8月13日、新大阪から山陽新幹線に乗って、うちは岡山の笠岡というところに向かっとった。祖母の三回忌。うち27歳、大阪市内のクリニックで医療事務やってて、彼氏いない歴3年半。
「あんたも顔だけは出しとき」って母に言われて、正直めんどくさかった。親戚の集まりって昔から苦手で、法事のたびに隅っこで麦茶を注ぎ足す係に回るタイプなんです、うち。愛想笑いだけは受付の仕事のおかげで異常にうまいけど、気の利いた一言は3時間後にようやく思いつく人間やから、親戚のおっちゃんおばちゃんに囲まれると何も言えんまま固まってしまう。
福山駅で在来線に乗り換えて、笠岡までの一駅二駅を揺られる間、母から「悠くんも来るはずやから」ってLINEが来た。既読つけただけで、うちは特に何も返さんかった。正直、顔もろくに思い出せんかったから。7年会うてへんし、最後に会うたのはうちが東京の大学を出て大阪に就職したばっかりの頃やったと思う。
新幹線の窓から瀬戸内海がちらちら見えてきて、(あー帰ってきてしもたな)って思った。
この話、最後まで書くけど、あの家で、うちは従兄の悠くんに会う。それだけのはずやった。
本堂の焼香の列に並んでたら、前に喪服の背中があった。えらい背が高い。うちの記憶より一回り大きい気がしたけど、たぶん親戚の誰かやろ思って気にせんかった。
その人が振り返った瞬間、うちは反射的に会釈した。だって顔見たら悠くんやったから。子供の頃、お盆のたびにばあちゃんの家で一緒に遊んでた4つ上の従兄。
「……ご無沙汰してます」
敬語やった。
(え)ってなった。うちの中の悠くんは「また来年な」が口癖の、宴会で一番喋る系のお調子者やったのに。今目の前におるのは、目も合わせんと、必要最低限のことしか言わん、知らんおじさんやった。
(誰やねん、この人)
うちが返事に困ってる間に、悠くんはもう次の焼香に進んでた。
精進落としの席で、うちは端っこでビールと麦茶を配って回る係についた。おばさん連中の会話の切れ端が耳に入ってくる。
「悠くん、この3年ずっと一人でばあちゃんの介護しよったんやって」 「うちら誰も手伝えんかったもんなあ、東京と大阪じゃ忙しいし」 「婚約もそれで流れたんやろ、可哀想に」 「相手の子も最初は理解あったらしいけど、そりゃ3年も待たされたらなあ」
うちの家も同じ。「忙しいから」って言い訳して、この3年一回も帰ってきてへんかった。母も「お盆は義実家があるから」ってずっと逃げてたし、うちも仕事を理由に電話一本すらろくにせんかった。胃のあたりがずしっと重くなる。おばさんらに愛想笑いしながら麦茶を注ぐ手が止まりそうになった。
(うちも同じ側やったやん)
悠くんの方をちらっと見たら、部屋の隅で誰とも喋らんと座布団に正座して、缶ビールも開けんとただ持っとった。宴会の中心におった頃の悠くんとは、座り方まで別人やった。
そう思ってたら、悠くんがビール瓶持ってうちの前にすっと座った。
「一つ、どうぞ」
コップに酌しようとする手つき、湯呑みを置くときも音がせんくらい静かで、なんかその丁寧さが余計にしんどかった。うちの中で何かがぷちっと切れて、気づいたら口が動いてた。
「敬語やめてや。うちにまで他人の顔せんといて」
言った3秒後に後悔した。(何様やねん、うち)って自分にツッコんだけど、もう遅い。
悠くんが一瞬だけぽかんとして、それから昔の顔で笑った。ほんの一瞬やったけど。
「……お前、酒強なったな」
麦茶しか飲んでへんのに。でもその一言だけで、なんか空気が少し緩んだ気がした。
その夜、親戚の誰かが「じゃあ、ばあちゃんの家の片付け、若い二人にお願いしようか」って言い出して、断る間もなく決まってしもた。悠くんと二人、明日から祖母の家の遺品整理。
(勘弁してや……いや、ちょっと嬉しいかも)って思った自分に、うちは自分でびっくりした。
翌14日、朝から祖母の家で二人、押し入れの中身を出したり仏壇の引き出しを整理したりしてた。蚊取り線香焚いて、扇風機回して、麦茶のグラスに水滴がついてくの見ながら、たまに他愛ない話をする。
仏壇の引き出しの奥から、色褪せた写真が出てきた。小学生くらいのうちと悠くんが縁側でスイカ食べてる写真。
「うわ、これうちらやん」 「そうやな。……よう覚えとる、これ」
悠くんの言葉から少しずつ敬語が抜けていくのがわかった。
「悠くん、造船所勤めなんやっけ」 「うん。今治のグループの、笠岡の工場」 「大変そうやな」 「まあな。……お前は、医療事務やっけ。母さんから聞いた」 「うん、受付。愛想笑いだけは得意になったわ」 「昔から要領ええほうやったもんな」 「いや全然。今も気の利いたこと、いっつも後から思いつくタイプやし」
そんな他愛ない会話をぽつぽつ交わしながら、押し入れの奥の段ボールを引っ張り出す。棚の上のものを取ろうとして脚立に乗ったうちが、バランス崩して落ちかけた瞬間、悠くんの腕がすっと伸びてきて受け止められた。
日焼けした腕、造船所の仕事で節ばった手首。近くで感じる汗と潮風みたいな匂いに、うちは変に意識してしもた。(近い……)って思ったけど、口には出さんかった。悠くんの方も気まずかったんか、すぐに手を離して「大丈夫か」とだけ言った。
夕方、テレビのニュースが台風11号の接近を伝えてた。井原鉄道もバスも、夜には運休する見込みらしい。
(まじか)
「泊まるしかないな、これ」と悠くんが言った。「俺は車で寝るから」
「なんで。こんな古い家に部屋なんぼでもあるやん」 「いや、それは……」 「それは何」
押し問答になった。悠くんがぽつりと言った。
「7年前、お前が帰ってこんくなった夏、ばあちゃん毎週『あの子いつ来るん』って聞いてきよったんや。……ばあちゃんだけやない。俺も待っとった」
そこまで言って、悠くんは自分の言葉に慌てたみたいに口を閉じた。
うちは何も返せんかった。従兄妹やし、親戚みんなの目もあるし、そんなん言われても困る。……困るはずやのに、うちの心臓は変な音を立てとった。
そのタイミングで、家中の電気が一斉に消えた。停電やった。
悠くんが「蝋燭あったはずや」って仏間の方に懐中電灯持って歩いていく。うちも後についていったら、仏壇の下の引き出しを探るとき、二人の手が同時に伸びて触れた。
蝋燭に火をつけると、揺れる灯りの中で悠くんの顔が見えた。さっきまで昔の顔やったのに、その灯りのせいか、また他人の顔に戻りかけてる気がした。
うちは咄嗟に悠くんの袖を掴んどった。
「他人の顔、やめてや。……今だけでええから」
自分でもよう分からんことを言うてる自覚はあった。でも止まらんかった。
悠くんが黙ってうちの顔を見て、それからゆっくり顔を近づけてきた。最初、鼻がぶつかった。
「あ、ごめん」 「……ううん」
もう一回、今度はちゃんと唇が重なった。ぎこちない、下手くそなキスやった。でも悪くなかった。
「……仏壇の前は、さすがにあかんよな」
悠くんが真面目な顔で言うから、うちは思わず笑ってしもた。こんな時にまで律儀な悠くんに、なんかほっとした。二人で客間に移動した。
古い客用布団を敷いた客間、風呂も沸かせてへんし、二人とも法事の間ずっと動いてたせいで汗だくやった。うちは無意識に腕で胸を隠す。
「今日ずっと片付けしてたのに、こんな汗の状態で……」 「そんなん気にせんでええ」
悠くんは急かさんかった。喪服のブラウスのボタンを外そうとする指が、やたら不器用で、なかなか進まへん。
「……ごめん、そういうの7年ぶりで。笑うなや」
笑いそうになったの、バレとった。うちは仕方なく自分でボタンを外した。(この状況で自分でボタン外す女、おらんやろ)って内心思いながら。
悠くんの手が胸に触れてきた。Cカップの胸を優しく包んで、指の腹でゆっくり撫でるみたいに動く。声が漏れそうになって、うちは唇を噛んで殺そうとしたけど、うまくいかへんかった。
(うち、こんな声出すんや……)って他人事みたいに思う瞬間があった。相手は従兄。ばあちゃんの家の客間で、仏壇のある部屋の隣で、こんなことしてる。それを考えるほど、逆に体の方が敏感になっていく気がして、うちは自分の頭の悪さに呆れた。
「んっ……」
指で下の方まで触れられて、うちは思わず腰を引いた。悠くんが下に顔を近づけようとしたとき、うちは反射的に「や、そこは……」って一回拒んだ。恥ずかしすぎる。
「蝋燭の灯りだけやし、ようわからんて」
そう言われて、うちは目を瞑って受け入れることにした。実際、暗くて何も見えへんはずやのに、なんでこんなに恥ずかしいんやろ。(相手は従兄やん。ばあちゃんの家の、仏壇の隣の部屋やのに)って頭の隅でずっと思ってた。悠くんの舌の感触に、声がまた漏れる。
「明日、親戚来るのに……」って呟いたら、悠くんが顔を上げて「今だけ考えんとき」って言った。それもそれで反則やと思った。
財布を探ってた悠くんが、古いゴムを一つだけ見つけた。
「何それ」 「……いつのやろ」
変な間ができた。二人で顔を見合わせて、気まずいけど笑うしかなかった。
うちが仰向けになって、悠くんが覆いかぶさってくる。正常位。最初、角度が合わへんくて全然入らへん。
「痛……ちょっと待って」
うちが顔をしかめると、悠くんが動きを止めて汗を拭った。
「ごめん、焦った」
一回中断して、体勢を仕切り直す。今度はゆっくり、少しずつ。薄い布団の下は畳で、膝と腰がじんじん痛かった。汗で肌が布団に張り付く感触。外は台風の風の音がずっと鳴っとった。
蚊取り線香がいつの間にか消えてて、うちの足首を蚊が刺した。
「痒っ……」 「あ、線香切れとる」
二人でちょっと笑ってしもた。こんな時に蚊て。
悠くんがゆっくり動き始める。うちは(これ明日どんな顔すればええん)って思いながら、ふと悠くんの目を見た。そこにあったのは、法事で会ったときの他人の顔やなくて、子供の頃の、あの縁側でスイカ食ってた頃の顔やった。それに気づいた瞬間、なんか泣きそうになった。快感より先に、その事実の方がうちの胸を締め付けた。
悠くんは久しぶりすぎたんか、そんなに長くは持たへんかった。
「……ごめん、はやい」 「ええよ、別に」
正直、うちもまだ全然頭が追いついてへんかったから、それどころやなかった。むしろ、ほっとした部分もある。(これ以上続いてたら、うち多分泣いてたし)って本気で思った。
布団は途中でずれて、最後の方は半分畳の上やった。悠くんがうちの上に体を預けたまま、しばらく動かんかった。汗ばんだ肩に顔を埋めて、悠くんは何も言わへん。うちも何も言わず、その重さをただ受け止めてた。外の風の音だけが、やたら大きく聞こえてた。
明け方、風がだいぶ弱まった頃、うちは目が覚めた。悠くんも起きてて、どちらからともなくもう一度体を寄せた。
今度はさっきよりぎこちなさが減っとった。何より、悠くんが完全に敬語をやめてた。
「うち、名前呼んで」 「……お前でええやん」 「呼んでや」 「……分かった」
呼び捨てで名前を呼ばれた、それだけで一回目と全然違う感覚やった。ゴムはもうないから最後まではせんと決めて、二人で手と口だけで愛撫し合った。今度はうちの方から先に動いた。自分からこういうことするの初めてで、手が震えたけど、悠くんの反応が返ってくるのが嬉しかった。
朝、二人とも汗と畳の跡だらけやった。親戚が線香をあげに来る前に、客用布団を物干しに干して、敷パッド代わりのシーツを古い二槽式洗濯機に放り込んだ。うちは着替えがなくて、悠くんの造船所のロゴが入ったTシャツを借りた。だぼだぼやった。
「……ゴミ、燃えるのは火曜らしいで」 「あ、そうなんや」 「回覧板、まだ班長んとこ持っていかなあかんのやった」 「そうなんや」
そんな、どうでもいい話しかできんかった。会話が妙に事務的になる。目が合うとお互いすぐ逸らした。蚊に刺された足首がずっと痒くて、うちは無意識に指で掻いてた。悠くんがそれに気づいて、「虫刺され薬、台所の引き出しにあったはずや」って探しに行ってくれた。そういうところは、昔から変わってへんのかもしれん。
「ばあちゃんに怒られるかな、うちら」 「……ばあちゃんは笑うやろ」
昼過ぎ、井原鉄道が動き出したっていうニュースが流れて、うちは大阪に帰ることになった。悠くんが駅まで車で送ってくれた。
改札の前で、悠くんが言った。
「また来年な」
子供の頃の口癖と同じ言葉。でも意味は全然違う気がした。
(また来年って、三回忌の次は七回忌やん。4年後やん)って思ったけど、そんなん口に出せんかった。
LINEは交換した。従兄妹って法律上は結婚できるらしい、って帰りの新幹線の中でこっそり検索したことは、まだ誰にも言うてない。母にも言うてない。
この関係がこの先どうなるんか、うちにもまだ全然わからん。