六月の、よく晴れた土曜日。僕、田島涼介(たじま りょうすけ)、三十二歳は、山形駅前で借りた小さなレンタカーを、慣れない右折で田んぼ道に乗り入れていた。
先月から、ずっと調子が悪かった。
東京でシステムエンジニアをやっている。納期前の三週間、終電とタクシーを行き来して、気づけば窓の外が明るくなっている、みたいな日々が続いた。プロジェクトはなんとか終わった。終わったのに、土曜の朝、何もしなくていいはずの布団の中で、僕はずっと天井を見ていた。
何を食べてもうまく感じない。映画を観ても話が頭に入らない。スマホをいじっては置き、また手に取る。気づけば、もう昼だった。
田島涼介「……このままじゃ、まずいな」
声に出してみて、自分で少し驚いた。
画面の中の色は、毎日うんざりするほど見ていた。なのに、最後に「きれいだ」と思った景色が、いつだったか思い出せない。空の色も、緑の色も、ずいぶん長いこと、ちゃんと見ていない気がした。
それで——半分やけくそみたいに、僕は予約サイトを開いた。検索窓に打ち込んだのは、自分でもなぜだか、「さくらんぼ狩り」だった。
子供の頃、一度だけ家族で行った記憶がある。脚立にのぼって、太陽みたいに赤い実を口に放り込んだ、あの感触。それくらいしか、楽しかった旅の記憶が、すぐには出てこなかった。
ヒットした農園のひとつに、こう書いてあった。「六月中旬、佐藤錦(さとうにしき)、食べ頃です。小さな園です。のんびりどうぞ」。
気づけば、僕は翌朝の山形新幹線を予約していた。
*
ナビが、目的地周辺です、と告げて黙った。
田んぼの中の一本道を抜けると、ゆるい斜面いちめんに、こんもりとした緑の木が広がっていた。さくらんぼの木だ。背は高くない。枝が低く横に張って、その葉の陰に、赤い粒がびっしりと隠れている。
「倉橋(くらはし)さくらんぼ園」と、手書きの木の看板が立っていた。駐車場は、砂利を敷いただけの三台分。停まっている車は、一台もなかった。
エンジンを切ると、しんとした。鳥の声と、どこかで回るスプリンクラーの音。土と、青い葉と、熟れた果実の、甘いような匂いが、車を降りた瞬間にどっと押し寄せてきた。
田島涼介(……これ、だ)
東京の、あの灰色の空気とは、まるで違った。久しぶりに、肺の底まで息を吸った気がした。
1. 真っ赤な園
受付らしいプレハブ小屋を覗いたが、誰もいなかった。「ご用の方は畑へ」と札がかかっている。
斜面のさくらんぼ畑へ、おそるおそる足を踏み入れた。木と木のあいだを、低くくぐるようにして奥へ進む。葉の陰を見上げると――息を呑んだ。
赤い。
光を透かした実が、無数に、鈴なりになっていた。深い紅から、まだ黄色みの残る橙まで。雨上がりの宝石みたいに、つやつやと光っている。子供の頃に見たあの色が、頭の奥から、いっぺんに蘇った。
倉橋千夏「あ、いらっしゃい。お客さんですか?」
木の向こうから、声がした。
脚立の上に、女性が一人いた。麦わら帽子に、首にかけた手ぬぐい。日に焼けた腕で、収穫用の浅いかごを抱えている。ひょい、と身軽に脚立を降りてきて、帽子を脱いで、こちらへ笑いかけた。
倉橋千夏「すみません、受付に誰もいなくて。今日、予約のお一人さま、ですよね?」
田島涼介「あ、はい。田島です。ネットで……」
倉橋千夏「田島さん。お待ちしてました。倉橋です」
倉橋、千夏(ちなつ)さん、と名乗った。後ろで束ねた髪が、汗ばんだ首筋に少しほつれている。化粧っ気はほとんどないのに、笑うと頬にえくぼができて、目元がくしゃっとなる。健康そうな、よく日に焼けた肌をしていた。
倉橋千夏「東京から、わざわざ? 一人で?」
田島涼介「ええ、まあ。……急に、思い立って」
倉橋千夏「ふふ。いいですね、そういうの。うちみたいな小さい園、わざわざ来る人、少ないんですよ」
千夏さんは、足元のかごを置いて、腰に手を当てた。
倉橋千夏「今日、ほかにお客さん、いないんです。だから――貸し切りです。たっぷり、いきましょう」
太陽みたいに、にっと笑った。その笑い方が、なんだか妙にまぶしくて、僕は一瞬、返事に詰まった。
2. もぎ方
倉橋千夏「さくらんぼ、もいだことあります?」
田島涼介「……子供の頃、一回だけ。もう、覚えてないです」
倉橋千夏「じゃあ、最初から。コツがあるんですよ」
千夏さんは、低い枝に手を伸ばした。赤い実を二つ、三つ、指でそっと持ち上げる。
倉橋千夏「引っ張っちゃだめ。実が傷むし、来年の芽まで取れちゃうの。こう、軸の付け根を、指でつまんで……くいっ、て上に」
くい、と軽い音がして、軸ごと実が手に残った。
倉橋千夏「やってみて」
言われたとおり、僕も低い枝に手を伸ばした。指がぎこちなくて、最初の一つは、実だけぷちっと潰してしまった。
田島涼介「……あ、すみません」
倉橋千夏「ふふ、最初はみんなそう。力、入りすぎ。もっと、優しく。……卵、持つみたいに」
千夏さんが、横から僕の手に、自分の手を添えた。
ひやっとした、土仕事の手。なのに、指は思いのほか細くて、温かかった。一緒に軸をつまんで、くい、と上へ。今度は、きれいに取れた。
田島涼介「……取れた」
倉橋千夏「でしょ。ね、食べてみて。それ、いちばん日が当たってたやつ」
口に放り込む。
ぱりっ、と皮が弾けて、果汁がいっぱいに広がった。甘い。ただ甘いだけじゃなくて、奥にほのかな酸味があって、それが舌の上で、すっと溶けていく。
田島涼介「……うわ」
倉橋千夏「うわ、でしょ?」
田島涼介「……こんな、味、するんですね。さくらんぼって。スーパーで買うのと、全然」
倉橋千夏「枝で完熟させて、すぐ食べるからね。それが、いちばんの贅沢。……東京じゃ、絶対できないでしょ」
千夏さんは、自分も一粒口に入れて、種をぺっと遠くに飛ばした。子供みたいな仕草に、思わず笑ってしまった。久しぶりに、声を出して笑った気がした。
3. 木陰の時間
斜面を、二人でゆっくり登りながら、いろんな木を回った。
木によって、味が違うのだと千夏さんは言った。日当たり、樹齢、品種。佐藤錦のとなりに、紅秀峰(べにしゅうほう)という、ひと回り大きくて、もっと濃い赤の実をつける木があった。
倉橋千夏「こっちは、ちょっと遅い品種。甘みが強いの。……はい、あーん」
ひょい、と僕の口元に実を差し出してくる。距離が近くて、どきりとした。流れで口を開けると、千夏さんは満足そうに、また笑った。
倉橋千夏「ね、濃いでしょ」
田島涼介「……はい。濃い、です」
声が、少しうわずった。彼女は気づいていないみたいだった。
園の真ん中に、一本だけ、大きな桜の木が立っていた。さくらんぼじゃなくて、観賞用の、ただの桜だ。その木陰に、古い木のベンチが置いてあった。
倉橋千夏「ちょっと、休みましょ。お茶、持ってくるね」
千夏さんが、冷たい麦茶と、ガラスの器に山盛りのさくらんぼを持ってきてくれた。木陰のベンチに、並んで座る。風が、斜面の葉をいっせいに揺らして、青い匂いを運んできた。
倉橋千夏「田島さん、なんか……疲れてる顔、してましたよ。さっき来たとき」
田島涼介「……わかります?」
倉橋千夏「わかりますよ。うちに来る一人のお客さん、たまにいるの。そういう顔の人」
千夏さんは、麦茶をひと口飲んで、遠くの山を見た。
倉橋千夏「逃げてきた、みたいな顔」
田島涼介「……逃げて、きたのかもしれないです。正直」
僕は、ぽつぽつと話した。三週間ほとんど寝てないこと。終わったのに、何も楽しめなくなっていること。最後に景色をきれいだと思ったのが、いつか思い出せなかったこと。
千夏さんは、口を挟まずに、うんうん、と聞いていた。
田島涼介「……それで、なんでか、さくらんぼ狩り、で。我ながら、意味わかんないんですけど」
倉橋千夏「意味、ありますよ」
きっぱりと、彼女は言った。
倉橋千夏「赤いもの、食べたかったんでしょ。きっと。画面、ずっと灰色だったから」
僕は、思わず彼女の横顔を見た。日に焼けた頬に、桜の葉の影が、ちらちらと揺れていた。
4. 継いだ畑
田島涼介「千夏さんは、ずっと、ここで?」
倉橋千夏「ううん。私も、一回、東京いたんですよ。これでも」
意外だった。彼女は、麦茶のグラスを両手で包んで、ふっと笑った。
倉橋千夏「短大出て、向こうで事務やってたの。八年くらい。……でも、二年前に、おじいちゃんが腰やっちゃって。この畑、もう続けらんないって」
斜面を見渡しながら、彼女は続けた。
倉橋千夏「おじいちゃんが、ずっと一人でやってきた畑なんです。私が子供の頃から。……それが無くなるって聞いたら、なんか、だめで。気づいたら、会社辞めて、帰ってきてた」
田島涼介「……すごい決断ですね」
倉橋千夏「すごくないですよ。無謀なだけ。さくらんぼなんて、片手間でできるもんじゃないのに。剪定も、消毒も、雨除けも、ぜんぶ、いちからおじいちゃんに怒鳴られながら覚えて」
笑いながら言うけれど、その手のひらを、僕はちらりと見た。土仕事の、たくさんの細かい傷がついた、働く人の手だった。
倉橋千夏「今年で、やっと三年目。去年より、ちょっとだけ、いい実がなったの。……それが、もう、うれしくて」
うつむいて、グラスの中の麦茶を見つめる横顔が、ふいに少女みたいになった。
田島涼介「……逃げてきたのは、僕だけじゃなかったんですね」
倉橋千夏「え?」
田島涼介「千夏さんも、東京から、帰ってきた。……でも、ちゃんと、ここで根を張ってる。逃げたんじゃなくて、選んだんだ」
千夏さんが、はっとした顔で、僕を見た。それから、ちょっと照れたように、麦わら帽子のつばを下げた。
倉橋千夏「……田島さん、優しいこと言うね」
田島涼介「優しい、っていうか。……ちょっと、うらやましいだけです」
風が吹いて、桜の葉が、ざわっと鳴った。並んだ肩の距離が、最初より、少しだけ近くなっている気がした。
5. 夕立
午後の三時を回った頃だった。
山のほうから、ごろごろ、と低い音が聞こえてきた。さっきまで抜けるように青かった空の端に、灰色の雲が、もくもくと盛り上がってきている。
倉橋千夏「……あ、やば。来るかも」
田島涼介「雨ですか」
倉橋千夏「夕立。この時期、山の天気、ほんと急なの。……田島さん、ごめん、ちょっと手、貸してもらっていい?」
千夏さんの顔つきが、ぱっと変わった。
倉橋千夏「もいだ実、濡らしたくないの。あと、雨除けのビニール、半分めくってあって。閉めないと」
わけもわからず、僕は彼女のあとを追った。斜面を駆け上がって、収穫したかごを、二人でせっせと作業小屋へ運ぶ。それから、畝の上に張られたビニールの雨除けを、千夏さんの指示で、引っ張って広げていく。
倉橋千夏「さくらんぼ、雨に当たると、実が割れちゃうの! 早く!」
田島涼介「こっち、引けばいいですか!」
倉橋千夏「そう! ロープ、その杭に!」
ぽつ、ぽつ、と大粒の雨が落ちてきた。と思った次の瞬間、ざあああっ、と一気に降り出した。雷鳴が、すぐ近くで鳴る。
最後のロープを縛り終えて、二人で、選果場を兼ねた作業小屋に転がり込んだ。ぎりぎり、間に合った。
倉橋千夏「はあっ……間に合った……。ありがとう、田島さん。一人だったら、絶対無理だった」
田島涼介「いえ……すごい雨ですね」
トタン屋根を打つ雨の音が、すさまじかった。小屋の外は、もう白くけぶって、さっきまでの斜面が見えない。
ふと隣を見ると、千夏さんも、僕も、頭からびしょ濡れだった。彼女の白いシャツが、肌に貼りついて――慌てて、僕は目をそらした。
倉橋千夏「……ふふ。すごい格好」
田島涼介「お互い、ですけどね」
二人で、顔を見合わせて、笑った。雨宿りの小屋に、雷の音と、二人の笑い声だけが響いていた。
6. 母屋の灯り
雨は、いっこうにやむ気配がなかった。
倉橋千夏「これ……当分やまないやつだ。レンタカー、返却、何時?」
田島涼介「……六時、です」
時計を見ると、もう四時半を過ぎていた。山形駅まで一時間。この雨の中、慣れない道を、とても運転できる気がしなかった。
倉橋千夏「うわ、無理だ。この雨で、川沿いの道、たぶん冠水してる。……田島さん、ちょっと待ってて」
千夏さんが、スマホでレンタカー会社に電話してくれた。事情を話すと、返却は明日でいい、追加料金は天候によるものなので相談に応じる、とのことだった。
電話を切って、彼女は気まずそうに、頭をかいた。
倉橋千夏「……あの。近くに、宿、ないんです。この辺。ほんと、田んぼしかなくて」
田島涼介「あ……どうしよう」
倉橋千夏「……よかったら、なんですけど。うち、泊まっていきます? 古い農家だけど、部屋は、いっぱい余ってるんで」
びしょ濡れのまま、千夏さんが、上目遣いに僕を見た。雨音の中で、その提案は、やけに大きく聞こえた。
母屋は、作業小屋から、傘をさして歩いてすぐの、大きな茅葺き屋根の――いや、今はトタンで覆われた、古い農家だった。広い土間に、黒光りする太い柱。囲炉裏の名残のある、畳の居間。
倉橋茂三「おう、千夏。ずぶ濡れじゃねえか。……ん? 誰だい、その兄ちゃんは」
奥から、腰の曲がった老人が出てきた。日に焼けた、しわ深い顔。千夏さんの祖父、倉橋茂三(しげぞう)さんだった。
倉橋千夏「今日のお客さん。東京から来てくれて、雨除け手伝ってくれたの。雨で帰れなくなっちゃって」
倉橋茂三「ほお。東京から、わざわざ。……兄ちゃん、うちのさくらんぼ、うまかったか」
田島涼介「はい。……びっくりするほど。こんな味、初めてでした」
倉橋茂三「そうかそうか」
茂三さんは、しわくちゃの顔を、くしゃっと崩して笑った。
倉橋茂三「うちのは、量はとれん。けど、味だけは、どこにも負けん。……千夏が、よう、頑張っとるからな」
千夏さんが、照れて、ぴしゃりと言った。
倉橋千夏「おじいちゃん、もう。……ほら、田島さん、お風呂、沸いてるから。先に入っちゃって。風邪ひいちゃう」
7. 縁側の夜
風呂を借りて、茂三さんの古い甚平を貸してもらった。
夕飯は、囲炉裏端の大きな座卓だった。山菜の煮物、川魚の塩焼き、採れたての野菜。そして、ガラスの器に、つやつやのさくらんぼが、これでもかと盛られていた。
倉橋茂三「ま、飲め飲め。客が来たんは、久しぶりじゃ」
茂三さんは、地酒を僕に注ぎながら、上機嫌だった。千夏さんが東京から帰ってきたときのこと。初めての収穫が、雹にやられて全滅しかけたこと。そんな話を、ぽつぽつと聞かせてくれた。
倉橋茂三「わしは、もう、畑は無理じゃ。腰がいかん。……この畑も、わしの代で終わりかと思っとった」
ぐい飲みの酒をすすって、茂三さんは、孫娘を見た。
倉橋茂三「それが、こいつが、勝手に帰ってきおってな。会社まで辞めて。……馬鹿な孫よ。けど」
しわ深い目元が、ほんの少し、潤んで見えた。
倉橋茂三「おかげで、わしは、また、うちのさくらんぼが赤うなるのを、見られとる」
千夏さんが、何も言わずに、うつむいた。僕は、なんだか胸がいっぱいになって、酒を、ぐっと飲み干した。
食事のあと、茂三さんは「年寄りは先に寝る」と、奥へ引っ込んでいった。襖が閉まる前に、ちらりとこっちを見て、にやりと笑ったのを、僕は見逃さなかった。
千夏さんと二人、縁側に出た。
雨は、いつのまにか上がっていた。洗われた夜気が、ひんやりと心地よい。雲の切れ間から、信じられない数の星が覗いていた。蛙の声が、田んぼいちめんから、わんわんと響いている。
倉橋千夏「……東京じゃ、星、見えないでしょ」
田島涼介「見えないですね。……こんなにあるなんて、忘れてました」
縁側に、並んで腰かけた。肩が、すぐ近くにある。
倉橋千夏「田島さん。……今日、来てくれて、ありがとう」
田島涼介「お礼を言うのは、僕のほうです。……正直、今日、生き返った気がする」
倉橋千夏「ふふ。大げさ」
田島涼介「大げさじゃないです。……ほんとに」
千夏さんが、こっちを見た。星明かりに、その瞳が、濡れたように光っていた。
倉橋千夏「……ねえ。一人のお客さんが来ると、たまに、思うんです」
田島涼介「はい」
倉橋千夏「この人と、もうちょっとだけ、一緒にいられたらな、って。……でも、みんな、帰っちゃう。当たり前だけど」
膝の上で、彼女の手が、きゅっと握られた。
倉橋千夏「……田島さんも、明日には、帰っちゃうんですよね」
僕は、もう、我慢できなかった。彼女の頬に、そっと手を添える。日に焼けた、温かい頬だった。
田島涼介「……帰りたく、ないです。今は」
倉橋千夏「……」
千夏さんが、ゆっくり、目を閉じた。僕は、その唇に、自分の唇を重ねた。
ちゅ……。
蛙の声の中で、柔らかい唇が、かすかに震えていた。
倉橋千夏「……ん♡」
触れるだけのキスから、少しずつ深く。角度を変えて、もう一度。千夏さんの手が、僕の甚平の袖を、ぎゅっと掴んだ。
倉橋千夏「……田島さん♡」
田島涼介「涼介、でいいです」
倉橋千夏「……涼介、さん♡」
潤んだ瞳で、彼女が見上げてきた。
倉橋千夏「……部屋、行きましょ♡」
8. 星明かりの部屋
通されたのは、母屋のいちばん奥の、川に面した古い和室だった。障子を細く開けると、蛙の声と、夜の冷たい空気が流れ込んでくる。布団は、もう敷いてあった。茂三さんの仕業に違いなかった。
倉橋千夏「……おじいちゃん、絶対わかってた♡」
田島涼介「……だな」
笑い合って、それから、また唇を重ねた。今度は、もっと深く。舌先で唇をなぞると、千夏さんの口が、そっと開いた。
ちゅ……んちゅ……れろ……♡
倉橋千夏「ふ……ぁ……♡」
腰に腕を回して、引き寄せる。風呂上がりの、火照った体温が、甚平越しに伝わってきた。
倉橋千夏「……涼介さんの心臓、すごい音♡」
田島涼介「千夏さんもだろ」
倉橋千夏「……ばれた♡」
くすっと笑う唇を、もう一度ふさいだ。畳の上に、ゆっくり倒れ込む。彼女の浴衣の合わせを、そっとほどいていく。
田島涼介「脱がせて、いい?」
倉橋千夏「……うん♡」
帯をほどくと、白い肌が、夜気にこぼれ出た。日に焼けているのは腕と首元だけで、その下は、驚くほど白かった。淡い色の下着に包まれた胸が、息に合わせて、上下している。
田島涼介「……きれいだ」
倉橋千夏「……やだ、見ないで♡ 土仕事ばっかりだから、自信ないの♡」
背中に手を回して、ホックを外す。かちっ、と緩んで、形のいい胸が、ふるりとこぼれ出た。先端は、熟れたさくらんぼみたいに、ほんのり色づいている。
田島涼介「自信、持っていいですよ。……ほんとに、きれいだ」
腕で隠そうとする手を、そっとどける。右手で、胸を包むように触れた。
ふにっ。
倉橋千夏「あっ……♡」
手のひらに吸い付くような、柔らかさ。指を沈めると、むにっと形を変える。親指で、先端をくりっと転がした。
倉橋千夏「ひゃっ♡♡」
びくん、と肩が跳ねる。すぐに、小さく硬くなった先端が、指先に伝わった。
くりくり……くりくり……♡
倉橋千夏「あっ♡ あん♡♡ 涼介さんっ……♡♡」
唇を、先端に落とす。ちゅっ。
倉橋千夏「ひぅっ♡♡♡」
舌先で転がしながら、反対の胸を揉みしだく。
ちゅるっ……れろ……ちゅう……♡♡
倉橋千夏「やっ♡♡ 声、出ちゃう……♡♡ おじいちゃんに、聞こえちゃう♡♡」
田島涼介「奥の部屋だろ。それに、蛙がうるさい」
倉橋千夏「むりぃ♡♡ 涼介さんの舌、気持ちよすぎて♡♡」
交互に舌を這わせて、たっぷりと味わった。千夏さんの肌が、うっすら汗ばんでくる。
田島涼介「下も、脱がすよ」
倉橋千夏「……うん♡」
最後の一枚を、ゆっくり脱がせていく。膝を立てて閉じようとする太ももを、そっと開かせた。
田島涼介「……もう、濡れてる」
倉橋千夏「やっ♡ 言わないで……♡ 縁側で、キスしたときから、ずっと……♡♡」
指先で、そっとなぞる。
くちゅ……。
倉橋千夏「ひゃあっ♡♡ あっ♡♡」
びくん、と腰が跳ねた。小さな突起を見つけて、指の腹でくるくると円を描く。
くり……くり……♡
倉橋千夏「あぁっ♡♡♡ そこっ……だめぇっ♡♡♡」
田島涼介「だめじゃないだろ。気持ちいいんだろ?」
倉橋千夏「だってっ♡ おかしくなっちゃう♡♡」
蜜をかき回しながら、中指を、ゆっくり沈めた。
ずぷ……♡
倉橋千夏「あああっ♡♡♡」
熱い。きつい。きゅうきゅうと、締め付けてくる。中をかき回しながら、親指で突起を同時に刺激した。
ぐちゅっ……ぐちゅっ……♡♡♡
倉橋千夏「あっあっあっ♡♡♡ 涼介さんっ……すごいっ♡♡♡」
指を曲げて、上側の壁をぐっと押す。千夏さんの体が、びくびくと跳ね始めた。
倉橋千夏「やっ♡ 来るっ……来ちゃうっ♡♡♡」
指の動きを速める。
ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅっ♡♡♡♡
倉橋千夏「あああっ♡♡♡ イっ……イくぅっ♡♡♡♡」
びくんっ、びくんっ、びくんっ♡♡♡
千夏さんの背中が、弓なりに反った。中が、ぎゅうっと指を締め付けて、蜜が溢れ出す。
倉橋千夏「はぁっ……♡♡ はぁっ……♡♡ ……指だけで、こんなの、久しぶり……♡♡」
9. ひとつになる
潤んだ瞳で、千夏さんが身を起こした。まだ余韻で震えているのに、真っ赤な顔で、いたずらっぽく笑う。
倉橋千夏「……今度は、私の番♡」
僕の甚平の帯に手を伸ばす。下着ごと引き下ろすと――ばちんっ、と限界まで張り詰めたものが跳ね上がった。千夏さんが、息を呑む。
倉橋千夏「……おっきい♡♡」
顔を近づけて、先端を舌先で、ちろっと舐めた。
倉橋千夏「ん……♡」
ちゅっ、とキスをして、それから、ぱくりと口に含んだ。温かく濡れた口の中。舌が、裏筋をなぞる。
倉橋千夏「ん……じゅるっ♡♡ れろれろ……♡♡」
ゆっくり頭を上下させる。束ねていた髪がほどけて、さらりと太ももをくすぐった。上目遣いの、潤んだ瞳。
田島涼介「千夏さん……やばい、気持ちよすぎ」
倉橋千夏「んふ♡ もっと、してあげる♡♡」
ちゅぱっ……じゅるるっ……♡♡
頬をすぼめて、吸い上げる。深く咥えるたびに、全身に電流が走った。
田島涼介「待って、それ以上は……イっちゃう」
ぷはっ、と口を離す。唇が、唾液でてらてらと光っていた。
倉橋千夏「……ねえ、涼介さん♡」
田島涼介「ん?」
倉橋千夏「……もう、ひとつになりたい♡」
財布から、コンドームを取り出す。
倉橋千夏「……持ってたんだ?」
田島涼介「いや、これは、その……一応」
倉橋千夏「ふふ♡ いいよ、責めてない♡ ……つけて♡」
手早く装着して、千夏さんを布団に仰向けにした。障子から差し込む星明かりに、白い裸体が、淡く青く輝いている。脚の間に体を滑り込ませて、先端を入り口にあてがった。
ぬちゅ……♡
田島涼介「入れるよ、千夏さん」
倉橋千夏「うん♡ 来て……♡♡」
ゆっくり、腰を進める。
ずぷ……ずぷぷ……♡♡
倉橋千夏「あぁっ♡♡♡ 入って、くるぅ♡♡♡」
きゅうきゅうと締め付けながら、奥へ引き込んでくる。
ずぷん♡♡
倉橋千夏「はぁっ♡♡ 全部、入った♡♡ 奥まで、来てる……♡♡♡」
田島涼介「動くよ」
ゆっくり腰を引いて、また押し込む。
ずるっ……ずぷんっ♡♡
倉橋千夏「ああっ♡♡♡」
リズミカルに、打ちつけ始める。障子の外の蛙の声に、肌のぶつかる音が重なった。
パンッ……パンッ……♡♡
倉橋千夏「あっあっあっ♡♡♡ 涼介さんっ♡♡ 気持ちいいっ♡♡♡」
千夏さんが、僕の背中にしがみついてくる。
倉橋千夏「奥っ♡♡♡ 奥に、当たってるっ♡♡♡♡」
脚が、僕の腰に絡みついた。もっと奥を求めて。角度を変えて、突き上げる。
パンパンパンッ♡♡♡
ぐちゅぐちゅぐちゅ♡♡♡
倉橋千夏「そこぉっ♡♡♡♡ 声、出ちゃうっ♡♡♡」
田島涼介「いいよ。聞かせて」
倉橋千夏「やだぁっ♡♡ でも、止まんないっ♡♡♡」
結合部から、卑猥な水音が溢れた。田んぼの蛙の声が、それを優しく隠してくれる。
パンパンパンパンッ♡♡♡♡
倉橋千夏「やばっ♡♡ また、来るっ♡♡ イっちゃうっ♡♡♡♡」
田島涼介「俺も、もう……っ」
倉橋千夏「一緒に……♡♡♡ 一緒にイこっ……♡♡♡♡」
千夏さんが、背中に両腕を回してしがみつく。脚も、がっちり腰に絡む。奥に押し付けるように――最後の一突き。
倉橋千夏「あぁぁっ♡♡♡♡♡!!」
田島涼介「イく……っ!」
どくんっ、どくっ、どくっ……!
倉橋千夏「イっ……イくぅっ♡♡♡♡♡♡」
千夏さんの全身が震えて、中が、痙攣するように搾り取っていく。
びくんっ、びくんっ、びくんっ♡♡♡
倉橋千夏「はぁっ♡♡ はぁっ♡♡ ……すごかった……♡♡♡」
抱き合ったまま、荒い呼吸を繰り返した。ちゅ、と軽くキスをする。障子の外で、蛙が、ずっとのどかに鳴き続けていた。
10. 朝の畑
障子の隙間から差し込む光で、目が覚めた。
千夏さんは、まだ僕の腕の中で眠っている。ほどけた髪が頬にかかって、寝顔が、とんでもなく無防備で可愛い。
すぅ……すぅ……。
田島涼介(……夢じゃ、なかった)
障子を開けると、雨上がりの朝が見えた。さくらんぼの斜面が、朝日を浴びて、葉の一枚一枚に水滴を光らせている。鳥の声と、田んぼのほうから、まだ残った蛙の声。空気が、洗われたみたいに澄んでいた。
倉橋千夏「ん……♡ 涼介さん……?」
千夏さんが目を覚ました。寝起きの、少しかすれた声。僕の腕の中で、目を細めて笑う。
倉橋千夏「……おはようございます」
田島涼介「おはよう。……今日は、さすがに、車、返さないと」
倉橋千夏「……ですよね」
ちょっと寂しそうに、千夏さんが目を伏せた。僕は、ゆうべからずっと考えていたことを、言葉にした。
田島涼介「千夏さん。……一日だけの、旅の出会いで、終わらせたくないんだ、僕」
倉橋千夏「……え」
田島涼介「収穫、これからが本番なんですよね。佐藤錦の、いちばんいい時期。……手伝いに、また来ていいですか。いや、それ以外でも、何度でも」
千夏さんの目が、まんまるになった。それから、じわっと潤んで、ぽろっと一粒こぼれた。
倉橋千夏「……いいん、ですか? 私、この畑から、離れられないのに」
田島涼介「離れなくていい。僕が来る。……それに」
僕は、彼女の手を握った。土仕事の、傷だらけの、温かい手を。
田島涼介「正直に言うと。……東京の仕事、リモートでも、半分くらいはできるんです。山形にいたって。いきなりすぎ?」
倉橋千夏「……いきなりすぎます♡」
笑いながら、千夏さんが泣いていた。
倉橋千夏「でも……うれしい。私も、涼介さんと、もっと一緒にいたい」
田島涼介「……付き合ってくれる?」
倉橋千夏「……はい。今日から、恋人ですね♡」
千夏さんが背伸びして、僕の唇に、ちゅっと軽くキスをした。
*
土間で朝飯をよばれていると、茂三さんが、味噌汁をすすりながら、にやにやしていた。
倉橋茂三「あらまあ、お二人さん。よう眠れたかい?」
田島涼介「……おかげさまで」
倉橋茂三「ふふ。東京の兄ちゃん。……うちのさくらんぼも、千夏も、味だけは、どこにも負けんからな。逃すなよ」
倉橋千夏「おじいちゃんっ!」
真っ赤になって怒る孫娘を見て、茂三さんは、しわくちゃの顔で、からから笑った。
車に乗り込む間際、千夏さんが、保冷バッグを抱えて駆けてきた。中には、つやつやの佐藤錦が、これでもかと詰まっていた。
倉橋千夏「これ、東京で食べて。……いちばん赤いの、選んだから」
田島涼介「ありがとう。……次は、もぐところから手伝います」
倉橋千夏「もう♡」
笑って手を振る千夏さんが、朝日に光るさくらんぼの斜面を背に、どんどん小さくなっていく。
灰色の画面ばかり見て、初夏の色を、すっかり忘れていた僕。半分やけくそで予約した、山形の小さなさくらんぼ狩り。その斜面で、祖父の畑をひとり守っていた人が――今、僕の恋人だ。
赤いものが、食べたかったんでしょう。千夏さんの、あの言葉を思い出す。たぶん、そのとおりだった。そして、見つけたのは、さくらんぼだけじゃなかった。
ミラー越しに振り返ると、雨上がりの斜面の真ん中で、麦わら帽子の千夏さんが、両手をいっぱいに振っていた。
― 終 ―