 「マジです。職人の手、してたから……♡」

詩織が、俺の手を取って、自分の頬に当てた。鉋やノミでできた、固い手のひらを。

「この手で、この家を、生き返らせたんですよね」

「……まあ」 「私、その手と一緒に、この家を完成させたいです」

詩織が、こくんと、頷いた。

「完成させましょう。二人で。……この家も、私たちのことも」

俺は、詩織を抱き寄せて、キスをした。朝の、柔らかい光の中で。穏やかな、確かめるようなキス。

ちゅ♡

「……えへへ♡」

「なんだよ」 「彼女になっちゃった♡」 「……ああ。なったな」 「直人さん、私のこと、ちゃんと『詩織』って呼んでください。もう、桜井さんとか、なしで」 「最初から詩織って呼んでるだろ」 「……あ、そうだった♡ ふふっ」

詩織が、嬉しそうに、俺の腕にしがみついた。

「これからさ、改装、本格的に手伝ってもらうけど。いいのか」

「望むところです。研究のためにもなるし」 「研究、続けるんだな」 「……はい。直人さんが、続けろって言ってくれたから」

詩織が、まっすぐ前を見て、言った。

「教授を、いつか黙らせます。この家を、論文にして。『郷愁じゃない、本物の研究だ』って」

「いいな、それ」 「直人さんは、共同研究者です。現場の、専門家として」 「俺が論文に載るのか」 「載せます。一番大事な人として♡」

朝の光が、詩織のほどけた髪を、金色に染めていた。

「他の部屋、急がないとな」

「……どうして急ぐんですか?」 「シェアハウスだろ。他の入居者、入れないと」

詩織が、ぷくっと頬を膨らませた。

「……他の入居者、いりません」

「は?」 「だって、私が、二号室も、三号室も、全部使いたいから」 「全部?」 「直人さんと、二人で住むんです。この家、まるごと。シェアハウスじゃなくて……二人の家にしましょう♡」

俺は、思わず吹き出した。

「シェアハウスの開業、初日で頓挫だな」

「ふふ、いいじゃないですか。入居者第一号が、家ごと、もらっちゃいました♡」

詩織が、得意げに笑う。日に焼けた頬の、えくぼ。 あの内見の日に見た笑顔が、今は、世界で一番近くにある。

縁側に並んで、二人で、雨上がりの庭を眺めた。 祖父が遺した家。俺が一人で直し始めた家。これから、詩織と二人で、完成させていく家。

「直人さん」

「ん?」 「次は、どこから直しますか?」 「……縁側、だな。ここで、これからもビール飲みたいし」 「いいですね。じゃあ、この柱、補強して……あと、ここの板も張り替えて……」

詩織の建築談義が、止まらなくなる。理系口調で、専門用語を交えて、楽しそうに、これからの計画を喋る。 俺は、その横顔を見ながら、思った。祖父さん。この家、生き返ったよ。それも、世界で一番、いいかたちで。

「詩織」

「はい?」 「これから、よろしくな」 「……こちらこそ♡ 末永く、よろしくお願いします♡」

ひぐらしの声と、雨上がりの匂いの中で。俺たちの、二人だけの古民家暮らしが、本当の意味で、始まった。

― 終 ―


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