7年片思いした5歳上の先輩に「いい人がいたら紹介するね」と言われた夜、恋を終わらせにいった話

私の7年間の片思いは、去年の春、居酒屋のテーブル越しの一言で終わりました。

私は29歳、都内の中堅印刷会社で営業事務をしています。入社7年目、身長156cm、恋愛経験はちょうど大学の頃に1人だけ。合コンに呼ばれても大体「幹事の友達枠」で、頭数合わせがバレバレの席に座らされるタイプです。気が利くとはよく言われますが、それは好きな人を7年間観察し続けた副産物にすぎないと自分では分かっています。今更ですが、供養のつもりで書きます。

先輩は同じ課の5歳上の営業さんで、私が入社した年からずっと教育係でした。178cmの元ラグビー部で肩幅が広くて、最近ちょっとお腹が出てきたのを気にして昼はいつもサラダチキンとゆで卵。短髪で、夕方になると無精ひげが薄っすら出てくる人です。スペックでどうこうという感じの人じゃなくて、振る舞いで惹かれる、そういうタイプでした。校正紙の誤字を誰よりも早く見つける。コーヒーを1日5杯飲む。人の話を聞くとき、体ごとこっちに向けてくれる癖がある。

(この人、たぶん誰にでもこうなんだよな)

そう気づくのに、私は3年かかりました。入社1年目の頃は、体をこっちに向けて話を聞いてくれるのが自分だけの特権みたいに思っていて、隣の課の子に「あの人優しいよね」と言われるたびに、心の中でちょっとムッとしていたくらいです。実際は総務のパートさんにも、出入りの運送業者さんにも同じ体の向け方をしていました。(誰にでもかよ)と気づいたときのがっかり感は、今でも覚えています。それでも本人には言えませんでした。周りには「先輩のこと、めちゃくちゃ尊敬してます」で押し通していました。尊敬。便利な言葉です。

同期の女の子には「あんた、絶対好きでしょ」と何度か突っ込まれましたが、その度に「そういうんじゃないから」で流していました。噓ではないつもりでした。好きというより、もう生活の一部になってる感覚だったので。

冬のある夜、私の発注ミスで刷り直しが発生したことがありました。納期がギリギリの案件で、客先に頭を下げに行かなきゃいけない状況。課長は出張中で、結局一緒に謝りに行ってくれたのは先輩でした。

「先輩、ほんとにすみませんでした」

「いいって。俺も新人の頃、もっとやらかしてるから」

謝罪が終わって、帰りのタクシーの中で先輩がぽつりと言いました。

「ミスの数だけ事務は強くなるから。今日のことも、いつか誰かに教えるネタになるよ」

タクシー代を先に払って、領収書を私の手に握らせて、先輩は自分の最寄り駅で先に降りていきました。

「先輩、経費で落としますから、これ」

「いいよいいよ、そのくらい。お前が今日ちゃんと謝れてたから、それでチャラ」

経費精算に出せばいいだけの、ただの紙切れです。でも捨てられなくて、今も手帳に挟んだままです。(バカみたいってわかってるけど)

4月に入って、課の花見の場所取りを二人で任されることになりました。目黒川沿いのブルーシート、朝から場所取りの人がひしめく激戦区です。朝9時から場所を確保して、他のメンバーが来る夕方まで、実に7時間くらい二人でシートの上に座っていました。

「暇だな」

「先輩、コーヒーもう2杯目ですよ」

「今日はまだ2杯目。多いときは5杯いくから」

「胃、荒れません?」

「荒れてるかも。健康診断で引っかかったら考える」

くだらない話でした。営業成績の話、社食のカレーがまずくなった話、そんな流れの中で、先輩がふっと真顔になりました。

「俺さ、2年前に婚約破棄されてるんだよね」

初耳でした。相手は会社と関係ない人だったらしく、詳しいことは話してくれませんでしたが、先輩はどこか他人事みたいに笑って続けました。

「それからもう、人を好きになる予定はないかな」

桜より先にこっちが散った気がしました。満開まであと少しだったのに。

その日から私は、ますます「尊敬」の仮面を分厚くしました。予定がない人に片思いしても仕方ないってわかってるのに、やめられませんでした。(諦めた方が楽なのは分かってるんだけどな)

そして去年の春、歓送迎会の二次会が終わったあと、なぜか先輩と二人だけで三軒目に流れ込むことになりました。他の同期は解散して、気づいたら高円寺の小さいバーのカウンターに二人きり。

「なんか、こういうふうに二人で飲むの、初めてじゃない?」

「言われてみれば、そうかもしれないです」

そう言いながら内心では(初めてです、7年目にして初めてです)と叫んでいました。もちろん顔には出しません。

私は酔った勢いで、去年の合コンで見事に空気になった話をしていました。「幹事に紹介されたのが70過ぎのおじいちゃん税理士だった」という、我ながら最低なオチのエピソードです。先輩は声を出して笑ってくれました。

「税理士のおじいちゃんって、それもう合コンじゃなくて相続相談じゃん」

「まさにそれです。年収より遺産の話されました」

笑いながらも、私はもう次に来るオチをなんとなく予感していました。この人はきっと、この流れで私を励まそうとする。

「お前ならすぐ見つかるよ。いい人がいたら紹介するね」

善意100%の顔でした。悪意なんて一ミリもない、心から私の幸せを願ってる顔。だからこそ、耳の奥がキーンと鳴って、店内のBGMが急に遠くなりました。ああ、これで終わりだと思いました。この人の中で私は「いい人を紹介してあげる後輩」で、それ以上でも以下でもないんだと、7年越しにようやく理解した瞬間でした。

店を出ると、スマホに中央線の運転見合わせのニュースが届いていました。人身事故だそうです。総武線に迂回する気力もなく、二人で駅の掲示板の前で立ち尽くしていました。

「俺の家、歩いて10分だし。泊まってけば。俺ソファで寝るから」

下心なんて欠片もない声でした。むしろそれが、決定打になった気がします。

先輩の部屋は思ったより片付いていて、案内されたソファに座ると、麦茶を出されました。グラスの氷が溶ける音を聞きながら、私は自分の中で何かが決まっていくのを感じていました。(諦めた人間はもう怖いものがない)というのは、多分本当です。

「先輩。今夜だけ、お願いがあります」

「ん、何」

「返事はいらないです。ただ今夜だけ、その『いい人』のフリをしてもらえませんか」

言ってしまってから、自分の声とは思えないくらい静かだったことに驚きました。先輩は一瞬、麦茶のグラスを持ったまま固まって、それから長い沈黙がありました。テレビもついていない部屋で、冷蔵庫のモーター音だけが響いていました。

「……断ったら俺、一生後悔する気がする」

答えになってない返事だと思いました。でも次の瞬間、先輩の顔が近づいてきて、唇が重なりました。ひげが夕方の分だけ伸びていて、ちょっとチクチクしました。

(ほんとにキスしてる。先輩と)

信じられなくて、頭の中がぐるぐるしていました。キスをしながらブラのホックに手が伸びてきましたが、先輩は不器用で全然外れません。3回くらい失敗したところで、さすがに私が自分で背中に手を回して外しました。気まずい沈黙が一瞬流れて、お互い小さく笑いました。

「電気消そうか」

「顔が見たいので、そのままで」

自分でもよくわからない理由でしたが、本当にそう思ったので言いました。Bカップの胸を見られるのは正直恥ずかしくて、「大きくなくてすみません」が喉まで出かけましたが、飲み込みました。先輩は何も言わず、ただ丁寧に触れてきました。指先でゆっくりほぐされながら、私はずっと考えていました。(これは同情かもしれない)。それでも同情でいいと思ってしまう自分が、一番嫌でした。

「ベッド行こう」

寝室に移動して、先輩が引き出しを漁る音がしました。かなり長い間ごそごそやったあと、気まずそうな声が聞こえてきました。

「……ごめん、賞味期限切れてた。コンビニ、行ってくる」

真夜中の1時に先輩が部屋を飛び出していく足音を聞きながら、私は一人、他人のベッドの端に座っていました。5分くらいの時間が、やけに長く感じました。今なら帰れる。着替えて、始発を待つカフェにでも行けばいい。そう思ったのに、体はそこから動きませんでした。(逃げるなら今なんだろうな。でも、逃げない)

先輩が戻ってきて、二人でまたベッドに座り直しました。改めて重なると、緊張のせいか挿れた瞬間に痛みが走って、私は思わず声を上げてしまいました。

「痛っ、ごめんなさい、ちょっと待ってください」

「あ、ごめん、大丈夫?」

一旦離れて、二人でベッドの上に座ったまま、さっきの麦茶をまた飲みました。真剣な空気だったはずなのに、コップを傾ける音だけが妙に間抜けで、二人とも少し笑ってしまいました。

体の力が抜けてから、もう一度ゆっくり始まりました。今度は痛みよりも別のものが押し寄せてきて、動きが進むうちに、頭の中に7年分の記憶が次々に浮かんできました。刷り直しの夜のタクシー代。花見のブルーシート。5杯目のコーヒーを飲む先輩の横顔。全部が一気に流れ込んできて、気づいたら涙が出ていました。

先輩が動きを止めようとしたので、私は先輩の背中に手を回して止めました。

「泣いてても、やめないでください。ここでやめられたら、終われないので」

先輩は少し困った顔をしていましたが、そのまま続けてくれました。体位を変える余裕なんてお互いなくて、正常位のまま、ただ強く抱き合っていました。終わるとき、先輩が小さく息を漏らして、私の肩に顔をうずめてきました。

行為が終わったあと、部屋には汗の匂いとティッシュの音だけが残りました。先輩が無言でグラスに麦茶を注ぎ直してくれて、それを二人で飲みました。

「ごめん、俺、順番ぜんぶ間違えたかもしれない」

「気にしないでください」

シャワーを勧められましたが、断りました。理由は言いませんでしたが、先輩の部屋の匂いのまま帰りたかったんだと思います。始発が動く時間になって、部屋を出ました。

「駅まで送るよ」

「大丈夫です、ここで平気なので」

改札の手前で先輩と別れて、振り返らずにICカードをタッチしました。改札の外には、もう散りかけの桜が見えていました。

連休が明けてからも、職場では何もなかったように過ごしました。先輩も普段通りで、コーヒーは相変わらず1日5杯、校正紙の誤字も誰より早く見つけていました。私の恋はあの夜にちゃんと終わったんだと、自分でもそう思っていました。

そして今年の春、また課の花見の場所取りで、先輩と二人になりました。目黒川の桜は去年よりちょっとだけ早く咲いていて、ブルーシートの上で去年と同じような、くだらない雑談をしていました。先輩が急に妙な間を空けたあと、口を開きました。

「……いい人、見つけたんだけど。紹介しようか」

その表情の意味くらい、7年も見てきた私にはわかります。照れくさそうな、少し緊張したような顔。誰かできたんだな、というのが伝わってきました。

「もう間に合ってます」

笑ってそう返しました。私の恋は、あの夜にちゃんと終わらせてもらったので。


編集部プロフィール画像

編集部が運営。「あの夜」で読める恋の体験談を厳選して公開しています。