フェリーのデッキに立つと、潮の匂いに、もうひとつ別の匂いが混じっていた。
甘くて、青くて、どこか懐かしい——みかんの花の匂いだ。
私、篠原凪沙(しのはらなぎさ)、二十八歳。東京の制作会社でグラフィックデザイナーをしている。今日は十年ぶりに、生まれ育った瀬戸内の港町に帰ってきた。観光でも、帰省でもない。母が春から施設に入って、誰も住まなくなった実家を片付けるためだ。世間でいう「実家じまい」というやつ。一週間の休みを取って、私はひとりで島へ渡った。
(……何も、変わってないな)
防波堤の赤い灯台。斜面にびっしりと張りついた家並み。その上に段々と続く、みかん畑。六月の島は、山じゅうのみかんの木が一斉に小さな白い花をつけて、坂を上るたびに、むせ返るくらい甘い匂いがした。
高校を出て島を離れてから、私はほとんど帰っていなかった。仕事を覚えるのに必死で、東京の暮らしに馴染むのに必死で。母とは電話で十分だと思っていた。——思おうとしていた。
坂の途中で足を止めて、私は港を見下ろした。十八の春、このフェリー乗り場で、私は誰にも本当の気持ちを言えないまま、島を出た。
その「誰か」の顔が、今でもはっきり浮かぶのが、自分でも少し、ずるいと思う。
実家は、坂をいちばん上まで登りきった、みかん畑のすぐ脇にあった。
鍵を開けて中に入ると、埃と、線香と、母の使っていた化粧水の匂いがした。電気を点けて、雨戸を開けて回る。十年分の時間が止まったような居間に、初夏の光が差し込んだ。
(一週間で、ぜんぶ片付くかな……)
途方に暮れて縁側に座っていると、外から声がした。
「——凪沙? 凪沙やろ?」
聞き覚えのある声に、心臓が、ことんと鳴った。
振り返ると、庭先の生け垣の向こうに、男の人が立っていた。日に焼けた肌。作業用のつなぎの袖をまくって、首にタオルをかけている。手には、収穫用のかごと、剪定鋏。
その顔を見た瞬間、私は、息をするのを忘れた。
桐生航(きりゅうわたる)。私と同い年、二十八歳。幼稚園から高校まで、ずっと一緒だった幼馴染。家が隣のみかん農家で、子どもの頃は毎日のように、この坂を一緒に駆け上がった。
そして——十八のとき、私が、好きだと言えなかった相手。
「……航? え、航なの?」
「おお、やっぱり凪沙や。久しぶりやなあ。十年ぶりくらい?」
「……うん。十年、ぶり」
声が、少しだけ震えた。最後に会ったときは、まだお互い高校生で、線の細い少年だった。それが今は、肩幅も、腕も、声も、すっかり大人の男の人になっている。日に焼けた顔で笑うと、目尻に皺が寄って、その笑い方だけが、昔のままだった。
(……変わったな。ううん、変わってないのか。わかんない)
胸の奥が、変な具合に騒いでいた。
航は、生け垣を回り込んで、庭に入ってきた。
「おばちゃん、施設入らはったんやってな。うちの母さんから聞いた。……それで、片付けに?」
「うん。家、売ることになって。一週間で、全部やらなきゃいけなくて」
「ひとりで? あの量を?」
航が、開け放した窓から見える、物だらけの居間を覗き込んで、眉を上げた。タンスも、仏壇も、押し入れいっぱいの荷物も、母が暮らしたままだ。
「……うん。まあ、なんとか」
「なんとかなる量ちゃうやろ、これ。手伝うわ」
「えっ、いいよ。航だって、仕事あるでしょ。みかん」
「今は花の時期で、収穫ほどは忙しないんよ。摘果と消毒だけやから、夕方には手空くし」
航は、当たり前みたいにそう言って、つなぎの袖をさらにまくった。
「重いもん、女ひとりじゃ無理やろ。明日から、夕方来るわ」
「……ありがとう。ほんとに、助かる」
昔から、こうだった。航は、いつもさらっと手を差し出してくる。私が困っていると、何も言わなくても、隣に立っている。その「当たり前」に、私は十八のとき、どうしようもなく惹かれていたのだ。
帰り際、航は思い出したように振り返った。
「そや、これ。うちの畑の、晩生のやつ。冷蔵庫に残っとった」
差し出されたのは、紙袋いっぱいのみかんだった。受け取ると、ひんやりして、ずっしり重い。
「東京のみかんより、甘いはずやで」
「……うん。知ってる。航んちのみかん、昔から一番甘かった」
そう言うと、航は一瞬、虚を突かれたような顔をして、それから、照れたように笑った。
「覚えとったんか、そんなこと」
「……覚えてるよ。そりゃ」
覚えているに決まっている。あなたのことなら、だいたい全部。——そう言えたら、どんなにいいだろう。私は紙袋を抱えて、坂を下っていく航の背中を、ずっと目で追っていた。
(……だめだ。気づいたら、目で追ってる)
十年で東京の人間になったつもりだったのに。島の坂道で、私はあっという間に、十八の自分に戻っていた。
翌日から、航は宣言どおり、夕方になると実家に来てくれた。
つなぎから普段着に着替えて、軽トラで坂を上ってくる。二人で、タンスを運び出し、押し入れの段ボールを開け、要るものと要らないものを分けていく。母の若い頃のアルバムが出てきたり、私が小学校で作った下手な工作が出てきたりして、そのたびに手を止めて、笑った。
「うわ、これ凪沙が作ったやつやろ。粘土の。なんやこの、潰れたカエルみたいなん」
「カエルじゃない! 犬! 当時ちゃんとしてたの!」
「どう見てもカエルやって」
くだらないことで言い合って、お腹を抱えて笑う。十年のブランクなんて、最初の三十分で消えてしまった。航といると、空気が、ただ呼吸するみたいに自然だった。
汗をかいた航が、Tシャツの袖で額を拭う。その腕の筋や、首筋を流れる汗を、私はつい目で追ってしまって、慌てて視線を逸らした。
(……いや、何見てんの、私)
日が傾くと、二人で縁側に座って、航の持ってきた缶コーヒーを飲んだ。みかんの花の匂いが、夕風に乗って流れてくる。眼下の港が、だんだんオレンジ色に染まっていく。
「凪沙、東京、どうなん。楽しいか」
「……どうだろ。楽しい、のかな。忙しいよ、すごく」
「デザイナー、なるって言うてたもんな。高校んとき」
「よく覚えてるね、そんなの」
「覚えとるよ。凪沙の言うこと、だいたい」
さらっと言われて、私は手の中の缶を、ぎゅっと握った。さっき私が思ったのと、同じことを、航が言う。胸の奥が、きゅうっとなる。
「俺は、結局、島に残ったわ。親父が腰やって、みかん継ぐことになって。——でも、後悔はしとらん。この景色、嫌いになれんしな」
夕日に目を細める航の横顔を、私は見ていた。十八の頃の、線の細い少年は、もういない。自分の選んだ場所で、ちゃんと根を張って生きてきた、大人の男の人がそこにいた。
(……かっこいいな、この人)
そう思ってしまった自分に、私は内心、うろたえていた。
四日目の夕方、片付けがひと段落したところで、玄関ががらりと開いた。
「凪沙ーっ! 帰ってきたって、ほんま!?」
飛び込んできたのは、同級生の真希だった。今は港の食堂を継いで、女将をやっているらしい。高校のとき、いちばん仲が良かった子だ。
「真希! 久しぶり!」
「久しぶりやないわ、連絡くらいしぃや! ——って、あれ?」
真希が、私の隣にいる航に気づいて、にやりと笑った。
「なんで航がおるん。しかも、二人でええ感じに並んで」
「片付け手伝うとるだけや。変なこと言うなや」
「ふ〜ん? 航、毎日凪沙んち通ってるって、近所で噂になっとるで」
「……っ、近所の情報網、こわいわ」
航が、わかりやすく目を泳がせた。その反応に、私のほうが、かえってどきりとする。
真希は、私の耳元に顔を寄せて、こそっと囁いた。
「あんたら、高校んとき、絶対お互い好きやったやろ。みんな気づいてたで」
「……っ、な、何それ」
「航、あんたが島出てから、しばらく腑抜けみたいになっとったもん。今がチャンスやで、女将はそう思うね」
そう言い残して、真希は「明日、食堂おいでや! おごったる!」と笑って、嵐みたいに帰っていった。静かになった居間で、私と航は、なんとなく、目を合わせられなくなっていた。
(……腑抜けみたいに、なってた? 航が?)
知らなかった事実が、胸の中で、小さな熱を持ち始めていた。
最終日の前の日。荷物はほとんど片付いて、家は、がらんとしていた。
夕方、航が「最後に、見せたいもんがある」と言って、私を軽トラに乗せた。坂をぐんぐん上って、たどり着いたのは、島でいちばん高い場所にある、桐生家のみかん畑だった。
「ここ、覚えとる?」
「……覚えてるよ。子どもの頃、よく二人で来た」
斜面いっぱいに広がる、みかんの木。今は、白い花が満開で、あたり一面が、咽せ返るくらい甘い匂いに包まれていた。眼下には、夕日に溶けていく瀬戸内の海。風がぴたりと止んで、海面が鏡みたいに凪いでいる。
「夕凪や。この時間だけ、風が止まるんよ。昼の海風と、夜の山風が入れ替わる、その間(あいだ)に」
「……きれい」
世界が、息を止めたみたいに、静かだった。みかんの花の香りと、夕焼けと、凪いだ海。私は、こんな景色を、十年も忘れて生きていたのか。
隣に立つ航が、ぽつりと言った。
「凪沙。俺な、ずっと、言えへんかったことがある」
「……うん」
「高校んとき。お前が島出るって決めた日。俺、ほんまは、行ってほしくなかった」
夕凪の中で、航の声だけが、まっすぐ届いた。
「好きやったんよ。凪沙のこと。ずっと。——でも、夢があるお前を、島に縛りつけるみたいで、言えへんかった。応援する、としか、言えへんかった」
その言葉に、十年間ずっと胸の奥に沈めていたものが、一気に、せり上がってきた。
「……ずるいよ」
「え」
「私だって、ずっと好きだったよ。航のこと。言えないまま、島出たの。あの日、フェリーで、ほんとは、追いかけてきてほしかった」
言い終わると、視界が、じわりと滲んだ。十年間、誰にも——自分にすら、言わなかった本音だった。
「……なんやそれ。俺ら、二人とも、アホやん」
「……ほんとだよ。バカみたい」
航の手が、そっと私の頬に触れた。節くれだった、温かい手。みかんと、土と、夕陽の匂いがした。
「凪沙。十年遅れたけど、言わせて。——好きや。今も、ずっと」
「……うん。私も。ずっと、ずっと、好きだった」
夕凪の畑で、航の顔が、ゆっくり近づいてきた。私は、目を閉じた。
ちゅ、と。
「ん……っ」
唇が触れた瞬間、十年分の距離が、溶けていく気がした。みかんの花の匂いに包まれて、私たちは、何度も唇を重ねた。一度離れて、目を合わせて、どちらからともなく、もう一度、もっと深く。
ちゅ……ちゅぷ……
「は……ん……っ」
唇の隙間から舌が触れて、私はおずおずと、それに応えた。逃げる気なんて、もう、これっぽっちもなかった。
「……うち、来るか。今、誰もおらん。親、温泉旅行で出てて」
唇を離して、航が、かすれた声で言った。私は、こくんと頷いた。明日のことも、東京のことも、全部、夕凪の海に流してしまいたかった。今はただ、十年前に取れなかったこの手を、ちゃんと、握っていたかった。
航の家の、二階の部屋。子どもの頃、何度も遊びに来た部屋なのに、今はまるで知らない場所みたいに、心臓がうるさかった。航が、私の手を引いて、ベッドの縁にそっと座らせる。隣に座った彼の体温が、肩から、じんわり伝わってきた。
「緊張しとる?」
「……してる。だって、航だよ。あの航と、こんなの……」
「俺もや。……凪沙が嫌なら、やめる」
「やめないで」
自分でも驚くくらい、はっきり言えた。航が、少し目を見開いて、それから、優しく笑う。その笑顔のまま、もう一度、唇が重なった。今度のキスは、さっきよりずっと深くて、熱かった。
ちゅぷ……れろ……ちゅ……
「ん……ふ……っ」
キスをしながら、航の手が、私のブラウスのボタンを、一つ、また一つと外していく。その手つきが、あんまり優しくて、急かされないことに、かえって体の奥が疼いた。ブラウスが、肩からするりと落ちる。
「……きれいや。凪沙」
「やだ、見ないで……明るいよ……」
「見たい。十年、想っとったんやから」
恥ずかしくて顔を背けたのに、その言葉に、胸の奥が甘く締めつけられた。航の唇が、首筋に降りてくる。
ちゅ……ちゅっ……
「ん……っ」
鎖骨に、肩に、彼の唇が落ちるたびに、肌がぴくんと震える。ブラのホックが外されて、胸が、彼の前にこぼれ出た。航の大きな手が、それをそっと包む。
「あ……っ」
「やわらかい……」
「もう……いちいち言わないでってば……っ」
やわやわと、形を確かめるように揉まれて、私は枕に顔を埋めたくなる。指の腹が、つんと立ちはじめた先端をかすめると、体がびくっと跳ねた。
「ひゃ……っ、そこ……っ」
「ここ、弱いんか」
「……言わ、ないでっ……」
口では強がるのに、航が先端を口に含んで、舌で転がしはじめると、もうだめだった。
れろ……ちゅ……ちゅうっ……
「あ……っ、ん……っ♡ やぁ……っ♡」
甘い声が、勝手に漏れる。気持ちいい。十年想い続けた人に、こうして触れられているのが、信じられないくらい、嬉しかった。胸を愛撫されながら、もう片方の手が、私の腿の内側を、ゆっくり撫で上げていく。
「ん……っ♡」
「力、抜き。……痛いことはせえへんから」
その声に、自然と体の力が抜けた。航の指が、ショーツの上から、私のいちばん敏感なところに触れる。
「あっ……♡」
布越しでも、もうそこが熱を持っているのが、自分でもわかった。指がそっと撫でるたびに、腰が小さく揺れてしまう。やがてショーツが脱がされて、航の指が、直接そこに触れた。
くちゅ、と。
「ひゃ……っ♡」
「……もう、こんなに濡れとる」
「言わないで……っ♡ キスの、ときから……っ♡」
恥ずかしさで消えたいのに、航の指は優しい。敏感な突起を、指の腹でくるくると円を描くように撫でられて、私は彼の腕にしがみついた。
くちゅ……くちゅ……
「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡」
指の動きに合わせて、腰が勝手にくねる。気持ちよくて、頭の芯が、とろけていく。
「中、触るで」
「……うん♡」
長い指が、ゆっくりと、私の中に沈んでくる。
ずぷ……
「んあっ♡♡」
熱い。きゅうっと、自分のなかが、彼の指を締めつけるのがわかった。航が、ゆっくりと指を出し入れしながら、お腹側の、ざらついたところを探り当てる。
ぐちゅ……ぐちゅっ……
「ひぃっ♡♡ そこ、だめっ♡♡ なんか、来ちゃう……っ♡♡」
「いいよ。いって」
指でそこを擦りながら、親指で、敏感な突起も同時に転がされる。
「あっ♡♡ 両方は……っ♡♡♡ おかしくなるっ……♡♡」
体が、がくがくと震え始めた。お腹の奥が、ぎゅうっと収縮する。
「いくっ♡♡♡ 航っ♡♡♡ いっちゃうっ……♡♡♡♡」
びくんっ♡♡♡
きゅうぅぅっと指を締めつけて、私は、あっけなく達してしまった。力が抜けて、ベッドに沈み込む。
「はぁ……っ♡ はぁ……っ♡♡」
「……かわいい。凪沙」
「……からかわないで♡」
息を整えながら、私は、潤んだ目で航を見上げた。今度は、私の番だ。
「航も……気持ちよく、なって」
震える指で、彼のベルトに手を伸ばす。下着を下ろすと、もう硬くなったものが、勢いよく飛び出した。
「……っ、大きい……♡」
「凪沙が、えろすぎるからや」
「……もう♡」
細い指で、根元をそっと握る。ゆっくり手を動かしてから、顔を近づけて、先端に、ちゅっとキスを落とした。
「……っ」
舌を出して、ぺろぺろと舐める。それから、口を大きく開けて、ぱくっと咥えこんだ。
ずぷっ……ちゅぱっ……じゅるっ……
「ん……っ♡ んむっ♡」
頭を、ゆっくり上下に動かす。十年想い続けた人を、こうして口で愛しているのが、たまらなく幸せだった。
「凪沙、待って。このままやと、出てまう」
口を離すと、唾液の糸が、つうっと引いた。私は、上目遣いで、航を見上げる。
「……航が、欲しい♡」
「俺もや」
(十年越しの、初めて。この人と、ちゃんと、ひとつになりたい)
航が、私をそっとベッドに横たえた。脚の間に、彼が身を置く。先端が、もうぬるぬるになった入り口に、くちりと触れた。
「ゴム、つけるな」
「……うん♡」
航が、ゆっくりと、腰を進めてきた。
ずぷ……ずずっ……
「ぁあっ♡♡♡」
熱くて、硬いものが、私のなかを、奥まで満たしていく。きゅうぅっと、自分のなかが、彼を締めつけるのがわかった。
「……っ、凪沙の中、すごい」
「航の……っ♡ 奥まで、来てる……♡♡」
隙間なく、彼に満たされて、私は、彼の背中に腕を回した。十年。やっと、この人とひとつになれた。それだけで、涙が出そうだった。
「動くで」
「うん……っ♡」
ずちゅっ♡ ずちゅっ♡♡
「あっ♡♡ あっ♡♡ んっ♡♡♡」
ゆっくりだった律動が、だんだん速くなる。
ぱんっ♡ ぱんっ♡ ぱんぱんっ♡♡
「航っ♡♡ 気持ちいいっ……♡♡♡」
「俺も。凪沙の中、最高や」
奥を突かれるたびに、目の前が、ちかちかする。子どもの頃から知っている航が、私の上で、汗を流して、私を求めている。その事実だけで、おかしくなりそうだった。
「やだっ♡♡ 私、こんな……っ♡♡♡」
「ええよ。乱れてる凪沙、めちゃくちゃかわいい」
「言わないでっ♡♡♡ 恥ずかしいのに、止まんないっ……♡♡♡」
私の脚が、自然と、彼の腰に巻きついた。もっと奥へ、と求めるみたいに。
「航っ♡♡ もっとっ♡♡ もっと、ぎゅってして……っ♡♡♡」
航が、私を強く抱きしめて、さらに深く突き上げてくる。
ぱんっぱんっぱんっぱんっ♡♡♡♡
「奥っ♡♡♡ 奥に当たるっ……♡♡♡♡」
ベッドが、ぎしぎしと軋む。みかんの花の匂いがかすかに漂う部屋に、二人の荒い息と、肌のぶつかる音が満ちていく。
「またっ♡♡♡ 来ちゃうっ……♡♡♡ 航っ、私、また……っ♡♡♡♡」
「一緒に。俺も、もう……っ」
「うんっ♡♡♡ 一緒にっ♡♡♡♡ 航と、一緒がいいっ……♡♡♡♡」
ぱんぱんぱんぱんっ♡♡♡♡♡
「いくっ♡♡♡♡ もうっ♡♡♡♡ いっちゃうっ……♡♡♡♡♡」
「凪沙……っ、出すぞ……っ」
「来てっ♡♡♡♡ 全部、ちょうだいっ……♡♡♡♡♡」
ずんっずんっずんっ♡♡♡
「イクッ♡♡♡♡♡」
「……っ!」
びゅるっ♡♡ びゅるるっ♡♡♡ どくどくっ♡♡♡♡
「んんんっ♡♡♡♡♡♡」
私のいちばん奥に、熱いものが、どくどくと注ぎ込まれる。その熱さに、私の体は、びくびくと痙攣して、彼を、きゅうぅっと締めつけた。
「はぁ……っ♡♡ あったかい……♡♡♡」
汗ばんだ航の胸に、私はぴったりと抱きついた。心臓の音が、二つ、重なって聞こえる。
「凪沙……」
「ん……?」
「……十年、長かったな」
「……うん。ほんとに、長かった」
繋がったまま、私たちは、何度も、何度も、軽くキスを交わした。
気がつくと、窓の外は、すっかり夜になっていた。
二人で毛布にくるまって、私は航の腕の中にいた。開けた窓から、夜の山風が入ってきて、みかんの花の匂いを、そっと運んでくる。
「凪沙。……明日、帰るんやろ。東京に」
その言葉に、私の胸が、ちくりと痛んだ。実家は片付いた。仕事も、東京にある。私は、明日のフェリーで、また島を出る予定だった。
「……うん」
「……そうか」
航は、それ以上、何も言わなかった。引き止めない。十年前と、同じだ。私の人生を、私の選択を、いつだって尊重してくれる。その優しさが、今は、たまらなく切なかった。
私は、彼の腕の中で、ずっと考えていた。
(……また、同じことを繰り返すの? 私)
十年前、私は、好きだと言えないまま、この島を出た。そして、十年、後悔した。今、やっと手に入れたものを、また、自分から手放すの?
東京の仕事は、好きだ。でも、私の仕事は、もう、どこにいてもできる。リモートで回している案件も、増えてきた。この島から通えない距離じゃ、ない。何より——もう、この人と、離れたくなかった。
私は、毛布の中で、彼の手を、ぎゅっと握った。
「……ねえ、航」
「ん?」
「私、実家、売るのやめようかな」
「……え?」
「あの家、片付けたばっかりで、きれいだし。……私の仕事、今、半分くらいはリモートでできるの。東京には、月に何回か通えばいい。だから——」
航が、がばっと身を起こして、私の顔を覗き込んだ。その目が、信じられないものを見るみたいに、揺れている。
「だから、私、ここで暮らそうかなって。この島で。……航の、隣で」
「……ええんか。仕事、夢、あるやろ」
「夢は、続けるよ。場所を変えるだけ。——十年前は、夢か、航か、どっちかだと思ってた。でも、違った。今なら、両方、選べる」
言いながら、私は、自分の声が、震えていないことに気づいた。十年前みたいに、迷ってなんかいない。これは、私が、ちゃんと自分で選んだ答えだった。
「もう、後悔したくないの。航の隣にいられないこと、私、十年も後悔したから」
航の目に、みるみる、涙が盛り上がった。
「……っ、ずるいわ、ほんま。お前、いっつも、肝心なとこで、俺の負けや」
そう言って、航は、私を、痛いくらい強く抱きしめた。
「離さんからな。今度こそ、絶対」
「うん。離さないで。もう、どこにも行かないから」
翌朝、私は、フェリー乗り場に立っていた。でも、乗るためじゃない。
東京に一度戻って、荷物をまとめて、本格的に島へ移る——その準備のための、ほんの数日の往復だ。十年前、ここで一人で泣きそうになっていた私の隣には、今、航がいる。
「凪沙ーっ! 聞いたで! 島に戻ってくるんやって!?」
港の食堂から、真希が、エプロン姿で駆けてきた。
「うん。……戻ってくる。航と」
「やー、よかった! 言うたやろ、今がチャンスやって! 女将の見立ては、外れんのよ」
真希が、私と航を見比べて、満足そうに笑う。
「結婚式は、うちの食堂でやってや! おごる……のは無理やけど、まけたるわ!」
「気が早いって!」
「……いや、それは、ありかもしれん」
「航!?」
しれっと言う航に、私は、顔が一気に熱くなった。真希が、けらけら笑っている。
フェリーが、汽笛を鳴らした。航が、私の手を、そっと握る。
「行ってこい。……ちゃんと、待っとるから」
「うん。すぐ、帰ってくる」
十年前、この港で、私は、振り返らずに島を出た。
でも、今日は違う。タラップを上る前に、私は、何度も振り返った。手を振る航の背中の向こうに、島の斜面いっぱいの、みかんの花が、白く輝いている。
(——ただいま、じゃなくて。今度は、「帰ってくるね」だ)
甘いみかんの花の匂いを、胸いっぱいに吸い込んで、私は、笑った。
十年越しの初恋は、初夏の夕凪の島で、やっと、ちゃんと、始まったのだ。
― 終 ―