1. 一週間の戦場
僕、古賀直人、三十歳。
中堅の産業機械メーカーで、海外事業部にいる。
英語は、いちおう、話せる。商談くらいなら、なんとかなる。だから、海外案件の窓口を、ずっと任されてきた。
それが、急に、桁の違う話に、なった。
ドイツの同業大手と、合弁会社を作る。設計の技術を持ち寄って、新しい工場を、東南アジアに建てる。うちの会社にとっては、この十年で、いちばん大きな勝負だった。
その最終交渉が、六月の、ある一週間に、組まれた。
先方の役員が、五人、来日する。月曜から金曜まで、毎日、朝から晩まで、本社の大会議室で、条件を、一つずつ、詰めていく。
その実務の、最前列に、僕が、座ることになった。
笹本「古賀。今回の交渉、お前がメインで回せ。英語、いちばんできるんだから」
そう言ったのは、海外事業部長の、笹本さんだった。
古賀直人「……いや、笹本さん。さすがに、これは。役員レベルの交渉ですよ。僕の英語じゃ」
笹本「だから、通訳を入れる。プロの同時通訳だ。お前は、内容に集中しろ」
通訳、と笹本さんは言った。
正直、ほっとした。あの分量の、専門用語まみれの交渉を、自分の英語だけで乗り切れる自信は、なかった。
その夜から、僕の準備は、終電ぎりぎりまで、続くことになった。
2. ガラスの箱の人
交渉、初日の朝。
大会議室の、いちばん後ろの隅に、見慣れないものが、設置されていた。
ガラスの、小さなブース。中に、机と、椅子と、ヘッドセットが、一つ。防音の、簡易的な、通訳ブースだった。
その中に、一人の女性が、座っていた。
紺色の、落ち着いたスーツ。化粧気の薄い、整った横顔。長い髪を、低い位置で、きっちりとまとめている。机の上には、分厚い資料と、何本もの、色の違うペン。そして、水の入った、ペットボトルが、一本。
笹本「古賀。紹介する。今回の通訳の、神谷さんだ」
ブースのドアを開けて、女性が、立ち上がった。
神谷真琴「……神谷です。神谷真琴。よろしくお願いします」
声が、低くて、静かだった。けれど、不思議と、芯のある声。
古賀直人「海外事業部の、古賀です。……あの、今回、僕がメインで話すので、ご迷惑、おかけするかと」
神谷真琴「いえ。……私の仕事は、あなたの言葉を、運ぶことです。気にせず、いつもどおり、話してください」
僕は、ブースの中を、ちらりと見た。
机の上の資料には、僕が事前に送った、専門用語のリストが、あった。その余白が、彼女の手書きの、訳語で、びっしりと、埋まっていた。
古賀直人「……これ、全部、調べてくれたんですか」
神谷真琴「ええ。御社の機械の用語は、特殊なので。……訳を間違えたら、交渉が、壊れますから」
淡々と、彼女は言った。
その日、僕は、彼女の名前を、覚えた。
3. 耳元だけに届く声
交渉が、始まった。
先方の役員が、英語で、条件を、まくしたてる。
その瞬間、僕の右耳の、小さなイヤホンに、神谷さんの声が、届いた。
「……今の提案ですが、彼らは、出資比率を、五一対四九にしたいと言っています。経営の主導権を、握りたい、という意図です」
驚くほど、滑らかだった。先方が話している、その後ろから、ほとんど、間を置かずに、日本語が、流れ込んでくる。
同時通訳、というのは、こういうものか、と僕は、思った。
ただ、言葉を、置き換えるだけじゃない。相手が話し終わるのを、待たない。話している、まさにその裏側で、もう、訳が、追いついてくる。
しかも、神谷さんの訳は、ただ、正確なだけじゃ、なかった。
「……今、彼が『難しい』と言いましたが。声のトーンからすると、これは『絶対に無理』ではなく、『条件次第』という含みです」
イヤホンの、その一言で、僕の頭の中の、霧が、晴れた。
古賀直人(……そうか。まだ、交渉の余地が、ある)
英語のニュアンスを、文字どおりに、受け取っていたら、見逃していた。彼女は、言葉の奥にある、本音まで、すくい上げて、僕の耳に、届けてくれていた。
会議室には、何人もの人間がいた。けれど、その声は、僕の右耳にだけ、届いていた。
まるで、戦場の真ん中で、僕に一人だけ、味方がいるような。そんな、心強さだった。
4. 一人称で話す人
初日の交渉が、終わった。
役員たちが、ぞろぞろと、会議室を出ていく。へとへとになった僕は、椅子の背に、ぐったりと、もたれかかった。
ブースから出てきた神谷さんに、僕は、缶コーヒーを、差し出した。
古賀直人「……これ、よかったら。今日、本当に、助かりました」
神谷真琴「……ありがとうございます」
温かい缶を、両手で包んで、神谷さんは、ふっと、息をついた。さっきまでの、張りつめた横顔が、少しだけ、ほどけた。
古賀直人「あの、ずっと、気になってたんですけど。神谷さん、訳すとき、ぜんぶ『私は』って、言いますよね。先方の役員の言葉なのに」
神谷真琴「ああ……。同時通訳は、一人称で訳すんです。『彼が、こう言っています』じゃなくて、その人になりきって、『私は、こう思う』と」
古賀直人「なりきる……」
神谷真琴「ええ。そのほうが、速いし、伝わるので。……だから、私、一日中、自分じゃない、誰かの『私』を、しゃべってるんです」
ふと、その言葉に、寂しさのような色が、にじんだ気がした。
古賀直人「……自分の言葉は、しゃべらないんですか」
神谷真琴「仕事中は、しゃべりません。私の意見なんて、いらないので。……透明な、ガラスみたいに、ただ、言葉を、通すだけ」
そう言って、神谷さんは、自分のいた、ガラスのブースを、ちらりと、見た。
神谷真琴「あの箱の中に、いるときの私は。……たぶん、誰でもないんです」
その横顔から、僕は、目が、離せなくなっていた。
5. 夜の会議室
交渉は、二日目、三日目と、進んでいった。
論点が、込み入ってくる。技術の特許を、どちらが、どこまで持つか。利益を、どう分けるか。一つの言葉の、解釈の違いで、空気が、ぴりぴりと、張りつめる。
そのたびに、僕は、神谷さんの声に、救われた。
そして、夜。
役員たちが帰ったあとも、僕と神谷さんは、よく、会議室に、残った。翌日の論点を、すり合わせておくためだ。専門用語の、訳語の確認。先方の、ちょっとした口ぐせの、解釈。
その夜も、二人きりの会議室で、資料を、広げていた。
古賀直人「……神谷さん。毎晩、すみません。こんな時間まで」
神谷真琴「いえ。……むしろ、ありがたいです。明日の準備が、できるので」
古賀直人「神谷さんでも、準備、するんですね。あんなに、すらすら、訳せるのに」
神谷真琴「……すらすら、見えるのは。前の晩に、これだけ、調べてるからです」
そう言って、彼女は、付箋だらけの資料を、僕に、見せた。
僕が、何気なく使った言葉。専門用語。先方の、業界特有の言い回し。その一つ一つに、何通りもの、訳の候補が、書き込まれていた。
古賀直人「……すごい。ここまで」
神谷真琴「ガラスの箱の中で、誰でもない私になるためには。……外で、これだけ、自分を、すり減らさないと、だめなんです」
淡々と、彼女は言った。けれど、その手は、少しだけ、疲れて、見えた。
古賀直人「……神谷さん。あなたの言葉、ちゃんと、僕に、届いてますよ」
神谷真琴「え?」
古賀直人「透明な、ガラスなんかじゃない。神谷さんが、本音まで、すくって、届けてくれるから。僕、この交渉、立っていられるんです。……あれは、神谷さんの言葉です」
神谷さんが、しばらく、黙った。
それから、目を、伏せた。まとめた髪の隙間から見える、その耳が、ほんのり、赤かった。
神谷真琴「……そんなふうに、言ってくれた人。初めてです」
6. 交渉が、決裂しかけた日
四日目。
交渉は、最大の山場を、迎えた。
利益配分の話で、先方が、急に、強硬になった。テーブルを、囲む空気が、一気に、凍りついた。先方の主席役員が、立ち上がりかけて、早口で、何かを、まくしたてる。
僕の英語力では、追いつかない、速さだった。
頭が、真っ白になりかけた、その瞬間。
イヤホンに、神谷さんの、落ち着いた声が、届いた。
「……彼は今、『この条件では、話にならない』と言っています。でも、古賀さん。よく聞いてください。彼の声、最後だけ、少し、上ずっています。……これは、本気の決裂じゃ、ありません。揺さぶりです」
古賀直人(……揺さぶり)
「ここで、こちらが折れたら、足元を見られます。……一度、深呼吸して、データで、返してください。感情には、感情で、返さないで」
その声が、凍りついた頭を、すっと、冷やしてくれた。
僕は、震える手で、用意してあった、コスト試算の資料を、テーブルに、広げた。
古賀直人「……落ち着いて、数字で、話しましょう。この配分が、両社にとって、長期で、最も合理的です」
ゆっくりと、英語で、言った。神谷さんが、それを、淀みなく、先方へ、運んでいく。
先方の役員が、僕の出した試算を、じっと、見た。
長い、沈黙のあと。
笹本「……古賀。今ので、空気、変わったぞ」
隣で、笹本さんが、小さく、囁いた。
立ちかけていた、先方の主席役員が、椅子に、座り直した。揺さぶりは、止まった。
交渉は、決裂の、一歩手前で、また、テーブルに、戻ってきた。
7. 合意の、サイン
そして、五日目。最終日。
朝から、最後の、詰めが、続いた。
残っていた論点が、一つ、また一つと、片づいていく。神谷さんの声が、相手の本音を、すくい続け、僕は、その声を頼りに、一歩ずつ、合意へ、近づいていった。
夕方。
すべての、条件が、まとまった。
合弁の、基本合意書。その最後のページに、うちの社長と、先方の主席役員が、並んで、サインを、する。
ぱちぱち、と、会議室に、拍手が、起きた。
笹本「……やったな、古賀。よく、まとめた」
笹本さんが、僕の肩を、ぐっと、掴んだ。声が、少し、震えていた。
古賀直人「……僕、一人じゃ、無理でした。神谷さんが、いてくれたから」
先方の役員たちと、握手を、交わす。一週間、戦った相手が、最後は、笑顔だった。
役員たちが、迎えの車へ、向かう。社長も、笹本さんも、打ち上げの会場へ、と、ぞろぞろ、出ていく。
笹本「古賀。お前も、あとで、来いよ。主役なんだから」
古賀直人「……はい。少し、片づけてから」
そう言って、僕は、会議室に、残った。
気づくと。
広い大会議室に、僕と、神谷さんだけが、残されていた。
8. 通訳じゃない、言葉
神谷さんは、ガラスのブースの中で、ヘッドセットを、外していた。
一週間、彼女が、誰でもない誰かになって、座り続けた、その箱。
古賀直人「……神谷さん。お疲れ様でした。本当に、ありがとうございました」
神谷真琴「……お疲れ様でした。古賀さん」
ブースから、出てきて、彼女は、今週初めて、仕事の顔を、すっかり、ほどいた。
神谷真琴「……まとまって、よかったです。あの四日目、私、本当に、ひやひやしました」
古賀直人「あのとき、神谷さんの声がなかったら。僕、完全に、飲まれてました」
神谷真琴「ふふ。……古賀さんが、ちゃんと、踏みとどまったからですよ」
そう言って、彼女は、少しだけ、笑った。
僕は、その笑顔を見て、もう、止められなくなっていた。
古賀直人「……神谷さん。この一週間、ずっと、神谷さんの声、聞いてました」
神谷真琴「……はい」
古賀直人「明日から、それが、なくなるの。……僕、すごく、寂しいです」
静かな会議室に、僕の声だけが、響いた。
神谷真琴「……古賀さん」
古賀直人「仕事じゃ、なくて。……神谷さんに、また、会いたい。あなたの、本当の声で、話したい」
神谷さんが、しばらく、僕を、見つめた。
それから、ゆっくりと、僕の、すぐ前まで、来た。
神谷真琴「……私、一週間ずっと、誰かの『私』を、しゃべってきました。……でも、今から言うのは」
彼女が、僕を、まっすぐ、見上げた。いつも、淡々としている瞳が、潤んで、揺れていた。
神谷真琴「……通訳じゃ、ありません。私の、言葉です。……私も、あなたに、また、会いたい」
その瞬間、胸の奥が、いっぱいに、なった。
僕は、彼女の頬に、そっと、手を伸ばした。
神谷さんは、逃げなかった。目を閉じて、ほんの少し、顔を、上向けた。
僕は、ゆっくりと、唇を、重ねた。
ちゅっ。
神谷真琴「……ん」
柔らかくて、少しだけ、震えていた。
9. 灯りを落として
大会議室の、照明を、半分だけ、落とした。
窓の外には、六月の、夜の街が、にじんでいる。一週間、戦い続けたフロアは、誰もいなくなって、しんと、静まり返っていた。
僕は、神谷さんを、壁際の、長いソファへ、そっと、座らせた。
神谷真琴「……こんな、会社の会議室で。……いけない、大人ですね、私たち」
古賀直人「……ここが、いいんです。一週間、二人で、戦った場所だから」
神谷真琴「……ふふ。なにそれ」
笑った彼女の唇に、もう一度、口づける。
低い位置でまとめた髪の、結び目を、そっと、ほどいた。長い髪が、肩に、さらりと、落ちる。
ずっと、きっちりと結んでいた人が、急に、無防備に見えて、僕は、息を、呑んだ。
古賀直人「……綺麗です」
神谷真琴「……言わないで、ください。恥ずかしい」
スーツのジャケットを、肩から、そっと、滑らせる。ブラウスのボタンを、一つずつ、外していく。
白い肌が、半分落とした灯りに、ほんのり、照らされる。落ち着いたスーツの下に、隠れていた体は、思っていたよりも、ずっと、女らしかった。
神谷真琴「……あんまり、見ないで」
両腕で、胸元を、隠そうとする。
その手を、僕は、そっと、どけた。
背中に手を回して、ホックを、外す。
かちり、と。
神谷真琴「……っ」
ふるん、と、白い胸が、こぼれた。
僕は、その柔らかさを、両手で、そっと、包んだ。
神谷真琴「ん……っ」
古賀直人「……柔らかい」
神谷真琴「……いちいち、言わないで……っ」
口では、そう言うのに、彼女の息は、もう、少し、上がっていた。
指の先で、つんと色づいた先端に、触れると、体が、びくっと、跳ねた。
神谷真琴「ひゃっ……そこ……っ」
古賀直人「ここ、弱いんですか」
神谷真琴「……知らない、です……っ」
僕は、片方の先端を、口に、含んだ。
ちゅっ……れろっ……
神谷真琴「あっ……ん……っ」
一週間、あんなに、よどみなく、言葉を運んでいた人が。
今は、甘くて、頼りない声を、こぼしている。
そのギャップに、僕は、たまらなくなった。
舌で先端を転がしながら、もう片方の胸を、やわやわと、揉む。
神谷真琴「古賀さん……っ、それ……だめ……っ」
神谷さんの太ももが、もじもじと、すり合わさっている。
僕は、そっと、スカートの中へ、手を、滑らせた。
古賀直人「……脱がせて、いいですか」
神谷真琴「……っ、はい」
スカートを下ろすと、白い下着だけに、なった。
その中心は、もう、しっとりと、湿りはじめていた。
布越しに、そっと指でなぞると。
神谷真琴「んっ……」
彼女の腰が、ぴくんと、跳ねた。
古賀直人「……もう、濡れてます」
神谷真琴「……言わないで、って……っ。だって、古賀さんが……」
恥ずかしそうに、顔を背ける、その横顔が、たまらなく、可愛かった。
僕は、最後の一枚を、ゆっくりと、脱がせた。
半分落とした灯りの中で、しっとりと濡れたそこが、ほのかに、光っていた。
指で、優しく、敏感な突起を、撫でる。
くちゅ、と、小さな水音がした。
神谷真琴「あっ……♡」
古賀直人「気持ち、いいですか」
神谷真琴「……っ、うん……っ♡」
円を描くように撫でながら、指を、ゆっくり、中へ、滑らせた。
ずぷ、と。
神谷真琴「んあっ……♡」
熱くて、きつい中が、僕の指を、きゅっと、締めつける。
神谷真琴「古賀さん……っ♡ だめ……それ……っ♡」
古賀直人「いいですよ。……我慢、しないで」
神谷真琴「やっ♡ 見ないで……っ♡♡」
指の動きを速めると、彼女の体が、ぐっと、反った。
神谷真琴「あっ♡ あっ♡ ——っ♡♡♡」
びくびく、と腰が震えて、中が、きゅうっと、締まる。
息を切らせる神谷さんの額に、汗で張りついた髪を、僕は、そっと、よけてやった。
10. 重なる二人
神谷真琴「……はぁ……っ。古賀さんも……」
神谷さんが、潤んだ目で、僕を、見上げた。
神谷真琴「……私だけ、なんて。ずるい、です」
僕は、避妊具をつけて、彼女の脚の間に、体を、進めた。
熱く張りつめたものを、濡れた入り口に、あてがう。
古賀直人「……いきます」
神谷真琴「……はい。来て、ください」
ゆっくりと、腰を、進めた。
ずぷ……っ♡
神谷真琴「んっ……あぁ……っ♡♡」
先端が入った瞬間、神谷さんが、僕の背中に、しがみついた。
きつい。でも、とろとろに濡れているから、彼女の中は、僕を、奥まで、ゆっくりと、受け入れていく。
ずず……っ
神谷真琴「あ……っ♡ 奥……来てる……っ♡」
古賀直人「……神谷さんの中、すごく、熱い」
根元まで収まって、僕は、一度、深く、息を、吐いた。
繋がった場所から、ガラス越しに聞いていた、その距離が、じんわりと、埋まっていく。
古賀直人「……動いて、平気ですか」
神谷真琴「……うん。来て、ください……っ」
ゆっくりと、動きはじめた。
ずちゅ……ぱちゅ……
神谷真琴「あっ♡ ん……っ♡」
誰もいない、夜のオフィス。一週間、英語と日本語が、飛び交った、大会議室。
その静けさに、彼女の甘い声と、肌の触れ合う音が、混ざっていく。
古賀直人「神谷さん、気持ち、いいですか」
神谷真琴「……っ♡ うん……っ♡ すごく……っ♡」
古賀直人「僕も。……ずっと、こうしてたい」
神谷さんが、僕の首に腕を回して、自分から、唇を、求めてきた。
キスをしながら、奥を突くたびに、彼女の体が、跳ねる。
ぱちゅ……ぱちゅ……ぱちゅっ♡
神谷真琴「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 奥、当たるの……っ♡♡」
古賀直人「ここ、好きですか」
神谷真琴「っ♡♡ 好き……っ♡ 古賀さんの……好き……っ♡♡」
それが、体のことなのか、僕自身のことなのか。たぶん、どっちも、だった。
神谷真琴「……名前で、呼んで、ください……っ♡」
古賀直人「……真琴さん」
神谷真琴「……っ♡♡」
名前を呼ぶと、彼女の中が、きゅうっと、締まった。
古賀直人「真琴さん。……あなたに、会えて、よかった」
神谷真琴「……私も……っ♡ 直人さん……っ♡」
僕の名前を、彼女が、初めて、呼んでくれた。一週間、誰でもない誰かを、しゃべってきた、その口で。
それだけで、胸の奥が、いっぱいに、なった。
ソファが、小さく、軋む。
半分落とした灯りの中、二人の声が、満ちていく。
神谷真琴「直人さん……っ♡ もう……っ♡」
古賀直人「僕も……っ。一緒に」
神谷真琴「うん……っ♡ 一緒が、いい……っ♡」
僕は、真琴さんを、ぎゅっと抱きしめて、最後の律動を、速めた。
ぱちゅぱちゅぱちゅっ♡♡♡
神谷真琴「あっ♡ あっ♡ イクっ……♡ 直人さん、一緒に……っ♡♡」
古賀直人「……っ、真琴さんっ」
ぱちゅんっ——♡♡♡
神谷真琴「あぁぁ……っ♡♡♡」
奥で、僕が震えるのを、真琴さんの体が、ぎゅうっと締めつけながら、受け止める。
二人で、同じ波に、さらわれた。
汗ばんだ体が、ぴったり重なったまま、しばらく、動けなかった。
神谷真琴「……はぁ……っ。……こんなの、初めてです」
古賀直人「……真琴さん」
神谷真琴「ん……?」
古賀直人「明日から、神谷さんの声が、聞けないなんて。……もう、耐えられません」
真琴さんが、ふっと、笑った。
神谷真琴「……当たり前です。……次は、イヤホン越しじゃ、嫌ですよ」
そう言って、僕の胸に、頬を、すり寄せた。
11. 訳のいらない、ひとこと
数日後。
打ち上げの片づけも済んで、合弁の話は、無事に、次の段階へ、進みはじめた。
僕と真琴さんは、会社の外で、ちゃんと、会った。
仕事じゃない、夜。ガラスのブースも、イヤホンも、ない。テーブルを挟んで、彼女の声が、まっすぐ、僕の耳に、届く。
古賀直人「……こうやって、普通に、話すの。なんだか、不思議です」
神谷真琴「ふふ。……私も。仕事のときは、ずっと、誰かの言葉を、運んでばかりだったから」
古賀直人「これからは、自分の言葉、ちゃんと、聞かせてくださいね」
神谷真琴「……はい。あなたには、ちゃんと」
そう言って、真琴さんは、僕の手を、きゅっと、握った。
何本ものペンを握り、何万もの言葉を運んできた、その手は、少しだけ、ペンだこがあって、けれど、とても、あたたかかった。
神谷真琴「ねえ、直人さん」
古賀直人「はい」
そして、彼女は、僕の耳元に、そっと、唇を寄せて。
低くて、静かな、けれど、芯のある声で。
外国語の、短いひとことを、囁いた。
古賀直人「……今の、どういう意味ですか」
真琴さんが、ふふっと、笑った。
神谷真琴「……教えません」
古賀直人「えっ。プロの通訳が、訳してくれないんですか」
神谷真琴「あれは、訳しません。……私が、誰かの言葉じゃなくて、自分のために、初めて言った、ひとことだから」
古賀直人「……ずるいですよ、それ」
神谷真琴「ふふ。……いつか、ちゃんと、日本語で、言ってあげます。直人さんにだけ」
一週間、ガラスの箱の中で、誰でもない誰かに、なり続けた人。
人の言葉を、本音まで、こぼさずに、すくい上げて、運んできた人。
その人が、今、僕の隣で、自分の声で、笑っている。
古賀直人「……真琴さん。これからも、よろしくお願いします」
神谷真琴「こちらこそ。……直人さん」
六月の、夜の街を、二人で、歩いた。
いつか、彼女が、日本語にして、教えてくれるという、あのひとことを。
僕は、たぶん、もう、訳さなくても、わかる気がした。
― 終 ―