十一月の山道を、バスがゆっくり登っていく。俺、須藤和真(すどう かずま)は、二十七歳。市役所勤めの、しがない公務員だ。窓の外は燃えるような紅葉だった。赤と黄が斜面いっぱいに広がって、谷の底を細い川が光っている。
「……すげぇな」
思わず声が漏れた。ここ半年、ろくに窓の外なんか見ていなかった。年度末から続いた繁忙期、住民対応、上司の尻拭い。気づいたら、心の電池が空っぽになっていた。三連休に有給をくっつけて、四泊五日。誰にも言わずに取った、人生で初めての一人旅だ。
(燃え尽きたって、こういうことを言うんだろうな)
行き先は適当に選んだ。山あいの、ガイドブックの隅に小さく載っていた老舗の温泉旅館。「静養」という二文字に惹かれた。それだけだった。
終点でバスを降りると、空気が冷たく澄んでいた。硫黄のにおいがかすかに混じる。温泉街は思ったより小さくて、川沿いに古い旅館と土産物屋が並んでいる。湯気があちこちから立ちのぼっていた。坂を少し登ったところに、目的の旅館はあった。黒い瓦屋根、磨き込まれた格子戸、暖簾。築百年は超えていそうな、堂々とした構えだ。
「ごめんください」
引き戸を開けると、ひやりとした玄関の土間に、ふわりと畳と線香のにおいが立っていた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
奥から現れたのは、着物姿の女性だった。紺地に細かな菊の柄の着物。きっちり結われた帯。背筋がすっと伸びていて、所作が静かで美しい。そして顔を上げた瞬間、俺は固まった。
ほっそりとした卵型の輪郭。切れ長で涼しげな目元。すっと通った鼻筋。淡い色の唇。化粧は控えめなのに、肌が白くて、思わず見入ってしまうくらい綺麗だった。
(め……めちゃくちゃ美人じゃないか)
慌てて視線を下げる。
「須藤和真さまでいらっしゃいますね。本日からお世話になります、仲居の美山と申します」
三つ指をついて、深々と頭を下げる。その姿があまりに完璧で、俺はかえって居心地が悪くなった。
「あ、はい。よろしく……お願いします」
声が裏返った。彼女が顔を上げて、少しだけ目元をやわらげた。
「お部屋にご案内いたしますね。お足元、段差にお気をつけください」
長い廊下を歩く。古い木の床がきしむ音、磨かれた手すり。案内されたのは、本館から渡り廊下でつながった「離れ」の一室だった。
「こちらが今夜からのお部屋でございます。十畳のお座敷と、檜の内風呂がついております。長くご逗留いただけるお客様には、離れを。静かでよろしいかと」
障子を開けると、窓いっぱいに紅葉の谷が広がっていた。
「……すごい」
「ふふ。皆さん、そうおっしゃいます」
彼女が初めて、職業的じゃない笑い方をした気がした。お茶を淹れてくれる手つきが綺麗だ。湯気の向こうの横顔を、つい目で追ってしまう。
「美山さん、って……失礼ですけど、おいくつですか」
訊いてから、しまった、と思った。初対面の客が訊くことじゃない。ところが彼女は、湯呑みを置きながら、いたずらっぽく口の端を上げた。
「あら。女に歳をお尋ねになるんですか、お客様」
「す、すみません。なんか、その……話しやすそうな方だなと思って」
「ふふっ。二十七です」
「えっ、同い年だ。俺も二十七で」
「まあ。それは奇遇ですね」
笑うと、さっきまでの「完璧な仲居」の顔が一瞬ほどけて、年相応の柔らかさが覗いた。それがやけに、可愛く見えた。
「私、美山雫と申します。雫、と。よろしければそうお呼びください、和真さま」
「……雫さん」
口に出すと、なんだか急に距離が近づいた気がした。
「お夕食は十八時半に、こちらへお運びいたします。それまで、ごゆっくり」
軽く一礼して、雫さんは部屋を出ていった。障子が閉まる音、残ったお茶の香り。俺は窓辺に座って、燃えるような谷を眺めた。久しぶりに、心がすこし軽くなっていた。夕方、温泉に浸かった。檜の内風呂は、肩までつかると、たまった疲れがじわじわ溶けていく。
「……はぁ」
ため息が、自然と出た。十八時半きっかりに、廊下から声がした。
「失礼いたします。お夕食をお運びいたしました」
襖が開いて、雫さんがお膳を運んでくる。着物の袖をたくし上げ、慣れた手つきで料理を並べていく。地の野菜の炊き合わせ、川魚の塩焼き、湯葉の刺身、土鍋のきのこご飯。どれも湯気が立っていて、うまそうだ。
「こちら、地のお酒です。よろしければ」
徳利からとくとくと注いでくれる。一口飲んで、川魚の塩焼きをほおばった。
「いただきます。……うわ、うまい」
「ふふ。よかったです」
雫さんは、すぐには下がらず、給仕の合間にぽつぽつと言葉を交わした。
「雫さんは、ここに長いんですか」
「ここの女将が、私の伯母なんです。子供の頃から手伝いに来ていて。大学は東京で、卒業して少し別の仕事をして……それから、戻ってきました」
「戻ってきた、ってことは」
「いずれ、ここを継ぐかもしれない、という話で。……まだ、決められずにいるんですけど。……あら、お客様にする話じゃありませんでした。ごめんなさい」
ふっと、その横顔に影が差して、すぐに彼女は完璧な仲居の笑顔を作り直した。
「いや。聞かせてください。俺、人の話を聞くのは得意なんで、仕事柄。市役所の職員なんです。……正直に言うと、今回は燃え尽きて逃げてきたんです、ここに」
言ってから、自分でも驚いた。会ったばかりの人に、こんなこと。雫さんは、責めるでもなく、ただ静かにうなずいた。
「……わかります。私も、逃げるみたいに、東京から帰ってきたので」
二人の目が、一瞬合った。似たもの同士のような気配が、確かにあった。やがて雫さんは「ふふ、いけない、長居しすぎました」と笑って、膳の蓋を片づけ、部屋を出ていった。一人になった部屋で、俺は熱燗をもう一口飲んだ。胸の奥が、ほんのり温かかった。それが酒のせいだけじゃないことは、自分でもわかっていた。食後、少し外の空気を吸いたくなって、俺は丹前を羽織って部屋を出た。中庭を抜けて本館の大浴場の方へ行こうとしたのが、間違いだった。渡り廊下が枝分かれしていて、どっちが本館だったか、まるでわからない。灯籠のぼんやりした明かりだけが、点々と続いている。
「……うわ、迷った」
古い旅館は、増築を繰り返したせいか、迷路みたいだった。うろうろしていると、向こうから足音がした。
「あら。和真さま?」
雫さんだった。もう仕事は上がったのか、着物の上に薄い羽織を重ねている。
「あ、雫さん。すみません、完全に迷子で」
「ふふっ。よくいらっしゃるんですよ、迷子のお客様。お部屋まで、お送りします。こちらです」
口元に手を当ててくすくす笑うその笑い方が、給仕の時よりずっと無防備で、思わず見とれた。灯籠の道を、二人で並んで歩く。夜の中庭は、昼間とまったく違う表情をしていた。苔むした石、ライトアップされた紅葉、池に映る月。
「……綺麗ですね、ここ」
「夜の中庭、好きなんです。お客様が寝静まった後に、よく一人で眺めてて。……ここにいると、いろいろ考えちゃうんですけど。考えるのに、ちょうどいい場所で」
少し先を歩く彼女の背中が、いつもより小さく見えた。立ち止まった彼女が、池のほとりの古い灯籠を指さした。
「あれ、私が子供の頃に、伯母とお揃いで願い事を彫ったんです。ほら、隅に小さく」
灯籠の足元に、たどたどしい文字で「しずく」と彫ってある。
「……可愛い」
「やだ、子供の落書きですよ。恥ずかしい」
ぱたぱたと顔の前で手を振る。その仕草で「完璧な仲居」の仮面が、また少しほどけた。俺は、この人のこういう顔が、もっと見たいと思った。
「さ、お部屋はこちらです。もう迷わないでくださいね、ふふ。おやすみなさいませ、和真さま。よい夢を」
障子が閉まる。俺は布団に寝転がって、天井を眺めながら、ぼんやり思った。
(……明日も、会えるかな)
そんなことを考えている自分に気づいて、ひとりで苦笑した。翌日。朝風呂に入って、朝食を済ませた。給仕は別の年配の仲居さんで、少しだけ拍子抜けした。
「……今日、雫さん、見ないな」
昼前、俺は手持ち無沙汰になって、温泉街へ出てみることにした。紅葉のピークだけあって、川沿いの遊歩道はそこそこ賑わっている。足湯に浸かる観光客、団子をほおばる家族連れ、写真を撮るカップル。俺は一人で、ぶらぶらと土産物屋を冷やかして歩いた。橋のたもとの団子屋の前を通りかかった時だった。
「あれ……和真さま?」
聞き覚えのある声に振り向くと──息が止まった。そこにいたのは、雫さんだった。でも、いつもの着物姿じゃない。オフホワイトのニットに、デニムのロングスカート。ベージュのコートを羽織っている。そして、いつもきっちり結われている髪が──ほどかれていた。ゆるく波打つ黒髪が、肩から胸元へ流れている。別人みたいだった。いや、別人じゃない。間違いなく雫さんだ。でも、破壊力が桁違いだった。思わず名前を呼ぶと、雫さんはにっこり笑った。
「ふふ、びっくりしました? 今日、私お休みなんです」
団子を片手に、にっこり笑う。その笑顔が、仕事中の楚々とした微笑とまるで違う。屈託のない、子供みたいな笑顔だった。
「髪、おろしてるんですね。その、すごく……似合ってます」
「あ。これ? 仕事じゃないと、いつもこうで。……もう。朝から、そんな」
つい口走った言葉に、雫さんはきょとんとした後、ふわっと頬を染めた。団子をもぐもぐしながら、目をそらす。その仕草が、また可愛かった。
「お休みの日は、だいたいこうやって町をうろうろしてて。和真さまは?」
「俺も、暇を持て余して。一人だから、何していいかわからなくて」
「あの。もしよろしければ、ですけど。せっかくなので、私が町をご案内しましょうか。お休みですし、地元なので。……なんて。本当は、私が一緒に歩きたいだけかも」
そう言って、ぺろっと舌を出す。その瞬間、俺はもう、この人に完全に持っていかれていた。
「じゃあ、お願いします、ガイドさん」
「はい。任せてください♡」
雫さんの案内する町歩きは、ガイドブックには載っていない場所ばかりだった。最初に連れて行かれたのは、川沿いの古い酒蔵だ。
「ここ、この温泉街で一番古い酒蔵なんです。私の同級生のお家で。あ、試飲できますよ」
ひんやりした蔵の中で、利き酒のおちょこを傾けた。
「……うまい。すっきりしてる」
「でしょう? 私、このお酒、大好きで。お客様にもよくおすすめするんです」
利き酒で少し頬を赤くした雫さんが、また綺麗だった。次に向かったのは団子屋。焼きたてを二本買って、川を見ながら並んで食べる。
「ここのみたらし、絶対食べてほしくて」
「……これ、めちゃくちゃうまい」
「ね? 私、子供の頃から、これ食べに来てたんです」
口の端に、たれをちょっとつけている雫さんに、思わず笑ってしまった。
「雫さん、ここ。たれ、ついてる。……いや、反対」
「もう! 早く言ってくださいよ♡」
ぷくっと頬を膨らませる。その顔が、もう完全に「仲居の雫さん」じゃなくて、ただの可愛い同い年の女の子だった。最後に、二人で足湯に並んで座る。川のせせらぎと、紅葉と、足元から立ちのぼる湯気。
「……はぁ。気持ちいい」
「足湯、いいでしょう? 私、悩んだ時はいつもここに来るんです」
ズボンの裾をまくり、隣に座った雫さんの素足が、湯の中で揺れている。しばらく、二人で黙って湯気を眺めていた。不思議と、沈黙が苦じゃなかった。先に口を開いたのは、雫さんだった。
「和真さま。昨日、おっしゃってましたよね。逃げてきた、って。……私も、同じなんです。東京で働いてて、でも、うまくいかなくて。逃げるみたいに、ここに帰ってきて」
足元の湯を、つま先でそっとかき混ぜる。
「伯母には、いずれここを継いでほしいって言われてて。私も、ここは好きなんです。子供の頃から、ずっと。でも……ここを継ぐって決めたら、もう一生、この谷から出られない気がして。私の人生、本当にこれでいいのかなって。……怖いんです、決めるのが」
ぽつり、ぽつりと、こぼれるように言葉が落ちていく。俺は、しばらく考えてから、口を開いた。
「……俺もね、ずっと、決められなかったんですよ。このまま、この仕事を続けていいのか。本当にやりたいことなのか。考える余裕もないまま、ただ流されて、気づいたら燃え尽きてた」
足湯の湯が、じんわり温かい。
「でも、ここに来て、雫さんと話して、思ったんです。一人で抱えて、勝手に怖がってただけなんだなって。……決めるの、怖いですよね。でも、雫さんはもう、答えを知ってる気がする。だって、ここのこと話す時の雫さん、すごくいい顔してるから」
雫さんが、はっと顔を上げた。その目が、ほんの少し潤んでいた。
「……ずるいです、そんなこと言うの」
「ごめん。市役所の窓口で、説教くさくなる癖が」
「ふふっ。ううん、嬉しいです、すごく」
涙をごまかすように笑って、彼女は湯の中で、そっと足を俺の足に寄せた。ぴと、と。素足の先が、触れる。
(……今のは、わざと、だよな?)
心臓が、うるさいくらいに鳴った。夕方、町歩きを終えて、二人で旅館への坂を上った。
「今日は、ありがとうございました。私、こんなに楽しかったの、久しぶりで」
「こっちこそ。最高のガイドでした」
旅館の暖簾が見えてくると、雫さんの足が、ふと止まった。
「……あの。ここから先は、仕事に戻るので」
振り返った彼女の顔から、すっと、さっきまでの無防備さが消えた。背筋が伸びて、表情が引き締まる。あの「完璧な仲居」の顔に、戻っていく。
「お客様。本日は、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
丁寧な、よそ行きの敬語。でも、頭を下げて顔を上げた一瞬、彼女は俺だけにわかるように、ちょっとだけ目で笑った。
(……今のは、反則だろ)
二人だけの秘密みたいな、その視線に、俺は完全にやられていた。その夜から、雫さんと俺の間には、奇妙な共犯関係のようなものが生まれた。夕食の給仕に来る彼女は、完璧な仲居だった。丁寧で、隙がない。でも、別の仲居がいない一瞬、彼女はふっと素の顔に戻って、囁くように言った。
「……お酒、足湯のところのにしておきました。お好きそうだったので。ふふ、内緒ですよ」
「ありがとう。……気が利くガイドさんだ」
くすっと笑って、また仲居の顔に戻る。その切り替えの、ほんの一瞬の隙間に、二人だけの何かがあった。廊下ですれ違うたび、目だけで合図を交わす。それだけで、胸の奥が甘く疼いた。
そうして、あっという間に、最終夜が来てしまった。明日の朝には、チェックアウトして、この谷を出る。東京に──いや、現実に、戻る。
(……帰りたくないな)
部屋でひとり、俺は窓の外の月を眺めていた。満月に近い、大きな月だった。谷の紅葉を、青白く照らしている。夕食の時、雫さんとはろくに二人になれなかった。別の仲居が一緒だったからだ。最後の夜だっていうのに、ちゃんと話せていない。それが、やけに心残りだった。時刻は、夜の十時を回っていた。その時──障子の向こうから、かすかな足音と、控えめなノックがした。
「……和真さま。起きてらっしゃいますか」
声を、ひそめている。慌てて障子を開けると、そこに雫さんが立っていた。でも──着物じゃなかった。旅館の湯上がり用の浴衣に、薄い羽織。髪は、ほどかれていた。湯上がりなのか、毛先がしっとり濡れて、肩にかかっている。ほんのり上気した頬。石鹸の、いい匂い。
「し……雫さん」
「ふふ。さっき、お仕事上がったんです。お風呂もいただいて」
いたずらっぽく、唇に人差し指を当てる。
「……内緒ですよ。お客様のお部屋に、夜に来るなんて。バレたら、伯母に叱られちゃう。最後の夜なのに、ちゃんとお話できなかったから……どうしても、会いたくて。あの、少しだけ、外、出ませんか。月見台が、すぐそこにあるんです。今夜の月、すごく綺麗で」
俺は、迷わずうなずいた。雫さんに連れられて、離れの裏手の小さな月見台に出た。そこは、谷を見下ろす崖の上にあって、屋根のない縁台だけがぽつんと置かれている。頭上には、信じられないくらい大きな満月。谷一面の紅葉が、月の光で青白く浮かび上がっていた。
「……すげぇ」
「でしょう? ここ、お客様にはあまり教えない、私の秘密の場所なんです」
二人で、縁台に並んで座った。夜風が冷たくて、雫さんが小さく身震いした。俺は思わず、自分の羽織る丹前を、彼女の肩にかけた。
「……あ。ありがとうございます」
肩が触れる距離。湯上がりの彼女から、ほのかに温かい匂いがする。
「和真さま。今日、足湯で言ってくださったこと。私、ずっと考えてて。……決めようと思います。私、ここを継ごうって。和真さまのおかげです」
月明かりの中で、彼女が微笑んだ。その顔が、迷いのない、晴れやかな顔だった。
「……よかった。すごく、いい顔してる」
「ふふ。和真さまのほうこそ。来た時より、ずっといいお顔になりました。チェックインの時、すごく疲れたお顔をしてたから。……私、心配だったんです」
近い。距離が、近い。月の光に照らされた彼女の横顔が、あまりに綺麗で、俺はもう、自分を止められなかった。
「……雫さん。明日、帰ったら。……また、ここに来てもいいですか」
雫さんが、こちらを向いた。潤んだ瞳が、まっすぐ俺を見ている。
「……来てくれるんですか。本当に?」
「来ます。毎月でも。雫さんに、会いに」
その言葉に、彼女の目から、ぽろっと涙がこぼれた。
「……どうしよう。私、もう。お客様だと思えなくなってます」
「俺も。とっくに、仲居さんだなんて思ってない」
そっと、彼女の頬に手を添えた。濡れた髪が、指に触れる。雫さんが、ゆっくり目を閉じた。
──唇を、重ねた。
ちゅ……。柔らかくて、温かい。石鹸の香りと、ほのかな彼女の体温。軽く触れるだけのキスから、少しずつ深く。角度を変えて、もう一度。
「ん……♡」
唇のあわいから、甘い吐息が漏れた。舌先で、そっと唇をなぞる。雫さんの口が、おずおずと開いた。
ちゅる……んちゅ……。舌が、絡む。ぬるりとした熱と、わずかに残る酒の甘さ。
「ん……ふぁ……♡」
雫さんの手が、俺の胸元を、きゅっと掴んだ。ぷはっ、と離れると、唾液が細い糸を引いた。月明かりの下、彼女の瞳が、とろんと潤んでいる。
「……和真さま。ここ、寒いです♡」
「……部屋、行く?」
こくん、と。雫さんが、小さくうなずいた。二人で、こっそり離れの部屋に戻った。障子を閉めて振り返ると、雫さんが恥ずかしそうに俯いて、肩にかけた丹前を、ぎゅっと握っている。
「……雫さん」
「いやだ、なんだか、すごく緊張してます♡ お部屋まで来ちゃうなんて、私……」
「嫌だった?」
「……ううん。むしろ、こうしたかったんです。今日、ずっと♡」
その言葉に、俺はもう、我慢できなかった。彼女の体を引き寄せて、もう一度キスをする。
ちゅ……んちゅ……ちゅる……♡
「ん……ふぁ……和真さま……♡」
抱きしめると、浴衣越しに柔らかい体の感触が伝わってくる。湯上がりの体は、ほんのり熱を帯びていた。キスを続けながら、雫さんの羽織を、そっと肩から落とす。浴衣の合わせに、指をかけた。
「……いい?」
「……はい♡ 和真さまの、好きにして……♡」
帯をほどくと、しゅるりと衣擦れの音がして、浴衣の前がはらりと開いた。白い肌が、月明かりに照らされて、ぼんやり光る。着物の下に隠れていた体は、想像以上に女らしかった。細い首筋、なだらかな肩、そして──ふくよかな胸の膨らみ。淡い水色の下着が、白い肌に映えている。
「……綺麗だ」
「やっ……♡ そんな、まじまじと見ないでください♡」
腕で隠そうとするのを、やさしく掴んで、どけた。首筋に唇を落とす。鎖骨を、肩を、ゆっくり辿っていく。
「ん……っ♡」
背中に手を回して、下着のホックを探る。カチッ。緩んだ下着を、ゆっくり外した。ぷるん、と。たわわな胸が、こぼれるように現れた。白い肌に、淡いピンクの先端。形がよくて、張りがあって、月光に照らされて、たまらなく艶っぽい。
「……雫さん、すごい」
「いや……♡ 恥ずかしいです、そんなに見られたら……♡」
そっと、両手で包み込んだ。むにゅ……。
「あっ……♡」
手のひらに吸い付くような、柔らかさ。指を沈めると、むにむにと形を変えて、こぼれる。
「柔らかい……」
「ん……っ♡ そんな、揉まないで……♡」
親指で、淡い色の先端を、くりっと転がした。
「ひゃっ……♡♡」
びくん、と体が跳ねた。先端は、もう小さく硬くなって、指先にこりこりと伝わってくる。
くりくり……くりくり……。
「あっ……♡ あぁ……和真さまっ……♡♡」
唇を、先端に落とした。ちゅう……。
「ひぅっ……♡♡♡」
舌先でころころと転がしながら、もう片方の胸を揉みしだく。
ちゅるるっ……れろ……ちゅう……♡♡
「やっ……あっ……♡♡ そんなに吸ったら……変な声、出ちゃう……♡♡」
完璧な仲居の敬語が、快感に溶けて崩れていく。その様子が、たまらなく興奮した。左右の胸を、交互に、たっぷり可愛がる。雫さんの肌が、うっすら汗ばんで、しっとりしてきた。
「下も……いい?」
「……はい♡ 来てください……♡」
仰向けに横たえて、最後の一枚に、指をかけた。水色のショーツの中央は、もう、しっとりと濡れて、色が変わっている。ショーツの上から、そっと指でなぞった。
くちゅ……。
「ひっ……♡♡」
びくん、と腰が跳ねる。
「……すごい。もう、こんなに」
「だって……♡ さっきの、キスから、ずっと……♡♡」
恥ずかしそうに、顔を腕で隠す。ショーツに指をかけて、ゆっくりずり下ろした。とろり、と蜜が糸を引いて切れる。薄く整えられた茂みの下に、ピンク色の花びら。透明な蜜が、とろとろと溢れていた。
「……綺麗だ」
「やぁ……♡ 見ないでください……恥ずかしくて、死んじゃう……♡♡」
雫さんの膝を、そっと押し開いた。太ももの内側に、唇を這わせながら、ゆっくり中心へ近づいていく。舌先で、花びらに、そっと触れた。ちろ……。
「んあっ……!♡♡」
腰が、びくんと跳ねた。
ちゅる……れろ……ちゅっ……♡
「あぁっ……♡♡ やっ……そんなとこ……♡♡」
舌先で蜜を絡め取りながら、上の方にある小さな突起を探す。見つけて、舌先を、そっと当てた。
「ひぅっ……♡♡♡ そこ……だめっ……♡♡」
こりこり……ちゅっ……れろ……♡♡
「あっ、あっ、あっ……♡♡♡ 和真さま、それ……♡♡♡」
太ももを押さえて開かせながら、突起を唇で挟んで、ちゅうっと吸い上げた。
「──っ♡♡♡! やっ……来ちゃう……♡♡♡ そんなにしたら……っ♡♡♡」
雫さんの手が、俺の髪を、ぐしゃぐしゃに掴んでくる。舌を、集中させた。ちゅっ、ちゅっ、れろれろ……♡♡♡
「だめっ……だめですっ……♡♡♡ イッ……イっちゃ……♡♡♡♡」
びくんっ、と。雫さんの背中が、弓なりに反った。
「あぁぁっ……♡♡♡♡! んんんっ……♡♡♡」
全身が、びくびくと震えて、それからゆっくり、力が抜けていく。
「はぁ……はぁ……♡♡ ……どうしよう。私、お客様の前で、こんな……♡」
潤んだ瞳が、とろんと俺を見上げる。その「お客様」という言葉さえ、今はやけに艶めかしかった。雫さんが、ゆっくり体を起こした。まだ余韻で震えているのに、頬を赤くして、囁いた。
「……今度は、私が。和真さまにも、気持ちよくなってほしいです♡」
俺の前に膝をついて、浴衣の帯に手を伸ばす。下着を下ろすと──限界まで張り詰めたものが、ぼるんと跳ね上がった。雫さんが、息を呑む。
「……おっきい♡♡ こんなの……入るのかな……♡」
細い指が、そっと幹に触れた。ゆっくり、上下に動く。しゅっ……しゅっ……。
「……お口で、しても、いいですか♡」
上目遣いで、おずおずと尋ねてくる。その表情が、艶っぽすぎて、言葉にならなかった。俺がうなずくと、雫さんは、ちゅ、と先端にキスをした。ぺろ、と舌先で舐めて──ぱくり、と口に含む。
ずぷ……。温かくて、濡れた口の中。先端が、すっぽりと包まれる。
「ん……じゅる……♡ んちゅる……♡」
ゆっくり頭を上下させる。ほどけた黒髪が、さらさらと揺れる。上目遣いの、潤んだ瞳。月明かりの差す部屋で、フェラする雫さん。あまりに艶っぽくて、現実とは思えなかった。
「じゅるるっ……♡ ちゅぷ……♡ ……和真さまの、味……♡」
舌が、裏筋を這う。頬をすぼめて、吸い上げる。
「……やばい。雫さん、上手すぎる」
「んふ♡ ……もっと、しますね♡」
ずぷっ……ずぷっ……。深く咥えるたびに、喉の奥に触れて、全身に電流が走る。
「ちょ……止まって。イっちゃう……」
ぷはっ。ゆっくり口を離すと、唾液が、つうっと糸を引いた。
「ふふ。……だめですよ、まだ♡ 私の中で、感じてほしいから♡」
いたずらっぽく笑う雫さんを、布団に引き上げた。念のため、と用意していた財布から避妊具を取り出す。
「……あら。ご用意がいいんですね、お客様♡」
「いや、これは……一応、その」
「ふふっ。冗談です♡ ……つけて、ください♡」
手早く装着して、彼女に覆いかぶさった。仰向けの雫さん。月光の下、ほどけた黒髪が、敷布の上に扇のように広がっている。紅潮した頬、潤んだ瞳、開いた唇。完璧な仲居の面影は、もうどこにもない。ただ、俺を欲しがる、一人の女の人だった。
「……入れるよ」
「はい……♡ 来てください、和真さま……♡」
蜜で濡れた入り口に、先端をあてがう。ゆっくり、腰を進めた。ずぷ……っ。
「あぁっ……♡♡♡ 入って……くる……♡♡♡」
温かい。きつい。中が、ぎゅうっと締め付けてくる。
「おっきい……♡♡ お腹の中、いっぱい……広がって……♡♡♡」
ずぷん、と。根元まで、収まった。下腹部が、密着する。ゆっくり腰を引いて、また押し込む。
ずちゅ……ずぷん……♡ パンッ……♡
「あぁっ……♡♡♡」
パンッ……パンッ……♡♡
「あっ、あっ、あっ……♡♡♡ 気持ち、いい……♡♡」
ぐちゅ……ぐちゅ……。結合部から、卑猥な水音が響く。雫さんの腕が、俺の背中に回されて、しがみついてくる。
パンパンパンッ……♡♡♡
「和真さまっ……♡♡♡ そこ、当たって……♡♡♡」
肌と肌がぶつかる音が、静かな離れに響いていく。正常位だと、雫さんの表情が全部見えた。眉が寄って、口が開いて、瞳が潤む。
「雫さん……すごい、締まってる」
「だってっ……♡♡ 和真さまが、気持ちよすぎてっ……♡♡♡」
腰を、すくい上げるように突くと──
「そこっ……♡♡♡! あっ、そこ、だめっ……♡♡♡」
雫さんの脚が、俺の腰に絡みついて、もっと奥を求めてくる。爪が、背中に食い込んだ。少し痛い。でも、それがまた興奮を煽る。
パンパンパン……♡♡♡
「あっ♡♡ あっ♡♡ だめ……そこばっかり……♡♡♡」
キスを重ねながら、腰を動かし続ける。
ちゅる……んちゅ……♡♡
「ん……んぅっ……♡♡♡」
雫さんの中が、きゅうきゅうと、リズミカルに締め付けてくる。ペースを、上げた。
パンパンパンパン……♡♡♡♡
「あっあっあっ……♡♡♡♡ 来る……来ちゃう……♡♡♡♡」
「俺も……っ」
「一緒に……♡♡♡ 和真さまと、一緒に……♡♡♡♡」
雫さんが、背中に両腕を回して、ぎゅっとしがみついた。脚も、がっちり腰に絡む。奥に押し付けるように──最後の、一突き。
ずぷんっ……!
「あぁぁっ……♡♡♡♡♡!!」
どくんっ、どくっ、どくっ……! 中で脈打ちながら、全てを、注ぎ込んだ。
「あっ……♡♡♡ すごい……和真さまの、感じる……♡♡♡」
雫さんの全身が、びくびくと痙攣して、中が、ぎゅうぅっと、搾り取るように締め付けてくる。しばらく、二人で荒い息をついた。ちゅ、と軽くキスをして、ゆっくり体を離す。
「はぁっ……♡♡ ……どうしよう。私、初めてです。お客様と、こんな……♡」
「もう、お客様じゃないだろ?」
「……ふふ。そうでした♡」
とろけた瞳で、雫さんが微笑んだ。その笑顔を見ていたら──体が、また、すぐに反応してしまった。
「……あら♡ 和真さま、まだ、お元気ですね♡」
「……雫さんが、可愛すぎるから」
「もう♡ ……今度は、私が上、いいですか♡」
新しい避妊具をつけると、雫さんが、俺の上にまたがってきた。騎乗位。ほどけた黒髪が、肩から胸元へ流れ落ちて、月光に青白く光る。下から見上げる雫さん──揺れる胸、なだらかなお腹、繋がっている場所。雫さんが、角度を調整して──
ずぷん……♡♡
「あっ……♡♡♡ この体勢……奥まで、入っちゃう……♡♡♡」
ゆっくり、腰を上下させ始めた。
ずぷ……ずちゅ……ずぷっ……♡♡
「ん……♡♡ 自分で動くの……すごい……♡♡♡」
目の前で、胸が、ぷるんぷるんと揺れる。手を伸ばして、両方掴んだ。
むにゅっ……♡♡
「ひゃんっ……♡♡♡ 揉んだら……動けなく、なっちゃう……♡♡♡」
「いいよ。雫さんのペースで」
ぱんっ……♡ ぱんっ……♡ ぱんっ……♡♡
「あっあっあっ……♡♡♡ 奥に、当たってる……♡♡♡ いいとこに……♡♡♡♡」
雫さんが、腰を回すように動き始めた。ぐりんぐりんと中をかき回される。たまらず、下から突き上げた。
ずぷんっ……♡♡♡
「ひぁっ……♡♡♡♡ 下から……だめっ……♡♡♡」
雫さんの動きと、突き上げが、一番奥を叩く。
パンパンパンパンッ……♡♡♡♡ ぐちゅぐちゅぐちゅ……♡♡♡
「だめっ……♡♡♡ また、来ちゃう……♡♡♡♡ イっちゃうっ……♡♡♡♡」
「俺も……一緒に、イこう……っ」
「はいっ……♡♡♡ 一緒に……和真さまと、一緒にっ……♡♡♡♡」
雫さんが、俺の胸に倒れ込んで、ぎゅっとしがみつく。最後に、奥へ、深く突き上げた。
ずぷんっ……!♡♡♡♡
「イくぅっ……♡♡♡♡♡!!」
どくんっ、どくっ、どくっ、どくっ……! 雫さんの全身が震えて、中が、痙攣するように搾り取っていく。
「はぁっ……♡♡♡ すごかった……♡♡♡」
汗だくの体を、重ねたまま、二人で抱き合った。月明かりの差す離れの部屋で、お互いの心臓の音を聞いていた。
「……和真さま♡ 私、本当に、来てくれるって、信じていいですか♡ 毎月、会いに来てくれるって」
潤んだ瞳が、まっすぐ俺を見つめる。俺は、彼女の頬を、そっと撫でた。
「来る。絶対に。……雫さん。俺と、付き合ってください」
雫さんの目が、大きく見開かれて──それから、ぽろぽろと、涙がこぼれた。
「……はい♡ はい……! 私で、よければ……♡♡」
「雫さんが、いい」
ちゅ、と。涙の味のするキスを、交わした。その夜、俺たちは布団の中で、ずっと体を寄せ合って眠った。さらさらの黒髪が、顎に触れる。湯上がりの、いい匂い。
(……一人旅、最高だな)
雫さんの穏やかな寝息を聞きながら、俺も目を閉じた。翌朝。障子の隙間から、朝日が差し込んでいた。雫さんは、夜明け前に、こっそり自分の部屋に戻っていった。「仕事だから」と、名残惜しそうに。
チェックアウトの時間。荷物を持ってフロントに行くと──そこに立っていたのは、完璧な仲居の、雫さんだった。きっちり結われた髪。紺の着物。背筋の伸びた、隙のない佇まい。
「須藤和真さま。お発ちでございますね。お忘れ物は、ございませんか」
昨夜の艶っぽさが嘘のような、よそ行きの敬語。俺も、つられて、客の顔になる。
「はい。お世話に、なりました」
「四泊、ありがとうございました。お足元、お気をつけてお帰りくださいませ」
三つ指をついて、深々と頭を下げる。その完璧な所作に、俺は、ちょっとだけ寂しくなった。
(……これで、お別れか)
でも──。顔を上げた雫さんが、ほんの一瞬、フロントの奥に他の人がいないのを確かめて。そして、俺だけにわかるように──ぺろっと、小さく舌を出して、いたずらっぽく笑った。
(……反則だって、それは)
胸の奥が、きゅっと熱くなる。最後に彼女が口を開いた。
「……またのお越しを、心よりお待ちしております。和真さま♡」
最後の「♡」だけは、確かに、仲居の雫さんじゃなくて、俺の恋人の雫さんのものだった。暖簾をくぐって、坂を下る。振り返ると、玄関先で、雫さんがずっと、手を振っていた。
それから、俺の遠距離恋愛が、始まった。毎月、給料日が来るたびに、俺はあの谷へ向かう新幹線とバスに乗った。二泊三日。雫さんの休みに合わせて、町を歩き、足湯に浸かり、月見台で月を眺める。そして夜は、こっそり、離れの部屋で。
「内緒ですよ、和真さま♡」
何度言われたかわからない、その台詞が、俺は大好きだった。一年が、過ぎた。その日、俺がいつものように旅館に着くと、玄関に女将さんが立っていた。雫さんの伯母だ。
「あ。お、お邪魔します」
ばれている。完全に、ばれている。一年も通えば、当然だ。俺が緊張で固まっていると、女将さんは、雫さんそっくりの目元で、にやっと笑った。
「あらあら。また来たの、お婿さん候補♡」
「お、お婿さんって……」
「うちの雫がね、あなたが来る前の日は、もう朝からそわそわしちゃって。見てられないのよ、ふふ」
奥から、顔を真っ赤にした雫さんが飛び出してきた。
「ちょっと、伯母さん! 余計なこと、言わないで♡」
「だってねぇ。和真さん。あなた、毎月毎月、わざわざ遠くから。大変でしょう。……もう、ここに住んじゃえば? どうせ、いずれこの子が継ぐんだから。あなたがいてくれたら、私も安心なのよ♡ 私だってもう、今年で五十二。いつまでも一人で切り盛りってわけにもいかないでしょう?」
「……っ」
言葉に、詰まった。隣で、雫さんが、真っ赤になって俯いている。でも、その口元は、はっきりと笑っていた。俺は、雫さんの方を見た。彼女が、そっと、俺の手に、指を絡めてくる。あの、灯籠の道で見た、いたずらな笑顔で。
「……どうします? 和真さま♡」
谷の紅葉は、一年前と同じように、燃えるように赤かった。俺は、繋いだ手を、ぎゅっと握り返した。
「……前向きに、検討します。市役所の窓口みたいで悪いけど」
「ふふっ。だめですよお客様、そんな他人行儀♡」
「あらあら、ごちそうさま♡」
三人で、玄関先で笑った。湯気の立ちのぼる温泉街。色づく谷。燃え尽きて逃げ込んだはずのこの場所が、いつのまにか、俺の帰る場所になっていた。
(……一人旅で、見つけたんだ)
隣で笑う雫さんの横顔を見ながら、俺は、確信していた。この谷が引き合わせてくれた出会いは──運命だったって。
― 終 ―