特急を降りて、さらにローカル線に乗り換えて、終点から一日二本のバスに揺られて。気づけば、私はどの予定にも載っていない場所に立っていた。
私、立花詩織(たちばな しおり)、二十九歳。都内の出版社で、旅行ガイドブックの編集をしている。「次に行きたい、日本の絶景」とか「週末でめぐる、海辺の宿」とか。そういう特集を、年に何冊も作ってきた。
立花詩織(……おかしいんだよな。最近)
仕事は、嫌いじゃない。むしろ得意なほうだと思う。でも半年くらい前から、どこへ取材に行っても、心がぴくりとも動かなくなっていた。きれいな海を見ても「ここは広角で抜けがいいな」としか思わない。名物を食べても「写真映えするな」としか考えない。読者にときめいてもらう本を作っているのに、作っている当人が、もう何年も、旅にときめいていなかった。
その日、私は有給を一日くっつけて、誰にも行き先を告げずに、ただ「遠く」を目指した。ガイドブックに載っていない場所へ行きたかった。私の知らない場所へ。終点でバスを降りると、潮の匂いがした。
岬だった。海へ細く突き出した、小さな半島の先っぽ。崖の上に、白い灯台がぽつんと立っている。家は数えるほど。商店が一軒と、漁協の建物。そして、崖際に、古い木造の民宿が一軒。
看板すら、出ていない。
立花詩織(……宿、これしかないのか)
スマホの電波は、半分。当然、予約なんてしていない。私は半ば呆れながら、その宿の引き戸を、からからと開けた。
立花詩織「すみません。あの、今夜、泊めていただけますか……予約してないんですけど」
土間は、ひんやりと薄暗かった。返事の代わりに、奥のほうで、何かを土に挿すような、さくっという音がした。それから、ゆっくりとした足音。
真柴航「……一人?」
低い声だった。急いでいない、底の落ち着いた声。出てきたのは、エプロンの上に作業用の前掛けをした男の人だった。手の甲に土がついている。背が高くて、目元が静かで、こちらをじっと見るでもなく、ふっと一度だけ目を合わせて、すぐ手元の戸棚に視線を落とした。
立花詩織「はい。一人です。……ご迷惑、ですよね。突然」
真柴航「迷惑じゃない。空いてる。……ただ、ここ、何もないよ」
何もない、と言うとき、その人は少しだけ口の端を上げた。脅すでも、謝るでもなく、本当にただの事実として。私は、なぜか、その言い方に救われた気がした。
真柴航「真柴です。真柴航(ましば こう)。……祖父の宿を、継いだだけの男なんで、愛想は期待しないでください」
*
通された部屋は、海に面した八畳間だった。窓を開けると、目の前いっぱいに、夕暮れの海が広がっていた。崖の下で、波が白く砕けている。少し離れて、さっき見た白い灯台。
立花詩織「……わ」
思わず、声が漏れた。仕事で何百という絶景を見てきたはずなのに、その「わ」は、ずいぶん久しぶりに、自分の本心から出た声だった。
夕食は、囲炉裏のある板の間で出された。航さんが、ひとりで運んでくる。刺身の盛り合わせ、煮魚、岬で採れたという山菜の天ぷら、貝の味噌汁。どれも、飾り気はないのに、しみじみとうまい。
立花詩織「……おいしい。この煮魚」
真柴航「メバル。今朝、漁協で分けてもらった」
立花詩織「お料理も、全部おひとりで?」
真柴航「掃除も、布団も、全部。たまにミネさん——隣の——が手伝ってくれるけど」
ぽつり、ぽつりとしか喋らない人だった。でも、無愛想なんじゃない。言葉を、選んでいるんだと思った。私が箸を進めるのを、無理にもてなそうとせず、ただ静かに、囲炉裏の炭を直していた。その横顔を、私はいつのまにか、目で追っていた。
立花詩織「あの灯台、まだ使われてるんですか」
真柴航「灯は点く。でも、無人。今はみんな、機械で自動だから。……昔は灯台守が住んでて、その人が、小屋の周りに庭を作ってた」
立花詩織「庭?」
真柴航「花の。海風で、すぐ枯れる。誰も世話しなくなって、荒れてたのを……俺が、勝手に手入れしてる。さっき土をいじってたの、それ」
手の甲についていた土を、思い出した。この人は、誰に頼まれたわけでもなく、誰も住まない灯台の、誰も見ない庭を、黙って手入れしている。その事実が、なぜか、胸の奥に小さく刺さった。
立花詩織「……どうして。誰も、見ないのに」
真柴航「灯台は、人が見るためのものじゃないから。船が、ここに岬があるって、わかればいい。……庭も、同じ。咲いてればいい。誰も見てなくても」
さらりと言って、航さんは味噌汁のお椀を、私のほうへ少しだけ寄せた。私は、何も返せなかった。誰かに見られるための本ばかり作って、見られ方ばかり気にして、いつのまにか、自分が何を美しいと思うのか、わからなくなっていた私には、その言葉が、ずいぶん遠くまで届いた。
*
その夜は、波の音で、何度も浅く目が覚めた。都会の、エアコンと車の音に慣れた体には、静かすぎる夜だった。
明け方、薄い光で目が覚めて、窓から下を見ると、灯台の根元で、人影が動いていた。航さんだった。しゃがんで、土をいじっている。早朝の、誰も見ていない時間に。
私は、なんとなく身支度をして、外に出た。崖際の細い道を伝って、灯台のほうへ歩く。近づくと、航さんが顔を上げた。
真柴航「……起きたんだ。早いね」
立花詩織「波の音で。……何、植えてるんですか」
真柴航「浜昼顔と、磯菊。この岬の風でも、枯れないやつ。……強い花じゃないと、ここでは無理だから」
膝をついて、土を掘る、その手つきを、私はしゃがんで見ていた。指が、土の硬さを確かめるみたいに、ゆっくり動く。爪の間に土が入るのも気にしない。乱暴じゃないのに、迷いがない。きれいな手だ、と思った。きれいというより、信用できる手だ、と。
立花詩織「私、仕事で、こういう花の写真、たくさん撮ってきたんです。『海辺に咲く可憐な花』って、キャプションつけて。……でも、こんなふうに、誰かが膝をついて植えてるところは、一度も、考えたことなかった」
真柴航「仕事、何してるの」
立花詩織「……旅行のガイドブックを、作ってます。次はどこ行こうって、わくわくしてもらうための本」
言ってから、自分で、力なく笑ってしまった。航さんが、手を止めて、こちらを見た。急かさない、静かな目で。
立花詩織「でも、私、もう、わくわくしてないんです。どこ行っても、何見ても。……それなのに、人にわくわくしてもらう本を、作り続けてて。なんか、うそつきみたいで」
ぽろっと、こぼれた。会ったばかりの人に、東京では同僚にも言えなかった本音を。航さんは、しばらく黙っていた。それから、また土に目を戻して、ぽつりと言った。
真柴航「……ここ、ガイドブックに、載ってないでしょ」
立花詩織「はい。一冊も」
真柴航「あなた、自分で、ここまで来た。誰の本にも頼らないで。——それって、もう、わくわくしてるんじゃないの」
息が、止まった。彼は、慰めるつもりも、説教するつもりもなかったと思う。ただ、思ったことを、土に種を置くみたいに、ぽつんと置いただけ。なのに、それが、半年間ずっと固まっていた私の胸の、いちばん奥のほうを、そっと耕した。
*
真柴航「……天気、いいな。今日。霧、出る前に」
昼前、航さんは「掃除、午後でいいや」と呟いて、私を岬の先まで連れ出してくれた。当然、ガイドブックには載っていない道だ。
岩場を伝って降りた先に、小さな入り江があった。透き通った水の底に、揺れる海藻と、銀色の小魚。航さんは、慣れた足取りで岩を渡って、ときどき振り返って、私が降りやすい岩を、無言で指さす。手を貸すでもなく、でも、私が足を滑らせかけた一瞬だけ、さっと腕が伸びてきた。触れたのは、ほんの一秒。すぐに離れた。その距離の取り方が、妙に、私の心臓に残った。
立花詩織「航さん、足、速い」
真柴航「ごめん。……子供の頃から、ここ、庭みたいなもんで」
立花詩織「ふふ。庭、多いですね、あなた。灯台の庭に、岬の庭」
そう言うと、航さんは、初めて、声を出して少し笑った。低くて、短い笑い。その笑い方が見たくて、私はもう一つ、軽口を探していた。気づいたら、この人にもっと喋ってほしくて、自分でも意外なくらい、口数が増えていた。
岩場の上で、二人で海を眺めた。風が、髪をさらっていく。航さんが、ふと言った。
真柴航「あなたの作る本、たぶん、いい本だよ」
立花詩織「……なんで、わかるんですか。読んだこともないのに」
真柴航「こんな何もない岬で、煮魚一つで『おいしい』って、ちゃんと言える人だから。……そういう人が選んだ景色なら、信用できる」
不意打ちだった。軽く受け流すつもりだったのに、その言葉は、ちゃんと私のところに届いて、奥のほうで、じんと熱を持った。私は、海のほうを向いたまま、しばらく返事ができなかった。隣に立つこの人の体温が、風の中で、やけにはっきりと感じられた。
*
夕方から、海霧が出た。
岬を、白い霧が、音もなく包んでいく。十メートル先も見えない。航さんが言っていた「霧」だ。窓の外が、乳白色に塗りつぶされて、世界が、この宿の中だけになったみたいだった。
夕食のあと、航さんが「灯、見に行く?」と誘ってくれた。霧の夜の灯台は、特別なんだ、と。私は、迷わず頷いた。
懐中電灯の明かりだけを頼りに、霧の中を、灯台へ歩く。視界がきかないぶん、すぐ隣を歩く彼の気配が、濃い。やがて、頭上で、灯台の光が回りはじめた。霧に乱反射して、白い光の柱が、ぐるり、ぐるりと、夜の中を撫でていく。幻みたいだった。
立花詩織「……きれい。こんなの、初めて見た」
真柴航「霧の夜だけ。光が、見える形になる。普段は、ただ、まっすぐ飛んでくだけだから」
光の柱が、霧の中で、ゆっくり回る。私は、その光を見上げながら、ずっと胸にあった言葉を、こぼしていた。
立花詩織「私、ここに来て、やっと思い出した気がする。……景色を見て、心が動くって、こういうことだったんだって。仕事の目じゃなくて、ただ、きれいって、思うこと」
真柴航「……思い出したなら、よかった」
立花詩織「航さんのおかげ、です。灯台の庭の話とか、さっきの、信用できるって言葉とか。……私、たった一日で、あなたに、ずいぶん耕されちゃった」
霧の中で、航さんが、こちらを向いた。回る光が、一瞬、彼の顔を照らして、また闇に戻す。その一瞬で見えた目が、いつもの静かな目と、少し違った。
真柴航「……立花さん」
立花詩織「詩織、です。……名前、呼んでほしい」
呼んでほしい、なんて、自分で言うつもりはなかった。でも、霧が、本音を軽くしていた。航さんが、ゆっくり、私の名前を呼んだ。
真柴航「……詩織さん」
低い声に、私の名前がのると、背筋が、ぞくりとした。期待してる、なんて思われたくなくて、私は霧の向こうの灯を見上げるふりをした。でも、たぶん、隠せていなかった。航さんの手が、霧で湿った私の手に、そっと触れた。冷たい霧の中で、その手だけが、土の匂いのする、温かい手だった。
真柴航「……帰りたくないって、顔してる」
立花詩織「……ずるい。そういうの、当てるの」
真柴航「庭の花、見てればわかる。元気か、そうじゃないか。……人も、たぶん、同じ」
霧が、私たちだけを、世界から切り離していた。私は、もう、逃げる気がなかった。航さんの手を、握り返す。それが、答えだった。
*
宿に戻って、航さんが、玄関の鍵をかけた。からん、と乾いた音。霧の夜の岬に、客は私一人。世界に、二人きりだった。
真柴航「……部屋、戻る? それとも」
立花詩織「……一緒に、いたい。霧が、晴れるまで」
言葉にしたら、頬が熱くなった。航さんが、私の頬に、土の匂いのする手を添える。ゆっくり、顔が近づいてきた。急がない人だ、と思った。その、急がなさに、かえって、体の奥が疼いた。
唇が、重なった。
ちゅ……。
立花詩織「ん……っ」
霧みたいに、柔らかいキスだった。一度離れて、目が合って、どちらからともなく、もう一度。今度は、少し深く。彼の唇が、私の唇を、確かめるように食む。
ちゅ……ちゅぷ……
立花詩織「は……ん……っ」
唇の隙間から、舌が、おずおずと触れあう。私は、自分から、彼の前掛けを、きゅっと握っていた。離れたくなくて。
真柴航「……俺の部屋、いい?」
立花詩織「……うん」
*
彼の部屋は、本と、土いじりの道具と、海図が散らばった、彼らしい部屋だった。窓の外は、まだ真っ白な霧。航さんが、私を、布団の上にそっと座らせる。隣に座った彼の肩から、温度が伝わってくる。
真柴航「……緊張、してる?」
立花詩織「してる。……でも、嫌じゃない。むしろ、こうしたかったの。たぶん、灯台の庭、見たときから」
自分で言って、驚いた。でも、本当だった。航さんが、少し目を見開いて、それから、優しく笑った。その笑顔のまま、もう一度、唇が重なる。今度のキスは、さっきより、ずっと熱かった。
ちゅぷ……れろ……ちゅ……
立花詩織「ん……ふ……っ」
キスをしながら、彼の手が、私のブラウスのボタンを、一つ、また一つと外していく。庭の土をいじるのと同じ、迷いのない、でも乱暴じゃない手つき。急かされないのに、いや、急かされないからこそ、肌が、勝手に熱くなる。
真柴航「……きれいだ」
立花詩織「やだ……見ないで。電気、明るい……」
真柴航「霧で、外、真っ白だから。……ここだけ、世界みたいだ」
恥ずかしくて顔を背けたのに、その言葉に、胸の奥が、甘く締めつけられた。彼の唇が、首筋に降りてくる。
ちゅ……ちゅっ……
立花詩織「ん……っ」
鎖骨に、肩に、唇が落ちるたびに、肌がぴくんと震えた。背中に回った手が、ブラのホックを外す。胸が、彼の前にこぼれ出た。航さんの大きな手が、それを、そっと包む。
立花詩織「あ……っ」
真柴航「……柔らかい」
立花詩織「もう……いちいち、言わないで……っ」
土の感触を確かめるみたいに、ゆっくりと、形を確かめるように揉まれて、私は枕に顔を埋めたくなる。指の腹が、つんと尖りはじめた先端をかすめると、体がびくっと跳ねた。
立花詩織「ひゃ……っ、そこ……っ」
真柴航「ここ、弱い?」
立花詩織「……っ、意地悪……言わないでよぉ……っ」
口では強がるのに、航さんが、先端を口に含んで、舌で転がしはじめると、もうだめだった。
れろ……ちゅ……ちゅうっ……
立花詩織「あ……っ、ん……っ♡ やぁ……っ♡」
甘い声が、勝手に漏れる。気持ちいい。誰にも見せない庭を黙って世話するこの人の手と唇が、今は、私のことだけを、丁寧に世話してくれている。それが、たまらなく嬉しかった。胸を愛撫されながら、もう片方の手が、私の腿の内側を、ゆっくり撫で上げていく。
立花詩織「ん……っ♡」
真柴航「力、抜いて。……痛くしない」
その声に、自然と、体の力が抜けた。航さんの指が、下着の上から、私のいちばん敏感なところに触れる。
立花詩織「あっ……♡」
布越しでも、もうそこが熱を持っているのが、自分でもわかった。指がそっと撫でるたびに、腰が、小さく揺れてしまう。やがて下着が脱がされて、彼の指が、直接、そこに触れた。
くちゅ、と。
立花詩織「ひゃ……っ♡」
真柴航「……もう、こんなに」
立花詩織「言わないで……っ♡ 灯台の、キスのとき、から……っ」
恥ずかしさで消えたいのに、航さんの指は、どこまでも優しかった。敏感な突起を、指の腹で、くるくると円を描くように撫でられて、私は彼の腕にしがみついた。
くちゅ……くちゅ……
立花詩織「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 弱いの……っ♡」
真柴航「うん。……わかった」
指が、ゆっくり、中へ滑り込んでくる。
ずぷ……っ
立花詩織「あぁ……っ♡」
熱い。彼の指が、私の中を、ゆっくり押し広げて、いちばん感じる場所を、探り当てるように撫でる。
真柴航「……ここ?」
立花詩織「っ♡♡ そこ、やばい……っ♡ 探すの、上手すぎ……っ♡」
弱い場所を、指の腹で擦られて、同時に、親指で突起を転がされて、私の腰は、もう、自分の意思では止まらなかった。
くちゅくちゅくちゅっ……
立花詩織「あっ♡ あっ♡ だめ……っ♡ それ続けたら……っ♡」
真柴航「いいよ。……イって」
立花詩織「やっ♡ 見ないで……っ♡ 恥ずかしいの……っ♡♡」
指の動きが速くなって、私の体は、あっという間に、高みへ押し上げられた。
立花詩織「あっ♡ あっ♡ あっ♡——っ♡♡♡」
びくびくっ、と腰が跳ねて、頭の中が、真っ白になる。霧みたいに。航さんの腕の中で、私は、ぎゅっと体を丸めて、達した。
真柴航「……イったね」
立花詩織「……っ、言わないで、ってば……っ♡」
息を切らせる私の額に、航さんが、そっとキスを落とした。汗で張りついた前髪を、指で、優しくよけてくれる。その仕草の優しさに、また、泣きそうになった。
*
立花詩織「……ねえ、航さん」
真柴航「ん」
立花詩織「私ばっかり、ずるい。……航さんのも、ちゃんと、ちょうだい」
自分でも、こんなこと言えるんだ、と思った。でも、この人になら、言えた。航さんが、ごくりと喉を鳴らす。私は、ゆっくり体を起こして、彼のシャツに手をかけた。脱がせると、日に焼けた、引き締まった体が現れる。岬で働いてきた人の体だ、と思った。
航さんが、私を、そっと布団に横たえて、覆いかぶさってくる。脚の間に、彼の体が割り込んで、熱く張りつめたものが、入り口にあてがわれた。
真柴航「詩織さん。……いい?」
立花詩織「うん……っ。来て」
真柴航「……つけるから、待って」
立花詩織「……うん」
避妊具をつける彼を、私は、ぼうっと見ていた。霧の夜の宿で、突然の客の私を、それでも、ちゃんと大事にしてくれる。その律儀さも、灯台の庭を黙って世話する手と、同じだ、と思った。準備を終えて、航さんが、もう一度、私の頬に手を添えた。
真柴航「……いくよ」
立花詩織「……優しく、して。久しぶり、だから……っ」
ずぷ……っ♡
立花詩織「ん……あぁ……っ♡♡」
先端が入ってきた瞬間、私は、彼の背中に腕を回して、しがみついた。きつい。でも、とろとろに濡れているから、痛みより、満たされていく感覚のほうが、ずっと大きかった。
ずず……っ
立花詩織「あ……っ♡ 奥まで……来てる……っ♡」
真柴航「……っ、詩織さんの中、すごく熱い」
根元まで収まって、航さんが、ふっと、息を吐いた。繋がった場所から、半年間ずっと固まっていた何かが、じんわり、ほどけていく。私は、彼の背中にしがみついたまま、震える声で囁いた。
立花詩織「……繋がってる。私たち、繋がってるね……っ♡」
真柴航「ああ。……動くよ」
航さんが、ゆっくり、動きはじめた。
ずちゅ……ぱちゅ……
立花詩織「あっ♡ あっ♡ ん……っ♡」
最初は、私の体を気遣う、優しい律動。引くたびに切なくて、奥に届くたびに、声が漏れる。彼の額から落ちた汗が、私の胸に、ぽつりと落ちた。
真柴航「詩織さん。……気持ちいい?」
立花詩織「……っ♡ うん……っ♡ すごく……っ♡」
真柴航「俺も。……一日、ずっと、こうしたかった」
その言葉に、胸の奥が、震えた。私は、彼の首に腕を回して、自分から、唇を求めた。キスをしながら繋がっているのが、こんなに幸せだなんて、ときめきを忘れていた私は、すっかり、忘れていた。だんだん、律動が深くなって、奥のいちばん感じる場所を突かれるたびに、私の体は跳ねた。
ぱちゅ……ぱちゅ……ぱちゅっ♡
立花詩織「あっ♡ あっ♡ そこ……っ♡ 奥、当たるの……っ♡♡」
真柴航「ここ、好き?」
立花詩織「っ♡♡ 好き……っ♡ 航さんの、好きっ……♡♡」
口走ってから、それが、体のことなのか、彼自身のことなのか、自分でも、わからなくなった。たぶん、どっちもだった。航さんが、私の脚を抱え直して、結合が、深くなる。
ぱちゅんっ♡♡
立花詩織「ひあっ♡♡ 深いっ……♡♡」
真柴航「詩織さん、中、すごい締まってる」
立花詩織「だって……っ♡ 気持ちよくて……っ♡♡」
霧の夜の、波の音と、二人の息と、肌のぶつかる音だけが、部屋に満ちていく。私は、もう、何も考えられなかった。ただ、目の前の人が愛しくて、忘れていたはずの感情が、体の奥から、溢れてくる。
真柴航「詩織さん……そろそろ……っ」
立花詩織「うん……っ♡ 私も……っ♡ 一緒が、いい……っ♡」
航さんが、私を、ぎゅっと抱きしめて、最後の律動を、速めた。
ぱちゅぱちゅぱちゅっ♡♡♡
立花詩織「あっ♡ あっ♡ あっ♡♡ イクっ……♡ 一緒に……っ♡♡」
真柴航「ああ……っ、詩織さん……っ!」
ぱちゅんっ——♡♡♡
立花詩織「あぁぁ……っ♡♡♡」
奥で、びくびくと跳ねる彼を、私の体が、ぎゅうっと締めつけながら、受け止める。二人で、同じ波に、さらわれた。航さんが、私の上で、はぁ、と大きく、息を吐いた。汗ばんだ二つの体が、ぴったり重なったまま、しばらく、動けなかった。
立花詩織「……はぁ……っ♡ すごかった……」
真柴航「……詩織さん」
立花詩織「ん……?」
真柴航「霧が晴れても。……帰っても。また、来てくれる?」
私は、もう、我慢できなかった。ぽろぽろと涙がこぼれて、笑いながら、頷いた。
立花詩織「……来る。絶対、来る。だって私、やっと、また旅にときめいたんだもん。……航さんの、いる場所に」
航さんが、涙で濡れた私の頬に、何度も、キスを落とした。
*
朝、目が覚めると、窓の外の霧が、嘘みたいに晴れていた。
青い海が、朝日を浴びて、きらきらと光っている。崖の上の白い灯台は、もう灯を消して、ただ静かに、空を背に立っていた。私は、航さんの腕に頭を預けて、その景色を、ぼんやり眺めていた。彼の心臓の音が、耳の下で、とくとくと鳴っている。
立花詩織「……ねえ、航さん」
真柴航「ん」
立花詩織「私、東京の仕事、辞めないよ」
真柴航「……うん。辞めなくていい」
立花詩織「でも、決めたの。今度の特集、ここにする。『どのガイドブックにも載っていない場所』って。……でも、住所は、載せない」
真柴航「なんで」
立花詩織「だって。……ここは、私が、自分の足で見つけた場所だもん。誰かに教える前に、私が、いちばん、通いたいの」
航さんが、ちょっと笑って、私の頭に、キスをした。
朝食のあと、宿を出ると、隣の商店から、小柄なおばあさんが出てきた。航さんが「ミネさん」と呼んでいた、隣の人だ。私たちの顔を見比べて、目を細める。
ミネさん「あらあら。航ちゃん、お客さん、見送り? ……ずいぶん、いいお顔して」
真柴航「……ミネさん。余計なこと、言わないで」
ミネさん「だってねぇ。あんた、灯台の庭の話、客にするの、初めてでしょ。あの庭の話するの、よっぽど気を許した相手だけだもの。……ねえ、お嬢さん。この子、口は重いけど、根は、あの庭みたいに、まっすぐだから。また、おいで」
立花詩織「……はい。必ず」
航さんが、決まり悪そうに、海のほうを向いた。その耳が、少し赤かった。私は、おかしくて、それから、胸がいっぱいになって、笑った。
バスの時間が来て、航さんが、停留所まで送ってくれた。一日二本しかない、岬のバス。
真柴航「……次、いつ」
立花詩織「来月。給料、出たら。……霧の出る夜が、いいな」
真柴航「霧、予約できないよ」
立花詩織「ふふ。じゃあ、晴れてても、来る。霧でも、晴れでも。……決めたから」
航さんが、ふっと笑って、土の匂いのする手で、私の頭を、くしゃっと撫でた。
バスが、岬を離れていく。窓から振り返ると、崖の上の白い灯台と、その根元の小さな庭と、停留所に立つ航さんが、だんだん、小さくなっていった。
立花詩織(……見つけたんだ。私)
絶景を、何百と見てきた。でも、私がほんとうに見つけたかったのは、たぶん、ずっと、こういうものだった。誰も見ていなくても咲く花を、黙って世話する手。その手が、私の頭を撫でた感触。それを思い出すと、もう、ちゃんと、胸がときめいた。
膝の上のノートに、私は、走り書きで、特集の最初の一行を書いた。
『旅のときめきは、どの本にも、載っていない。』
海が、どこまでも青く光っていた。次に来るときは、霧でも、晴れでも、きっと、いい旅になる。私には、もう、それがわかっていた。
― 終 ―