1. 十年ぶりの商店街
俺、佐久間航(さくま わたる)、二十九歳。
東京のシステム会社で働いていたが、転職の合間にまとまった休みが取れた。次の入社まで二週間。せっかくだからと、十年以上ぶりに地元へ長めの帰省をすることにした。
地元といっても、思い入れがあるわけじゃない。中学を卒業する直前、父の転勤で関東に引っ越した。だから俺にとってこの町は、中学生までの記憶でぷつりと途切れている。
梅雨入りしたばかりの六月。実家に荷物を置いて、傘を差して駅前の商店街に出た。
しとしとと雨が降っていた。アーケードのところどころが雨漏りして、バケツが置いてある。
(うわ、ここのゲーセン、潰れてる……)
子供の頃に通った駄菓子屋も、文具店も、軒並みシャッターが下りていた。十年というのは、町の景色を静かに食い尽くすには十分な時間らしい。
少し寂しい気持ちで歩いていると、商店街の真ん中あたりに、一軒だけ明かりの灯った店があった。
紺色の暖簾に、白い文字。
御菓子司 桐谷屋。
(桐谷……?)
その名字に、心臓がとくんと跳ねた。
2. 暖簾の向こうの幼馴染
桐谷。忘れるはずがない。
小学校から中学まで、家が三軒隣だった幼馴染。桐谷千夏(きりや ちなつ)。
おてんばで、口が達者で、ドッジボールでは俺より球が速くて、何度泣かされたかわからない相手。最後に会ったのは、俺が引っ越す前の日。「またな」と軽く手を振って、それきりだった。
雨宿りのふりをして、暖簾をくぐった。
からん、と古い引き戸の鈴が鳴る。ガラスケースの中に、色とりどりの和菓子が並んでいた。あじさいを模した寒天の菓子、水無月、青楓の練り切り。店の奥はひんやりと甘い、小豆を炊く匂いがした。
「いらっしゃいませ」
奥から出てきたのは、藍染めの作務衣に前掛けをした女性だった。
髪を後ろで一つに束ね、化粧っ気はない。けれど、切れ長の目と、少しだけ尖った口元に、はっきりと見覚えがあった。
向こうも、レジ越しに俺の顔を見て——固まった。
「……えっ。うそ。航……? 佐久間航、だよね?」
「……千夏。お前、ここ……」
「ちょっと待って。十年ぶりとかでしょ。なんでそんな普通の顔で入ってくるの」
「暖簾に桐谷屋って書いてあったから、もしかしてと思って」
千夏は前掛けで手を拭きながら、まじまじと俺を見上げた。
「うわ……ほんとに航だ。背、伸びすぎでしょ。誰これってなった」
懐かしい、遠慮のない物言い。十年ぶりなのに、声を聞いた瞬間に、中学生の頃の距離感に戻っていた。
3. 水無月をひとつ
「この店、桐谷の……おばあちゃんの店だよな。確か」
「うん。おばあちゃんが二年前に亡くなって。それで、私が継いだの」
さらっと言ったけれど、その裏にどれだけのことがあったのか、俺には想像もつかなかった。
聞けば、千夏は短大を出て地元の信用金庫に勤めていたが、祖母が倒れたのをきっかけに会社を辞め、住み込みで店と製法を引き継いだのだという。
「最初の一年はもう、毎日泣きそうだったよ。餡の炊き加減ひとつでおばあちゃんの味にならなくて」
「すげぇな。お前が和菓子屋って、正直ぜんぜん想像できない」
「でしょ。私もだよ。ドッジボールばっかりやってた女がさ」
くすっと笑う横顔が、記憶より随分と大人びていた。
何か買わなきゃ、と思って、ガラスケースを覗き込む。
「じゃあ……この三角のやつ。ひとつ」
「水無月ね。六月のお菓子。氷を模してて、上の小豆が邪気を払うんだって」
白いういろうの上に、小豆がのった三角形の菓子。包んでくれる手つきが、丁寧で、見入ってしまった。
「……なに見てんの」
「いや。ちゃんと職人なんだなと思って」
「当たり前でしょ。これでも店主」
ふん、と得意げに胸を張る仕草だけは、昔のままだった。
4. 毎日通う口実
実家に帰っても、二週間もやることはない。
翌日も、その次の日も、俺は気づけば桐谷屋に足を運んでいた。
水無月。あじさいの錦玉羹。青梅の琥珀糖。日替わりで一つずつ買って、店先の丸椅子に座って食べる。雨の商店街に客は少なくて、たいてい店は俺たち二人きりだった。
「航、毎日来すぎじゃない? 売上には助かるけど」
「他に行くとこないんだよ。同級生もみんな散らばってるし」
「ふうん。私は暇つぶしの相手か」
「そうは言ってない」
軽口を叩き合いながら、餡を炊く彼女の手元を眺める時間が、妙に心地よかった。
ある日、千夏が小皿に一つ、菓子をのせて出してきた。淡い水色と紫のグラデーションの、花びらを寄せ集めたような練り切り。
「これ、新作。あじさいの練り切り。試食して」
口に運ぶと、ほろりと崩れて、上品な甘さが広がった。
「……うま。これ、めちゃくちゃ綺麗だし、うまい」
「ほんと? よかった。色の重ね方、まだ自信なくて」
ぱっと表情を明るくする千夏に、不意に胸の奥がくすぐったくなった。
5. 健太の証言
商店街の酒屋を継いでいる、共通の幼馴染・**健太(けんた)**にばったり会ったのは、その週末だった。
「うわ、航じゃん! 十年ぶりとかだろ。どうしたお前」
「ちょっと長めに帰省。お前こそ、すっかり店の顔だな」
立ち話のついでに、健太がにやりと笑った。
「お前さ、桐谷屋に毎日通ってんだろ。商店街じゃもう有名だぞ」
「……早いな、噂」
「千夏な、おばあちゃんの店継いでから、ずっと一人でやってんだよ。彼氏とかも作らずにさ。気張りすぎなんだよあいつ」
健太は声を落として続けた。
「あいつ、昔からお前のことだけは別格扱いだったぞ。航が引っ越した日、店の裏でこっそり泣いてたの、俺は知ってる」
「……マジで?」
「マジマジ。だから、お前が帰ってきて毎日顔出してんの、たぶんあいつ、すげぇ嬉しいと思うぞ」
その言葉が、ずっと胸に引っかかって離れなかった。
6. 定休日の紫陽花
水曜は桐谷屋の定休日だ。
「明日、店休みだから」と千夏が言うので、俺は思いきって誘ってみた。
「じゃあさ、山の上の寺、まだあるよな。あじさいの。一緒に行かないか」
「……明月院みたいなとこ? 田舎の」
「そう。子供の頃、よく秘密基地にしてたとこ」
少し迷うように視線を泳がせてから、千夏は小さく頷いた。
「……いいよ。一人だと、なかなか行かないし」
翌日も、やっぱり雨だった。
山の斜面に建つ古い寺は、参道の両脇が一面の紫陽花だった。青、紫、淡い桃色。雨に濡れた花が、しっとりと重そうに頭を垂れている。
相合傘というほどでもないが、狭い石段で肩がぶつかる。傘の柄を握る千夏の手の甲に、雨粒が散っていた。
「……変わってないね、ここ。あの頃のまんま」
「俺たちだけ、十年分歳取ったな」
「ほんとだよ。航なんて、別人みたいに大きくなっちゃって」
笑いながら見上げてきた目が、雨の灰色の光を映して、少しだけ潤んで見えた。
7. 止まっていた時間
参道の途中の、屋根のある茶屋の縁台で雨宿りをした。
温かいほうじ茶を二つ。湯気の向こうで、千夏がぽつりと言った。
「あのさ。航が引っ越した日のこと、覚えてる?」
「覚えてる。お前、見送りにも来なかったよな」
「……行けなかったの。行ったら、絶対泣くって分かってたから」
茶碗を両手で包んだまま、千夏は俯いた。
「私さ、あの頃、航のこと好きだったんだよ。喧嘩ばっかりしてたけど。子供だったから、それ言えなくて。そのまま、いなくなっちゃった」
雨の音が、急に大きくなった気がした。
「……俺も、だよ」
「え?」
「ずっと言えなかったけど。俺も、お前のこと好きだった。引っ越し決まったとき、一番つらかったのはお前と離れることだった」
千夏が顔を上げた。目が、見開かれている。
「だから、暖簾に桐谷屋って見たとき、入らずにいられなかった。十年経っても、ちゃんと覚えてたんだよ。お前のこと」
しばらく、二人とも何も言えなかった。雨だけが、二人の沈黙を埋めていた。
「……ずるいよ、航。今さら、そんなこと言うの」
声が、震えていた。
8. 店の二階で
雨脚が強くなって、結局、店まで送ることになった。
桐谷屋の二階が、千夏の住まいだった。狭い階段を上がると、畳の部屋に小さなちゃぶ台と、祖母の写真が飾られた仏壇があった。
濡れたタオルを差し出しながら、千夏が背を向けたまま言った。
「……お茶、淹れるね」
「千夏」
呼ぶと、肩がびくりと震えた。振り向いた彼女の頬を、そっと両手で包む。
「もう、いなくならない。今度はちゃんと、ここにいる」
「……っ」
潤んだ目が、まっすぐに俺を見上げた。
「キス、していい?」
こくり、と小さく頷く。
ゆっくりと唇を重ねた。柔らかくて、少しだけほうじ茶の香りがした。十年分の距離が、その一回で溶けていく気がした。
「ん……っ」
一度離れると、千夏が俺のシャツの裾をきゅっと掴んだ。
「……もう一回」
もう一度、今度は深く。おずおずと開いた唇の隙間から舌を差し入れると、千夏の小さな舌が応えるように絡んできた。
「ふ……ん、んぅ……♡」
抱き寄せると、作務衣越しの体が、想像よりずっと華奢で、温かかった。
9. 十年分
畳の上に、千夏をそっと横たえた。
「作務衣、脱がせていい?」
「……電気、暗くして」
豆電球だけにした薄明かりの中で、帯をほどき、藍染めの上着を肩から滑らせる。下から現れた白い肌に、息を呑んだ。
「……綺麗だ」
「言わないでよ、恥ずかしい……♡」
両手で胸を隠そうとする腕を、やさしく外す。控えめなブラに包まれた胸は、思いのほか柔らかそうに上下していた。
「あんまり、じろじろ見ないで……」
「無理。十年待ったんだから」
ブラのホックを外すと、ふるりと白い膨らみがこぼれた。先端に唇を寄せると、千夏の背がぴくんと跳ねる。
「あっ……♡ んっ……」
舌先で転がしながら、もう片方を手のひらで包む。ふにゅ、と指が沈む弾力。
「やっ……航、それ……♡ 変な声、出ちゃう……」
「出していい。誰もいないだろ」
「ばか……っ、あっ♡」
下腹をなぞった手を、太ももの間へ滑らせる。下着の上から触れただけで、そこはもう、しっとりと熱を帯びていた。
「……濡れてる」
「言わないでってば……♡ 航のせいだもん……」
下着をずらして直に触れると、指先がぬるりと滑った。花びらをなぞるように動かすと、千夏の腰がもじもじと揺れる。
「あっ、あぁ……っ♡ そこ、だめ……っ」
敏感な突起を指の腹でくるくると撫でながら、ゆっくりと中指を沈めていく。
「ひぁっ……♡ 入って……くる……っ」
温かい内側が、きゅうっと指を締めつけた。奥のざらついた場所を押すたび、千夏の声が高くなる。
「やっ、あっ、そこっ……だめっ、来ちゃう……っ♡♡」
「いいよ。イって」
「あっ、あっ、んんんっ——♡♡♡」
びくん、と体が大きく跳ねて、中がぎゅうっと痙攣した。とろけた目で、千夏が荒い息をついた。
10. ここにいる
「……航。来て」
両手を伸ばして、千夏が俺を引き寄せた。
服を脱いで、脚の間に体を進める。先端をあてがうと、ぬるりと熱が絡みついた。
「入れるよ」
「……うん。来て♡」
ゆっくりと腰を進めると、千夏の中が俺を包み込んでいく。
「あぁっ……♡ 航が、入ってくる……っ」
「……っ、千夏」
根元まで収めると、千夏の両腕が背中に回されて、ぎゅっとしがみついてきた。
「……夢みたい。ほんとに、航がここにいる……♡」
ゆっくりと動き始める。ぬちゅ、ぬちゅ、と控えめな水音が、雨音に混じる。
「あっ、あっ……♡ 航、航……っ」
「ずっと、お前のこと考えてた」
「私もっ……ずっと、待ってた……♡」
腰を打ちつけるたび、千夏の胸が揺れ、畳の上で髪が乱れる。十年分の想いを確かめるように、深く、奥まで。
「あぁっ、奥っ……だめ、また来ちゃう……っ♡♡」
「俺も……そろそろ……」
「いいよっ、来てっ……一緒に……♡♡」
ぎゅっと抱きしめて、一番奥で果てた。千夏の体が、波打つように震える。
「あっ……あったかい……♡」
しばらく、二人とも動けなかった。荒い呼吸が、少しずつ重なって、ひとつになっていく。
額をくっつけると、千夏がふにゃっと笑った。
「……ねぇ航。東京、戻っちゃうの?」
「それなんだけど。次の会社、リモートでもいいって言われてるんだ。だったら、こっちに拠点移してもいい」
千夏の目が、まんまるになった。
「……ほんとに? 私のために、そこまで……?」
「お前のためでもあるし、俺のためでもある。もう、離れて後悔するの、こりごりなんだよ」
「……っ、ばか。そういうとこ、ずるいって言ってんの」
ぽろ、と涙がこぼれた。それを唇でそっと拭う。
「千夏。改めて。俺と付き合ってください」
「……はい。こちらこそ。十年も待たせて、ごめんね」
窓の外では、まだ雨が降っていた。けれど、止まっていた時間が、やっと動き出した音がした。
翌朝。階下の店から、餡を炊く甘い匂いが上ってきた。
「おはよ。水無月、焼きたて……じゃないけど、出来たて。食べる?」
前掛け姿の千夏が、小皿を手にちゃぶ台の前に座る。その隣に、当たり前みたいに俺の場所があった。
「いただきます。——うん、やっぱりうまい」
「でしょ。これでも店主だから」
ふん、と胸を張る幼馴染は、もう俺の彼女になっていた。
十年かけて遠回りした帰り道は、思っていたよりずっと、甘い味がした。